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依頼2ー無気力の蔓延る科学国家マギリウヌ国
伸びる鎖
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長くなる鎖。おそらくはあれが妖魔の能力なのだろうと、見ていたポルクスは思った。あの鎖を武器にして攻撃してくるのか、単なるトリガーなのかは分からないけれど、どちらにしても鍵となるのは間違いない。
また一歩進む彼女の中に、キリングを喰える歓喜に沸く妖魔と、膝を抱えて小さく助けを訴えるシリアが見えた。見間違いかとポルクスはもう一度瞬きしてみた。やはり見える。
ポルクスの前に立つ子猫が、緑の目を妖魔に向けたまま、尻尾だけを優雅に振った。
『きっと宿主と妖魔の分離の兆候ですわね』
ポルクスが今まで相手をしてきたのは、宿主から出て単体でさ迷う下級妖魔ばかりだが、一度だけ中級妖魔を相手にしたことがある。
「キリングを食べても貴女の苦しみは和らぎませんよ」
声をかけたポルクスへ、妖魔は歩を止めて煩わしそうに流し目をくれた。
「……なんであんたが断言するの」
「同じ様に、苦しんだ妖魔を知っているからですよ」
そう答えてからポルクスはちらりと足元の犬を見る。
以前ハルが言っていた。妖魔は多かれ少なかれ、罪を犯さずにはいられない、苦しみと狂おしさを抱えているのだと。苦しくて狂おしくて、人間を引き裂いても喰い殺しても足りないのだと、そうして人間を喰い殺してもすぐにまた血が欲しくなるのだと。
「キリングを食べても貴女の苦しみは変わりません。きっとすぐに血が欲しくなります。貴女に関心がなかった父親を喰い殺しても、冷たかった教師を喰い殺しても、馬鹿にした同級生を喰い殺しても、足りません。愉しいのも、嬉しいのもその時だけ。すぐにまた人間を喰い殺したくなる。母親を刺し殺したときのように」
ひくり、と妖魔の目元が小さく痙攣する。キリングに向いていた関心がポルクスに向き、刺すような殺気が押し寄せてくる。
「何でそんなこと言うの? あんたもあいつらと同じ。優しくない……」
シリアの姿が一段とぶれる。ポルクスの方へ足の方向を変えた妖魔と、その場に座り込んでしまったシリア。今度はキリングにも見えたようで、盛んに瞬きをしていた。
膝を抱えて座り込んでいるシリアは、どこか怯えた顔でキリングを見上げている。ポルクスへ一つ歩みを進めた妖魔は憎悪の表情だ。
「そうですね。僕が憎いですか? なら、僕を殺しに来て下さい」
前にいるミソラが髭と尻尾をぴんと立てる。ハルは変わらず妖魔を警戒しているが、襲いかかりはしなかった。何度も飛び出しそうになるのを押しとどめているのか、低い唸り声とともに上下に小さく体が揺れていた。
自分を大切にしろと散々言われた。コハクに全部ぶちまけて変わろうと思っている。だから事前にコハクたちには、ポルクスが何をする気か伝えてある。
後はポルクスの覚悟の問題だ。妖魔の全てを受け入れて、引き受ける覚悟の問題。
ポルクスの脳裏に蘇るのは、『罪を犯す狂おしさと苦しさを終わらせてくれるなら、滅ぼされるのも滅ぼし尽くすのも、コハクの瞳の中で罪を贖うのも変わりはない』というハルの言葉だ。
ポルクスはコハクのように罪を浄化してはあげられない。ただ、話を聞いていると妖魔本人が納得するのか、罪を昇華させるのか分からないが『石』になる。
