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第2部
42. 3 years later.
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壮麗な宮殿を出ると、空気はいつもより澄み、体は軽く感じた。
護衛のブランドンも、どこか誇らしげな顔をしている。
幅の広い階段をゆっくりと降りていくと、門を通る前に、背の高い支柱と、歴代の8皇帝の彫刻が左右に4体ずつ並ぶ広場に出る。
この仰々しい空間を初めて通った時は、威圧してくる彫刻たちに圧倒されそうになったが、今となっては、背後の建物に居られる現陛下こそ、私の偉大な太陽であり、威厳ばかりを見せつけてくる彫刻たちの前でも堂々と胸を張って歩くことができた。
1人1人の顔を拝みながら、心の内では説教が流れる。
貴方がたが戦に明け暮れ、乱雑に掻き集めた州と人民を、現陛下が整理なさっておられるのですよ、と。
右、左、右、左、と順に視線を配っていくと、4体目の陰から上質なパルラを纏った美しい人が現れた。
腕が1本しかないその人は、私を見るなり笑顔を浮かべ、軽快に駆けてきた。
「トレシュ、お疲れ様です。勝手に来ちゃってすみません。」
「それはいいけれど。ごめんね、長く待たせてしまった?」
「大丈夫です。勝手に来たのは私ですから。」
シノアの後ろからがザリも顔を出し、1度、頭を下げた。
「子供たちは?」
「へライオス様が服をたくさん見繕うと仰って、市場の方に。」
「え?パレードの日も買い物していたのに?」
「パレードの日は食べ物や各地の名産品がメインだったから、今度は衣服類を、と。」
「はしゃいでるなぁ、師匠。」
パレードというのは、内乱を起こした保守派筆頭貴族を打ち破り、平定させた功労者ガジュランを讃える為のものだった。
私の目標であった、奴隷制の撤廃。これは長い道のりだと覚悟していたが、3年前、シノアとの結婚を皮切りに、予想外にも味方勢力が著しく増加し、1年余りで達成してしまった。
というのも、元老院の中でも強い発言力を持つとある家門の嫡男が、奴隷の娘と恋に落ちていたのだ。
独身を貫いていた私が平民と恋愛結婚をしたことに感銘を受けたらしく、奴隷が皆自由民になれば、自分の恋の壁を打ち崩す足がかりになるのではないかと奮起していた。
その青年こそガジュランだった。
話していくうちにだんだん盲目的な私の信者のようになっていくガジュランの、あまりにも真っ直ぐで純粋な青さに中てられて、少々居たたまれない思いはしたが、若さという勢いは凄まじかった。
自由恋愛を求めて、あるいは新しい時代を築きたいという欲求の為に、中には元々奴隷と仲良くしている者たちまで、奴隷制廃止賛成派がガジュランを中心に若者の間で一大旋風を巻き起こし、その勢いで中立を保っていた元老院の重鎮であった彼の父までをも改革派に引き入れ、私の大きな追い風となった。
保守派はあっという間に弱腰になり、ついにその政策が施行された時、保守派筆頭が少なくなった味方勢力を取りまとめて反乱を起こしたのだ。が、その内乱すら、例のガジュラン一派が1年足らずで平定してしまった。
大きな時代の波を感じる。戦争が常であった私たちの時代が終わり、陛下を含む若い世代が新しい国を作ろうとしているのだ。
優しい国ができると良い。人種や階級に縛られず、人が人として過ごせる国になったなら、きっとシノアもずっと笑顔で生きて行ける。
「どうしたんですか、にやけて?」
そっと口元を隠した。
「にやけてた?」
シノアは笑顔で「はい。」と頷いた。
「シノア、好きだよ。」
「な、なんですか、急に。」
「言いたくなったんだ。」
