タウヌール辺境伯領の風情

daru

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作戦E

1.ロラン

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 カチャリ。ソファで寛ぎながら本を読む上官、ジルの腕に手錠を掛ける。ジルは訝しむように目を細めたが、特段目立った反応はしなかった。
 冷静な彼らしい対応ではあるが、実につまらない。

「何のまねだ?」

 じろりと睨まれたが、くたびれた顔立ちのせいか、それとも10年の慣れか、残念ながら迫力を感じない。

 短いグレーの髪に、グレーの瞳。白髪の混ざる無精髭に、妙な色気を感じる。

 そもそも、部下であり女である私を、部屋に出入り自由にしていることがおかしいのだ。
 危機管理能力を疑ってしまう。私自身改めるつもりもないけれど。

「祖国から帰還命令が下された。」

 作戦通り、ため息をつく。

「どうせなら土産を持って帰ろうかと思って。」

 ジルの眉間にシワが寄る。当然だ。私の祖国はここデキヤン王国ではなく、西の隣国、キュース王国だ。
 私の黒髪も黒い瞳も、キュース人の特徴だ。

 大陸歴1530年、キュース王国がデキヤン王国に侵略し、戦争が始まった。孤児だった私も12歳から少年兵としてキュース軍に従属し、戦った。

 ジル、そして現タウヌール辺境伯フェルディナン様に出会ったのは、14歳の時だった。

 キュース王国がデキヤン王国の北にあるテイポッドー王国と手を結び、デキヤン王国は北からも攻撃を受けることになったのだ。

 キュース軍とテイポッドー軍が挟むように攻撃を仕掛けたのは、デキヤン王国の北西部、タウヌール地方で、私もそこに派遣された師団の1人だった。

 そこで、タウヌール城塞を防衛する彼らに会ったのだ。

「どうして抵抗しないの?」

 両手を手錠で拘束されているにも関わらず、ジルは相変わらず冷静だった。
 真偽を確かめるように視線は鋭いが、武器を取るでも仲間を呼ぶでもなく、ただじっと座っている。

「お前は?次はどうするんだ?」

 その気概に胸がざわつく。
 少々無骨ではあるものの、彼の優しい人柄や、差別をしない考え方など、異性として惹かれることにそう時間はかからなかった。

「足も縛って、口も縛って。」

 それから、と大きな麻袋を広げて見せた。

「これに入れて運ぶ。」

 はっと鼻で笑うジル。

「随分シンプルな作戦だな。そんなんで俺を拉致できると思ってんのか?」

「現に抵抗してないだろ。」

「本気に見えねぇからだよ。」

 私は本気だ。本気でこの一回りも年上の男を欲している。

「本気で俺を相手にするんだったら、もっと手の込んだ作戦をとる筈だ。そうじゃないと無理だと分かってる。そうだろ?」

 まぁ、そうだろう。タウヌール連隊隊長を務めるこの男は、名実共に戦闘の達人だ。
 武器を与えず、両手を拘束していても、一瞬たりとも気は抜けない。

「本気じゃないなら、どうしてこんなことをしてると思うの?」

「それが分からねぇから苦労してんだろ。」

 苦労してるようには見えない。

「だいたい、お前が俺たちのとこに来たのは、あいつらの非人道的な態度に疑問を持ったからだろ。」

 私が所属していたキュース軍の師団とテイポッドーの連合軍は、いくら敵国とはいえ、デキヤン国民の扱いが本当に酷かった。
 通った村は全て焼払い、略奪もし放題。村人は奴隷のように扱われたり、快楽のために殺されたり。

 そういうのを見て、私は辟易とした。
 幼い頃からゴミのように扱われていた自分と重なったのだ。

「そんなお前が、国に帰ろうなんて思うか?」

「この国には…馴染めなかった。」

 嘘を混ぜた。

 キュース人に多い黒髪黒目を持つ私に、デキヤン国民が排他的なのは確かだ。しかし全員が全員そうというわけではなかった。
 理由も無く差別する者もいれば、ジルのように、何も気にしない人もいる。終戦後、タウヌール城塞の主となり、タウヌール辺境伯となったフェルディナン・トゥルベール様が、それの最たるものだった。

 敵国の異国人として立つ瀬の無い私は、フェルディナン様とジルにとても救われた。

「認めてる奴はたくさんいるだろ。フェルディナン様も…俺だって、お前のことを頼りにしてる。」

 他にも、と続けようとしたジルを手で制した。

「私が出て行った方が丸い。」

 私は私なりに精一杯やって来たつもりだ。忠誠心の欠片も無く、ただ食う為に志願した祖国軍とは違い、心から尊敬し、忠誠を誓った辺境伯フェルディナン様のことを想うと、自然と眉間に力が入った。

 でも、そんな私にも優しいジルが好きだ。摩擦を減らそうとしてくれるジルのことが、どうしても好きだ。

「もう少し待て。俺が、…フェルディナン様が必ず…。」

「ジル。」

 私を説得しようとするジルの言葉を遮って、声を荒げた。

 そうじゃない。私が欲しい言葉は、そんなんじゃない。

「私を引き留めるつもりなら、もっと言葉を選ぶべきだと思うけど。」
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