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04 アエガテス諸島沖の海戦
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紀元前二四一年三月十日。
早朝。
アエガテス諸島に、西から東へと向かう風が吹いてきた。
「出帆!」
艦隊司令のハンノの号令一下、二五〇隻のカルタゴ艦隊が動き出す。
向かう先は、リルバイウム。
目的は、ハミルカルへの補給であり、同時にそこを囲んでいるローマ艦隊を撃破することにある。
現地の漁民を買収して情報収集に怠りなかったファルトは、カルタゴ艦隊迫るの報を聞き、出撃を決断した。
「風がこちらに向かって……不利です、前法務官閣下」
憂慮する百人隊長もいたが、ファルトは押し切った。
「今ここで、カルタゴにハミルカルに補給させてみろ。これまで前執政官カトゥルスがしてきた包囲が水の泡になるぞ。そうなればこの戦争、もはや泥沼であり、ローマ、カルタゴ双方に勝ちはない」
今。
今こそが、ローマの勝ちを拾う時。
さすがにことがことだけに、陸上で待機するカトゥルスにも急使を派したが、その回答もやはり「出撃」であった。
そしてその時にはすでに、ファルトの指示の下、ローマ艦隊はマストや帆など、不要なものは全て下ろし(風が不利なため、マストや帆は要らなかった)、進撃を命じるところであった。
「櫂を漕げ! まず、旗艦ユートゥルナから出る!」
法務官就任以来、共に訓練した乗組員だ。
ファルトの号令の下、勇躍して櫂を取った。
一方で。
カルタゴ艦隊だが、前述のとおり、乗組員が足りない。
その上、ハミルカルへの補給物資を積んでいるため、その分重くなっていた。
動きも。
こうして、ローマ、カルタゴの両艦隊は、アエガテス諸島の沖で遭遇する。
ここまで来たら、もはや全力でぶつかるのみ。
ハンノは覚悟を決めた。
「帆を下ろせ!」
この時代、海戦においては風ではなく、人の手によって櫂を漕いで、それによって船を動かして戦った。
すなわち、ハンノは、戦うという意思を示したことになる。
対するや、ローマのファルトはすでに帆を下ろしていることもあり、その間に艦隊を動かす。
結果、カルタゴ艦隊の横っ腹に、ローマ艦隊の舳先を向けるかたちになった。
ファルトが叫ぶ。
「進め! このまま衝角をカルタゴにお見舞いしてやれ!」
衝角とは、船の舳先の水面下部分についている角上の物体で、この時代の海戦は、その衝角を敵艦に当てて貫き、撃沈することを旨としていた。
「避けろ! 避けろ避けろ!」
しかしカルタゴ艦隊には人手もなく、重量のある状態であったため、にわかに回避ができない。
「ユートゥルナを前に出せ!」
猛将メテッルスのように、炎のように攻め立てるファルト。
その攻勢の前に、ハンノはたじたじとなった。
「とりあえず距離を取れ! 距離を置いて態勢を立て直し……うわっ」
その時、ハンノの旗艦サランボーに、ユートゥルナが激突した。
それはハンノとサランボーにとって幸いにも、ユートゥルナの衝角が滑って、ただの激突で済んだものの、ハンノをして「もう駄目だ」と思わせるだけの衝撃があった。
「退け!」
「待て! 逃げるな!」
逃げるハンノ。
追うファルト。
気づくと、カルタゴ艦隊の半数は沈むか鹵獲されるかしていた。
このまま、カルタゴ艦隊は全滅かと思われたが、そこで風が吹いた。
今度は、東から西へ。
「好機!」
死に物狂いのハンノは、必死で旗艦サランボーを回頭し、西へ――カルタゴへと向けた。
今や半数になったカルタゴ艦隊もつづく。
それを見たファルトは、ローマ艦隊にそれ以上の追撃を控えさせた。それ以上戦う余裕が無かったからだ
「やった」
カルタゴは逃げた。
その艦隊は全滅こそしなかったものの、半壊にまで追い込んだ。