シノアはじっと私の目を見つめると、優しくはにかんで、手を伸ばしてきたかと思うと、息子の頭を撫でるように私の頭を撫でた。偉かったね、そんな声まで聞こえてきそうだ。
「トレシュ、一緒に市場に行けますか?」
「うん。子供たちを迎えに行こうか。」
「その前に2人で見て回りたいです。」
「2人で?」
ブランドンとガザリに目を配る。すると2人揃って反対の意を唱えるように首を横に振った。
「護衛は良いですよ、別に。」
頬を赤らめて視線を逸らしながら、私の右手を取るシノア。
昼間からこうやって甘えてくるのも珍しい。子供たちがいる前ではこうはいかない。
繋いだシノアの手にキスを落とした。
「師匠が子供たちの服を揃えてくれるのなら、シノアの服は私が選んであげようか。」
「え、別に大丈夫ですよ。たくさんあります。」
遠慮をするシノアの手を引いて門へ向かう。
「何か欲しいものはないの?」
歩きながらそう訊くと、シノアは少し間を空けてから、私にしか聞こえないであろう声量で、ぽつりと呟いた。
「…トレシュの時間。」
なんと可愛い事を言うのだろう。
28も下の女性に、年甲斐も無く翻弄されている。
「キスしてもいい?」
「嫌ですよ。2人の前で。」
鈍いブランドンはともかく、ガザリなら察して目を逸らしてくれそうだが、そう言ったところで納得はしてくれないのだろう。
代わりに、「安心して。」と微笑んだ。
「これからはずっと一緒にいられるよ。」
「どういうことですか?」
「旅行をしよう。」
そう言って門を出る。
首を傾げ、困惑の色を浮かべるシノアが愛らしい。
とても清々しい気分だった。
市場の方へと足を運ぶが、これからの生活を思うと期待ばかりが膨らんで、まるで空気でも踏んでいるかのようだ。
「執政官は次の任期で終わりにしようと思ってね、陛下に、少し暇を貰ったんだよ。」
「え…首ってことですか?」
あからさまにショックを受けた様子のシノアに笑いが込み上げる。
「執政官っていうのは、元々何年も連続では就かないんだよ。私が特殊だっただけで。」
私が勤続できたのは、陛下と師匠の力が大きい。奴隷制の廃止という大きな目標があった為だ。
しかしその政策を推し進めた為に、予想外にも、必要以上の貴族や民衆の支持を得てしまった。
政令の施行はあくまでも皇帝陛下の名のもとに行われたものであり、これ以上私が名声を得るわけにはいかない。
国民は、貴族も含め、皆、陛下の元に一致団結するべきだ。それ以外の人間が不用意に支持を集めるという事象は国を分裂させる恐れがある。
という理屈で陛下と師匠は言いくるめたが、実のところは、私もシノアとの時間が欲しかったというのが大きい。
シノアとの間に2人の子宝に恵まれたが、この3年、シノアとも子供たちとも十分に時間を取れなかった。それを取り戻したかったのだ。
幸いにもこの国の若者たちは有望だ。これ以上私がでしゃばる必要はないと感じた。
「だからね、視察という体で、国をぐるりと見て周ろうかなと。家族で一緒に。」
どう?と尋ねようと思ったが、シノアが目を輝かせているのを見て、訊くまでもなさそうだと頬を緩ませた。
はっとして後ろを向く。
「ブランドン、君は無理して来なくていいからね。」
「え?!なぜですか!お供させてください!」
「えぇ?だって君、私たちについて来たら、子供に顔忘れられちゃうよ?」
私とほとんど同時期に結婚をしたブランドンには、うちの次男と同い年の息子がいる。
「どうしても同行したいというのなら、奥さんの許可貰って来てね。私は恨まれたくないからね。」
「ご、護衛はどうなさるのですか?ガザリは奥様の護衛ですし、トレシュ様の護衛がいなくなります。」
「いやいや、私兵は他にもいるし、セスも来るからガザリが私についてくれたら良いだけだよ。」