しかしこの妖魔はそれでは駄目だ。聞いてもらって楽になることなど望んでいない。そんなものではきっと足りない。殺したい、喰いたい、血に沈みたい、さらなる罪を犯したい。この衝動だけが妖魔を支配している。殺せないのは、罪に浸れないのは苦しい。同調しているポルクスでさえ、誰彼かまわず人間を殺したい衝動に突き動かされそうになるほどだ。
なるほど、この苦しみが終わるのならばどんな方法でも悪くはない。
「訂正してあげるわ、偽善者さん。あんたは私を救える」
妖魔が嬉しそうに微笑む。鎖がじゃらじゃらと伸びていき、妖魔の足先がシリアから離れる。座り込んでいるシリアと妖魔が完全に分離したのだ。
妖魔の肌は鎖と同じ金属の光沢、手足を拘束していた鎖は枷ではなく完全に一体化して生えていた。
「……だから、私に食べられろ!」
手足の鎖が一斉に伸びてポルクスへ迫る。同時にポルクスが叫んだ。
「ミソラ!」
『分かっていますわ』
がちゃん、ばきん、と鎖の一部が砕け散った。ミソラが鎖に穴を空けたのだ。ミソラが空けられる穴は僅か一センチ以内だが、鎖を断ち切るなら十分だった。
「ばあーか」
すかさず妖魔が手足を動かすと、鎖が蛇のように蠢いた。手足だけではなく背中や肩、腹などから鎖が生えて、その数は合わせれば二十ほどか。
ばきばき、ばきんっとミソラが鎖を砕く。ミソラが一度に沢山の能力を使うのは初めてだ。緑の目が苦しそうに細まり、子猫の足元がふらついた。ハルが大型犬になり、走りつつ片っ端から咬み千切っていく。
それでも幾つかがミソラとハルを突破してくるのを、ぱぱんっとコハクが畳んだ鉄扇で払った。しかし、そのうちの一つがぐるりと鉄扇に巻き付き、妖魔に絡めとられる。
「しまった」
小さく舌打ちするコハクを、ポルクスが抱え込むように引き倒した。鎖がポルクスの背中を抉る。これには耐えたが、続いて襲ってきた激痛に今度は堪らず呻き声が出た。
「あははっ。美味しい血ね」
ポルクスの背中に突き刺さった鎖が、どくどくと波打ちながら血を吸い上げ赤く染まっていく。
『このっ!』
ハルが鎖を噛み千切る。じゃららっと鎖が巻き戻って妖魔に吸い込まれていった。
また一歩進む彼女の中に、キリングを喰える歓喜に沸く妖魔と、膝を抱えて小さく助けを訴えるシリアが見えた。見間違いかとポルクスはもう一度瞬きしてみた。やはり見える。
ポルクスの前に立つ子猫が、緑の目を妖魔に向けたまま、尻尾だけを優雅に振った。
『きっと宿主と妖魔の分離の兆候ですわね』
ポルクスが今まで相手をしてきたのは、宿主から出て単体でさ迷う下級妖魔ばかりだが、一度だけ中級妖魔を相手にしたことがある。
「キリングを食べても貴女の苦しみは和らぎませんよ」
声をかけたポルクスへ、妖魔は歩を止めて煩わしそうに流し目をくれた。
「……なんであんたが断言するの」
「同じ様に、苦しんだ妖魔を知っているからですよ」
そう答えてからポルクスはちらりと足元の犬を見る。
以前ハルが言っていた。妖魔は多かれ少なかれ、罪を犯さずにはいられない、苦しみと狂おしさを抱えているのだと。苦しくて狂おしくて、人間を引き裂いても喰い殺しても足りないのだと、そうして人間を喰い殺してもすぐにまた血が欲しくなるのだと。
「キリングを食べても貴女の苦しみは変わりません。きっとすぐに血が欲しくなります。貴女に関心がなかった父親を喰い殺しても、冷たかった教師を喰い殺しても、馬鹿にした同級生を喰い殺しても、足りません。愉しいのも、嬉しいのもその時だけ。すぐにまた人間を喰い殺したくなる。母親を刺し殺したときのように」
ひくり、と妖魔の目元が小さく痙攣する。キリングに向いていた関心がポルクスに向き、刺すような殺気が押し寄せてくる。
「何でそんなこと言うの? あんたもあいつらと同じ。優しくない……」