ローマの勝利と言っていいぐらいに。
「勝鬨を上げよ!」
こうしてローマは、その第一次ポエニ戦争の決戦たる、アエガテス諸島沖の海戦に勝利した。
アエガテス諸島沖の海戦の結果、カルタゴは艦隊再建の是非と金銭を秤にかけて、戦争をやめることを決意。ローマにとって有利な内容の講和条約を受け入れた。
シチリアで戦いつづけたハミルカル・バルカも、カルタゴ本国からの兵站なくして戦うことはできず、その判断を受け入れた。
こうして第一次ポエニ戦争は、ローマの勝利に終わった。
ところで、ローマには、戦いに勝利した執政官あるいは前執政官は、凱旋式を挙行する権利を求めることができる。
カトゥルスは当然として、前法務官ファルトもその権利を求めた。
だが。
「そのような前例は無い」
最高神祇官メテッルスは却下した。
前執政官アルビヌスは異を唱えた。
「いや、いかに執政官でも前執政官でもないとはいえ、ファルトの功績は無視できません」
「ふむ」
そこでメテッルスはほくそ笑む。
何かあるな、とアルビヌスは思った。
ここはメテッルスに任せるが吉
そう、感じた。
「ローマの元老院と市民諸君!」
メテッルスは大音声で叫び、ファルトに凱旋式の権利を与えるか否かを問うた。
結果。
「ファルト、では共に帰ろうではないか、ローマへ」
「ええ、カトゥルス」
ファルトはカトゥルスと同様に、凱旋式を挙行することを、ローマ市民の強い要求によって認められた。
彼らローマ市民は知っていたのだ。
彼らが任せたファルトが、充分な仕事をしてくれたことを。
そして現在。
凱旋式を挙行した執政官あるいは前執政官は、ローマに対してお返しをするのが通例である。そのお返しとは神殿の建立であったり、浴場の建設であったりする。が、この時、そのお返しはカトゥルスのみであったらしく、ファルトのものは残されていない。
ただ、カトゥルスがカンプス・マルティウス(トッレ・アルジェンティーナ広場)に建立した神殿の神の名は。
ユートゥルナ、という。
【了】
早朝。
アエガテス諸島に、西から東へと向かう風が吹いてきた。
「出帆!」
艦隊司令のハンノの号令一下、二五〇隻のカルタゴ艦隊が動き出す。
向かう先は、リルバイウム。
目的は、ハミルカルへの補給であり、同時にそこを囲んでいるローマ艦隊を撃破することにある。
現地の漁民を買収して情報収集に怠りなかったファルトは、カルタゴ艦隊迫るの報を聞き、出撃を決断した。
「風がこちらに向かって……不利です、前法務官閣下」
憂慮する百人隊長もいたが、ファルトは押し切った。
「今ここで、カルタゴにハミルカルに補給させてみろ。これまで前執政官カトゥルスがしてきた包囲が水の泡になるぞ。そうなればこの戦争、もはや泥沼であり、ローマ、カルタゴ双方に勝ちはない」
今。
今こそが、ローマの勝ちを拾う時。
さすがにことがことだけに、陸上で待機するカトゥルスにも急使を派したが、その回答もやはり「出撃」であった。
そしてその時にはすでに、ファルトの指示の下、ローマ艦隊はマストや帆など、不要なものは全て下ろし(風が不利なため、マストや帆は要らなかった)、進撃を命じるところであった。
「櫂を漕げ! まず、旗艦ユートゥルナから出る!」
法務官就任以来、共に訓練した乗組員だ。
ファルトの号令の下、勇躍して櫂を取った。
一方で。
カルタゴ艦隊だが、前述のとおり、乗組員が足りない。
その上、ハミルカルへの補給物資を積んでいるため、その分重くなっていた。
動きも。
こうして、ローマ、カルタゴの両艦隊は、アエガテス諸島の沖で遭遇する。
ここまで来たら、もはや全力でぶつかるのみ。
ハンノは覚悟を決めた。
「帆を下ろせ!」
この時代、海戦においては風ではなく、人の手によって櫂を漕いで、それによって船を動かして戦った。
すなわち、ハンノは、戦うという意思を示したことになる。
