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五 謀略
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毛利幸松丸は死んだ。
わずか九歳であり、あまりにも早すぎる死に、誰もが涙した。
その死の原因は、鏡城の戦いの後に行われた首実検に臨んだ、否、臨まされたことによる。
「厭じゃ、厭じゃ」
むずかる幸松丸を、家臣の粟屋元秀がとにもかくにもその場には行っていただきたいと懇望した。
「首など見たくない、というお気持ちは分かります。分かります……が、ここはこらえて」
あそこまで尼子経久に可愛がられて、では首実検の上、勝利の宴をと言われては断れない。
最低限、その場にて面を伏せていれば良いからと、元秀は幸松丸をなだめすかして、ようやくのこと、経久の待つ本陣へと連れてきた。
「よう来た、よう来た」
経久は待ってましたとばかりに幸松丸を抱き上げる。泣きじゃくる幸松丸は、それに安心したかのように、大人しくなった。
元秀もまた、経久の心遣いに感謝し、頭を下げた。
ではの、と言って、経久は幸松丸を抱いたまま、本陣に晒された首の前まで歩く。
「怖い、怖い」
恐慌状態に陥ろうとする幸松丸を、経久はあやすように頭をなで、そしてそのまま、頭をつかんだ。
「す、少し、痛いぞ、じじ様」
不得要領な幸松丸。
だが経久は笑顔のまま、その剛力をもって、幸松丸の顔を、ぐっと押さえつけた。
生首の真正面に向けて。
「……ぎっ」
幸松丸は、あれほど厭だと言っていた首と対面し、とうとう恐慌状態に陥った。
言葉にならない叫びを上げる幸松丸。
一方の経久は、はは戯れが過ぎますぞと言って笑い、そして嗤い、けして幸松丸の顔の向きを変えようとはしなかった。
「爺が戦の作法を教えると言うたではないか、幸松丸どの」
「……っ」
「ホレよく見なされや、これなるは蔵田房信の首じゃ」
「…………」
もはやぐったりとする幸松丸。
粟屋元秀がお止め下されと言うが、経久は止めることは無い。ならばと前へ出ようとするが、そこを経久の腹心・亀井秀綱に遮られる。
「お館様の首実検の最中である」
にべもないその言葉に、元秀は、幸松丸が――毛利が、経久の罠にかかったことを知った。
幸松丸が吐瀉してまで、そしてその吐瀉物にまみれてまでも、経久は幸松丸を離さなかった。
「蔵田房信……『叔父』の直信に裏切られて、さぞや無念であろうのう……」
したり顔で述べる経久。
元秀は、お前がやったんだろうと言いそうになったが、そこで気づいた。
蔵田直信の離間策は、多治比元就の名で行なったのだ。
つまり。
「そういえば幸松丸どの、貴殿もまた叔父がおられたのう……多治比元就という叔父が」
それが狙いか。
元秀は死を覚悟して突入しようとしたが、亀井秀綱に羽交い絞めされて阻まれる。
「怪しからんとは思わぬか? 嫡男が家督をという仕来りに則って家を継ぎ、継いだら叔父が乗っ取りを企む……まさに、相剋よの。食い合いじゃ」
どの面を下げて。
そう叫びたかった元秀だが、経久が「例のものをこれへ」と言って、近侍に持たせてきた「もの」を見て、言葉を失う。
「……じゃから、この尼子経久、膺懲をと思うて……その怪しからぬ叔父を……蔵田直信を討ち取ったわい。どうじゃ、ん? よう見たらどうじゃ? ん?」
近侍が震えながらも捧げ持つ「それ」は、無念と苦悶の表情を浮かべてこと切れた、蔵田直信の首であった。
「……っ! ……っ!」
幸松丸はもう自失の寸前である。それでも経久の手は動かない。がっしりとしたそれは、幸松丸を捉えて離さぬ鉄鎖のごときであった。
「おやめ……くだされっ」
元秀はかろうじて、声を洩らした。
毛利が経久の意に背いたのは謝ろう。
だが、この子をこれ以上、苦しめないでやってくれ。
単純に、年長者として子どもが苦しむのを見たくない。
それだけの、素直な言葉だった。
亀井秀綱も、もういいだろうと手を緩める。
尼子経久も、いっそ丁寧と言っていいくらい、そっと幸松丸を下ろした。
