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09 雨の不思議と雪の沈黙~閑話~

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 短いエピソードです。
 冬のある日の、静かなお話。
 リジー、ジョン、ふたりの視点。そしてもうひとり……。

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 1年を通して温暖で、降水量の少ないこの街に、雨が降ってきた。
 もちろん傘なんて持っていない。
 私は、雨に濡れながら家路を急ぐ。

 雨の日は不思議……。
 そう、いつもと違うさまざまな匂いがするから。
 草木は草木の、地面は地面の、建物は建物の。
 その匂いを頭の中のどこかで記憶している。
 それがなぜかとても懐かしく感じる。
 だから雨は嫌いじゃない。


 私のアパートメントの1階は、アンティークショップになっている。
 お店の中に、お客様に応対している黒髪の彼の姿をみつける。
 そこに彼がいるだけで、私はひどく安心する。
 この広い街で、ひとりじゃないことを実感できる。

 私の大好きで大切な彼は、いつもそこにいてくれる。
 それだけで、私の日常は幸せ。


*****


 雨はほとんど降らず、雪はまったく降らないこの街。
 それなのに雪をイメージできる僕がいる。
 もちろんテレビや本で見知っている。
 でも、それとは違う。
 古い記憶があるのだろうか。

 例えば、夜に雨が雪に変わる。
 暗い天空(そら)から降ってくる白い雪が、街灯に照らされている。
 その情景を鮮明に思い浮かべることができる。

 雪はなぜ無言で降るのだろうか。
 そして、いつの間にか静かに景色を白い世界へと変える。

 ずっと窓辺で、雪の沈黙の魔法を見ていたいと思う。


 今日も彼女がここに帰って来た。
 ただそれだけで心が安らぐ。
 世界でたったひとり。
 彼女がいるだけで僕の心は満たされる。

 彼女は僕のすべてだから。



♢♢♢♢♢♢


 遠く離れた地で、ひとり窓の外を眺める痩身で黒髪の男がいた。
 髪は白髪が混じり、濃い茶色の瞳は虚ろで、瞬きも忘れたかのようにただ開いているだけ。

 外は、雪が静かに舞っていた。
 すでにあたり一面、真っ白い雪に覆われた風景が広がっている。

 
 男は、キラキラと輝く同じ色の小さい瞳が、過去に自分の目の前にあったことを思い出していた。

『おとうさん、この白いのなあに?』

 絵本の上の、小さい指先に目を移した。

『ジョン、それは雪だ。雪っていうのは、空から音をたてずに降ってくるんだ。白くてすごく冷たくて、ふわふわしている。よく見るととても綺麗な形をしていて、掌の上に落ちた途端、掌があったかいから溶けて水になってしまうんだ。でもいっぱいいっぱい降ってくると、溶ける前にすべてを真っ白にするくらいいっぱいになる。そうしたら、ギュッとかためてスノウマンを作ることができるんだ』

『ゆき、いっぱい見たい。スノウマン、作りたい』

『もう少し大きくなったら、一緒に見に行こうな。一緒にスノウマンを作ろう!』
『うん、おとうさん。やくそくだよ』
『約束だ』

 約束は、自分の弱い心のせいで果たせなかった。


 男はいつまでも窓のそばを離れなかった。

 雪の中で遊ぶ黒髪の幼子、そしてその傍らに佇む、かつて妻だった儚げな女性の幻を、男はずっと見ていたいと思った。
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