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続・WILL〜めぐる季節に想いをのせて〜

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 今年も桜の季節がめぐってきた。
 春は特別なお墓参り。
 彼の遺言通り、開花してから……。
 
 今年も一緒にお墓参りに行こうと、約束をしている人がいる。

 桜が咲いたら……。

 彼の思い出を共有する優しい人。私の遅い歩みにあわせてくれる穏やかな人。
 
 奥寺おくでらさんといると楽しいし気持ちが和む。一緒にいて安らげる大切な存在になっている。再会してから、ほとんど毎日LIMEでやりとりして、一、二週間に一度会って、一緒に過ごしていた。ドライブしたり、テニスをしたり、映画を観たり、食事したり。
 奥寺さんは、物腰が柔らかく、どんな相手にも分け隔てなく丁寧に接する。お店で買い物する時も、飲食店でメニューを注文する時も、爽やかな笑顔でお願いしますって。そんな奥寺さんの隣りにいられることが嬉しかった。

ーー心が落ち着いたらでいいから、かつてのサークル仲間じゃなくて友達以上みたいな感じで見てくれる?

 その言葉から一年、私は、未だに甘えたまま。

 前を向くって決めたのに、まだ過去を引きずっていた。こんな私に愛想を尽かすことなく、奥寺さんは傍にいてくれる。

『俺のことはいいんだ。鈴ちゃんの気持ちがちゃんと俺に向くまで待つよ』

 奥寺さんに優しく見つめられて、胸の奥まで見透かされてる気がして怯んでしまった。
 一緒に過ごす時間に比例して奥寺さんへの想いは深まっている。
 なのに、ふと胸に穴があいているような気持ちになる。

 高里たかさとさんは、もういない。


 昨年、高里さんのお墓参りの後、彼が亡くなったことを、奥寺さんとふたりでかつてのサークルメンバーたちに伝えた。みんな驚きながらも、彼の死を悼んでくれた。そして、お香典よりも記念になるような品を送ろうと、第一期メンバーのひとりで、今はデザイン関係の仕事をしている芳賀はがさんのアイディアで見開きの色紙が急遽制作された。
 左側には集合写真二枚とサークル活動中の記録として残してあった高里さんメインのスナップ写真、右側には当時活動していた全員の名前が記載されていた。

ーー高里 まもるさま、
充実したサークル活動をありがとう。共に素晴らしい時を過ごせたこと、生涯忘れません

 その高里さんへ捧げる言葉は、奥寺さんが考えてくれたもの。私たちみんなの想いを的確に言い表してくれていた。

 生涯、忘れることはない、彼の面影、彼の声。

 初夏に出来上がった記念の色紙とお花とお菓子を持って、奥寺さんと芳賀さんと三人で高里さんのご実家に届けに伺った。
 しばらくぶりに会った芳賀さんとは、お互い変わってないね、と笑みを交わす。芳賀さんは既に結婚していて、お子さんもいるとのこと。私たちは、もうそんな年齢なんだと実感させられた。


 高里さんのお母さまは、静かな笑顔で迎えてくださった。高里さんの涼しげな目は、お母さま似だった。
 色紙をお渡しすると、涙ぐまれた。

『わざわざおいでくださって、こんなに素敵な色紙も作って届けてくださって、護も喜んでいると思います』

 御仏壇には、高里さんとお父さまの遺影が並んでいて……。まるで背後から元気に現れそうなくらい、強い目の光の若すぎる遺影。信じられない気持ちで一杯だった。お焼香させていただいて、手を合わせながら、必死に涙を堪えた。
 高里さんのお母さまは、元気に振る舞われていたけれど、
 
『本当に親孝行な息子でした。父親が亡くなってからは、私たちを支えてくれました』

 そうおっしゃられて、顔を宙に向けられた。

 現実を目の当たりにした私は、途中から胸が苦しくなって、その後どうやって高里さんの家から辞したのか記憶が曖昧だった。 
 訪問のあと、芳賀さんと別れてから、奥寺さんの車の中で泣いた。お墓参りの時に散々泣いたのに、涙はまだ枯れてはいなかったようで……。奥寺さんはまた私が泣き止むまで、何も言わずにずっと待ってくれた。

 アルバムに載っていた集合写真は、テニス連盟の大会に初めて出場した時と、クリスマスの行事の時のもの。
 サークル活動が、懐かしく楽しかったと思えるのは、やっぱり高里さんと奥寺さんのおかげだ。
 
