4 / 9
第一章 夏が燻る ~ 源宛(みなもとのあつる)と平良文(たいらのよしふみ)と合戰(あひたたか)ふ語 ―「今昔物語集巻二十五第三」より― ~
04 燻(くゆ)る
しおりを挟む
源宛と平良文は争うのをやめ、仲睦まじく土地を拓いた。
いつしか宛に子が生まれ、良文はその祝いに夕顔の花を選んでいると、郎等が血相を変えて注進に来た。
「よ、良文さま」
「何じゃ」
いつかこんなやり取りをしたな、と良文は思いながら、郎等の言葉を待った。
「箕田が……燃えております」
「何!?」
良文が急ぎ馬に乗り、箕田へ駆けつけると、まるで焼き討ちにあったかのように、燎原の火が、天をも焼かん勢いで燃え上がっていた。
方々から、燻ぶった匂い。
だが良文は袖で口と鼻を覆いながら、宛の館にたどりつく。
館は炎上しており、さすがの良文でも、その中へ入ることは躊躇われた。
「……誰か出てくる?」
全身を焼かれながら、館から人影が飛び出して来た。
良文が近寄ると、それは宛であった。
「……宛どの!」
「……不覚を取った、良文どの」
宛はその腕の中に抱いた嬰児を差し出した。
「……頼む。どうかこの子を。摂津の妻の里へ」
良文が嬰児を受け取ると、宛は笑い、そしてそのまま倒れ、焼け死んだ。
「宛どの!」
良文が宛に尚も呼びかけていると、背後から嘲笑が響いた。
「情けなや。あれでも源仕の子か。呆気ないにも程があるわ」
良文が近くの郎等に嬰児を預けながら振り返ると、そこには見知った顔の男が立っていた。
「良正……」
「久しいの、兄上」
良文の弟、平良正は、邪悪な笑みを浮かべていた。その笑みから、この焼き討ちの主は良正と知れる。
「何故」
「知れたこと。郎等を煽って共倒れを狙ったが、駄目になったからよ」
良正は承平天慶の乱における恩賞を不服に思い、かつ、気に入らない兄の良文を倒そうと企んでいた。
「が、何だこれは。共倒れせぬとは」
そして良正は、子が生まれた宛を襲った。宛は兵であったが、良正が郎等に命じて、宛の館に向かって火矢を放つと、弾かれたように館へ向かった。
館には、生まれたばかりの子がいたからである。
「それで漸く箕田を盗れると思いきや、兄上が来たというところよ」
良正が目配せすると、郎等が、それぞれに弓を構えて迫る。
「ついでだ。兄上、死んでくれ。その子と共に」
良正が射るように命じたその瞬間だった。
良文が恐るべき速度で弓を構え、素早く矢を放った。
矢は過たず、良正の眉間を貫いた。
「……がっ」
「遅い。宛どのなら避けた」
良文と郎等は馬首を巡らすと、呆気に取られている良正の郎等らを後に、駆け出した。
向かうは、摂津。
宛の遺児を、必ず。
「そして伝えなくては、この子の父が、どれだけ強く……そして、人たらんとしたかを」
*
時が経ち。
宛の子は摂津渡辺にて育まれ、長じて綱と名乗った。
渡辺綱《わたなべのつな》である。
そしてその綱が伝えたのか、この宛と良文の物語は、こう結ばれている。
――宛も良文も互になかよくて、露隔つる心無く思ひ通はしてぞ過ぎけるとなむ、語り傳へたるとや。
【了】
いつしか宛に子が生まれ、良文はその祝いに夕顔の花を選んでいると、郎等が血相を変えて注進に来た。
「よ、良文さま」
「何じゃ」
いつかこんなやり取りをしたな、と良文は思いながら、郎等の言葉を待った。
「箕田が……燃えております」
「何!?」
良文が急ぎ馬に乗り、箕田へ駆けつけると、まるで焼き討ちにあったかのように、燎原の火が、天をも焼かん勢いで燃え上がっていた。
方々から、燻ぶった匂い。
だが良文は袖で口と鼻を覆いながら、宛の館にたどりつく。
館は炎上しており、さすがの良文でも、その中へ入ることは躊躇われた。
「……誰か出てくる?」
全身を焼かれながら、館から人影が飛び出して来た。
良文が近寄ると、それは宛であった。
「……宛どの!」
「……不覚を取った、良文どの」
宛はその腕の中に抱いた嬰児を差し出した。
「……頼む。どうかこの子を。摂津の妻の里へ」
良文が嬰児を受け取ると、宛は笑い、そしてそのまま倒れ、焼け死んだ。
「宛どの!」
良文が宛に尚も呼びかけていると、背後から嘲笑が響いた。
「情けなや。あれでも源仕の子か。呆気ないにも程があるわ」
良文が近くの郎等に嬰児を預けながら振り返ると、そこには見知った顔の男が立っていた。
「良正……」
「久しいの、兄上」