見るからにショックを受けていて可哀想にも思うが、ブランドンは少し私を優先しすぎるところがあるので仕方がない。
彼には妻子がいるのだから、もっと家庭を優先すべきだ。
「セスはもう知ってるんですか?」
「どうだろう。師匠が話したかどうか。」
セスが師匠に懐いたのは意外だった。
最初は、私の妻であるシノアの側にいたいのなら、もう少し教養を持ってもらわなければ困るという理由で嫌々師匠の元へ通わせていたのだが、彼はいつの間にか師匠に心を開き、自ら師匠の護衛兼従者を買って出て、今では師匠の邸に住み込んでいる。
「でもセスは必ず連れて行かないといけないんだ。カサム州のテンティウス殿からの頼みでね。」
シノアは「あ。」と口を開けたかと思うと、楽しそうに声を弾ませた。
「もしかしてウェシターニアですか?」
「ご明察。」
帝都に来てから、シノアとウェシターニア嬢は文通していた。故に、彼女の恋心はシノアの方がよく分かっているだろう。
「こちらからは紹介するだけ、だけれどね。どうするかはセス次第だ。」
「うわぁ、だめそう。」
眉を潜めて本音を漏らすシノアに、つい笑ってしまった。
「そもそも、ウェシターニアはずっと好き好き言ってますけど、セスは平民なのに、テンティウス様はお許しになったんですか?」
「ウェシターニア嬢が頑張ったんだろうね。それに、確かにセスは平民だけれど、君の従兄だ。もし2人が結婚するとなったら、私たちとテンティウス殿一家は姻戚関係になる訳だ。」
加えて、これは誰にも言っていない事だが、もし婿養子となるのならバデュバール城に住むこととなり、ローディリウス王子の遺骨を管理する権限も貰えるとしたら、セスにとっても悪くないのではないかと考えていた。
「…想像つかないです。」
「はは。まだどうなるか分からないことだからね。」
結婚という2文字が似合わないセスの想像し難い未来を思い浮かべて、シノアと笑い合った。
市場は人で賑わい、色々な食べ物の匂いや、大道芸や人形劇への歓声で溢れていた。
アクセサリーや食器や雑貨品。シノアと色々な出店を周り、2人の好みを擦り合わせる。
こうやって色々な品物を見て周ると、3年前、バデュバールの別邸に商人を呼んだ時の事を思い出した。再会して初めてシノアが笑ってくれた日。
そして、2人で買い物をした記憶を3年も遡ってしまったことに、罪悪感を覚えた。
2人でゆっくり出かける時間もなかなか取れず、政務に明け暮れた日々。子供たちがいたとはいえ、シノアには寂しい思いをさせてしまっただろう。
余生はシノアの為に使う。
私とシノアが共にいられる時間は、決して長くはないだろう。だからこそ、濃い時間を過ごしたい。
私の死後、その時間がきっとシノアの助けになると思うから。
美しく微笑むシノアの頬を撫でた。そして結局抑えが効かず、艶めく唇に不意打ちのキスをする。
突然のことにブランドンは目を見開き、やはりガザリはすぐに顔を背けた。
その様子も可笑しかったが、もっと可笑しかったのは、微塵も目を閉じてくれないシノアだった。
シノアは文句こそ言わなかったが、その視線は恥じらいながらも可愛らしく私を批難していた。
「ととー!」
聞き覚えのあるおぼつかない声に反応して振り返ると、金の髪を風に泳がせて、まだまだ小さな足で懸命に駆けてくる小さな息子。
それを受け止め、1度杖をガザリに預けてから持ち上げてやると、彼が来た方角から「勝手に走って行ったら危ないだろう。」と心配顔をする師匠と、眠ってしまった次男を抱えたセスがやって来た。
何気ない日常が、こんなにも輝いて見える。
たくさんのものを失ってきたはずなのに、胸の内が満月のように満たされている。
きっとこの先も何かを失うことがあるだろう。しかしその先には満たされる未来もまた存在しているのだ。そうやって繰り返して生きていく。