もう、帰ろう。
そう言おうとしたときだった。
幸松丸は見てしまった。
見てしまった、と感じた。
「く、首が……」
直信と房信、双方の首の瞳が、幸松丸を見た。見たように光った。
死体と面する機会などなかった幸松丸は、その妖しき瞳に、肝をつぶした。
「あ、あ、ああ……」
失禁しながら、ついに気絶してしまう幸松丸。
元秀が駆け寄った時はもう遅く、哀れ幸松丸の心は、もはやこの世のものではないどこかへと、飛んで消えてしまった。
……そういう、生気の無い顔をしていた。
そして二度と、幸松丸の生気は戻ることは無かったのである。
*
尼子経久の狙いは、ひとつではなかった。
まず、幸松丸に対して、「叔父」に対する恐怖を植え付ける。
次いで、幸松丸の精神が耐えればそれでよし、でなければ、実際そうなったように、精神を崩壊させ、死に至らしめること。
さらに、「多治比元就の調略」により、蔵田房信とそれを裏切った蔵田直信双方が死に追いやられた。蔵田の家と城を取らせるといって裏切らせた相手を殺したことになるのだ。このことにより、安芸の国人らは、元就の言葉を信じられなくなるだろう。
「これではあまりにも……」
多治比元就は天を仰いだ。尼子経久の、二重三重にもわたる毛利への謀略。その恐ろしさに、真綿で首を締められるような苦しみを感じた。
これなら、素直に元就自身が出陣した方が、遥かにましであった。だが、そうしたところで、自分なら、この経久の謀略に抗しきれたかどうか。
「できまい。できようがない」
そう言って、元就は一連の経久の謀略を、不可抗力と同様であると断じた。断じたがゆえに、相合元綱を責めることは無く、むしろ、己の軽はずみな対応(幸松丸を出陣させたこと)を責め、居城である多治比猿掛城に籠るのであった。
……むろん、だからと言って、元綱の方で納得いくわけがなく、元綱は元綱で、尼子家に、亀井秀綱に対して何度も抗議の申し出をしたし、経久への面会も申し出た。
だが、経久は言を左右にして会わず、ただ秀綱を元綱の方へ寄越して、「済まなかった。不幸な事故だった」と言わせた。
憤懣やるかたない元綱だったが、秀綱に対して礼を損なうわけにもいかず、しかしあまり長く話すこともないので、坂広秀や渡辺勝といった家臣に相手を任せ、やはり早々に居城の船山城へと戻っていくのだった。
「……で、向後、いかようになさるのです」
しかし、元就も元綱も、幸松丸亡き後の毛利家をどうするかという問題には直面せざるを得ず、宿老である志道広良は両名に吉田郡山城に来るように依頼した。
そうこうするうちに、家臣たちの間で、毛利家を継ぐのは元就が良い、いや元綱がふさわしいという議論になった。
元就は、故・毛利弘元と正室の間の次男であり、元綱は側室・相合大方の子で、三男であるため、この時代、元就の方に有利であった。
だが、いかなる時代、組織であっても、主流派と反主流派というのは存在するらしく、前述の坂広秀や渡辺勝らは、元綱を推した。
「このままでは、毛利家中は二つに割れる。将軍家のように」
とは、志道広良の弁である。
応仁の乱における、足利将軍家の跡目争いは夙に有名である。広良は頭を悩まして、ついに多治比猿掛城に籠る元就の下へ、密かに訪れた。
「如何なさるおつもりです」
広良としては、元就が謹慎するのは良いが、このままでは毛利が分裂し、それこそ尼子経久の思うつぼであることを論じた。
「形の上での遠慮は、この広良には不要。多治比どの、いざ本心を」
「…………」
元就としては、問題を先延ばししたいところであった。
この問題、自分が出れば終わる。終わるが、それは同時に元綱に対して辛い判断を伴う。跡目争いは、その禍根は、断っておかねば、後々に響く……ちょうど、鏡城の蔵田房信と直信のように。
「なら、出家させれば良いではないですか」
広良は掻き口説いた。実際、元就と元綱の弟で、のちに北就勝となる四男は、この時、出家していた。
「…………」
なおも沈黙して、返事を渋る元就であったが、その彼をして、毛利の家を継ぐために動き出すことになる事態が発生した。