シリアの姿が一段とぶれる。ポルクスの方へ足の方向を変えた妖魔と、その場に座り込んでしまったシリア。今度はキリングにも見えたようで、盛んに瞬きをしていた。
膝を抱えて座り込んでいるシリアは、どこか怯えた顔でキリングを見上げている。ポルクスへ一つ歩みを進めた妖魔は憎悪の表情だ。
「そうですね。僕が憎いですか? なら、僕を殺しに来て下さい」
前にいるミソラが髭と尻尾をぴんと立てる。ハルは変わらず妖魔を警戒しているが、襲いかかりはしなかった。何度も飛び出しそうになるのを押しとどめているのか、低い唸り声とともに上下に小さく体が揺れていた。
自分を大切にしろと散々言われた。コハクに全部ぶちまけて変わろうと思っている。だから事前にコハクたちには、ポルクスが何をする気か伝えてある。
後はポルクスの覚悟の問題だ。妖魔の全てを受け入れて、引き受ける覚悟の問題。
ポルクスの脳裏に蘇るのは、『罪を犯す狂おしさと苦しさを終わらせてくれるなら、滅ぼされるのも滅ぼし尽くすのも、コハクの瞳の中で罪を贖うのも変わりはない』というハルの言葉だ。
ポルクスはコハクのように罪を浄化してはあげられない。ただ、話を聞いていると妖魔本人が納得するのか、罪を昇華させるのか分からないが『石』になる。
しかしこの妖魔はそれでは駄目だ。聞いてもらって楽になることなど望んでいない。そんなものではきっと足りない。殺したい、喰いたい、血に沈みたい、さらなる罪を犯したい。この衝動だけが妖魔を支配している。殺せないのは、罪に浸れないのは苦しい。同調しているポルクスでさえ、誰彼かまわず人間を殺したい衝動に突き動かされそうになるほどだ。
なるほど、この苦しみが終わるのならばどんな方法でも悪くはない。
「訂正してあげるわ、偽善者さん。あんたは私を救える」
妖魔が嬉しそうに微笑む。鎖がじゃらじゃらと伸びていき、妖魔の足先がシリアから離れる。座り込んでいるシリアと妖魔が完全に分離したのだ。
妖魔の肌は鎖と同じ金属の光沢、手足を拘束していた鎖は枷ではなく完全に一体化して生えていた。
「……だから、私に食べられろ!」
手足の鎖が一斉に伸びてポルクスへ迫る。同時にポルクスが叫んだ。
「ミソラ!」
『分かっていますわ』
がちゃん、ばきん、と鎖の一部が砕け散った。ミソラが鎖に穴を空けたのだ。ミソラが空けられる穴は僅か一センチ以内だが、鎖を断ち切るなら十分だった。
「ばあーか」
すかさず妖魔が手足を動かすと、鎖が蛇のように蠢いた。手足だけではなく背中や肩、腹などから鎖が生えて、その数は合わせれば二十ほどか。
ばきばき、ばきんっとミソラが鎖を砕く。ミソラが一度に沢山の能力を使うのは初めてだ。緑の目が苦しそうに細まり、子猫の足元がふらついた。ハルが大型犬になり、走りつつ片っ端から咬み千切っていく。
それでも幾つかがミソラとハルを突破してくるのを、ぱぱんっとコハクが畳んだ鉄扇で払った。しかし、そのうちの一つがぐるりと鉄扇に巻き付き、妖魔に絡めとられる。
「しまった」
小さく舌打ちするコハクを、ポルクスが抱え込むように引き倒した。鎖がポルクスの背中を抉る。これには耐えたが、続いて襲ってきた激痛に今度は堪らず呻き声が出た。
「あははっ。美味しい血ね」
ポルクスの背中に突き刺さった鎖が、どくどくと波打ちながら血を吸い上げ赤く染まっていく。
『このっ!』
ハルが鎖を噛み千切る。じゃららっと鎖が巻き戻って妖魔に吸い込まれていった。
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