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二十八 復古
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「……毛利どの、いかがされた?」
「いえ何も」
不得要領な陶興房であったが、今は、娘の死の真相を告げるべきというのは分かった。
「つづきを、話してよろしいか」
「お願いつかまつる」
そして興房は、高橋重光による娘の拉致から、塩冶興久への引き渡しの際の墜死に至る内容を語った。
「…………」
毛利元就の頭の中に浮かぶのは、陶興房がこれを伝えてくるということは、塩冶興久と高橋重光が、大内家との繋がりを持っているという考えだ。
娘と離れて、もう数年になる。顔かたちも変わっていよう。どのように思い、どのように感じるかなど、想像すらできぬ。
だが。
「娘は……自ら飛び降りたので?」
「うむ。それは、高橋、塩冶、双方がそう申しておる。間違いなかろう」
「…………」
己の頭で考え、そして結果は死であるが、それを選んだ。
その考えは尊重してやるべきではないのか。
それが、残された者、親としての務めではないのか。
人倫に基づくような、そんな思いが胸中をめぐる。
だがそれも、己に対する言い訳に過ぎない。
結局のところ、高橋家は娘という札を失った。
もはや、何の遠慮もいらない……併呑への道を突き進むのみ。
「察していると思うが」
気づくと、興房が内密にと言って、声を潜めていた。
元就は、瞬間であるが自失していた自分に気づいた。
その自失は、衝撃のゆえか、画策のためか。
元就としては、どちらとも判別がつかず、曖昧に頷きながら、興房の次なる言葉を待った。
「塩冶興久、高橋重光、この両名から別々に、大内への合力の話があった。大内としては、先日の佐東銀山の攻城戦と示し合わせるつもりだった」
だが、それも潰えた。
興房はそう言って締めくくった。
何故潰えたのか、それは分かる。
他ならぬ、大内義興の死病、そして死が原因だ。
それさえなくば、この中国地方の北と南で連携して、尼子家は未曾有の大規模二正面作戦に直面することになったろう。
「これは塩冶、高橋の申し出を受け、大殿が、義興公が考案した」
「……さもありなん」
これほどの絵図面を描いて実行するなど、大内義興を置いて他に無い。尼子経久とはちがった意味で、雄図を描く傑物だった。
「しかし義興公は、今は亡い。この絵図面、義隆さまは描き換えよとの仰せじゃ」
興房は、不意に話の方向を転ずる。
元就には、長年、義興の戦略を戦術面で支えてきた老将の機敏さを見たような気がした。
「毛利どの、大内に付かぬか」
いつか聞かれるかと思っていたが、今がその時か。
元就は身構える。
「……いや、今は明白に味方せよということではない。尼子に付いたままで良い。ただ……大内にも、それなりの誼を、とのことじゃ」
どっちつかずでも良いとは、破格の条件だ。
だが、その二股膏薬という状況、かつての鏡城でのやり取りという苦杯を思い出す。
「…………」
「毛利どの、若……いや、義隆さまはな、そなたが味方するなら、塩冶興久と高橋重光とは手を切る、と仰せじゃ」
「……そこまで?」
有田合戦で大内のために五倍の敵を破って見せた元就だが、その時の大内家の当主は故・義興だ。現当主・義隆とは面識は無いし、その上、佐東銀山城の戦いで、事実上の敗退に追い込んでいる。
その義隆が、何故そこまで毛利に。
「疑念はもっともじゃ。じゃがの、わしとて、敗れたからこそ、毛利の脅威が骨身に沁みた。沁みたからこそ、敵するべきではないと思うた」
大内義隆としては、父・義興のように上洛して云々という展望は無い。西の京、山口において交易に勤しみ、治政においては能吏を登用し、合戦においては各地の大内家の「守護代」ともいうべき武将たちに任せるという、統治の完成を目指していた。
「あたかも、唐宋のような国をじゃ」
そこで、安芸においては「守護代」を毛利元就に任せ、以て対尼子家の藩屏と為したいとのことである。