 ◆

 
『奥寺、鈴谷、クリスマス会で、ダンパをするのはどうかと思ってる』
『はあ!? ダンパ? それ、ダンスパーティのことだよね、それこそバブル時代の死語だよね。何言ってんの? 高里!?』

 やたらと奥寺さんがオロオロして焦っている。
 私も聞いただけで緊張してくる。

 ダンスパーティ!?
 ダンスなんて踊ったことない!
 それこそ高校の体育の授業の創作ダンスだけ。

『ほら、芳賀が社交ダンスやってるのは知ってるだろう? この前、機会があって、見学させてもらったんだけど、なんか良かったんだよな。それで、今年のクリスマスの行事にどうかと思ってさ。サークルの後に何回か教えてもらってクリスマス会の時、踊るのどうかなって。実は芳賀には快く了承してもらってる』
『社交ダンスってことは、男女がペアでくるくる踊るアレだよね。ひとりで適当に踊るんじゃないよね』
『そうだ』

 平然と返事をする高里さん。

『うわ、俺、いろんな意味で吐きそう』

 奥寺さんは、頭を抱えている。
 気持ちはわかる。私もだから。

 秋口から、サークル活動の後で芳賀さんによるオリジナルダンス教室が始まったのだった。
 芳賀さんは、男子メンバーの中では、高里さんや奥寺さんと同じ学年だけれど、どこか落ち着いていて大人っぽい雰囲気を醸し出していた。とにかくスラッと背筋が伸びていて姿勢が良く、髪も眉も綺麗に整えられていて、独特の存在感がある人だった。

 市民センターの貸しホールを借りて行ったダンス練習は、スタートラインがほぼみんな一緒だから、ワイワイガヤガヤドタバタと、思いのほか楽しいものだった。
 ダンスのダの字も知らないメンバーたちが、男女ペアで必死にステップをふんだり回ったり。たまに足も踏んだり……。
 まずは、芳賀さんが初心者用にアレンジしてくれたダンスのステップのパターンを体に覚えさせるところからはじまった。基本、それを自由に組み合わせて繰り返し踊る。男性がどのパターンにするか踊りながら決めて、女性がそれに合わせるというもの。ルンバとチャチャチャはそれぞれ五つのパターンを教わった。ワルツは十二歩で一パターンの繰り返しだけ。
 まずは、ルンバ? の音楽が流れる。まずは芳賀さんが男性パートと女性パートのお手本を見せてくれた。姿勢良く、優雅に踊るその姿に自然と拍手が沸き起こる。

『きみたちもちゃんと踊れるようになるから、頑張って。じゃあ、男女でペア作って』

 その日は、女子がひとり足りなかったので、芳賀さんが高里さんのペアになった。

 女性パートの芳賀さん(セミプロ)と男性パートの高里さん(ド素人)の対比に嫌でも注目が集まる。

『高里みたいな硬いロボットダンスは上手く見えない。イメージは、せめて上からキュッと吊られているリズミカルな操り人形で~』

 高里さんのムスッとした顔が印象的だった。

 私は当然のように、まずは奥寺さんとペアを組んで練習をすることになった。奥寺さんの手は、男性にしては少し繊細に見えたけれど、包み込まれるとやはり大きくてしなやかで、安心感があった。
 最初はぎこちなく手を重ねていたのが、とにかくステップやダンスのパターンを覚えることに必死で、異性と手を繋ぐ恥ずかしさなんてすぐにどこかへ消し飛んだ。敢えて言うなら、長く手を繋いで踊っていると自然にお互いの手が汗ばんで恥ずかしかった。特にワルツは、ずっと手を繋いで踊るから……。しかもいつの間にか力が入って、しっかり握られている。

『加藤、腕をもっと伸ばして! 奥寺、猫背なおせ、かっこ悪い! 鈴谷さんは足元見すぎ。顔を真っ直ぐ!』

 芳賀さんの容赦ない指摘、指導の声がかかる。

『は、はいっ!!』

 顔を真っ直ぐにしようと顔をあげたら、奥寺さんと目が合って、お互いに気まずくてふたりで小さく笑った。

『次は、パートナーチェンジね!』

 芳賀さんの声に、

『え!?』

 みんなザワついた。
 どうすれば、誰と練習する?

