ただ帰りたいはずだったのに、私は壊す者になった

川浪 オクタ

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第17話『禁書が結ぶもの』

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 頭が重い。

 目を開けると、見慣れない天井が視界に飛び込んできた。体の芯が冷えている。まるで氷水に漬かっていたような——

「……あの本は、何だったの?」

 かすれた声が、静かな部屋に落ちる。隣の椅子で剣を抱いたまま眠るリュゼルの寝顔が、朝の光に照らされていた。

(ずっと、そばにいてくれたんだ……)

 胸が、じんわりと温かくなる。

 床がきしんだ瞬間、リュゼルがすぐに目を覚ました。

「……起きたか。体調は?」

「うん、大丈夫。ありがとう……リュゼル」

 少しの沈黙。リュゼルが切り出しかけたが、晴歌は首を横に振った。

「今は……ちょっと、整理がつかなくて。ごめん」

「……わかった。無理に聞かない」

 窓の外から朝の光が差し込んでいる。

「ギルド登録、まだだったよな」

「うん……行かなきゃ」

「なら、案内する。朝飯も食べてないだろ?」

 リュゼルの気遣いに、晴歌は小さく笑った。

 ---

 宿の食堂で朝食をとりながら、リュゼルは王都での暮らし方を教えてくれた。

「通貨は三種類。銀貨が基本で、金貨はその十倍、銅貨はその十分の一」

「へぇ……昔のゲームみたい」

 ギルドへの道すがら、昨日倒れていた図書館の前を通る。扉は固く閉ざされ、騎士が警戒していた。

(あの光……まだ体の奥に残ってる気がする)

 ギルドの受付で名前と年齢を伝え、魔力を通すと、小さな金属プレートが青白く淡く光った。

「これが登録証です。大切に保管してくださいね」

 手のひらに収まる薄い金属のプレート。自分の名前が、ゆらめくように浮かび上がる。

 周囲では、傷だらけの剣を腰に下げた冒険者たちが依頼板を眺め、仲間と笑い合っている。皆、ここに"居場所"がある。当たり前のように、この世界に根を張って生きている。

 プレートを握りしめる。冷たい金属の感触が、妙にリアルだった。

(ようやく、私にも……この世界での"居場所"ができた)

「最初の依頼は、何にする?」

 リュゼルの質問に、晴歌は依頼板を見つめた。

「薬草採集がいいかな。一人でもできそうだし」

「……そうか。気をつけろよ」

 リュゼルは少し名残惜しそうだったが、晴歌の決意を尊重してくれた。

 ---

 王都の門をくぐろうとした、その瞬間。

「見つけたぁ!」

 風を切るような声と共に、人影が飛び込んできた。

「ちょ、待っ——」

 両手を掴まれ、くるりと回される。

「やっぱりハルカだ! 間違いない!」

 絹のような金髪が陽光に舞い、深紫の瞳が輝いている。

「フィ、フィアナ!?」

 晴歌は驚きで立ち尽くした。なぜここに。なぜ森を出て。

 フィアナはようやく手を離し、晴歌の戸惑った表情を見て、少し寂しそうに笑った。

「そんなに驚かなくても……会いに来ちゃダメだった?」

 だが、その明るい笑顔の奥に、いつもとは違う真剣な光が宿っていた。

「どうしたの? 森を出るの珍しいって、ティオが言ってたのに」

「ちょっと気になることがあってね」

 フィアナの視線が、晴歌の体をゆっくりと観察する。まるで何かを確かめるように。

「依頼?」

「うん。薬草採集なんだけど」

「私も行く! 護衛してあげるから!」

 フィアナに腕を引っ張られ、晴歌は王都の外へと向かった。

 ---

 草原を歩きながら、フィアナがぽつりと呟いた。

「ねぇハルカ。最近、何か変なことなかった?」

「変なこと?」

「魔力が……前と違う感じがするの」

 胸がどきりと跳ねた。

「……実は、王都で変な場所に入っちゃって」

「変な場所?」

「『黒の図書館』っていう、古い図書館。呼ばれてるような感じがして……扉を開けたら、本がいっぱいあって」

 言いかけた瞬間、フィアナの表情が凍りついた。

「それで? 何があったの?」

「一冊の本が、空中に現れて。その名前が——リベル=マギア・オムニア……って」

 空気が張り詰めた。

「リベル=マギア・オムニア!?」

 木陰から、ティオが姿を現した。銀色の瞳が驚きで大きく見開かれている。

「ティオまで……なんでここに!?」

「待ってたんだよ。フィアナが『絶対ここを通るはず』って言うから」

「そんなことより! 本当にその名を見たのか?」

 晴歌が頷くと、ティオの顔色が変わる。

「その本は"神が封じた原初の知識"だ。触れることすら、神が恐れたほどのものだ」

「え……」

 晴歌の手が震えた。あの時、本から放たれた光。体を貫いた冷たさ。まるで存在そのものが否定されるような——

「魂ごと消されていてもおかしくなかった。晴歌が無事だったのは……奇跡に近い」

「っ……」

 息が、詰まる。膝が震えて、その場に崩れ落ちそうになった。

 フィアナが慌てて肩を支える。

「見た目は平然としてるけど……本当に、危ないことしたね」

 ティオが晴歌の頬を軽くつねる。痛みと共に、現実感が戻ってくる。

「私、そんなつもりじゃ……ただ、気づいたら目の前にあって……」

「晴歌は禁書に"喚ばれた"のかもね」

 フィアナの言葉に、晴歌は息を呑んだ。

「でも、それだけじゃない。君の魔力、明らかにおかしいよ」

 ティオの視線が、晴歌の体を貫く。

 沈黙が降りた。冷たい風が、三人の間を吹き抜けていく。

「教えてくれないか、晴歌」

 ティオの声が、いつになく低く、重い。

「君は……本当は、どこから来たんだ?」

 ---

 空気が凍りついた。答えなければならない。でも、どう説明すれば——

 その時。草むらがさらりと揺れた。

「……その話なら、俺も聞きたい」

 低く、静かな声。晴歌の心臓が跳ねた。

 銀髪が木漏れ日に光る。金色の瞳が、まっすぐこちらを見つめていた。

「リュゼル……なんで……」

「……護衛はいらないって言ったけど」

 リュゼルが視線をそらす。

「昨日、お前が倒れてるのを見たから。それで……一人で行かせるのは、心配だった」

 言ってから、リュゼルは少し後悔したような顔をする。耳がかすかに赤い。

 その言葉に、晴歌の胸が熱くなる。

 でも、今はそれどころじゃない。

 四人がそろった。運命の歯車が、音を立てて回り始める。

 そして、誰もが晴歌の答えを待っている。

 重い沈黙が流れる。三人の視線が、すべて晴歌に注がれている。

(言わなきゃ、いけないのかな……)

 口を開きかけて、閉じる。何を言えばいい? どこから話せばいい?

(でも、信じてもらえる? 元の世界のこと、異世界から来たこと……)

 言葉が、喉の奥で詰まっていた。

 晴歌は必死に笑顔を作った。

「……せっかく四人そろったんだし、まずはご飯でも食べない?」

 ティオとフィアナが顔を見合わせる。リュゼルは、じっと晴歌を見つめたまま何も言わなかった。

(逃げてる……私、逃げてる)

 それでも、今はまだ——言葉にする勇気が、出なかった。
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