輿乗(よじょう)の敵 ~ 新史 桶狭間 ~

四谷軒

文字の大きさ
15 / 101
第三部 傅役(もりやく)の死

13 罠

しおりを挟む
 織田信長と帰蝶が、木綿藤吉や前田犬千代を供にして正徳寺へ向かうのを見送った平手政秀は、半刻ほど外交文書を作成したり、細々とした内政の判断を下したりと、仕事に精を出した。
 やがて門番から客が来たという報告を受けると、人払いをして、その客と二人きりで面会した。

「……さて」

 政秀は客の名を確認するように口にした。

大給松平家おぎゅうまつだいらけ松平親乗まつだいらちかのりさまでござったか」

「さようにござる」

 松平親乗は慇懃にお辞儀する。

 ……この親乗との出会いが、政秀を窮地に追い込むことになるが、今の政秀には、それを知るよしもない。

「知多の水野どのの紹介ということだが」

 平手政秀は、那古野城内の一室にて、二人きりで話す相手である松平親乗に迫る。

「織田家……当家にいかなるご用件で?」

「さればでござる」

 親乗もまた身を乗り出した。
 彼は説明する。
 元々、三河という土地は、松平家が勢力を張っていた。
 そこを、駿河・遠江の今川家が手を伸ばしてきて、支配し、今に至っている。
 その象徴が松平家本家の竹千代であり、竹千代は今、他ならぬ今川義元の小姓としてに留め置かれている。

「それを何とかしてほしいのでござる」

「……何とかと言われてものう」

「かつて織田家は、竹千代さまをではござらぬか」

 耳に痛いことを言うな、と政秀は思った。
 親乗の言うとおりである。かつて、松平広忠が嫡男の竹千代を今川家に差し出した時、三河田原城主・戸田康光がその竹千代を強奪したことがある。織田家は、竹千代を強奪した戸田康光に銭百貫文を支払い、竹千代を

「……しかし戸田康光はもう今川に滅ぼされたではないか」

 そこまで言って、政秀は気づいた。

「もしや」

「さよう」

 親乗は声を潜めた。

「不肖、この松平親乗、竹千代さまをお救いするつもりでござる」



 松平親乗の計画は単純明快だった。
 今、竹千代は松平本家の居城、岡崎城にいる。
 今川義元の小姓として。
 その義元が竹千代から離れる時が狙い目。
 では、いつなら義元は竹千代から離れるか。

「織田の方から攻めて下され」

 そうすれば。

「義元のこと、兵を出す。岡崎を離れる。そこをこの親乗が」

 竹千代を強奪する。

「さすれば……三河は松平家の下に。松平は織田どのに感謝し、同盟を結びましょう」

 織田にとって有利な同盟を。
 ……それはいかにも垂涎すいぜんものの提案であった。
 何より、政秀にとって、「竹千代を奪う」という点が魅力的だった。
 それは、政秀がかつて今川に――太原雪斎に苦杯を飲まされた安城合戦あんじょうかっせんの仇を討つということを意味したからである。



 安城合戦。
 それは、生前の織田信秀が三河征服を目指し、松平、今川両家を相手に十年近くもの期間を戦った合戦である。
 その結末において、安城城を守っていた織田信広(織田信秀の長男。信長の兄。ただし側室の子のため、嫡男ではない)は、今川家の智将・太原雪斎率いる今川・松平連合軍に攻められ、落城の危機に追い込まれていた。
 これを救うために、信秀は腹心であり盟友である平手政秀に一軍を与えて急派した。
 政秀は雪斎相手に善戦したが、最後には火縄銃を使ってきた雪斎の攻撃に足止めを余儀なくされ、安城城はついに落城した。

「ま、政秀! 政秀! 助けてくれ! 助けてくれー!」

「信広さま! 信広さま!」

 政秀の眼前で信広は捕らえられ、今川家に連れ去られていった。
 これを知った信秀は、手元に置いていた松平竹千代と信広の人質交換を今川義元に提案した。
 それは、信広の身柄を取り戻すというよりも、意気消沈する政秀のためにおこなったという話である。
 だがいずれにせよ――織田家は安城城という拠点を失い、竹千代という人質も返還させられ、三河征服から一歩も二歩も遠のき、その覇道は大きく後退してしまった。