 と、焦っている間に、次々ペアが決まっていく。

 奥寺さんは一年の女子に声をかけられ、フロアの中心の方へ連れていかれた。奥寺さんのパートナーが決まって良かったと安心しながら、ひとり残されてポツンとしていると、

『鈴谷、俺でいい?』

 私の目の前に、顔をひきつらせ、無理矢理笑みを作っているような高里さんがいる。

『お願いします』

 誘いに来てくれて、私は嬉しかった。
 高里さんの手に包み込まれて、あの花銀山で感じたひとときの幸せを思い出す。
 でも、あまりの高里さんのポンコツぶりに、芳賀さんがすぐ傍にやって来て、手取り足取りの指導が入った。
 おかげで、パートナーの私の方はかなり上手くなった。最後に実際芳賀さんと踊ってみてわかった。とてもステップが滑らかでリードが上手で踊りやすい。

『鈴谷さん、覚えるの早いね。リズム感もいい』

 と、芳賀さんに褒められた。

『なるほどね。テニスのフォームも綺麗だと思ってたけど、鈴谷さんはコツを掴むのが早いね。それに体が教わった通りの形を忠実に再現できるんだ。筋がいいね。僕の社交ダンスのパートナーにならない?』
『!?』

 信じられないお誘いに足が止まって、姿勢の良い芳賀さんの胸に顔が当たってしまった。

『芳賀!』

 高里さんに、間に割って入られた。

『ここでの個人的な勧誘禁止!』
『はいはい。僕、結構本気なんだけどなあ』

 肩を竦めながら、芳賀さんは私たちから離れて行った。

『あいつ、どういうつもりだ。鈴谷、もう一回』

 少し乱暴な感じに高里さんに手を取られた。
 嫌な感じはしなくて、むしろドキリとした。高里さんの傍に引き止めてもらえたような気がして、一瞬頬が熱を帯びる。でも、すぐにおさまって、高里さんと私はステップのカウントを取りながら、ワルツの練習に興じた。

 それからというもの、当日まで毎週土曜日は、テニスの練習のあとにダンス練習。クタクタだったけれど、本番があるということで目的や張り合いも生まれ、みんな熱心に頑張っていた。
 その後、芳賀さんから社交ダンスのパートナーになって欲しいとの話は一切されなかった。内心また誘われたらどうしようかと思っていたので、ホッとしていた。


 そして、順調に練習の日々は過ぎて、クリスマス行事、ダンスパーティ当日を迎えた。
 当日は、ルールが予め決められていて、一曲ごとパートナーは必ずチェンジ。なるべく違うパートナーと踊ること。男女どちらが誘っても良い。
 服装もパーティなので、ドレスコードの指定ありだった。男子は必ず襟付きのシャツにジャケット着用、女子は可能なら少し華やかなスカートにパンプス。
 華やかなスカートというのに頭を悩ませたけれど、唯一それらしい従姉妹の結婚式で着た桜の花びらのような刺繍のある白いレースのスカートを白いブラウスに合わせた。そして靴は、しばらく履いてなくて慣れない白いパンプス。かっこ悪いけれど足が痛くならないように絆創膏を貼りまくった。
 ダンスがメインでもクリスマスの行事なので、実家の押し入れに入れっぱなしだった高さ一メートルもない古い小さなクリスマスツリーセットを持って行くことにした。
 会場係を頼まれていたので、早めに向かう。練習に使っていた市民センターの小ホールでの開催だった。
 会場に着くと、ほとんどのメンバーがいて、賑わっていて驚いた。みんな手伝うために早めに来てくれたらしい。
 デリバリーの軽いオードブルやノンアルコールのドリンク類もすでに長テーブルに並んでいるし、椅子も壁面に綺麗に並べられている。
 そして、カラフルな紙花や紙テープが、二期生の男女メンバーたちによって飾られていた。
 
『鈴ちゃん……』

 紺色のジャケット姿の奥寺さんが、おどおどと辺りを見回しながら、私を迎えてくれた。
 ジャケット姿で、髪も整えられてこざっぱりしている奥寺さんが、新鮮だった。

『奥寺さん、こんばんは。皆さん、ずいぶん早いですね』
『良かった、鈴ちゃん来てくれて。鈴ちゃん、可愛い……、す、スカートだね、似合うよ』

 奥寺さんが、照れながらも褒めてくれて、気持ちが上向きになる。

『ありがとうございます。奥寺さんも、きまってますね。素敵です』
『ほんと? ありがとう、良かった。まともな格好したことなかったから、自信なくてさ。高里と芳賀は会場の音響の打ち合わせに行ってる。鈴ちゃん、ツリーを持ってきてくれたんだ。ありがとう、会場がクリスマスっぽくなるね。あ、ツリーの組み立て、手伝うよ』
『はい、ありがとうございます』
『うん』

