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01 王女マリー・テレーズ
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「突然扉が開いて、悪徳が犯罪に腕をもたれながら、音もなく入ってきた」
(フランソワ=ルネ・ド・シャトーブリアン、タレイランとフーシェがルイ十八世の執務室に入って来たのを見て)
……私、シャトーブリアンがこの事件にかかわるようになったのは、ひとえに、マリー・テレーズ王女殿下(敢えて、王女と記す。理由は後述の拙文を読まれたし)が、かの警察卿、ジョセフ・フーシェとの同席を忌み嫌ったからである。
マリー・テレーズ殿下。
殿下こそが、あのフランス革命という嵐の、悲劇という側面を、その一身に背負っておられる女性である。
かのサリカ法といわれる、フランス王室の王位継承を男系のみと定めた法がなければ、ブルボン朝・ルイ十六世とマリー・アントワネットの子らの中で唯一、王政復古後の今まで生き抜いた彼女こそが、至尊の地位に就くべきであった。
ルイ十六世とマリー・アントワネット、そしてその子どもたちがヴァレンヌに逃亡し、露見し、捕縛され、やがて断頭台の露と消える中で、男子たるルイ・シャルルすなわちルイ十七世はタンプル塔なる牢獄から逃がれることができなかったが、マリー・テレーズ殿下は虎口を脱した。
オーストリアが、フランスの捕虜との引き換えに、殿下の引き渡しを望んだからだ。
こうして殿下はオーストリアへと渡り、すでにヴァレンヌの時点で亡命していた叔父であるプロヴァンス伯、つまり現国王・ルイ十八世陛下と共に、フランスを取り戻す道を歩んだ。
オーストリア。
ワルシャワ。
クールラント。
イギリス。
転々とするその生活の中で、叔父・アルトワ伯の子であるアングレーム公と結婚し、いずれはフランスをブルボン朝の下にと誓ったという。
そして。
「正義は……為された。あの男から、ついに、故国を」
かのジョゼフ・フーシェなる風見鶏が、狡猾にも自ら戴く皇帝をエルバ島へと追い、ブルボン朝へと寝返ったのだ。
当時、タンプル塔に幽閉されていたルイ十七世は獄死したとされ、プロヴァンス伯がルイ十八世として登極し、パリへの入城を遂げた。殿下もまた、三十代半ばにして、ようやくにしてパリに帰還した。
それは、ブルボン朝の正義が為された勝利というか、どちらかというとナポレオン・ボナパルトの失策と、ジョゼフ・フーシェの裏切りのゆえだと思われる。
フーシェ。
裏切りの徒、背徳漢。
最初はルイ十六世の死刑投票に賛成票を投じ、ロベスピエールに接近していたが、リヨンでの民衆の「乱殺」を問われるや、いち早くロベスピエールの対立派にすり寄り、熱月の反動に参加し、生き残りに成功した。
その後、まんまと総裁政府の警察卿になりおおせ、霧月のクーデターでもうまく立ち回り、かのナポレオンの統領政府そして帝政においても、警察卿としての地位を保持した。
その返り忠の最たるものが、皇帝ナポレオンからブルボン朝への裏切り(王政復古)であり、百日天下の最中でもボナパルトの警察卿でありながら、手のひらを返して、さらにブルボン朝に寝返ったことであろう。
……が、殿下におかれては、よりによって、父たるルイ十六世の死刑投票に賛成票を投じたフーシェなどに、功績など認めたくないのであろう。
「警察卿との同席など、妾は認めぬ」
ルイ十八世はフーシェの功績を認めざるを得ず、フーシェを警察卿に据えたが、われらが王女殿下は、彼との同席を認めず、御前会議においても、警察卿の出席を見るや、席を蹴って敢然と退席したという。
この決然たる態度は、けして強がりではない。
「兵士諸君! 諸君らの皇帝はここにいる! さあ撃て!」
かのナポレオンがエルバ島から脱した時、遭遇した軍への呼びかけである。