私も。シノアも。そして子供たちも。
【夕月の欠片 完】
最後までご拝読頂き、ありがとうございました。 daru
護衛のブランドンも、どこか誇らしげな顔をしている。
幅の広い階段をゆっくりと降りていくと、門を通る前に、背の高い支柱と、歴代の8皇帝の彫刻が左右に4体ずつ並ぶ広場に出る。
この仰々しい空間を初めて通った時は、威圧してくる彫刻たちに圧倒されそうになったが、今となっては、背後の建物に居られる現陛下こそ、私の偉大な太陽であり、威厳ばかりを見せつけてくる彫刻たちの前でも堂々と胸を張って歩くことができた。
1人1人の顔を拝みながら、心の内では説教が流れる。
貴方がたが戦に明け暮れ、乱雑に掻き集めた州と人民を、現陛下が整理なさっておられるのですよ、と。
右、左、右、左、と順に視線を配っていくと、4体目の陰から上質なパルラを纏った美しい人が現れた。
腕が1本しかないその人は、私を見るなり笑顔を浮かべ、軽快に駆けてきた。
「トレシュ、お疲れ様です。勝手に来ちゃってすみません。」
「それはいいけれど。ごめんね、長く待たせてしまった?」
「大丈夫です。勝手に来たのは私ですから。」
シノアの後ろからがザリも顔を出し、1度、頭を下げた。
「子供たちは?」
「へライオス様が服をたくさん見繕うと仰って、市場の方に。」
「え?パレードの日も買い物していたのに?」
「パレードの日は食べ物や各地の名産品がメインだったから、今度は衣服類を、と。」
「はしゃいでるなぁ、師匠。」
パレードというのは、内乱を起こした保守派筆頭貴族を打ち破り、平定させた功労者ガジュランを讃える為のものだった。
私の目標であった、奴隷制の撤廃。これは長い道のりだと覚悟していたが、3年前、シノアとの結婚を皮切りに、予想外にも味方勢力が著しく増加し、1年余りで達成してしまった。
というのも、元老院の中でも強い発言力を持つとある家門の嫡男が、奴隷の娘と恋に落ちていたのだ。
独身を貫いていた私が平民と恋愛結婚をしたことに感銘を受けたらしく、奴隷が皆自由民になれば、自分の恋の壁を打ち崩す足がかりになるのではないかと奮起していた。
その青年こそガジュランだった。
話していくうちにだんだん盲目的な私の信者のようになっていくガジュランの、あまりにも真っ直ぐで純粋な青さに中てられて、少々居たたまれない思いはしたが、若さという勢いは凄まじかった。
自由恋愛を求めて、あるいは新しい時代を築きたいという欲求の為に、中には元々奴隷と仲良くしている者たちまで、奴隷制廃止賛成派がガジュランを中心に若者の間で一大旋風を巻き起こし、その勢いで中立を保っていた元老院の重鎮であった彼の父までをも改革派に引き入れ、私の大きな追い風となった。
保守派はあっという間に弱腰になり、ついにその政策が施行された時、保守派筆頭が少なくなった味方勢力を取りまとめて反乱を起こしたのだ。が、その内乱すら、例のガジュラン一派が1年足らずで平定してしまった。
大きな時代の波を感じる。戦争が常であった私たちの時代が終わり、陛下を含む若い世代が新しい国を作ろうとしているのだ。
優しい国ができると良い。人種や階級に縛られず、人が人として過ごせる国になったなら、きっとシノアもずっと笑顔で生きて行ける。
「どうしたんですか、にやけて?」
そっと口元を隠した。
「にやけてた?」
シノアは笑顔で「はい。」と頷いた。
「シノア、好きだよ。」
「な、なんですか、急に。」
「言いたくなったんだ。」
シノアはじっと私の目を見つめると、優しくはにかんで、手を伸ばしてきたかと思うと、息子の頭を撫でるように私の頭を撫でた。偉かったね、そんな声まで聞こえてきそうだ。
「トレシュ、一緒に市場に行けますか?」
