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急の章 天下一の女房、これにあり ──山崎の戦い──
27 光秀の出陣、秀吉の接近
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明智光秀は出陣した。
出陣せざるを得なかった。
西へ。
「……チッ」
露骨に舌打ちした光秀。
その脳裏に浮かぶは、顔も知らぬ平島公方ではない。
よく知った細川藤孝である。
「……こうなりゃ、鞆の足利義昭でも、かまわんか」
捨てた相手だし、もれなく毛利の紐づきであるが、無いよりましだろう。
そんな考えが、光秀の脳内に浮かぶ。
「うむ。うまくすると毛利と、羽柴をはさみ撃ちができるやもしれんのう」
実際、足利義昭は(光秀と手を組んだかどうかは不明だが)毛利家に羽柴秀吉を討て、東上せよと要請している。
が、すげなく断られている。
毛利家としては、和睦を結んだ相手の羽柴秀吉に「賭けた」かたちになっており、それをふいにしたくないのだろう。
いずれにせよ、光秀は西進して、大和の筒井順慶に圧をかけることにした。
「そんなら、細川は」
光秀は再び、いや、もう数回にわたる書状をまたしたためようとした。
だが、書いている途中でそれをやめざるを得なくなった。
「羽柴がそこまで来ているだと?」
中国大返し。
その大詰めともいうべき、羽柴秀吉の摂津入りが確認されたからである。
*
中国大返し。
その姫路までの過程は、神速とでも称すべき速度であった。
だが、姫路からのそれは、それまでとはちがって、実に慎重な進み具合だった。
「信長さま、生存」
とは、先に述べた秀吉の策であるが、それを各所に伝えた。
特に、摂津の諸侯には。
「まあ実際は亡うなっておられる。そのかたき討ちのためじゃ、信長さまも泉下で苦笑いしておられるじゃろ」
秀吉は誰ともなくそう言っていたが、本当にそれを伝えたい相手は、今はそばにいない。
おそらく、京にいる。
「……したが、大坂は別じゃ。三七どの(織田信孝のこと)には、かたき討ちじゃとハッキリ言うておかんと」
「その点、抜かりはございません」
馬上、ブツブツとつぶやいていた秀吉の背後から、語りかける影があった。
影は陽光の下、なお一層その陰影を濃くしながら、秀吉に近づいた。
「官兵衛」
「はい。御前に」
黒田官兵衛その人である。
官兵衛は姫路出立前にふらりと「出る」と言い置いて行ってしまったが、いつの間にやらこうして秀吉のそばに侍している。
どこで、何をしていたか。
そう秀吉が問う前に、官兵衛はふところから十字架をまさぐり出した。
「大坂には、弟御の秀長さまが向かわれた。かの者は実直で鳴らしておられる。おそらく、大丈夫でしょう」
主君の弟を、それもその主君の面前でえらそうな評価を下す。
だが、それでこそ官兵衛。
そう言わせるだけの迫力の男である。
そしてそんな男が、おそらく銀製の十字架を、まるで童女が人形をかわいがるように、愛でている。
「……高山右近にでも、もらったのきゃあ? 十字架」
「ぜひにもお話をおうかがいしたい、と申し入れましてな」
*
摂津の有力国人・高山右近は、若年の時にキリシタンになったと、つとに知られている。
右近はこの動乱から距離を置いておこうと思っていたが、そこを官兵衛が「ぜひにも入信したい」と訪問した次第である。
これがただの勧誘なり調略であれば、右近も追い返すところであるが、なにぶん、入信といわれては無下にもできない。
「……本当に入信しに来たのでござるか?」
「さよう」
官兵衛の凄まじいところは、先に入信してしまったところにある。
むろん、正式な入信は「すべて片付いたあと」と断りを入れたが、十字架を押し戴く官兵衛の姿は真剣だった。
そこまでやるか、と右近は思ったが、もうここまで来たら、断ることはできない。
……官兵衛の語りを。
*
「……ま、こうなったらと、同輩の中川清秀も誘ってくださるとのこと」
