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第十七話 魔王様、皆を納得させる

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 魔王サナトと魔物たちの殴りはなし合いが三日三晩続けられた、明けの魔界の朝。

 低く垂れこめた曇天ではあるが、夜よりはずっと明るい。人間界のように小鳥のさえずりも、白い陽光もなく、代わりに雷雲がゴロゴロと唸り声を上げている。

 ぺちん。

 力のはいってないヘロヘロの拳がサナトの腹を叩いた。その拳を無造作に払い、代わりに顔面へ自分の拳をめり込ませてやると、そのまま仰向けに倒れる。

「どうした。もう終わりか」

 累々と魔物たちが横たわる魔王の間で、悠然と立つサナトは辺りを睥睨した。

 松明とシャンデリアの灯りが、不気味でありながら美しさも備えた、黒い石造りの広間を照らしている。立っているのはサナトと後方にいる腹心のオセのみで、他は御影石の床に這いつくばっていた。

「ぐ……クソ……!」

 さきほどサナトに力ない拳を当てて仰向けに倒れた雪男が、上体を起こそうと真っ白な体毛を震わせた。ぶるぶると首だけを持ち上げるが、がくりと落とす。

「ふっ。まだ言い足りないモノは立て。今の内だぞ」

 サナトの纏う黒い服は高い魔力耐性とダメージ軽減効果がある。にもかかわらず、ところどころ破れたり焦げ付いたりしており、漆黒の髪もまた、少し乱れていた。

「ならば、言わせてもらおうか」

 小山のような巨体を横たえた黒竜が、硬い鱗に覆われた頭をもたげ、口を開いた。喉奥に漆黒の瘴気が渦巻く。

 何度もお見舞いされたブレスだ。

 サナトは障壁を作るべく己の瘴気を魔力に変換する。
 しかしかき集めた瘴気は十分といえない。無尽蔵に近くあった瘴気と魔力も、流石に残量が僅かになっている。

 なにせサナトは不眠不休で魔物たちとの戦闘話し合いを続けている。対する魔物たちは交代でかかってくるのだ。一度の敗北で潔く負けを認めるものはおらず、他の魔物が戦っている間に回復して再戦になる。数えるのも面倒なので何度戦ったかも分からないが。

 背筋を伸ばし、余裕の笑みを浮かべてはいるが、本当のところはふらふらだ。

 しかしそれを気取られてはならない。そうなればこの三日間が水泡に帰す。
 全ては畑生活のため。なんとしても納得させねばならない。

 渦巻き、少しずつ質量を増す瘴気が黒竜の喉で震える。段々と震えが大きくなり、瘴気がばらばらとほどけ始めた。やがて霧散し、消える。

「ぐううぅ、無念」

 黒竜がその口を閉じた。

「もはやブレスさえ吐けぬ。仕方がない、敗北を認めよう」

 ゆっくりと頭を石の床に着けて巨体から力を抜く。横たえた巨体の側にいた少女が鱗を叩いた。

「諦めんなよ、黒竜の旦那」

 赤紫色の髪と緑色の肌、爬虫類の瞳を持つ少女の叱咤に、黒竜が片目だけを開けて気だるげに答えた。

「そうは言うが。我ら魔界の掟は強い者こそが絶対。加減までされて勝てんのだから諦めよ」
「ううぅ~、でもぉ」

 少女が悔しそうに唇を噛みしめた。

「クソ、クソ、クソ、クソ、クソッ! 魔王様、あんたのことは認めてるがよォッ。人間との馴れ合いってのが面白くねェッ!」

 蒼白い炎が燃え上がった。よくよく見ると目と口がある。不満げに炎を燃え上がらせ、声を響かせた。

「別に馴れ合えとは言っておらんぞ」

 蒼白い炎、ウィル・オー・ウィスプの言葉をサナトは訂正する。その途端、魔物たちに次々と困惑の色が広がった。

「ああ? 和平結ぶつったじゃねぇか。仲良くやれってことだろッ」
「だよな」
「意味わかんない」
「どういうことか説明を求める」

 ウィル・オー・ウィスプが炎をさらに燃え上がらせ、一つ目の巨人サイクロプスが首を傾げ、透明な水の乙女ウンディーネが肩を竦め、硬い鱗に覆われたドラゴンが目を細めた。

「くくく。方向転換をするだけだと言っておろうが。よいか。別に人間と友好関係を結ぶことを強要はせん。無論、したければすればよいがな」

 それぞれのやり方で戸惑いを表す魔物たちに、サナトは喉を鳴らした。

「人間界と魔界の境界線を今あるものに定め、互いに不可侵とする。これより許可なく人間界に攻め入ることを許さん。人間、人間の所有する生き物を勝手に殺す、さらう、襲うことを禁ずる」