対するや、ローマのファルトはすでに帆を下ろしていることもあり、その間に艦隊を動かす。
結果、カルタゴ艦隊の横っ腹に、ローマ艦隊の舳先を向けるかたちになった。
ファルトが叫ぶ。
「進め! このまま衝角をカルタゴにお見舞いしてやれ!」
衝角とは、船の舳先の水面下部分についている角上の物体で、この時代の海戦は、その衝角を敵艦に当てて貫き、撃沈することを旨としていた。
「避けろ! 避けろ避けろ!」
しかしカルタゴ艦隊には人手もなく、重量のある状態であったため、にわかに回避ができない。
「ユートゥルナを前に出せ!」
猛将メテッルスのように、炎のように攻め立てるファルト。
その攻勢の前に、ハンノはたじたじとなった。
「とりあえず距離を取れ! 距離を置いて態勢を立て直し……うわっ」
その時、ハンノの旗艦サランボーに、ユートゥルナが激突した。
それはハンノとサランボーにとって幸いにも、ユートゥルナの衝角が滑って、ただの激突で済んだものの、ハンノをして「もう駄目だ」と思わせるだけの衝撃があった。
「退け!」
「待て! 逃げるな!」
逃げるハンノ。
追うファルト。
気づくと、カルタゴ艦隊の半数は沈むか鹵獲されるかしていた。
このまま、カルタゴ艦隊は全滅かと思われたが、そこで風が吹いた。
今度は、東から西へ。
「好機!」
死に物狂いのハンノは、必死で旗艦サランボーを回頭し、西へ――カルタゴへと向けた。
今や半数になったカルタゴ艦隊もつづく。
それを見たファルトは、ローマ艦隊にそれ以上の追撃を控えさせた。それ以上戦う余裕が無かったからだ
「やった」
カルタゴは逃げた。
その艦隊は全滅こそしなかったものの、半壊にまで追い込んだ。
ローマの勝利と言っていいぐらいに。
「勝鬨を上げよ!」
こうしてローマは、その第一次ポエニ戦争の決戦たる、アエガテス諸島沖の海戦に勝利した。
アエガテス諸島沖の海戦の結果、カルタゴは艦隊再建の是非と金銭を秤にかけて、戦争をやめることを決意。ローマにとって有利な内容の講和条約を受け入れた。
シチリアで戦いつづけたハミルカル・バルカも、カルタゴ本国からの兵站なくして戦うことはできず、その判断を受け入れた。
こうして第一次ポエニ戦争は、ローマの勝利に終わった。
ところで、ローマには、戦いに勝利した執政官あるいは前執政官は、凱旋式を挙行する権利を求めることができる。
カトゥルスは当然として、前法務官ファルトもその権利を求めた。
だが。
「そのような前例は無い」
最高神祇官メテッルスは却下した。
前執政官アルビヌスは異を唱えた。
「いや、いかに執政官でも前執政官でもないとはいえ、ファルトの功績は無視できません」
「ふむ」
そこでメテッルスはほくそ笑む。
何かあるな、とアルビヌスは思った。
ここはメテッルスに任せるが吉
そう、感じた。
「ローマの元老院と市民諸君!」
メテッルスは大音声で叫び、ファルトに凱旋式の権利を与えるか否かを問うた。
結果。
「ファルト、では共に帰ろうではないか、ローマへ」
「ええ、カトゥルス」
ファルトはカトゥルスと同様に、凱旋式を挙行することを、ローマ市民の強い要求によって認められた。
彼らローマ市民は知っていたのだ。
彼らが任せたファルトが、充分な仕事をしてくれたことを。
そして現在。
凱旋式を挙行した執政官あるいは前執政官は、ローマに対してお返しをするのが通例である。そのお返しとは神殿の建立であったり、浴場の建設であったりする。が、この時、そのお返しはカトゥルスのみであったらしく、ファルトのものは残されていない。
ただ、カトゥルスがカンプス・マルティウス(トッレ・アルジェンティーナ広場)に建立した神殿の神の名は。
ユートゥルナ、という。
【了】
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