「義隆さまはお若い。まだ二十二歳じゃ。焦るつもりはないし、毛利どのが、ではおいそれと大内に味方するとは動けまい、と」
だが、できるだけの恩は売っておきたいし、大内としても、実入りのある話を持って行かせた。
「それが、娘の話か」
「さよう。断っておくが、われら大内は、塩冶興久と高橋重光に、毛利どのの娘を得よとは言うてはおらん。勝手働きじゃ。しかもその上にかような失態……義隆さまはいたくご立腹じゃ」
義隆は生前没後にいろいろと言われる人物ではあるが、少なくとも、過剰に残酷では無かった。そして復古主義的な考えの持ち主であったため、人質の娘に対する興久と重光の酷薄さに対し、人倫に悖ると、嫌悪の念を示した。
「人倫……」
「お笑いめさるな、毛利どの。義隆さまはな、本気じゃ」
陶興房としては、この戦国乱世にそのような考え方を持ち出す義隆を、逆に褒めてあげたくなった。
荒廃した京、将軍や管領すら、一族相食む、この濁世。
それを、元に戻そうと。
秩序ある、人倫に基づく世を取り戻そうと。
「そう思い、そして為そうとしておられる。これは貴重なことではないかと、この老骨は思うた。毛利どの、貴公は如何?」
「なかなか……」
たしかに、貴重ではある。しかし、危ういものがあると感じた。その人倫に基づかない非道を、為さざるを得なかった人はどうするのか。
「ふむ」
興房は元就の懸念を是とした。ここだけの話だが、と言ってから、声を潜めて語った。
「義隆さまはな、男色を嗜んでおられる。ゆえに、人倫が人倫がと声高には言わぬ。それが方便だということも、分かっておられる……はずじゃ」
最後のあたりに、少し自信の無さが見え隠れしているようだが、大内政権の宰相ともいうべき老将の弁、傾聴する価値はあるように思えた。
「実利の面も考えておられる……さすがに塩冶の方は無理だが」
高橋家を攻むるのなら、助力を致す、と興房は確約した。
大内家としても、石見を大内家の側ということで安定させておきたい。
「なるほど、銀山か」
「察しが良くて助かる」
石見銀山。
当時、大内義興の支援の下、博多の豪商・神谷寿貞による開発が進み、世界に名立たるこの銀山の銀の採掘が、飛躍的に向上していた。
「名将の誉れ高き毛利どのが……ああいや、これは皮肉ではござらん、骨身に沁みておるからこそじゃ……失敬、石見に睨みを利かせてくれれば、と義隆さまは考えたのじゃ」
「私が味方になれば、という言葉が抜けているようだが……」
「銀が欲しゅうないのか」
どちらが名将だ、と元就は舌打ちしたくなった。
肺腑をえぐるひと言である。だが、直截に元就を誘う理由と利益をひと言で言い表していた。
毛利が高橋を打倒し、石見における影響力を持つ。
大内はその影響力を利用し、銀山の支配を安定化する。
見返りは、銀。
「高橋家は内訌の素を抱えておることが、こたびの件で露見した。しかも、人質の全きを得ぬという失態。阿呆としか言えぬ」
元就は、己の娘がかかわることながら、少し高橋家に同情したくなった。いかなる家といえども、相剋の素はある。今はたまたま、大内家が順調に家督継承を成し得たから言える台詞だ、と。
だが。
これは、好機だ。
今、高橋家を攻めるのならば、大内家の助力を仰ぐことができる。
また、尼子家にしても、一族の塩冶興久の失態ということもあるが、少なくとも、毛利家の問題であるとして、干渉をしてこようとは思うまい。その塩冶興久への対処の問題もある。
娘の死に乗ずる。
娘の死を口実にする。
そう非難されるかもしれない。
だが……娘が崖に身を投げたのは、高橋重光と塩冶興久に利することを嫌ったからだ。
今。
これを逃がせば、娘の遺志を尊重する機会は、訪れまい。
「……少なくとも」
興房は、元就がようやくにして口にした台詞を、最後まで聞き漏らすまいと傾聴の姿勢を取った。
「……少なくとも、大内義隆どのが、その人倫とやらを名目にしても重んじ、毛利を軽んじなければ、その間は」
「おお」
「その間は、誼を通じ申そう」
「かたじけない」
興房は元就の手を取った。
それだけ、元就の帰順は、義隆と興房にとって小さくない課題だったと知れる。
