星降る夜のから騒ぎ

名木雪乃

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① 信じられない頼みごと

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 その夜は、とても空気が澄んでいたように思う……。
 見上げると暗幕をかけたような空、その中に普段見ることのできない、ささやかな光を放つ控えめな星、それさえも認識できる。
 そんな星たちがいっぱいで、夜空はいつもよりずっと賑やかだった。
 特別な夜になることを暗示していたのかもしれない。

 楽しげなジングルベルが響き渡る季節、サンタクロースからの早めのプレゼントか、神の気まぐれか、それとも悪魔のいたずらか。


☆✳☆✳☆✳☆


 俺はその日、会社の新プロジェクトのリーダー会議のため本社のある某K市まで来ていた。会議が長引き、新幹線の最終に間に合わなくなったため、会社がビジネスホテルに予約を入れてくれるという。週末だし、せっかくだから一泊させてもらって明日ゆっくり帰ろうと思った。
 コンビニに寄って、下着や明日の朝食などを調達しながら繁華街にあるホテルに向って静かな坂を下る。本社は山寄りにあった。目の前に街のきらめくネオンが綺麗に見える。
 見上げるとそこには綺麗な星空も。星が低く感じることなんてあるのだろうか。今にも降って来そうなほど星が近い。
 何度か見ているこの夜景だが、今日ほど贅沢だと思ったことはなかった。

 この時期は、小さなビジネスホテルでも大きなクリスマスツリーが飾ってあって、ロビーは華やかだった。

 もうすぐクリスマスか、今年もひとり確定だな。

 俺のスマートフォンが鳴ったのは、ホテルにチェックインし、部屋にカバンを置いてすぐだった。すでに夜の十時をまわっている。

 佐久間さくま!?

 スマートフォンの画面に佐久間の名前が出た。スライドさせると、唐突に、

ーー『澤木さわきか?』

 俺の名前を確認する前に、おまえがまず名乗れよ。

「ああ。佐久間、俺だ」

ーー『おまえ、会議でこっちに来てたんなら、なんで飲みに誘わないんだよ、冷たい奴だな』

「冷たいって……。こんな遅い時間に妻帯者を誘うの悪いだろ」

ーー『相変わらず真面目だね。おまえは、結婚は? 付き合っている彼女とか、好きな女の子はいないのか?』

「今はいない。独り身だよ」

ーー『それなら……。あのさ、ちょっと頼みたいこともあるし、これから一杯付き合え!』

「え? これから?」

 まあ、明日ゆっくり帰るつもりだったので、佐久間に誘われるまま夜の街へ繰り出す。

 待ち合わせ場所のおでんの美味い店は、何度かふたりで来ていて、街の中心部のアーケード街から、脇道に入ったところにある。
 以前本社の研修でたまたま席が隣になり、なんとなく気が合い、なんとなく連絡を取り合うようになった佐久間とは、本社に出張で来る度に決まってここで会っていた。
 佐久間は俺と同じ年代の、営業マンらしい気さくな男だった。俺との違いは、ヤツは既婚者で、そして背が高く、見た目も良くてモテるというところだろうか。俺は真面目なだけの平凡な男だ。面白みも、男の色気も無い。
 複合ビルの地下に降りて、店のドアをあける。
 いらっしゃいませ、と威勢の良い女性店員の挨拶。ガヤガヤと賑やかな店内でも響く声。金曜日の夜とはいえ、こんな時間でも客が多い。繁盛しているようで、活気がある店だ。

「何名様ですか?」
「ふたり。あとから、もうひとり来るんで……」
「かしこまりました。カウンター席でしたらすぐご案内できますが」
「じゃあ、カウンター席でいいです」

 どう見てもひとりなのに、おひとりさまですか? とは聞かない配慮がこの店にはあった。
 そう、俺はおひとりさまだ。
 プライベートでは。
 ここ数年は仕事に没頭し、女性と関わりを持つことも無く、出会いも無く、気がつけば三十歳を軽く越えていた。
 特に焦りは無かったが、この時期はふと淋しくなり、柔らかく温かいぬくもりが欲しいと思うことが、人並みの男なら、いや、女だってあるだろう。
 たまに実家の母親から勧められる見合いの話を、仕事のせいにして断り続けていたが、そろそろ年貢の納め時かとも思う。今は好きな女性もいない。このまま、適当な頃合いで見合いをして、俺でも良いと言ってくれる奇特な女性と結婚するような気がしないでもない。
 カウンター席でひとり、先にビールと大根と玉子を注文。すぐに出された熱々のそれを、大の男がフーフーと、格好悪いことこの上ないが、仕方がナシだ。舌を火傷するよりかはマシだ。
 箸で四つに切ったうちの一切れを用心深く口に持っていった時、ポンッと肩を叩かれた。

