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05 叢裡鳴虫(そうりめいちゅう)
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岩倉具視の幽居の外で、虫の鳴く声が聞こえた。
あれから。
中岡慎太郎は何くれとなく、岩倉の幽居に来ては、いろいろな情報を伝えたり、時には洛中、大坂あたりから手に入れたという食べ物や書籍をもたらした。
「――僕は、こういう陸運の仕事をやりたいのです」
それが将来の夢だと、慎太郎は語った。
そうして岩倉とのやり取りが終わったあとは、決まって、岩倉の子――具定と八千麿にせがまれ、共に川へ出て遊び、水練の稽古をつけてあげたりした。
妻の槇子は周りの農家の仕事を手伝い、そして新鮮な野菜を駄賃代わりに貰ってきて、そして慎太郎を交えて、皆で夕餉にありつくのだ。
「さて――書くか」
慎太郎と晩酌に興じた後、岩倉は文机に向かい、響く虫の音に耳を傾けながら、一心不乱に筆を走らせていた。
「何ですか、それは」
子どもたちに怪談を話し終えた慎太郎が、槇子に頼まれて持ってきた茶を盆にのせて、やって来た。
「これは――磨の、この国のこれからについての、考えるところを書いとるんや」
「ほーう」
慎太郎が茶を文机に置くと、岩倉はその書を差し出した。
「まだ、途中やが……結構、ええ出来やと思うとる……どや?」
慎太郎はぱらぱらと紙をめくり、うんうんとうなずいたり、ううむと唸ったりした。そして最後に言った。
「ええ出来ですきに」
「せやろ?」
岩倉は満足げにうなずいたが、まだ題名が出来へんのじゃと呟いた。
「何ぞ……今の磨のこの状況を表し……かつ、この国のためだと訴えるような、そういう題名を、よう思いつかんのや」
岩倉は歎くように首を振り、ふと戸外の景色を眺め見た。
そこには――庭には、草むらが広がっており、鈴虫や松虫が、思い思いに鳴いて、歌っていた。
慎太郎もそれを見て、ふと思いついたように、言った。
「岩倉さまは今、まさに草莽に居られる。その目線から見た言う感じに、草むらの中――叢裡という言葉ぁ入れたらええですきに」
岩倉はそれに、わが意を得たりとばかりに目を見開いた。
「せやなぁ……あ、そうや! せやったら、叢裡――叢裡鳴虫というのはどないや?」
磨は謡曲が趣味やし合うわ、と岩倉は手を打った。
一方の慎太郎は怪訝そうな顔をした。
「岩倉さま」
「何や」
「しゃあけど、岩倉さまの謡曲は下手ですきに。そこは強調せん方が……」
「はあ!?」
慎太郎は、しまったという顔をした、
岩倉は愕然とする。
「…………」
岩倉は首を垂れて、何かぷるぷると震えている。
これは虎の尾を踏んだかと慎太郎が、何も聞かなかったことにしようと腰を上げたとその時、岩倉は顔を上げた。
「はっはっは!」
岩倉は笑った。
慎太郎は唖然とした。
「はっは……いや、すまんすまん、中岡君。せやったんか……せやから、謡う時、家族がみんな席ぃ外すんか……いやいや! 気にせんでくれ! 忌憚のない意見は結構! 国士は、否、志士は――そうでなくてはいかん! そうでなくては!」
岩倉は、わりと素直にそれを受け入れた。
最近、この洛外での暮らし――幽棲も受け入れるようになってきた岩倉である。
「むしろこのゆっくりとした暮らし……これこそ、天の与えたもうた機というもんや」
岩倉は幽棲の中で、古今東西の書を読み、慎太郎から最近の情勢情報を知り、機会を捉えては朝廷の廷臣や志士を呼んでは話を聞き、己の肥やしとする日々を過ごすようになっていた。
「己を変えずして、国を変えらずや、中岡君」
「そう言っていただけると助かります」
慎太郎は岩倉の書を、おもむろに差し出した。
岩倉はそれを無言で受け取り、文机に置き、そしてえいやっと一気にその一番上の紙に書き記した。
――叢裡鳴虫、と。
「よっしゃ、今宵のうちに書き上げるさかい、中岡君、悪いがこれを朝廷や薩摩に見せに行ってくれんか?」
「うけたまわりました」
「おおきにな、中岡君。せや、お礼に……事が成った暁には、一緒にこの国の陸運変えたろ、なぁ」
「それは心強いですきに」
そして岩倉は執筆に戻り、中岡はまた具定や八千磨がもう一回怪談をとせがむので、一礼して去っていた。
……この後、岩倉具視は、維新回天の動きの中で、政界に復帰し、大いにその辣腕を振るうことになる。
やがて時代が変わり明治になり、事を成し遂げたあと、岩倉はこの国の鉄道敷設に邁進した。
