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第4話  手芸部への勧誘

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 それからしばらくして、僕は学食の喫茶コーナーにいた。

「ごめんなさいね」

 紙コップに入ったコーヒーが差し出された。目の前に眼鏡をかけ、髪を後ろで一つに結んだ女子生徒が立っている。さっきの状況から僕を救い出しここまで連れてきてくれた人だ。僕にとって、まさに救世主ジャンヌ・ダルク。聖女様だ。

「びっくりしたでしょ? あの人は神宮司藍音じんぐうじあいねさんといって、手芸部の部長なの。私も神宮司さんも同じ二年生よ。クラスは違うけどね」

 そう言って笑顔を見せた。

「お名前聞いていいかしら? 私は中崎。中崎芳美なかざきよしみというのよ」

「ぼくは、坂下慎一さかしたしんいちと申します」

 神宮司さんに比べて、容姿は、まぁなんだけど、優しい話し方で心が休まる。
 話も通じそうだ。
 
 コミュケーションって大事だなぁ……。
 あらためて思うよ。
 さっきのは厳しすぎた。

「ありがとうございます」

「あのね。坂下君だったわね?」

「あ、はい」

「神宮司さんは、他の人よりも何歩も先のことを考えていて、時々、それをそのまま口にしてしまうの。それでね。それがいろんな方向に瞬時に飛んでいくのよ」
 
「ああ、それで……」

 話が噛み合わないわけだ。
 大抵の人間は、今のこと、目の前のことだけを考えて生きているものなんだよ。
 そんなに先が読めるならば、手芸部じゃなくて将棋部にでも入ればいいんだ。
 選択間違えているな。

「でもね」

 中崎さんが話を続ける。

「神宮司さんの。部長の勘はよく当たるの。普通の人が感じないことを一瞬で察知してしまうの。きっと、あなたの何かを見抜いたのよ。あのクロスの価値がわかったのよね? 何かやっていなかった?」

「レース編みを。クロシェッ」

「まぁ! やっぱりだわ!」

「でも、僕は部活をするつもりはないんです」

「そうなの? でも、ここはね。一年生は部活が必須なのよ」

「え? そうなんですか?」

「ええ。でも、もともと進学に力を入れている学校だから、それほど負担にはならないけれど……特に、手芸部はね。他の部よりも規則が緩やかだから、籍だけ置いている生徒も多いのよ」

「そうなんですか……」

 でも……。なまじ期待されて入部すると、そうもいかなくなるんじゃないか?

「なにか心配事があるみたいね」

 中崎さんが笑う。

「本当よ。今日展示してあった作品あるでしょ? あれ、半分は去年と同じ物なのよ」

「はぁ……」

 その緩さが、あの部長の激しさとマッチしないんですが。
 静かに燃える氷の炎みたいな。

 少し前の光景を思い出す。
 ストレートの長い黒髪、切れ長のアーモンドのような瞳。白く冷たい横顔。
 インパクトの強い人だ。でも、心に残るのはそれだけだろうか?

 ―― いや。それ以外ないよ!
 あんな人そう簡単に忘れられるわけがない。
 僕はショックでおかしくなってしまったようだ。無理もない。登校早々あんな目に合わされたんだ。

「もちろん真面目な人もいるわ。勉強の合間に手仕事をすると気分転換になるって……ね。考えてみてね」

「はぁ……」

 我に返った僕は、曖昧な返事を残してその場を去った。



 今日は、初日からえらい目に会ったな。
 帰宅した僕は、洗面所でシャツの片袖を脱いで腕を見る。

「あちゃー! 赤くなってる」

 掴まれたところが赤く指の形に残っている。

 日菜と母さんは、もう食事を済ませていた。父さんはまだ帰っていない。
 僕らが起きている間は戻らないだろう。
 僕は食堂で一人夕飯を済ませた。レンジと冷蔵庫の中に用意してある。
 そのあと居間でソファーに腰掛け、見るともなくテレビを見ていた。
 芸人たちが取り留めもない雑談を繰り返している。

 サイドテーブルの上のドイリーを見る。
 日菜の作ったドイリー。
 基本的な技法だけで作った、単純なモチーフの組み合わせ。
 
 それなのに……心に残るのはなぜだろうか?

「部活が必須ってのは予想外だったな……」

 そんなことを考えながらテレビを見続けた。





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