良文の弟、平良正は、邪悪な笑みを浮かべていた。その笑みから、この焼き討ちの主は良正と知れる。
「何故」
「知れたこと。郎等を煽って共倒れを狙ったが、駄目になったからよ」
良正は承平天慶の乱における恩賞を不服に思い、かつ、気に入らない兄の良文を倒そうと企んでいた。
「が、何だこれは。共倒れせぬとは」
そして良正は、子が生まれた宛を襲った。宛は兵であったが、良正が郎等に命じて、宛の館に向かって火矢を放つと、弾かれたように館へ向かった。
館には、生まれたばかりの子がいたからである。
「それで漸く箕田を盗れると思いきや、兄上が来たというところよ」
良正が目配せすると、郎等が、それぞれに弓を構えて迫る。
「ついでだ。兄上、死んでくれ。その子と共に」
良正が射るように命じたその瞬間だった。
良文が恐るべき速度で弓を構え、素早く矢を放った。
矢は過たず、良正の眉間を貫いた。
「……がっ」
「遅い。宛どのなら避けた」
良文と郎等は馬首を巡らすと、呆気に取られている良正の郎等らを後に、駆け出した。
向かうは、摂津。
宛の遺児を、必ず。
「そして伝えなくては、この子の父が、どれだけ強く……そして、人たらんとしたかを」
*
時が経ち。
宛の子は摂津渡辺にて育まれ、長じて綱と名乗った。
渡辺綱《わたなべのつな》である。
そしてその綱が伝えたのか、この宛と良文の物語は、こう結ばれている。
――宛も良文も互になかよくて、露隔つる心無く思ひ通はしてぞ過ぎけるとなむ、語り傳へたるとや。
【了】
0
あなたにおすすめの小説
マグカップ
高本 顕杜
大衆娯楽
マグカップが割れた――それは、亡くなった妻からのプレゼントだった 。
龍造は、マグカップを床に落として割ってしまった。そのマグカップは、病気で亡くなった妻の倫子が、いつかのプレゼントでくれた物だった。しかし、伸ばされた手は破片に触れることなく止まった。
――いや、もういいか……捨てよう。
花嫁
一ノ瀬亮太郎
歴史・時代
征之進は小さい頃から市松人形が欲しかった。しかし大身旗本の嫡男が女の子のように人形遊びをするなど許されるはずもない。他人からも自分からもそんな気持を隠すように征之進は武芸に励み、今では道場の師範代を務めるまでになっていた。そんな征之進に結婚話が持ち込まれる。
百合ランジェリーカフェにようこそ!
楠富 つかさ
青春
主人公、下条藍はバイトを探すちょっと胸が大きい普通の女子大生。ある日、同じサークルの先輩からバイト先を紹介してもらうのだが、そこは男子禁制のカフェ併設ランジェリーショップで!?
ちょっとハレンチなお仕事カフェライフ、始まります!!
※この物語はフィクションであり実在の人物・団体・法律とは一切関係ありません。
表紙画像はAIイラストです。下着が生成できないのでビキニで代用しています。
別れし夫婦の御定書(おさだめがき)
佐倉 蘭
歴史・時代
★第11回歴史・時代小説大賞 奨励賞受賞★
嫡男を産めぬがゆえに、姑の策略で南町奉行所の例繰方与力・進藤 又十蔵と離縁させられた与岐(よき)。
離縁後、生家の父の猛反対を押し切って生まれ育った八丁堀の組屋敷を出ると、小伝馬町の仕舞屋に居を定めて一人暮らしを始めた。
月日は流れ、姑の思惑どおり後妻が嫡男を産み、婚家に置いてきた娘は二人とも無事与力の御家に嫁いだ。
おのれに起こったことは綺麗さっぱり水に流した与岐は、今では女だてらに離縁を望む町家の女房たちの代わりに亭主どもから去り状(三行半)をもぎ取るなどをする「公事師(くじし)」の生業(なりわい)をして生計を立てていた。
されどもある日突然、与岐の仕舞屋にとっくの昔に離縁したはずの元夫・又十蔵が転がり込んできて——
※「今宵は遣らずの雨」「大江戸ロミオ&ジュリエット」「大江戸シンデレラ」「大江戸の番人 〜吉原髪切り捕物帖〜」にうっすらと関連したお話ですが単独でお読みいただけます。
JKメイドはご主人様のオモチャ 命令ひとつで脱がされて、触られて、好きにされて――
のぞみ
恋愛
「今日から、お前は俺のメイドだ。ベッドの上でもな」
高校二年生の蒼井ひなたは、借金に追われた家族の代わりに、ある大富豪の家で住み込みメイドとして働くことに。
そこは、まるでおとぎ話に出てきそうな大きな洋館。
でも、そこで待っていたのは、同じ高校に通うちょっと有名な男の子――完璧だけど性格が超ドSな御曹司、天城 蓮だった。
昼間は生徒会長、夜は…ご主人様?
