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第十五話 勇者、休暇を取る
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「よっしゃあ! これで転移魔法が使えるぜ」
短い金髪の壮年の男が、嬉しさを隠しきれないという風に、拳を握った。
男の名はマルス。今は勇者をやっている。
一路、魔王城を目指して魔界の境界を守る魔族と戦うこと二ヶ月。やっと魔界の入り口にたどり着いた。
転移魔法というのは、どこでも自由自在に移動できるわけではない。行ったことのない場所への移動は、出来ないでもないがリスクを伴うからだ。
例えば行ったことがない場所に行こうと、地図などを頼りに転移魔法を使ったとして。使った先に木や建物などがあったとする。
もしもその建物の壁に転移してしまったら。もしくは木の幹の中心に転移してしまったら、どういうことが起こるだろう。
答えは同じ場所に二つのモノが同時に存在出来ず、転移したモノが元からあったモノに弾かれ、爆散する。
それ故、転移魔法を使う場合は、安全な転移先に目印の魔法陣を設置して行うのが普通なのだ。
無事に魔界の入り口に魔法陣の設置を果たしたマルスは、仲間を振り返って言った。
「つーことで、休暇を取らしてもらうぜ」
マルスは公国の端も端。ドがつくほどの田舎出身だ。
幼い頃から身体能力、魔法力ともに別格で抜きんでていたが、マルス本人も周りの人間もあまり気にしていなかった。
マルスの家は農家で、将来は畑を継ぐ予定だった。せいぜい、田舎町のちょっとした有名人。その程度で終わる筈だった。
転機が訪れたのはマルスが二十歳の時。
秋祭りでは、若い男が酒樽を持ち上げて歩き、一番長い距離を歩いたものが福男という、習わしがある。軽々と酒樽を持ち上げて歩き、福男になったマルスを、たまたま訪れていた王都の騎士がスカウトしたのだ。
是非にという騎士の熱意と、一度外の世界を見てみたいという若かりし頃のマルスの好奇心から、王都の騎士団に入団。
あれよあれよと剣の腕が上がり、さらには仲良くなった宮廷魔法使いに教わった魔法まで前代未聞のスピードで習得。
気がつけばマルスは剣と魔法、どちらもほぼ最高峰。最強の魔法戦士として重用された。
地位も名誉もある、王宮の暮らし。
誰もがうらやむ立身出世。
しかしマルスには合わなかった。
二十五の時に引退を表明し、故郷に戻った。畑を継ぎ、嫁も貰った。かわいい娘も出来て順調だったというのに。
「まあ、いいんじゃない? そもそも勇者への任命だって強引だったものね。奥さんと娘さんのことも気になってるんでしょ?」
回復と攻撃魔法、両方をこなす賢者が言った。彼女はマルスが王宮にいた頃からの付き合いだ。
「確かに、急に呼び戻されたことは強引だったがな。仕方ないさ」
百年前に倒された魔王復活の報せ。それに伴い、勇者候補が強制的に城へ緊急招集された。その勇者候補にマルスの名もあり、仕方なく招集に応じて王都に行くと勇者に選ばれてしまった。
「このまま魔王を放っておけば、俺の畑や妻たちのいる故郷だってどうなるか分からないんだ。だったらさっさと魔王を倒して勇者を返上してやるさ」
「その意気だ」
マルスと同期、今は騎士団長の男がにっと笑った。男の後ろでは野営の準備をする騎士たちもまた、マルスに向かって親指を立て、その通りだと言ってくれる。
「そうと決まれば、ちょっと妻と娘に連絡しておこう」
マルスは胸元にかけていた、通信魔法の媒介のペンダントに少量の魔力を流した。
ペンダントには、遠隔でも話せる通信魔法の刻まれた魔法陣が仕込まれている。
通信魔法は、あらかじめ魔法陣を刻んだ媒介を二つ以上作り、一つは自分、残りを通信したい相手に渡しておく。そうすることで、少ない魔力で相手と話すことが出来る魔法なのだ。
「あ、ケレースか?」
『ああ、あなた。どうしたの?』
「聞いてくれ。こっちがひと段落ついたんだよ! 少しの間休暇が取れる」
『あら、良かったじゃない』
「急な招集だったからな。畑も任せっきりで悪かった。大変だったろ?」
畑仕事は力仕事が多い。力がない妻と娘でも使える魔法具をいくつか置いてきたが、それでも自分がいないことで、さぞかしリベラたちが困っているだろう。