元就は頭を下げて、その興房の手を押し戴きながらも、言った。
「……で、高橋は、盗ってもよろしいので?」
「いえ何も」
不得要領な陶興房であったが、今は、娘の死の真相を告げるべきというのは分かった。
「つづきを、話してよろしいか」
「お願いつかまつる」
そして興房は、高橋重光による娘の拉致から、塩冶興久への引き渡しの際の墜死に至る内容を語った。
「…………」
毛利元就の頭の中に浮かぶのは、陶興房がこれを伝えてくるということは、塩冶興久と高橋重光が、大内家との繋がりを持っているという考えだ。
娘と離れて、もう数年になる。顔かたちも変わっていよう。どのように思い、どのように感じるかなど、想像すらできぬ。
だが。
「娘は……自ら飛び降りたので?」
「うむ。それは、高橋、塩冶、双方がそう申しておる。間違いなかろう」
「…………」
己の頭で考え、そして結果は死であるが、それを選んだ。
その考えは尊重してやるべきではないのか。
それが、残された者、親としての務めではないのか。
人倫に基づくような、そんな思いが胸中をめぐる。
だがそれも、己に対する言い訳に過ぎない。
結局のところ、高橋家は娘という札を失った。
もはや、何の遠慮もいらない……併呑への道を突き進むのみ。
「察していると思うが」
気づくと、興房が内密にと言って、声を潜めていた。
元就は、瞬間であるが自失していた自分に気づいた。
その自失は、衝撃のゆえか、画策のためか。
元就としては、どちらとも判別がつかず、曖昧に頷きながら、興房の次なる言葉を待った。
「塩冶興久、高橋重光、この両名から別々に、大内への合力の話があった。大内としては、先日の佐東銀山の攻城戦と示し合わせるつもりだった」
だが、それも潰えた。
興房はそう言って締めくくった。
何故潰えたのか、それは分かる。
他ならぬ、大内義興の死病、そして死が原因だ。
それさえなくば、この中国地方の北と南で連携して、尼子家は未曾有の大規模二正面作戦に直面することになったろう。
「これは塩冶、高橋の申し出を受け、大殿が、義興公が考案した」
「……さもありなん」
これほどの絵図面を描いて実行するなど、大内義興を置いて他に無い。尼子経久とはちがった意味で、雄図を描く傑物だった。
「しかし義興公は、今は亡い。この絵図面、義隆さまは描き換えよとの仰せじゃ」
興房は、不意に話の方向を転ずる。
元就には、長年、義興の戦略を戦術面で支えてきた老将の機敏さを見たような気がした。
「毛利どの、大内に付かぬか」
いつか聞かれるかと思っていたが、今がその時か。
元就は身構える。
「……いや、今は明白に味方せよということではない。尼子に付いたままで良い。ただ……大内にも、それなりの誼を、とのことじゃ」
どっちつかずでも良いとは、破格の条件だ。
だが、その二股膏薬という状況、かつての鏡城でのやり取りという苦杯を思い出す。
「…………」
「毛利どの、若……いや、義隆さまはな、そなたが味方するなら、塩冶興久と高橋重光とは手を切る、と仰せじゃ」
「……そこまで?」
有田合戦で大内のために五倍の敵を破って見せた元就だが、その時の大内家の当主は故・義興だ。現当主・義隆とは面識は無いし、その上、佐東銀山城の戦いで、事実上の敗退に追い込んでいる。
その義隆が、何故そこまで毛利に。
「疑念はもっともじゃ。じゃがの、わしとて、敗れたからこそ、毛利の脅威が骨身に沁みた。沁みたからこそ、敵するべきではないと思うた」
大内義隆としては、父・義興のように上洛して云々という展望は無い。西の京、山口において交易に勤しみ、治政においては能吏を登用し、合戦においては各地の大内家の「守護代」ともいうべき武将たちに任せるという、統治の完成を目指していた。
「あたかも、唐宋のような国をじゃ」
そこで、安芸においては「守護代」を毛利元就に任せ、以て対尼子家の藩屏と為したいとのことである。
「義隆さまはお若い。まだ二十二歳じゃ。焦るつもりはないし、毛利どのが、ではおいそれと大内に味方するとは動けまい、と」
だが、できるだけの恩は売っておきたいし、大内としても、実入りのある話を持って行かせた。