それは――その時、彼の隣にならぶことができなかった、中岡慎太郎への追慕からかもしれない。
【了】
あれから。
中岡慎太郎は何くれとなく、岩倉の幽居に来ては、いろいろな情報を伝えたり、時には洛中、大坂あたりから手に入れたという食べ物や書籍をもたらした。
「――僕は、こういう陸運の仕事をやりたいのです」
それが将来の夢だと、慎太郎は語った。
そうして岩倉とのやり取りが終わったあとは、決まって、岩倉の子――具定と八千麿にせがまれ、共に川へ出て遊び、水練の稽古をつけてあげたりした。
妻の槇子は周りの農家の仕事を手伝い、そして新鮮な野菜を駄賃代わりに貰ってきて、そして慎太郎を交えて、皆で夕餉にありつくのだ。
「さて――書くか」
慎太郎と晩酌に興じた後、岩倉は文机に向かい、響く虫の音に耳を傾けながら、一心不乱に筆を走らせていた。
「何ですか、それは」
子どもたちに怪談を話し終えた慎太郎が、槇子に頼まれて持ってきた茶を盆にのせて、やって来た。
「これは――磨の、この国のこれからについての、考えるところを書いとるんや」
「ほーう」
慎太郎が茶を文机に置くと、岩倉はその書を差し出した。
「まだ、途中やが……結構、ええ出来やと思うとる……どや?」
慎太郎はぱらぱらと紙をめくり、うんうんとうなずいたり、ううむと唸ったりした。そして最後に言った。
「ええ出来ですきに」
「せやろ?」
岩倉は満足げにうなずいたが、まだ題名が出来へんのじゃと呟いた。
「何ぞ……今の磨のこの状況を表し……かつ、この国のためだと訴えるような、そういう題名を、よう思いつかんのや」
岩倉は歎くように首を振り、ふと戸外の景色を眺め見た。
そこには――庭には、草むらが広がっており、鈴虫や松虫が、思い思いに鳴いて、歌っていた。
慎太郎もそれを見て、ふと思いついたように、言った。
「岩倉さまは今、まさに草莽に居られる。その目線から見た言う感じに、草むらの中――叢裡という言葉ぁ入れたらええですきに」
岩倉はそれに、わが意を得たりとばかりに目を見開いた。
「せやなぁ……あ、そうや! せやったら、叢裡――叢裡鳴虫というのはどないや?」
磨は謡曲が趣味やし合うわ、と岩倉は手を打った。
一方の慎太郎は怪訝そうな顔をした。
「岩倉さま」
「何や」
「しゃあけど、岩倉さまの謡曲は下手ですきに。そこは強調せん方が……」
「はあ!?」
慎太郎は、しまったという顔をした、
岩倉は愕然とする。
「…………」
岩倉は首を垂れて、何かぷるぷると震えている。
これは虎の尾を踏んだかと慎太郎が、何も聞かなかったことにしようと腰を上げたとその時、岩倉は顔を上げた。
「はっはっは!」
岩倉は笑った。
慎太郎は唖然とした。
「はっは……いや、すまんすまん、中岡君。せやったんか……せやから、謡う時、家族がみんな席ぃ外すんか……いやいや! 気にせんでくれ! 忌憚のない意見は結構! 国士は、否、志士は――そうでなくてはいかん! そうでなくては!」
岩倉は、わりと素直にそれを受け入れた。
最近、この洛外での暮らし――幽棲も受け入れるようになってきた岩倉である。
「むしろこのゆっくりとした暮らし……これこそ、天の与えたもうた機というもんや」
岩倉は幽棲の中で、古今東西の書を読み、慎太郎から最近の情勢情報を知り、機会を捉えては朝廷の廷臣や志士を呼んでは話を聞き、己の肥やしとする日々を過ごすようになっていた。
「己を変えずして、国を変えらずや、中岡君」
「そう言っていただけると助かります」
慎太郎は岩倉の書を、おもむろに差し出した。
岩倉はそれを無言で受け取り、文机に置き、そしてえいやっと一気にその一番上の紙に書き記した。
――叢裡鳴虫、と。
「よっしゃ、今宵のうちに書き上げるさかい、中岡君、悪いがこれを朝廷や薩摩に見せに行ってくれんか?」
「うけたまわりました」
「おおきにな、中岡君。せや、お礼に……事が成った暁には、一緒にこの国の陸運変えたろ、なぁ」
「それは心強いですきに」
そして岩倉は執筆に戻り、中岡はまた具定や八千磨がもう一回怪談をとせがむので、一礼して去っていた。
……この後、岩倉具視は、維新回天の動きの中で、政界に復帰し、大いにその辣腕を振るうことになる。
やがて時代が変わり明治になり、事を成し遂げたあと、岩倉はこの国の鉄道敷設に邁進した。
それは――その時、彼の隣にならぶことができなかった、中岡慎太郎への追慕からかもしれない。
【了】
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