 奥寺さんは、小さいツリーの組み立てとオーナメントの飾り付けを楽しそうに手伝ってくれた。奥寺さんのこういった気さくなところに、いつも私の心は癒されていた。
 私たちがツリーの飾り付けを終わらせたころ、高里さんと芳賀さんが戻って来た。
 ふたりとも大学生にしては少し大人びていて、ジャケット姿がすごく似合っていた。芳賀さんは隙がないほど完璧な着こなしで、高里さんのことは正視できなかった。

『お、クリスマスツリー! 気が利くな、鈴谷。会場のムードが良くなった』

 高里さんに褒められて、心が躍る。

『いえ……、なんとなく持ってきただけです』
『気がつくのが、さすがだよね。それはそうと、鈴谷さん、今日は素敵な装いだね』

 芳賀さんの言葉も素直に嬉しかった。

『あ、ありがとうございます』
『あとできみと踊るのが楽しみだよ』
『……』

 きみ、なんて、言われて、息を飲んでしまった。
 思わず高里さんのいるほうに視線をずらしたけれど、高里さんはすでに奥寺さんさと何か別の話をしていて芳賀さんと私の会話はきいていないようだった。
 聞かれなくて良かったという思いと、聞いていたらどんな反応をしてくれたんだろうという思いが入り交じった。
 
 ツリーに付属してあったカラフルな電飾の点滅を見て、これから始まるダンスパーティのひとときに期待が広がる。会場の照明が少し落とされると、ツリーのイルミネーションが映えて、小さくてもそのきらめきはとても存在感があって綺麗だった。
 女子メンバーとも、だいぶ親しくなっていた私は、彼女たちの輪の中に自然と招き入れられ、今夜の服装は可愛いと褒められた。よくよく観察して、気がつく。みんなお化粧してるし、髪まできちんとセットしてある。洋服もスカートが少しフレアーが入ったものやワンピースで、かなり華やかだ。
 服は気にしても、そのまま化粧も何も施さず、普通の髪で来てしまった私は、やはりオシャレに慣れてないんだと痛感した。誰もそんなことは口にしなかったけれど、きっとそう思われていたに違いない。

 そんな卑屈な気持ちになった時、高里さんによるクリスマスイベント開始の挨拶が聞こえてきた。

『……テニスサークルなのにダンスパーティ、最初はみんな引いたと思うけど、なかなか女子と手を繋ぐなんてことできない野郎の集まりだから、この機会にぜひ周りを気にせず手を繋いでも、遠慮なく自分をアピールして楽しんで欲しいと思う! 女子もこの際、気になる男子と踊って品定めしてくれ。出来れば片目は瞑って、お手柔らかに。じゃあ、ミュージックスタート!』

 会場がどっと賑わいをみせた。

 音楽が会場に流れてくる。この曲はテンポの良いチャチャチャ。
 ダンスフロアに、着飾った男女がひしめき合う。サークルは、男子の比率が高いので、女子のミニ争奪戦。それが落ち着くと一部の男子は壁際の椅子にいた。
 私はいつの間にか近くに戻って来ていたらしい、奥寺さんから手を差し出され、ダンスのパートナーを申し込まれた。

『鈴ちゃん、踊ろう?』
『は、はい』

 目の端に高里さんが壁の椅子にいてくつろいでいるような姿が見えた。すぐは踊らないらしい。
 奥寺さんに優しく手を取られ、ステップを踏む。リズムに合った軽快な動きでリードされ、楽しく踊ることができている。
 男性は、ステップのパターンを瞬時に決めて、他のペアとぶつからないように配慮しながら踊るので大変だ。

『奥寺さん、上手です!』
『鈴ちゃんこそ。俺は家でちょっと練習してたんだ。鈴ちゃんに褒めてもらって、頑張った甲斐があったな。最初に鈴ちゃんと踊って、俺のこと印象づけたかったから』

 奥寺さんに優しく微笑まれて、ドキドキした。 
 一曲は踊ってみるとあっという間に終わる。

『残念、もう終わりだね』
『奥寺さん、ありがとうございました』
『うん、楽しかった。こちらこそ、ありがとう!』

 奥寺さんの温もりが静かに離れていった。と思ったら、奥寺さんが一年生の工藤くどうさんという可愛い女の子から差し出された手を、たどたどしく取っている。
 え? もしかして工藤さんのほうから誘ったの? 奥寺さんは、よく彼女から練習の時も声をかけられていた。彼女の積極的なところ、見習いたい。
 私も高里さんと、できればワルツを一回でいいから踊りたいと思っていた。
 誘われなかったら、私から誘う? 