『ああ、それなら大丈夫よ』
しかし妻の返事はあっけらかんとしたものだった。
『それがね、やっぱり私とリベラだけじゃ、全部やるのは厳しいじゃない? だから半分だけ放置してたんだけど、うちの畑をレンタルして色々と作ってくれてる奇特な人がいてね』
「そうなのか?」
マルスは驚いた。どういうことなのか聞きたいが、通信魔法はあまり長い時間使いすぎると劣化しやすい。まあ、詳しくは戻ってからでいいだろう。
マルスは明日の朝に帰ることと期間だけを伝え、通信魔法を切った。
翌日、マルスはいそいそと仲間に挨拶をし、転移魔法を使った。次の瞬間、マルスは庭先に立っていた。転移先の魔法陣を家の庭に設置しているからだ。
「お帰りなさい、あなた」
「ただいま」
庭先で妻のケレースが出迎えてくれ、マルスは久しぶりの我が家へ足を踏み入れた。
「お父さん、お帰りなさい」
居間のテーブルで娘が出迎えてくれた。帰る時間を知らせていたからだろう。テーブルには焼き菓子と湯気の立つお茶が用意してあった。
「ああ、やっぱり我が家が落ち着くぜ」
椅子に腰を下ろして、マルスは深呼吸をした。別に空気そのものが変わるわけでもないが、それでも気分的に違う。
「お仕事はどう?」
「今のところ順調だ。現地には着いたから、休暇から戻ったら目的地を目指す予定だ」
ニージンを練り込んだマフィンを食べてから、茶を一口飲む。
「お疲れ様。もうひと踏ん張りね」
「ああ。悪いな。本当はもっと転移魔法陣を仕込んでちょくちょく帰ってきたいんだがそうもいかねぇんだ」
設置した魔法陣が増えれば増えるほど、使用時にどの魔法陣を使うかの選択をしなくてはならず、転移場所の間違いや制御失敗の危険性が増す。そのため、転移魔法陣の設置は二つか三つ、多くて五つまでにしているのだ。
一番安全なのは、二つの地点だけを設定して行き来することではあるのだが、一度設定した地点を動かすことは出来ない。新しく二点を設定した転移魔法陣を作るか、既存の転移魔法陣に地点を追加するかしかない。
だが新しい転移魔法陣を作るのは大量の魔力消費と、神経をすり減らす作業が必要になる。既存の転移魔法陣に地点を追加する方が簡単なのだ。
そうすると家に繋がる転移魔法陣の地点を気軽に増やせないから、中々帰ることが出来なかった。
「長い間留守にしてすまん! 畑も二人だけでは大変だろうに、悪い」
「ああ、それなら大丈夫。サナトさんがいるから」
頭の上で両手を合わせ謝るが、娘はパタパタと手を振っただけだった。
「サナト?」
「ほら、昨日言ったじゃない。うちの畑をレンタルして色々と作ってくれてる奇特な人がいるって。その人がサナトさんよ」
誰だろうと首を捻ると、妻が説明してくれた。サナトというのは貴族の男で、一ケ月以上前から畑を借りて野菜を育てているという。畑のことは何も知らないが、それはそれは一生懸命に畑仕事をやっているらしい。
「サナトさん、言葉遣いとかがちょっと変わってるけど、とっても楽しそうに畑仕事をする人なの」
リベラが嬉しそうにサナトという男を語った。その笑顔が妙に綺麗に思えて、マルスは焦る。まさかとは思うが、その男のことを好きなんじゃないだろうな、という考えがよぎった。
「ちょ、ちょっと待て! そいつはろくに土も触ったことのない貴族の坊ちゃんなんだろ? そんな奴頼りにならねぇよ」
冗談じゃない。自分がいない間に手伝ってくれるのはありがたいかもしれないが、大事な娘のハートを盗んだとあっては別だ。
「もう、お父さん。知りもしないくせに偏見を押し付けないでよね。サナトさんは頼りになります! 夏野菜の支柱立てとか、うね立てとか、お父さんの代わりにみんなやってくれてるんだから」
はちみつ色の金髪を揺らし、つんとそっぽを向くリベラのその仕草も可愛い。
「というわけで、サナトさんのお陰で畑の手伝いは間に合ってるの。大丈夫だから単身赴任がんばって。あ、サナトさん、少しの間家に帰ってるから今回の休暇中だけ手伝ってね」
まるでサナトという男がいる間はマルスに用はないという物言いだ。思春期に入ってからマルスに冷たい態度を取り始めたリベラであるが、今回は特に冷たい。
「なっ、お父さんがいないと駄目だろ、寂しいだろ、な?」
「別に」
「別に!?」
別に、の一言が痛恨の一撃となってマルスに放たれた。行動不能に陥ったマルスはその場に固まる。