十字架に口づけしかねない勢いの官兵衛に、若干引き気味の秀吉。
それでも「ようやった」と肩をたたくことは忘れなかった。
「これで大坂の三七どのの四国征伐軍も食えば、結構な兵数になる。でかした。あとは……」
「あとは……光秀めを、うまく釣り出すことができれば、ですな」
水魚の交わりとはこのことだろう。
官兵衛は、わがことながら思った。
秀吉は口ひげを引っ張りながら、思案する。
「……もう淡路の洲本を陥としている頃じゃろ」
「淡路。平島公方と、それに伴う長宗我部の援軍の道を断った……しかし」
「そう。しかし、逆に光秀に逃げられたら、困るのう。負かすことが面倒になる」
大きく出たな、と官兵衛は思ったが、聞こえないふりをしている近侍や将兵が聞き耳を立てている。
ここは「最もわかりやすい理由を」喧伝すべきだろうと判じた。
……「微妙な案件」は置いておいて。
「上様」
「何じゃ」
「光秀めは朝廷より、京を安んじよ、との勅をたまわったとのこと」
これは光秀が安土城を押さえた時のことである。
京の動静が落ち着かないことを憂慮した誠仁親王は、光秀に京の治安維持を任じた。
これを「京の差配を認めてくれた」と受け止め、光秀は朝廷に銀五百枚を献じて報いたという。
ねねと長谷川宗仁の書状からそれを知った秀吉は「ふうん」と言って、鼻をほじり出した。
いわば朝廷の自衛的な活動であり、光秀に襲われないための担保だろうと、軽く流していた。
「さればでござる」
官兵衛は大上段に両手を振り上げる。
十字架も上がる。
「一挙に京まで攻め上られませ。さすれば元幕臣で、さような勅命を受けた光秀のこと、必死になって京を守りましょう」
そんな確信はない。
五分五分といったところだろう。
だが、とりあえずの説得力があればいい。
周りの将兵たちが納得すればいい。
「官兵衛」
「はい」
「……汝は、悪人じゃの」
これにはどっと笑いが起きた。
そこで秀吉はわざとらしく、何だお前ら聞いてたんかいと、おどけた。
一方で官兵衛は、こういう勝ちに行く雰囲気をうまく作っていく秀吉の恐ろしさに、冷や汗をかいた。
出陣せざるを得なかった。
西へ。
「……チッ」
露骨に舌打ちした光秀。
その脳裏に浮かぶは、顔も知らぬ平島公方ではない。
よく知った細川藤孝である。
「……こうなりゃ、鞆の足利義昭でも、かまわんか」
捨てた相手だし、もれなく毛利の紐づきであるが、無いよりましだろう。
そんな考えが、光秀の脳内に浮かぶ。
「うむ。うまくすると毛利と、羽柴をはさみ撃ちができるやもしれんのう」
実際、足利義昭は(光秀と手を組んだかどうかは不明だが)毛利家に羽柴秀吉を討て、東上せよと要請している。
が、すげなく断られている。
毛利家としては、和睦を結んだ相手の羽柴秀吉に「賭けた」かたちになっており、それをふいにしたくないのだろう。
いずれにせよ、光秀は西進して、大和の筒井順慶に圧をかけることにした。
「そんなら、細川は」
光秀は再び、いや、もう数回にわたる書状をまたしたためようとした。
だが、書いている途中でそれをやめざるを得なくなった。
「羽柴がそこまで来ているだと?」
中国大返し。
その大詰めともいうべき、羽柴秀吉の摂津入りが確認されたからである。
*
中国大返し。
その姫路までの過程は、神速とでも称すべき速度であった。
だが、姫路からのそれは、それまでとはちがって、実に慎重な進み具合だった。
「信長さま、生存」
とは、先に述べた秀吉の策であるが、それを各所に伝えた。
特に、摂津の諸侯には。
「まあ実際は亡うなっておられる。そのかたき討ちのためじゃ、信長さまも泉下で苦笑いしておられるじゃろ」
秀吉は誰ともなくそう言っていたが、本当にそれを伝えたい相手は、今はそばにいない。
おそらく、京にいる。
「……したが、大坂は別じゃ。三七どの(織田信孝のこと)には、かたき討ちじゃとハッキリ言うておかんと」
「その点、抜かりはございません」
馬上、ブツブツとつぶやいていた秀吉の背後から、語りかける影があった。