「うわっ! あち……」

 大根をすべて口に入れてしまい、思わず声が出た。

「よっ、澤木! おまたせ」

 振り返ると、冴えないおれにさえ惜しげも無く朗らかな笑顔を向けてくれる美形イケメンがそこにいた。コートの襟をオシャレにたてたモデルのような着こなしもさまになっていた。

 結局、佐久間のせいで舌に軽い火傷を負った。挨拶の言葉に精一杯の皮肉を込める。

「久しぶり。遊び人め!」
「おう!」

 完璧な笑顔を堂々と返される。
 なんだか負けた気になる。

「すみません! 僕もビールと大根とつくね、頼みますっ!」

 佐久間がカッコよくスナップをきかせて片手を上げると、先程の女性店員が明らかに俺の注文時より五割増しの輝く笑顔で、かしこまりました、とすぐに反応した。ひがみっぽくなったのは、年齢のせいか。

 佐久間の注文したものも、すぐに運ばれてきた。

「まずは乾杯といこう!」
「何に?」

 とぼけてみせる。

「今日、この瞬間に!」

 何を言っても様になるヤツ。

「お疲れ」

 改めてビールを喉に流し込む。
 仕事帰りの一杯は、やはり美味い。
 佐久間は、ジョッキの半分近くもビールを一気に飲み干していた。
 よほど喉が乾いていたらしい。
 さらに俺がゆっくり残りの大根を味わっている間に、隣の美形はなぜか物凄い勢いで熱々の大根やつくねにがっついている。

「おい、そんなに腹が減っていたのか?」
「まあな。ところで、おまえの今夜泊まるホテルの部屋番号は?」
「確か七一四だったかな。それがどうした?」
「いや、気にしないでくれ。それより、おまえを見込んで頼みたいことがある」
「頼みたいこと? この俺に?」

 とんでもなく嫌な予感がした。

「お願いだから、マジで頼むから、断らないでくれ」

 知り合いから必死に頼まれると断りづらい。しかし、断るか断らないかは当たり前だが内容による。ビールを飲んで、間合いを……。

「端的に言う。この後一晩、ある女性の相手をして欲しい」

 ブグッ。噴き出すのを寸前で止めた俺を誰か褒めてくれ!

「真面目なおまえにしか頼めない」
「はああぁぁぁ?」

 何言ってんのこいつ!?

「おまえDTか?」
「は? DTってなんだよ?」
「知らないのか?」

 耳元で意味を囁かれ、絶句する。

「な、な、なんでおまえにそれを言わねばならん。ま、まあ、それなりに経験はあるが……」
「実は、その、おまえに相手をして欲しい女性というのは、僕の可愛い部下なんだが……」
「部下!?」

 本社で佐久間の回りにたむろしていた女性社員たちの顔を思い浮かべようとしたが、全く浮かばず、どの子なのか見当もつかない。

「ああ、ちなみにおまえの知らない子だよ。半年くらい前に部署替えで僕の部下になったから」
「そうか……。じゃなくてだな」
「その子、仕事はできるが三十歳になってもいまだにまともに付き合った男がいないらしいんだ。それで、まあ本人も年齢的に色々考えるところがあるらしく、とにかく男女の諸々のことを経験してみたいそうなんだ」
「じゃあ、相手をするというのは、まさか、俺にその子と……」

 寝ろというのか!!!?

「言葉通りだよ。一晩その女性の相手をしてくれないか」
「そんな頼み、きけるわけないだろ」
「まあ、そうだよな。SJの彼女が実際のところ、本当にSJを卒業したいと思ってるかは、僕にもわからない」

 SJ!? もしかしなくともDTと対をなす言葉だよな。

「彼女が望めばおまえは据え膳で美味しくいただけば良し、望まれなければ、それはそれで。おまえはどっちにしても失うものはない。まずは断るにしても会うだけ会ってくれ。可愛い子だから」
「俺に男娼になれと言ってるのと同じだろ。その子だって、俺だって失うものがある……」
「ぷっ。言い方、古っ! 大袈裟に考えるなって」
「それなら、おまえが相手を……。だ、だめだな。おまえ既婚者だ」
「そう、出来るわけないだろ、部下だぞ。それに僕には愛しい奥さんと子どもがいる。会社的にも社会的にもアウトだしエンドだ」
「だけど俺だって、セクハラとかで訴えられでもしたらアウトだし」
「それは大丈夫だ。保証する。頼む。彼女、知らない男でも後腐れなくてかえって良いとか本気で言い出す始末で。出会い系サイトにも手を出したみたいだし、心配なんだよ。その点、真面目なおまえなら安心だ。しかもDTじゃないなら彼女も気が楽だ」
「なんか絶対色々おかしい気がする」
「今夜彼女もおまえの泊まるホテルに部屋を取ってる」
「な、んだって!?」

 仕組まれてる!?
 用意周到じゃないかっ!