「じゃ、私は畑に行ってるから」
お茶を飲みほしたリベラが立ちあがった。マルスは居間を出ていく娘を呆然と見送った。
短い金髪の壮年の男が、嬉しさを隠しきれないという風に、拳を握った。
男の名はマルス。今は勇者をやっている。
一路、魔王城を目指して魔界の境界を守る魔族と戦うこと二ヶ月。やっと魔界の入り口にたどり着いた。
転移魔法というのは、どこでも自由自在に移動できるわけではない。行ったことのない場所への移動は、出来ないでもないがリスクを伴うからだ。
例えば行ったことがない場所に行こうと、地図などを頼りに転移魔法を使ったとして。使った先に木や建物などがあったとする。
もしもその建物の壁に転移してしまったら。もしくは木の幹の中心に転移してしまったら、どういうことが起こるだろう。
答えは同じ場所に二つのモノが同時に存在出来ず、転移したモノが元からあったモノに弾かれ、爆散する。
それ故、転移魔法を使う場合は、安全な転移先に目印の魔法陣を設置して行うのが普通なのだ。
無事に魔界の入り口に魔法陣の設置を果たしたマルスは、仲間を振り返って言った。
「つーことで、休暇を取らしてもらうぜ」
マルスは公国の端も端。ドがつくほどの田舎出身だ。
幼い頃から身体能力、魔法力ともに別格で抜きんでていたが、マルス本人も周りの人間もあまり気にしていなかった。
マルスの家は農家で、将来は畑を継ぐ予定だった。せいぜい、田舎町のちょっとした有名人。その程度で終わる筈だった。
転機が訪れたのはマルスが二十歳の時。
秋祭りでは、若い男が酒樽を持ち上げて歩き、一番長い距離を歩いたものが福男という、習わしがある。軽々と酒樽を持ち上げて歩き、福男になったマルスを、たまたま訪れていた王都の騎士がスカウトしたのだ。
是非にという騎士の熱意と、一度外の世界を見てみたいという若かりし頃のマルスの好奇心から、王都の騎士団に入団。
あれよあれよと剣の腕が上がり、さらには仲良くなった宮廷魔法使いに教わった魔法まで前代未聞のスピードで習得。
気がつけばマルスは剣と魔法、どちらもほぼ最高峰。最強の魔法戦士として重用された。
地位も名誉もある、王宮の暮らし。
誰もがうらやむ立身出世。
しかしマルスには合わなかった。
二十五の時に引退を表明し、故郷に戻った。畑を継ぎ、嫁も貰った。かわいい娘も出来て順調だったというのに。
「まあ、いいんじゃない? そもそも勇者への任命だって強引だったものね。奥さんと娘さんのことも気になってるんでしょ?」
回復と攻撃魔法、両方をこなす賢者が言った。彼女はマルスが王宮にいた頃からの付き合いだ。
「確かに、急に呼び戻されたことは強引だったがな。仕方ないさ」
百年前に倒された魔王復活の報せ。それに伴い、勇者候補が強制的に城へ緊急招集された。その勇者候補にマルスの名もあり、仕方なく招集に応じて王都に行くと勇者に選ばれてしまった。
「このまま魔王を放っておけば、俺の畑や妻たちのいる故郷だってどうなるか分からないんだ。だったらさっさと魔王を倒して勇者を返上してやるさ」
「その意気だ」
マルスと同期、今は騎士団長の男がにっと笑った。男の後ろでは野営の準備をする騎士たちもまた、マルスに向かって親指を立て、その通りだと言ってくれる。
「そうと決まれば、ちょっと妻と娘に連絡しておこう」
マルスは胸元にかけていた、通信魔法の媒介のペンダントに少量の魔力を流した。
ペンダントには、遠隔でも話せる通信魔法の刻まれた魔法陣が仕込まれている。
通信魔法は、あらかじめ魔法陣を刻んだ媒介を二つ以上作り、一つは自分、残りを通信したい相手に渡しておく。そうすることで、少ない魔力で相手と話すことが出来る魔法なのだ。
「あ、ケレースか?」
『ああ、あなた。どうしたの?』
「聞いてくれ。こっちがひと段落ついたんだよ! 少しの間休暇が取れる」
『あら、良かったじゃない』
「急な招集だったからな。畑も任せっきりで悪かった。大変だったろ?」
畑仕事は力仕事が多い。力がない妻と娘でも使える魔法具をいくつか置いてきたが、それでも自分がいないことで、さぞかしリベラたちが困っているだろう。
『ああ、それなら大丈夫よ』
しかし妻の返事はあっけらかんとしたものだった。