「それが、娘の話か」
「さよう。断っておくが、われら大内は、塩冶興久と高橋重光に、毛利どのの娘を得よとは言うてはおらん。勝手働きじゃ。しかもその上にかような失態……義隆さまはいたくご立腹じゃ」
義隆は生前没後にいろいろと言われる人物ではあるが、少なくとも、過剰に残酷では無かった。そして復古主義的な考えの持ち主であったため、人質の娘に対する興久と重光の酷薄さに対し、人倫に悖ると、嫌悪の念を示した。
「人倫……」
「お笑いめさるな、毛利どの。義隆さまはな、本気じゃ」
陶興房としては、この戦国乱世にそのような考え方を持ち出す義隆を、逆に褒めてあげたくなった。
荒廃した京、将軍や管領すら、一族相食む、この濁世。
それを、元に戻そうと。
秩序ある、人倫に基づく世を取り戻そうと。
「そう思い、そして為そうとしておられる。これは貴重なことではないかと、この老骨は思うた。毛利どの、貴公は如何?」
「なかなか……」
たしかに、貴重ではある。しかし、危ういものがあると感じた。その人倫に基づかない非道を、為さざるを得なかった人はどうするのか。
「ふむ」
興房は元就の懸念を是とした。ここだけの話だが、と言ってから、声を潜めて語った。
「義隆さまはな、男色を嗜んでおられる。ゆえに、人倫が人倫がと声高には言わぬ。それが方便だということも、分かっておられる……はずじゃ」
最後のあたりに、少し自信の無さが見え隠れしているようだが、大内政権の宰相ともいうべき老将の弁、傾聴する価値はあるように思えた。
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高橋家を攻むるのなら、助力を致す、と興房は確約した。
大内家としても、石見を大内家の側ということで安定させておきたい。
「なるほど、銀山か」
「察しが良くて助かる」
石見銀山。
当時、大内義興の支援の下、博多の豪商・神谷寿貞による開発が進み、世界に名立たるこの銀山の銀の採掘が、飛躍的に向上していた。
「名将の誉れ高き毛利どのが……ああいや、これは皮肉ではござらん、骨身に沁みておるからこそじゃ……失敬、石見に睨みを利かせてくれれば、と義隆さまは考えたのじゃ」
「私が味方になれば、という言葉が抜けているようだが……」
「銀が欲しゅうないのか」
どちらが名将だ、と元就は舌打ちしたくなった。
肺腑をえぐるひと言である。だが、直截に元就を誘う理由と利益をひと言で言い表していた。
毛利が高橋を打倒し、石見における影響力を持つ。
大内はその影響力を利用し、銀山の支配を安定化する。
見返りは、銀。
「高橋家は内訌の素を抱えておることが、こたびの件で露見した。しかも、人質の全きを得ぬという失態。阿呆としか言えぬ」
元就は、己の娘がかかわることながら、少し高橋家に同情したくなった。いかなる家といえども、相剋の素はある。今はたまたま、大内家が順調に家督継承を成し得たから言える台詞だ、と。
だが。
これは、好機だ。
今、高橋家を攻めるのならば、大内家の助力を仰ぐことができる。
また、尼子家にしても、一族の塩冶興久の失態ということもあるが、少なくとも、毛利家の問題であるとして、干渉をしてこようとは思うまい。その塩冶興久への対処の問題もある。
娘の死に乗ずる。
娘の死を口実にする。
そう非難されるかもしれない。
だが……娘が崖に身を投げたのは、高橋重光と塩冶興久に利することを嫌ったからだ。
今。
これを逃がせば、娘の遺志を尊重する機会は、訪れまい。
「……少なくとも」
興房は、元就がようやくにして口にした台詞を、最後まで聞き漏らすまいと傾聴の姿勢を取った。
「……少なくとも、大内義隆どのが、その人倫とやらを名目にしても重んじ、毛利を軽んじなければ、その間は」
「おお」
「その間は、誼を通じ申そう」
「かたじけない」
興房は元就の手を取った。
それだけ、元就の帰順は、義隆と興房にとって小さくない課題だったと知れる。
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