「おまえはただ単に彼女の部屋を訪れて、合意の上なら良い思いができるし、どうしても嫌なら話をつけて何もせずに帰って来てもいい」
「いいのか、おまえの部下を説教して泣かせることになっても!」
「それならそれで。とにかく任せる。できれば彼女の望む通りのことをして、鳴かせてやって欲しいけどね」
「無理だろ、おまえじゃあるまいし!」
「ありがとう、澤木! 恩に着る!」
「しょ、承諾してない!!」
「これ、彼女の名前と携帯番号と部屋番号。よろしく頼むな!」

 すでにジョッキと皿を空っぽにした佐久間は、手帳から破り取ったようなメモ紙を立ち上がりながら俺の目の前にバンと置いた。

「嘘だろ、おい! 待て、コラっ、佐久間!!!」

 颯爽と去っていく後ろ姿。俺の抗議の声は、周りの喧騒に埋もれる。
 佐久間が厨房から出てきたおでん屋の男と顔なじみらしいにこやかなやり取りをした後、何かを握らせたのが見えた。

 いち、いち、一万円か!?
 俺の分の勘定も入ってるってことか?

 ぼう然とする俺の前に、その男がそそっとやって来て、

「佐久間さんからお代はたくさんちょうだいしてますんで、好きに飲んで食べていってください」

 そう言って俺にウィンクした。
 オッサンにされてもな!

 それより、どうすりゃいいんだ俺は~~!!

 その後は、もちろん何も喉を通らなかった。注文したものだけは、なんとか食べ切った。佐久間から奢られる筋合いはないので適当だが千円札二枚を皿の下に置いて、頭を下げてフラフラとおでん店を出た。

 顔も知らない三十女(佐久間的には可愛い)を説教する未来しか、俺には無いのか。
 時計を見ると、すでに十一時近い。

 まずはホテルの自分の部屋に戻り、静かなところで彼女に電話をかけて、できれば会わずに電話だけで断りたい。

 こんなことしちゃだめだ。
 自分をもっと大切にするんだ。
 好きでもなんでもない男になんて、その綺麗な身体を捧げちゃだめなんだ。
 ありきたりなセリフしか出てこない。
 彼女の人生で重大な経験がかかっているのに。

 俺は急いでホテルに戻ると、ロビーにある豪華なクリスマスツリーには目もくれず、自分の部屋へ向かった。
 なんと言って諦めるように説得するか必死に考えていたせいで、目の前のありえない状況を、目に映っているにも関わらず、脳が認識しなかった。

 え?
 おい、おい、おい、おい!!

 俺の部屋の前あたりに、知らない女の子が立っている。気がつくのが遅れた!

 まさか!?

 だが、向こうも俺の顔を知らないに違いない。この階の宿泊客の振りをして、通り過ぎるのがベストだ。

 パッと見、三十じゃない。小柄でJKくらいにしか見えない。肩までのゆるふわの髪、モコモコの白いセーターにグレーのミニスカートに黒いタイツにショートブーツ。可愛い……格好が。
 佐久間が言っていたのは確かに間違ってはいないが。いやいや、それは置いておいて。

 緊張で心臓が口から飛び出そうだったが、平静を装って自分の部屋の前を、その子の前を通り過ぎる。この先は部屋も少なくその先にあるのは非常階段。
 その手前の部屋の前で、鍵が無い、とか慌てる仕草をして、戻って……。


 リリリ……リリリ……リリリ……。

 ? 俺のスマホが鳴っている?
 このタイミングで誰だよ。

 内ポケットから出してみるが、画面に出ているのは知らない番号だ。

 プツっ。

 切れた。

 リリリ……リリリ……。

 また鳴った。同じ番号。

 プツっ。

 切れた。

 ハッ!? まさか!!?

 恐る恐る振り返ると、スマホを片手に、見た目JKの三十女がニコリともせず、仁王立ちで俺に鋭い視線を投げて来た。
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