そう、この時からつづく、およそ百日間、通称「百日天下」において、マリー・テレーズ殿下はブルボン王家の人間として唯一人、抗戦を訴え、寡兵なりとはいえ、国軍を率いてナポレオンと対峙した。
「見事だ。彼女こそが、ブルボン家唯一の男性である」
とは、他ならぬ仇敵・ナポレオンからの言葉である。
なお、この言葉により、すでにヘントへと逃がれていたルイ十八世陛下と、この動乱を奇貨として王位を狙ったオルレアン公ルイ・フィリップ(作者註・のちのオルレアン朝ルイ・フィリップ一世)のことを揶揄している。
閑話休題。
マリー・テレーズ殿下の激動の前半生と、そして革命の嵐についての話は、もういいだろう。私が書かなくても、すでに巷間でよく知られている話であるし、そうでなくとも、調べればわかることだ。
最初の話題に戻りたい。
私がペンを執ってこの文章を書いているのは、冒頭で述べたとおり、マリー・テレーズ殿下がジョゼフ・フーシェ警察卿との同席を嫌い、それどころか、下問することや、文書のやり取りすら厭われたからだ。
私の知る限り、殿下とフーシェが会話(あれが「会話」と呼べるかどうか)したことは、ただの一度きりしかない。一度きりだ。
……また話題が逸れた。ご容赦ありたい。
それでは語ろう。
なぜ、ルイ十六世とマリー・アントワネットの娘にして、彼らの子の最後の生き残り、マリー・テレーズ殿下が、敢えてそのルイ十六世の死刑投票において賛成票を投じた、ジョゼフ・フーシェと接触を(私、シャトーブリアンを介してだが)持とうとしたのか。
それは、殿下が、まさに、ルイ十六世とマリー・アントワネットの娘にして、彼らの子の最後の生き残りであることに理由がある。
ある日、殿下は私を召し出して、こうおっしゃった。
「……シャトーブリアンよ、妾の代わりにジョゼフ・フーシェなる警察卿に問え」
そこで暫しの沈黙があったが、その後の言葉で、私はその沈黙もむべなるかなと思う。
「……問うのじゃ、妾の可愛い弟、ルイ・シャルル、否、ルイ十七世の死の真相を知っておるのか、と」
(フランソワ=ルネ・ド・シャトーブリアン、タレイランとフーシェがルイ十八世の執務室に入って来たのを見て)
……私、シャトーブリアンがこの事件にかかわるようになったのは、ひとえに、マリー・テレーズ王女殿下(敢えて、王女と記す。理由は後述の拙文を読まれたし)が、かの警察卿、ジョセフ・フーシェとの同席を忌み嫌ったからである。
マリー・テレーズ殿下。
殿下こそが、あのフランス革命という嵐の、悲劇という側面を、その一身に背負っておられる女性である。
かのサリカ法といわれる、フランス王室の王位継承を男系のみと定めた法がなければ、ブルボン朝・ルイ十六世とマリー・アントワネットの子らの中で唯一、王政復古後の今まで生き抜いた彼女こそが、至尊の地位に就くべきであった。
ルイ十六世とマリー・アントワネット、そしてその子どもたちがヴァレンヌに逃亡し、露見し、捕縛され、やがて断頭台の露と消える中で、男子たるルイ・シャルルすなわちルイ十七世はタンプル塔なる牢獄から逃がれることができなかったが、マリー・テレーズ殿下は虎口を脱した。
オーストリアが、フランスの捕虜との引き換えに、殿下の引き渡しを望んだからだ。
こうして殿下はオーストリアへと渡り、すでにヴァレンヌの時点で亡命していた叔父であるプロヴァンス伯、つまり現国王・ルイ十八世陛下と共に、フランスを取り戻す道を歩んだ。
オーストリア。
ワルシャワ。
クールラント。
イギリス。
転々とするその生活の中で、叔父・アルトワ伯の子であるアングレーム公と結婚し、いずれはフランスをブルボン朝の下にと誓ったという。
そして。
「正義は……為された。あの男から、ついに、故国を」
かのジョゼフ・フーシェなる風見鶏が、狡猾にも自ら戴く皇帝をエルバ島へと追い、ブルボン朝へと寝返ったのだ。