「うん。子供たちを迎えに行こうか。」
「その前に2人で見て回りたいです。」
「2人で?」
ブランドンとガザリに目を配る。すると2人揃って反対の意を唱えるように首を横に振った。
「護衛は良いですよ、別に。」
頬を赤らめて視線を逸らしながら、私の右手を取るシノア。
昼間からこうやって甘えてくるのも珍しい。子供たちがいる前ではこうはいかない。
繋いだシノアの手にキスを落とした。
「師匠が子供たちの服を揃えてくれるのなら、シノアの服は私が選んであげようか。」
「え、別に大丈夫ですよ。たくさんあります。」
遠慮をするシノアの手を引いて門へ向かう。
「何か欲しいものはないの?」
歩きながらそう訊くと、シノアは少し間を空けてから、私にしか聞こえないであろう声量で、ぽつりと呟いた。
「…トレシュの時間。」
なんと可愛い事を言うのだろう。
28も下の女性に、年甲斐も無く翻弄されている。
「キスしてもいい?」
「嫌ですよ。2人の前で。」
鈍いブランドンはともかく、ガザリなら察して目を逸らしてくれそうだが、そう言ったところで納得はしてくれないのだろう。
代わりに、「安心して。」と微笑んだ。
「これからはずっと一緒にいられるよ。」
「どういうことですか?」
「旅行をしよう。」
そう言って門を出る。
首を傾げ、困惑の色を浮かべるシノアが愛らしい。
とても清々しい気分だった。
市場の方へと足を運ぶが、これからの生活を思うと期待ばかりが膨らんで、まるで空気でも踏んでいるかのようだ。
「執政官は次の任期で終わりにしようと思ってね、陛下に、少し暇を貰ったんだよ。」
「え…首ってことですか?」
あからさまにショックを受けた様子のシノアに笑いが込み上げる。
「執政官っていうのは、元々何年も連続では就かないんだよ。私が特殊だっただけで。」
私が勤続できたのは、陛下と師匠の力が大きい。奴隷制の廃止という大きな目標があった為だ。
しかしその政策を推し進めた為に、予想外にも、必要以上の貴族や民衆の支持を得てしまった。
政令の施行はあくまでも皇帝陛下の名のもとに行われたものであり、これ以上私が名声を得るわけにはいかない。
国民は、貴族も含め、皆、陛下の元に一致団結するべきだ。それ以外の人間が不用意に支持を集めるという事象は国を分裂させる恐れがある。
という理屈で陛下と師匠は言いくるめたが、実のところは、私もシノアとの時間が欲しかったというのが大きい。
シノアとの間に2人の子宝に恵まれたが、この3年、シノアとも子供たちとも十分に時間を取れなかった。それを取り戻したかったのだ。
幸いにもこの国の若者たちは有望だ。これ以上私がでしゃばる必要はないと感じた。
「だからね、視察という体で、国をぐるりと見て周ろうかなと。家族で一緒に。」
どう?と尋ねようと思ったが、シノアが目を輝かせているのを見て、訊くまでもなさそうだと頬を緩ませた。
はっとして後ろを向く。
「ブランドン、君は無理して来なくていいからね。」
「え?!なぜですか!お供させてください!」
「えぇ?だって君、私たちについて来たら、子供に顔忘れられちゃうよ?」
私とほとんど同時期に結婚をしたブランドンには、うちの次男と同い年の息子がいる。
「どうしても同行したいというのなら、奥さんの許可貰って来てね。私は恨まれたくないからね。」
「ご、護衛はどうなさるのですか?ガザリは奥様の護衛ですし、トレシュ様の護衛がいなくなります。」
「いやいや、私兵は他にもいるし、セスも来るからガザリが私についてくれたら良いだけだよ。」
見るからにショックを受けていて可哀想にも思うが、ブランドンは少し私を優先しすぎるところがあるので仕方がない。
彼には妻子がいるのだから、もっと家庭を優先すべきだ。
「セスはもう知ってるんですか?」