影は陽光の下、なお一層その陰影を濃くしながら、秀吉に近づいた。
「官兵衛」
「はい。御前に」
黒田官兵衛その人である。
官兵衛は姫路出立前にふらりと「出る」と言い置いて行ってしまったが、いつの間にやらこうして秀吉のそばに侍している。
どこで、何をしていたか。
そう秀吉が問う前に、官兵衛はふところから十字架をまさぐり出した。
「大坂には、弟御の秀長さまが向かわれた。かの者は実直で鳴らしておられる。おそらく、大丈夫でしょう」
主君の弟を、それもその主君の面前でえらそうな評価を下す。
だが、それでこそ官兵衛。
そう言わせるだけの迫力の男である。
そしてそんな男が、おそらく銀製の十字架を、まるで童女が人形をかわいがるように、愛でている。
「……高山右近にでも、もらったのきゃあ? 十字架」
「ぜひにもお話をおうかがいしたい、と申し入れましてな」
*
摂津の有力国人・高山右近は、若年の時にキリシタンになったと、つとに知られている。
右近はこの動乱から距離を置いておこうと思っていたが、そこを官兵衛が「ぜひにも入信したい」と訪問した次第である。
これがただの勧誘なり調略であれば、右近も追い返すところであるが、なにぶん、入信といわれては無下にもできない。
「……本当に入信しに来たのでござるか?」
「さよう」
官兵衛の凄まじいところは、先に入信してしまったところにある。
むろん、正式な入信は「すべて片付いたあと」と断りを入れたが、十字架を押し戴く官兵衛の姿は真剣だった。
そこまでやるか、と右近は思ったが、もうここまで来たら、断ることはできない。
……官兵衛の語りを。
*
「……ま、こうなったらと、同輩の中川清秀も誘ってくださるとのこと」
十字架に口づけしかねない勢いの官兵衛に、若干引き気味の秀吉。
それでも「ようやった」と肩をたたくことは忘れなかった。
「これで大坂の三七どのの四国征伐軍も食えば、結構な兵数になる。でかした。あとは……」
「あとは……光秀めを、うまく釣り出すことができれば、ですな」
水魚の交わりとはこのことだろう。
官兵衛は、わがことながら思った。
秀吉は口ひげを引っ張りながら、思案する。
「……もう淡路の洲本を陥としている頃じゃろ」
「淡路。平島公方と、それに伴う長宗我部の援軍の道を断った……しかし」
「そう。しかし、逆に光秀に逃げられたら、困るのう。負かすことが面倒になる」
大きく出たな、と官兵衛は思ったが、聞こえないふりをしている近侍や将兵が聞き耳を立てている。
ここは「最もわかりやすい理由を」喧伝すべきだろうと判じた。
……「微妙な案件」は置いておいて。
「上様」
「何じゃ」
「光秀めは朝廷より、京を安んじよ、との勅をたまわったとのこと」
これは光秀が安土城を押さえた時のことである。
京の動静が落ち着かないことを憂慮した誠仁親王は、光秀に京の治安維持を任じた。
これを「京の差配を認めてくれた」と受け止め、光秀は朝廷に銀五百枚を献じて報いたという。
ねねと長谷川宗仁の書状からそれを知った秀吉は「ふうん」と言って、鼻をほじり出した。
いわば朝廷の自衛的な活動であり、光秀に襲われないための担保だろうと、軽く流していた。
「さればでござる」
官兵衛は大上段に両手を振り上げる。
十字架も上がる。
「一挙に京まで攻め上られませ。さすれば元幕臣で、さような勅命を受けた光秀のこと、必死になって京を守りましょう」
そんな確信はない。
五分五分といったところだろう。
だが、とりあえずの説得力があればいい。
周りの将兵たちが納得すればいい。
「官兵衛」
「はい」
「……汝は、悪人じゃの」
これにはどっと笑いが起きた。
そこで秀吉はわざとらしく、何だお前ら聞いてたんかいと、おどけた。
一方で官兵衛は、こういう勝ちに行く雰囲気をうまく作っていく秀吉の恐ろしさに、冷や汗をかいた。
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