当時、タンプル塔に幽閉されていたルイ十七世は獄死したとされ、プロヴァンス伯がルイ十八世として登極し、パリへの入城を遂げた。殿下もまた、三十代半ばにして、ようやくにしてパリに帰還した。
それは、ブルボン朝の正義が為された勝利というか、どちらかというとナポレオン・ボナパルトの失策と、ジョゼフ・フーシェの裏切りのゆえだと思われる。
フーシェ。
裏切りの徒、背徳漢。
最初はルイ十六世の死刑投票に賛成票を投じ、ロベスピエールに接近していたが、リヨンでの民衆の「乱殺」を問われるや、いち早くロベスピエールの対立派にすり寄り、熱月の反動に参加し、生き残りに成功した。
その後、まんまと総裁政府の警察卿になりおおせ、霧月のクーデターでもうまく立ち回り、かのナポレオンの統領政府そして帝政においても、警察卿としての地位を保持した。
その返り忠の最たるものが、皇帝ナポレオンからブルボン朝への裏切り(王政復古)であり、百日天下の最中でもボナパルトの警察卿でありながら、手のひらを返して、さらにブルボン朝に寝返ったことであろう。
……が、殿下におかれては、よりによって、父たるルイ十六世の死刑投票に賛成票を投じたフーシェなどに、功績など認めたくないのであろう。
「警察卿との同席など、妾は認めぬ」
ルイ十八世はフーシェの功績を認めざるを得ず、フーシェを警察卿に据えたが、われらが王女殿下は、彼との同席を認めず、御前会議においても、警察卿の出席を見るや、席を蹴って敢然と退席したという。
この決然たる態度は、けして強がりではない。
「兵士諸君! 諸君らの皇帝はここにいる! さあ撃て!」
かのナポレオンがエルバ島から脱した時、遭遇した軍への呼びかけである。
そう、この時からつづく、およそ百日間、通称「百日天下」において、マリー・テレーズ殿下はブルボン王家の人間として唯一人、抗戦を訴え、寡兵なりとはいえ、国軍を率いてナポレオンと対峙した。
「見事だ。彼女こそが、ブルボン家唯一の男性である」
とは、他ならぬ仇敵・ナポレオンからの言葉である。
なお、この言葉により、すでにヘントへと逃がれていたルイ十八世陛下と、この動乱を奇貨として王位を狙ったオルレアン公ルイ・フィリップ(作者註・のちのオルレアン朝ルイ・フィリップ一世)のことを揶揄している。
閑話休題。
マリー・テレーズ殿下の激動の前半生と、そして革命の嵐についての話は、もういいだろう。私が書かなくても、すでに巷間でよく知られている話であるし、そうでなくとも、調べればわかることだ。
最初の話題に戻りたい。
私がペンを執ってこの文章を書いているのは、冒頭で述べたとおり、マリー・テレーズ殿下がジョゼフ・フーシェ警察卿との同席を嫌い、それどころか、下問することや、文書のやり取りすら厭われたからだ。
私の知る限り、殿下とフーシェが会話(あれが「会話」と呼べるかどうか)したことは、ただの一度きりしかない。一度きりだ。
……また話題が逸れた。ご容赦ありたい。
それでは語ろう。
なぜ、ルイ十六世とマリー・アントワネットの娘にして、彼らの子の最後の生き残り、マリー・テレーズ殿下が、敢えてそのルイ十六世の死刑投票において賛成票を投じた、ジョゼフ・フーシェと接触を(私、シャトーブリアンを介してだが)持とうとしたのか。
それは、殿下が、まさに、ルイ十六世とマリー・アントワネットの娘にして、彼らの子の最後の生き残りであることに理由がある。
ある日、殿下は私を召し出して、こうおっしゃった。
「……シャトーブリアンよ、妾の代わりにジョゼフ・フーシェなる警察卿に問え」
そこで暫しの沈黙があったが、その後の言葉で、私はその沈黙もむべなるかなと思う。
「……問うのじゃ、妾の可愛い弟、ルイ・シャルル、否、ルイ十七世の死の真相を知っておるのか、と」
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