「どうだろう。師匠が話したかどうか。」
セスが師匠に懐いたのは意外だった。
最初は、私の妻であるシノアの側にいたいのなら、もう少し教養を持ってもらわなければ困るという理由で嫌々師匠の元へ通わせていたのだが、彼はいつの間にか師匠に心を開き、自ら師匠の護衛兼従者を買って出て、今では師匠の邸に住み込んでいる。
「でもセスは必ず連れて行かないといけないんだ。カサム州のテンティウス殿からの頼みでね。」
シノアは「あ。」と口を開けたかと思うと、楽しそうに声を弾ませた。
「もしかしてウェシターニアですか?」
「ご明察。」
帝都に来てから、シノアとウェシターニア嬢は文通していた。故に、彼女の恋心はシノアの方がよく分かっているだろう。
「こちらからは紹介するだけ、だけれどね。どうするかはセス次第だ。」
「うわぁ、だめそう。」
眉を潜めて本音を漏らすシノアに、つい笑ってしまった。
「そもそも、ウェシターニアはずっと好き好き言ってますけど、セスは平民なのに、テンティウス様はお許しになったんですか?」
「ウェシターニア嬢が頑張ったんだろうね。それに、確かにセスは平民だけれど、君の従兄だ。もし2人が結婚するとなったら、私たちとテンティウス殿一家は姻戚関係になる訳だ。」
加えて、これは誰にも言っていない事だが、もし婿養子となるのならバデュバール城に住むこととなり、ローディリウス王子の遺骨を管理する権限も貰えるとしたら、セスにとっても悪くないのではないかと考えていた。
「…想像つかないです。」
「はは。まだどうなるか分からないことだからね。」
結婚という2文字が似合わないセスの想像し難い未来を思い浮かべて、シノアと笑い合った。
市場は人で賑わい、色々な食べ物の匂いや、大道芸や人形劇への歓声で溢れていた。
アクセサリーや食器や雑貨品。シノアと色々な出店を周り、2人の好みを擦り合わせる。
こうやって色々な品物を見て周ると、3年前、バデュバールの別邸に商人を呼んだ時の事を思い出した。再会して初めてシノアが笑ってくれた日。
そして、2人で買い物をした記憶を3年も遡ってしまったことに、罪悪感を覚えた。
2人でゆっくり出かける時間もなかなか取れず、政務に明け暮れた日々。子供たちがいたとはいえ、シノアには寂しい思いをさせてしまっただろう。
余生はシノアの為に使う。
私とシノアが共にいられる時間は、決して長くはないだろう。だからこそ、濃い時間を過ごしたい。
私の死後、その時間がきっとシノアの助けになると思うから。
美しく微笑むシノアの頬を撫でた。そして結局抑えが効かず、艶めく唇に不意打ちのキスをする。
突然のことにブランドンは目を見開き、やはりガザリはすぐに顔を背けた。
その様子も可笑しかったが、もっと可笑しかったのは、微塵も目を閉じてくれないシノアだった。
シノアは文句こそ言わなかったが、その視線は恥じらいながらも可愛らしく私を批難していた。
「ととー!」
聞き覚えのあるおぼつかない声に反応して振り返ると、金の髪を風に泳がせて、まだまだ小さな足で懸命に駆けてくる小さな息子。
それを受け止め、1度杖をガザリに預けてから持ち上げてやると、彼が来た方角から「勝手に走って行ったら危ないだろう。」と心配顔をする師匠と、眠ってしまった次男を抱えたセスがやって来た。
何気ない日常が、こんなにも輝いて見える。
たくさんのものを失ってきたはずなのに、胸の内が満月のように満たされている。
きっとこの先も何かを失うことがあるだろう。しかしその先には満たされる未来もまた存在しているのだ。そうやって繰り返して生きていく。
私も。シノアも。そして子供たちも。
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