 そしてそれは平手政秀の「後悔」として、いつまでも、今でも彼の心に深く影を落とした。



「……平手どの、平手どの!」

 松平親乗の呼びかけに、平手政秀は夢から覚めたようにハッとして目を開いた。
 ……いや、実際に夢を見ていた。
 悲しい夢を。

「……失敬した、親乗どの」

 だが政秀は冷静さを失わず、親乗の唱える竹千代奪還作戦に反対の意を示した。

「お説もっとも。しかし、それはあまりに分の悪い賭けでござる」

「しかし」

 言いつのる親乗に、政秀は「本気」を見た。
 騙しに来ているのではない。
 親乗は「本気」で竹千代奪還による三河独立を夢見ているのだ。
 あまりの熱情にほだされて、つい同意したくなる政秀であったが、それでもこらえた。
 しかし、音を上げた親乗の、次の一言に、降参してしまった。

「ようござる、ようござる。それならば……信広どのにを持ちかけるまで」

 織田信広。
 竹千代と交換で帰って来た彼は、安城城で最後まで戦ったことを評価され、信長から留守居役を任されることが多かった。
 今も、何かことがあれば、駆けつけられるよう、那古野の城の近くに居を構えている。
 親乗は、その信広のところへ行って、おそらく、こう持ちかけるのだ。

「あの時――あの安城合戦の雪辱を果たすのは、今」

 ――と。
 政秀はある決心を固め、親乗を止めた。

「おやめくだされ」

「何故でござる? まさか信広どのに会うのを妨害されるおつもりか」

「いやいやさにあらず、さにあらず……」

 親乗はおそらく、今川義元か誰かに「本気で」竹千代強奪を企むように誘導されたのだ。
 これが、親乗が「嘘で」、政秀を騙しに来ているのだったら、話は早い。追い出せばいいだけのこと。
 でも、親乗は「本気」なのだ。
 うまいこと言って追い返したとしても、自力で信広の元へたどり着くだろう。
 そうしたら、信広は囚われの身となったあの時の屈辱を晴らす――雪辱を果たすため、一も二もなく賛同するだろう。
 そうしたら、織田家はまだ支度の整わないうちに今川家との戦いに身を投じる羽目になる。

「それこそ、安城合戦の繰り返しではないか……」

「何か言われたか、政秀どの?」

「ああいや、こちらの話。さて」

 政秀は、威儀を正しながら、親乗に相対した。

「この平手政秀、親乗どのの話に乗らせていただく」
しおりを挟む
感想 0

あなたにおすすめの小説

滝川家の人びと

卯花月影
歴史・時代
勝利のために走るのではない。 生きるために走る者は、 傷を負いながらも、歩みを止めない。 戦国という時代の只中で、 彼らは何を失い、 走り続けたのか。 滝川一益と、その郎党。 これは、勝者の物語ではない。 生き延びた者たちの記録である。

織田信長 -尾州払暁-

藪から犬
歴史・時代
織田信長は、戦国の世における天下統一の先駆者として一般に強くイメージされますが、当然ながら、生まれついてそうであるわけはありません。 守護代・織田大和守家の家来(傍流)である弾正忠家の家督を継承してから、およそ14年間を尾張(現・愛知県西部)の平定に費やしています。そして、そのほとんどが一族間での骨肉の争いであり、一歩踏み外せば死に直結するような、四面楚歌の道のりでした。 織田信長という人間を考えるとき、この彼の青春時代というのは非常に色濃く映ります。 そこで、本作では、天文16年(1547年)~永禄3年(1560年)までの13年間の織田信長の足跡を小説としてじっくりとなぞってみようと思いたった次第です。 毎週の月曜日00:00に次話公開を目指しています。 スローペースの拙稿ではありますが、お付き合いいただければ嬉しいです。 (2022.04.04) ※信長公記を下地としていますが諸出来事の年次比定を含め随所に著者の創作および定説ではない解釈等がありますのでご承知置きください。 ※アルファポリスの仕様上、「HOTランキング用ジャンル選択」欄を「男性向け」に設定していますが、区別する意図はとくにありません。

熟女愛好家ユウスケの青春(熟女漁り)

MisakiNonagase
恋愛
高校まで勉強一筋で大学デビューをしたユウスケは家庭教師の教え子の母親と不倫交際するが、彼にとって彼女とが初の男女交際。そこでユウスケは自分が熟女好きだと自覚する。それからユウスケは戦略と実戦を重ねて、清潔感と聞き上手を武器にたくさんの熟女と付き合うことになるストーリーです。