『それがね、やっぱり私とリベラだけじゃ、全部やるのは厳しいじゃない? だから半分だけ放置してたんだけど、うちの畑をレンタルして色々と作ってくれてる奇特な人がいてね』
「そうなのか?」
マルスは驚いた。どういうことなのか聞きたいが、通信魔法はあまり長い時間使いすぎると劣化しやすい。まあ、詳しくは戻ってからでいいだろう。
マルスは明日の朝に帰ることと期間だけを伝え、通信魔法を切った。
翌日、マルスはいそいそと仲間に挨拶をし、転移魔法を使った。次の瞬間、マルスは庭先に立っていた。転移先の魔法陣を家の庭に設置しているからだ。
「お帰りなさい、あなた」
「ただいま」
庭先で妻のケレースが出迎えてくれ、マルスは久しぶりの我が家へ足を踏み入れた。
「お父さん、お帰りなさい」
居間のテーブルで娘が出迎えてくれた。帰る時間を知らせていたからだろう。テーブルには焼き菓子と湯気の立つお茶が用意してあった。
「ああ、やっぱり我が家が落ち着くぜ」
椅子に腰を下ろして、マルスは深呼吸をした。別に空気そのものが変わるわけでもないが、それでも気分的に違う。
「お仕事はどう?」
「今のところ順調だ。現地には着いたから、休暇から戻ったら目的地を目指す予定だ」
ニージンを練り込んだマフィンを食べてから、茶を一口飲む。
「お疲れ様。もうひと踏ん張りね」
「ああ。悪いな。本当はもっと転移魔法陣を仕込んでちょくちょく帰ってきたいんだがそうもいかねぇんだ」
設置した魔法陣が増えれば増えるほど、使用時にどの魔法陣を使うかの選択をしなくてはならず、転移場所の間違いや制御失敗の危険性が増す。そのため、転移魔法陣の設置は二つか三つ、多くて五つまでにしているのだ。
一番安全なのは、二つの地点だけを設定して行き来することではあるのだが、一度設定した地点を動かすことは出来ない。新しく二点を設定した転移魔法陣を作るか、既存の転移魔法陣に地点を追加するかしかない。
だが新しい転移魔法陣を作るのは大量の魔力消費と、神経をすり減らす作業が必要になる。既存の転移魔法陣に地点を追加する方が簡単なのだ。
そうすると家に繋がる転移魔法陣の地点を気軽に増やせないから、中々帰ることが出来なかった。
「長い間留守にしてすまん! 畑も二人だけでは大変だろうに、悪い」
「ああ、それなら大丈夫。サナトさんがいるから」
頭の上で両手を合わせ謝るが、娘はパタパタと手を振っただけだった。
「サナト?」
「ほら、昨日言ったじゃない。うちの畑をレンタルして色々と作ってくれてる奇特な人がいるって。その人がサナトさんよ」
誰だろうと首を捻ると、妻が説明してくれた。サナトというのは貴族の男で、一ケ月以上前から畑を借りて野菜を育てているという。畑のことは何も知らないが、それはそれは一生懸命に畑仕事をやっているらしい。
「サナトさん、言葉遣いとかがちょっと変わってるけど、とっても楽しそうに畑仕事をする人なの」
リベラが嬉しそうにサナトという男を語った。その笑顔が妙に綺麗に思えて、マルスは焦る。まさかとは思うが、その男のことを好きなんじゃないだろうな、という考えがよぎった。
「ちょ、ちょっと待て! そいつはろくに土も触ったことのない貴族の坊ちゃんなんだろ? そんな奴頼りにならねぇよ」
冗談じゃない。自分がいない間に手伝ってくれるのはありがたいかもしれないが、大事な娘のハートを盗んだとあっては別だ。
「もう、お父さん。知りもしないくせに偏見を押し付けないでよね。サナトさんは頼りになります! 夏野菜の支柱立てとか、うね立てとか、お父さんの代わりにみんなやってくれてるんだから」
はちみつ色の金髪を揺らし、つんとそっぽを向くリベラのその仕草も可愛い。
「というわけで、サナトさんのお陰で畑の手伝いは間に合ってるの。大丈夫だから単身赴任がんばって。あ、サナトさん、少しの間家に帰ってるから今回の休暇中だけ手伝ってね」
まるでサナトという男がいる間はマルスに用はないという物言いだ。思春期に入ってからマルスに冷たい態度を取り始めたリベラであるが、今回は特に冷たい。
「なっ、お父さんがいないと駄目だろ、寂しいだろ、な?」
「別に」
「別に!?」
別に、の一言が痛恨の一撃となってマルスに放たれた。行動不能に陥ったマルスはその場に固まる。
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