しかも、彼の命令はちょっと普通じゃない。
「掃除だけじゃダメだろ? ご主人様の癒しも、メイドの大事な仕事だろ?」
手を握られるたび、耳元で囁かれるたび、心臓がバクバクする。
なのに、ひなたの体はどんどん反応してしまって…。
怒ったり照れたりしながらも、次第に蓮に惹かれていくひなた。
だけど、彼にはまだ知られていない秘密があって――
「…ほんとは、ずっと前から、私…」
ただのメイドなんかじゃ終わりたくない。
恋と欲望が交差する、ちょっぴり危険な主従ラブストーリー。
上司、快楽に沈むまで
赤林檎
BL
完璧な男――それが、営業部課長・**榊(さかき)**の社内での評判だった。
冷静沈着、部下にも厳しい。私生活の噂すら立たないほどの隙のなさ。
だが、その“完璧”が崩れる日がくるとは、誰も想像していなかった。
入社三年目の篠原は、榊の直属の部下。
真面目だが強気で、どこか挑発的な笑みを浮かべる青年。
ある夜、取引先とのトラブル対応で二人だけが残ったオフィスで、
篠原は上司に向かって、いつもの穏やかな口調を崩した。「……そんな顔、部下には見せないんですね」
疲労で僅かに緩んだ榊の表情。
その弱さを見逃さず、篠原はデスク越しに距離を詰める。
「強がらなくていいですよ。俺の前では、もう」
指先が榊のネクタイを掴む。
引き寄せられた瞬間、榊の理性は音を立てて崩れた。
拒むことも、許すこともできないまま、
彼は“部下”の手によって、ひとつずつ乱されていく。
言葉で支配され、触れられるたびに、自分の知らなかった感情と快楽を知る。それは、上司としての誇りを壊すほどに甘く、逃れられないほどに深い。
だが、篠原の視線の奥に宿るのは、ただの欲望ではなかった。
そこには、ずっと榊だけを見つめ続けてきた、静かな執着がある。
「俺、前から思ってたんです。
あなたが誰かに“支配される”ところ、きっと綺麗だろうなって」
支配する側だったはずの男が、
支配されることで初めて“生きている”と感じてしまう――。
上司と部下、立場も理性も、すべてが絡み合うオフィスの夜。
秘密の扉を開けた榊は、もう戻れない。
快楽に溺れるその瞬間まで、彼を待つのは破滅か、それとも救いか。
――これは、ひとりの上司が“愛”という名の支配に沈んでいく物語。
無用庵隠居清左衛門
蔵屋
歴史・時代
前老中田沼意次から引き継いで老中となった松平定信は、厳しい倹約令として|寛政の改革《かんせいのかいかく》を実施した。
第8代将軍徳川吉宗によって実施された|享保の改革《きょうほうのかいかく》、|天保の改革《てんぽうのかいかく》と合わせて幕政改革の三大改革という。
松平定信は厳しい倹約令を実施したのだった。江戸幕府は町人たちを中心とした貨幣経済の発達に伴い|逼迫《ひっぱく》した幕府の財政で苦しんでいた。
幕府の財政再建を目的とした改革を実施する事は江戸幕府にとって緊急の課題であった。
この時期、各地方の諸藩に於いても藩政改革が行われていたのであった。
そんな中、徳川家直参旗本であった緒方清左衛門は、己の出世の事しか考えない同僚に嫌気がさしていた。
清左衛門は無欲の徳川家直参旗本であった。
俸禄も入らず、出世欲もなく、ただひたすら、女房の千歳と娘の弥生と、三人仲睦まじく暮らす平穏な日々であればよかったのである。
清左衛門は『あらゆる欲を捨て去り、何もこだわらぬ無の境地になって千歳と弥生の幸せだけを願い、最後は無欲で死にたい』と思っていたのだ。
ある日、清左衛門に理不尽な言いがかりが同僚立花右近からあったのだ。
清左衛門は右近の言いがかりを相手にせず、
無視したのであった。
そして、松平定信に対して、隠居願いを提出したのであった。
「おぬし、本当にそれで良いのだな」
「拙者、一向に構いません」
「分かった。好きにするがよい」
こうして、清左衛門は隠居生活に入ったのである。
ユーザ登録のメリット
- 毎日¥0対象作品が毎日1話無料!
- お気に入り登録で最新話を見逃さない!
- しおり機能で小説の続きが読みやすい!
1~3分で完了!
無料でユーザ登録する
すでにユーザの方はログイン
閉じる