尼子経久から、一族の子に毛利家を継がせるよう、申し出があったのである。
わずか九歳であり、あまりにも早すぎる死に、誰もが涙した。
その死の原因は、鏡城の戦いの後に行われた首実検に臨んだ、否、臨まされたことによる。
「厭じゃ、厭じゃ」
むずかる幸松丸を、家臣の粟屋元秀がとにもかくにもその場には行っていただきたいと懇望した。
「首など見たくない、というお気持ちは分かります。分かります……が、ここはこらえて」
あそこまで尼子経久に可愛がられて、では首実検の上、勝利の宴をと言われては断れない。
最低限、その場にて面を伏せていれば良いからと、元秀は幸松丸をなだめすかして、ようやくのこと、経久の待つ本陣へと連れてきた。
「よう来た、よう来た」
経久は待ってましたとばかりに幸松丸を抱き上げる。泣きじゃくる幸松丸は、それに安心したかのように、大人しくなった。
元秀もまた、経久の心遣いに感謝し、頭を下げた。
ではの、と言って、経久は幸松丸を抱いたまま、本陣に晒された首の前まで歩く。
「怖い、怖い」
恐慌状態に陥ろうとする幸松丸を、経久はあやすように頭をなで、そしてそのまま、頭をつかんだ。
「す、少し、痛いぞ、じじ様」
不得要領な幸松丸。
だが経久は笑顔のまま、その剛力をもって、幸松丸の顔を、ぐっと押さえつけた。
生首の真正面に向けて。
「……ぎっ」
幸松丸は、あれほど厭だと言っていた首と対面し、とうとう恐慌状態に陥った。
言葉にならない叫びを上げる幸松丸。
一方の経久は、はは戯れが過ぎますぞと言って笑い、そして嗤い、けして幸松丸の顔の向きを変えようとはしなかった。
「爺が戦の作法を教えると言うたではないか、幸松丸どの」
「……っ」
「ホレよく見なされや、これなるは蔵田房信の首じゃ」
「…………」
もはやぐったりとする幸松丸。
粟屋元秀がお止め下されと言うが、経久は止めることは無い。ならばと前へ出ようとするが、そこを経久の腹心・亀井秀綱に遮られる。
「お館様の首実検の最中である」
にべもないその言葉に、元秀は、幸松丸が――毛利が、経久の罠にかかったことを知った。
幸松丸が吐瀉してまで、そしてその吐瀉物にまみれてまでも、経久は幸松丸を離さなかった。
「蔵田房信……『叔父』の直信に裏切られて、さぞや無念であろうのう……」
したり顔で述べる経久。
元秀は、お前がやったんだろうと言いそうになったが、そこで気づいた。
蔵田直信の離間策は、多治比元就の名で行なったのだ。
つまり。
「そういえば幸松丸どの、貴殿もまた叔父がおられたのう……多治比元就という叔父が」
それが狙いか。
元秀は死を覚悟して突入しようとしたが、亀井秀綱に羽交い絞めされて阻まれる。
「怪しからんとは思わぬか? 嫡男が家督をという仕来りに則って家を継ぎ、継いだら叔父が乗っ取りを企む……まさに、相剋よの。食い合いじゃ」
どの面を下げて。
そう叫びたかった元秀だが、経久が「例のものをこれへ」と言って、近侍に持たせてきた「もの」を見て、言葉を失う。
「……じゃから、この尼子経久、膺懲をと思うて……その怪しからぬ叔父を……蔵田直信を討ち取ったわい。どうじゃ、ん? よう見たらどうじゃ? ん?」
近侍が震えながらも捧げ持つ「それ」は、無念と苦悶の表情を浮かべてこと切れた、蔵田直信の首であった。
「……っ! ……っ!」
幸松丸はもう自失の寸前である。それでも経久の手は動かない。がっしりとしたそれは、幸松丸を捉えて離さぬ鉄鎖のごときであった。
「おやめ……くだされっ」
元秀はかろうじて、声を洩らした。
毛利が経久の意に背いたのは謝ろう。
だが、この子をこれ以上、苦しめないでやってくれ。
単純に、年長者として子どもが苦しむのを見たくない。
それだけの、素直な言葉だった。
亀井秀綱も、もういいだろうと手を緩める。
尼子経久も、いっそ丁寧と言っていいくらい、そっと幸松丸を下ろした。
もう、帰ろう。
そう言おうとしたときだった。
幸松丸は見てしまった。
見てしまった、と感じた。
「く、首が……」