「待って。人間の精気は私たちの食事なのよ。魔王様は私たちに飢えろと言うの」

 妖艶な美女が眉を吊り上げた。彼女の他にも見目麗しい男女が頷く。彼らは人間の精気を吸うサキュバスとインキュバスなのだ。

「それは我らも同じ。人間の血以外、受け付けぬ」

 人間の血を糧にするヴァンパイアもまた、サナトに抗議した。非常に生命力が強く、絶大な力を誇る彼らではあるが、弱点もまた多い。人間の血なしでは生きていけないというのもまた、その一つであった。

「人間を襲うことを禁ずるだけだ。人間との交渉で同意の上、精気をもらえばよい。血も同じ。死なぬ程度、人間の健康に支障のない量の吸血。もしくは定期的に血液を分けてもらう。ただし、一方的に搾取するだけなら支配と変わらぬ。よって、人間との外交を始める予定だ」

 和平を結んでもそのせいで飢えて死ぬ魔物が出ては意味がない。人間側としてもこちらがむやみに手を出さないだけでも被害が減る筈だ。

「外交……?」
「なにそれ」

 ところが外交という言葉の意味そのものが伝わらなかったらしい。なにせ何百年、何前年とそういったこととは無縁だったのだ。

「国同士の交渉のことだ。人間の国同士ではやっているらしい。魔界と人間界での交渉は初ではあるがな」

 サナトはげんなりしながらも教えてやる。
 人間との和平もまた、外交に含まれるのだが。そこの説明は省いておいた。

「面倒くせーな」

「案ずるな。お前たちにやらせようとは思っておらん。私がやる」

 最初から期待していない。サナト自身もこういったことは門外漢ではあるが、まあ何とかなるだろう。
 またベスから人間界についての知識をもらわなければ。

「とにかく。これから人間との外交を始める。詳しくは人間との交渉次第知らせる。お前たちは人間と話がつくまで、人間に危害を加えるな。分かったな」

「分かったもなにも、負けたからな」
「しゃあねぇ、従うぜ」

 魔物たちが各々の方法で肯定の意思を表す。

「お前はよかったのか?」

 サナトは首だけを後ろに向け、この三日間、玉座の斜め後ろに黙ってたたずみ続けたオセに聞く。

「私は魔王様の方針に従います故」

 腹心のスケルトンは、何でもないことのようにさらりと返した。
 普段通りにびしりと着込んだ執事服。まったく曲がっていない背骨。虚ろな闇を湛える眼窩。
 骨であるから表情は読めないが、声音からしてすました顔をしているに違いない。

「それは助かる」

 正直サナトにとって、戦って一番厄介なのはこの側近だった。

 サナトが魔王になる前から何代もの魔王に仕えてきたオセ。

 人間界へ侵攻する時はサナトのサポートに徹し、自らが戦うことはない。
 暇を持て余した魔物たちの相手をすることは多いが、いつも年の功だと言って簡単にあしらってしまう。本気の実力を見せたことのないこのスケルトンが、この場にいる魔物たちの中で一番強いのだとサナトは思っている。

 この場にいた魔物たちも納得し、オセに異論がないのなら、これで問題の一つが解決したとサナトは息を吐いた。
 これから人間との外交という新たな問題もあるが、ひとまずは後回しだ。

「よし。ならばお前たち。ここで少し休んでいろ。私の育てたレンホウソを食わせてやる」

 収穫したレンホウソは、その日のうちにリベラとケレースに教わって調理した。日持ちのする料理ばかりだが、念のため戻ってから凍結魔法をかけておいた。魔法を解いてから温め直せば出来たてが味わえるはずだ。

 持ってくるから待っていろと言い置き、サナトは踵を返した。
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