四代目 豊臣秀勝

克全
歴史・時代
アルファポリス第5回歴史時代小説大賞参加作です。 読者賞を狙っていますので、アルファポリスで投票とお気に入り登録してくださると助かります。 史実で三木城合戦前後で夭折した木下与一郎が生き延びた。 秀吉の最年長の甥であり、秀長の嫡男・与一郎が生き延びた豊臣家が辿る歴史はどう言うモノになるのか。 小牧長久手で秀吉は勝てるのか? 朝日姫は徳川家康の嫁ぐのか? 朝鮮征伐は行われるのか? 秀頼は生まれるのか。 秀次が後継者に指名され切腹させられるのか?

日本の運命を変えた天才少年-日本が世界一の帝国になる日-

ましゅまろ
歴史・時代
――もしも、日本の運命を変える“少年”が現れたなら。 1941年、戦争の影が世界を覆うなか、日本に突如として現れた一人の少年――蒼月レイ。 わずか13歳の彼は、天才的な頭脳で、戦争そのものを再設計し、歴史を変え、英米独ソをも巻き込みながら、日本を敗戦の未来から救い出す。 だがその歩みは、同時に多くの敵を生み、命を狙われることも――。 これは、一人の少年の手で、世界一の帝国へと昇りつめた日本の物語。 希望と混乱の20世紀を超え、未来に語り継がれる“蒼き伝説”が、いま始まる。 ※アルファポリス限定投稿

改造空母機動艦隊

蒼 飛雲
歴史・時代
 兵棋演習の結果、洋上航空戦における空母の大量損耗は避け得ないと悟った帝国海軍は高価な正規空母の新造をあきらめ、旧式戦艦や特務艦を改造することで数を揃える方向に舵を切る。  そして、昭和一六年一二月。  日本の前途に暗雲が立ち込める中、祖国防衛のために改造空母艦隊は出撃する。  「瑞鳳」「祥鳳」「龍鳳」が、さらに「千歳」「千代田」「瑞穂」がその数を頼みに太平洋艦隊を迎え撃つ。

日本新世紀ー日本の変革から星間連合の中の地球へー

黄昏人
SF
現在の日本、ある地方大学の大学院生のPCが化けた! あらゆる質問に出してくるとんでもなくスマートで完璧な答え。この化けたPC“マドンナ”を使って、彼、誠司は核融合発電、超バッテリーとモーターによるあらゆるエンジンの電動化への変換、重力エンジン・レールガンの開発・実用化などを通じて日本の経済・政治状況及び国際的な立場を変革していく。 さらに、こうしたさまざまな変革を通じて、日本が主導する地球防衛軍は、巨大な星間帝国の侵略を跳ね返すことに成功する。その結果、地球人類はその星間帝国の圧政にあえいでいた多数の歴史ある星間国家の指導的立場になっていくことになる。 この中で、自らの進化の必要性を悟った人類は、地球連邦を成立させ、知能の向上、他星系への植民を含む地球人類全体の経済の底上げと格差の是正を進める。 さらには、マドンナと誠司を擁する地球連邦は、銀河全体の生物に迫る危機の解明、撃退法の構築、撃退を主導し、銀河のなかに確固たる地位を築いていくことになる。

甲斐ノ副将、八幡原ニテ散……ラズ

朽縄咲良
歴史・時代
【第8回歴史時代小説大賞奨励賞受賞作品】  戦国の雄武田信玄の次弟にして、“稀代の副将”として、同時代の戦国武将たちはもちろん、後代の歴史家の間でも評価の高い武将、武田典厩信繁。  永禄四年、武田信玄と強敵上杉輝虎とが雌雄を決する“第四次川中島合戦”に於いて討ち死にするはずだった彼は、家臣の必死の奮闘により、その命を拾う。  信繁の生存によって、甲斐武田家と日本が辿るべき歴史の流れは徐々にずれてゆく――。  この作品は、武田信繁というひとりの武将の生存によって、史実とは異なっていく戦国時代を書いた、大河if戦記である。 *ノベルアッププラス・小説家になろうにも、同内容の作品を掲載しております(一部差異あり)。

処理中です...