直信と房信、双方の首の瞳が、幸松丸を見た。見たように光った。
死体と面する機会などなかった幸松丸は、その妖しき瞳に、肝をつぶした。
「あ、あ、ああ……」
失禁しながら、ついに気絶してしまう幸松丸。
元秀が駆け寄った時はもう遅く、哀れ幸松丸の心は、もはやこの世のものではないどこかへと、飛んで消えてしまった。
……そういう、生気の無い顔をしていた。
そして二度と、幸松丸の生気は戻ることは無かったのである。
*
尼子経久の狙いは、ひとつではなかった。
まず、幸松丸に対して、「叔父」に対する恐怖を植え付ける。
次いで、幸松丸の精神が耐えればそれでよし、でなければ、実際そうなったように、精神を崩壊させ、死に至らしめること。
さらに、「多治比元就の調略」により、蔵田房信とそれを裏切った蔵田直信双方が死に追いやられた。蔵田の家と城を取らせるといって裏切らせた相手を殺したことになるのだ。このことにより、安芸の国人らは、元就の言葉を信じられなくなるだろう。
「これではあまりにも……」
多治比元就は天を仰いだ。尼子経久の、二重三重にもわたる毛利への謀略。その恐ろしさに、真綿で首を締められるような苦しみを感じた。
これなら、素直に元就自身が出陣した方が、遥かにましであった。だが、そうしたところで、自分なら、この経久の謀略に抗しきれたかどうか。
「できまい。できようがない」
そう言って、元就は一連の経久の謀略を、不可抗力と同様であると断じた。断じたがゆえに、相合元綱を責めることは無く、むしろ、己の軽はずみな対応(幸松丸を出陣させたこと)を責め、居城である多治比猿掛城に籠るのであった。
……むろん、だからと言って、元綱の方で納得いくわけがなく、元綱は元綱で、尼子家に、亀井秀綱に対して何度も抗議の申し出をしたし、経久への面会も申し出た。
だが、経久は言を左右にして会わず、ただ秀綱を元綱の方へ寄越して、「済まなかった。不幸な事故だった」と言わせた。
憤懣やるかたない元綱だったが、秀綱に対して礼を損なうわけにもいかず、しかしあまり長く話すこともないので、坂広秀や渡辺勝といった家臣に相手を任せ、やはり早々に居城の船山城へと戻っていくのだった。
「……で、向後、いかようになさるのです」
しかし、元就も元綱も、幸松丸亡き後の毛利家をどうするかという問題には直面せざるを得ず、宿老である志道広良は両名に吉田郡山城に来るように依頼した。
そうこうするうちに、家臣たちの間で、毛利家を継ぐのは元就が良い、いや元綱がふさわしいという議論になった。
元就は、故・毛利弘元と正室の間の次男であり、元綱は側室・相合大方の子で、三男であるため、この時代、元就の方に有利であった。
だが、いかなる時代、組織であっても、主流派と反主流派というのは存在するらしく、前述の坂広秀や渡辺勝らは、元綱を推した。
「このままでは、毛利家中は二つに割れる。将軍家のように」
とは、志道広良の弁である。
応仁の乱における、足利将軍家の跡目争いは夙に有名である。広良は頭を悩まして、ついに多治比猿掛城に籠る元就の下へ、密かに訪れた。
「如何なさるおつもりです」
広良としては、元就が謹慎するのは良いが、このままでは毛利が分裂し、それこそ尼子経久の思うつぼであることを論じた。
「形の上での遠慮は、この広良には不要。多治比どの、いざ本心を」
「…………」
元就としては、問題を先延ばししたいところであった。
この問題、自分が出れば終わる。終わるが、それは同時に元綱に対して辛い判断を伴う。跡目争いは、その禍根は、断っておかねば、後々に響く……ちょうど、鏡城の蔵田房信と直信のように。
「なら、出家させれば良いではないですか」
広良は掻き口説いた。実際、元就と元綱の弟で、のちに北就勝となる四男は、この時、出家していた。
「…………」
なおも沈黙して、返事を渋る元就であったが、その彼をして、毛利の家を継ぐために動き出すことになる事態が発生した。
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