『よそ見してないで、鈴谷さん、お願いします』

 私がそんなことを考えていると、芳賀さんが待ちかまえていた。優雅に本格的なお辞儀をされ、見惚れてしまう。

『はい』

 曲はルンバだった。
 芳賀さんに、手を取られ踊り出す。
 
 みんな、ダンスがさまになっている。教えられたパターンを覚えて、上手く踊れるようになっていて、楽しそうだった。

『鈴谷さんは、軽やかに踊るね。やっぱり動きが綺麗だ』

 芳賀さんに、そんなことを言われて頬が熱くなり、緊張に息が上がる。

『あ、ありがとうございます。芳賀さんの教え方が上手だったからです、きっと』
『まあ、そういうことにしておこうか』

 芳賀さんは、目を細めて肩を竦めた。そんな仕草もダンスの一部のように見えた。
 このダンスパーティの一番の功労者の芳賀さんのダンスを間近で見られて、一緒に踊ることができて、褒められて、それだけでもこのクリスマス行事に参加して良かったと思えた。良い経験をしたと懐かしく思い出せるに違いない。

『鈴谷さん、踊ってくれてありがとう。高里が来たよ』
『!? こちらこそ、ありがとうございました!』

 芳賀さんが手を振りながら、スマートにフロアに消えて行った。

 曲が変わって最初のワルツ。

『鈴谷、俺と踊ってくれ』

 高里さん! 気持ちが通じたのか、私を誘いに来てくれた!?
 自然に目を合わせ手を取り合う。

 足は羽根がはえたように軽く、心は舞い上がる。
 高里さんの手は、少し乾燥していて硬かった。彼の手の温もりを忘れない。
 少しでも長く踊っていたかった。
 こんなに幸せな瞬間てあるんだと浮かれて、未来に起こることなど何も考えてなかった。

 ◆

 時折、気まぐれのように思い起こされる過去の鮮やかな記憶。

 時は過ぎるのに、その思い出に、記憶の中の高里さんに、奥寺さんと私は、私たちは翻弄されて……。

『鈴ちゃん、もし今も高里が生きてたら、俺を選んではくれないよね』

 まためぐり来る桜の季節を前に、食事した後の帰り際、奥寺さんから苦しげに吐き出されたその言葉を愚かな私は否定できなかった。

『あ、ごめん、変なこと言って……。じゃあ、またね』

 奥寺さんは、私を家の近くまで送ってくれると、その日は慌ただしく背を向け去ってしまった。
 車の排気音が寂しく響き、私を置いて行ってしまう車が、もう戻らないようにも思えて、涙で滲んだ。

 待って……、私は……。

 その日を境に、奥寺さんのLIMEのメッセージが、ぎこちなく、妙によそよそしくなった。
 そして、会おうと誘われなくなった。
私の方から誘っても、

ーーごめん、今週は仕事が忙しくて、会えないんだ。

ーー今週末もちょっと用事があって、会えないんだ。ごめんね。

 会えない、と言われるばかりで。
 毎日LIMEで、その日の出来事などやり取りはしているものの、以前よりも隔たりを感じた。

 三週間が過ぎてもなお、奥寺さんと会えていなかった。

 奥寺さんに少しでも会えないことが、これほど心にダメージを受けるなんて思っていなかった。胸に穴どころじゃない、穴からビリビリと広がり裂けていくような痛みがあった。
 
 どんなに奥寺さんがかけがえのない、大切な存在ひとだったか、会えなくなってやっと気付くなんて。

 もう、遅いの?
 会いたいのに。
 もう、桜が咲いたのに。

 桜の季節は何度もこれからもめぐるのに。

 少しして、奥寺さんからLIMEが来た。

ーー週末、桜が見頃だろうから、一緒に高里のお墓参りに行こうか。

 奥寺さんにようやく会える!

 でも、会うのが怖い気持ちもあった。
 この違和感が、別れを告げられる予感じゃありませんように、と願ってしまう。

ーー悪いけど、直接お寺の入口の桜の木のところで待ち合わせでいいかな。
ーーわかりました。私、お花持っていきます。
ーーうん、俺も。お互い用意することにしよう。
ーーはい。

 交わされたのは、簡単なやり取りだけだった。

 ◇

 一年ぶりの桜の大木は、昨年と変わらず美しい枝ぶりを見せてくれていた。
 待ち合わせ時間より、かなり早くお寺に着いてしまったので、風にそよぐ淡いピンク色の花々を見上げて挨拶をする。

 また、来ました……。

 青空の上の高里さんを偲ぶーー。

『奥寺のこと、頼むな。鈴谷……』

 高里さん……、そのつもりです。
 もう、あなたを想っては、泣きません。

「鈴ちゃん、もう来てたんだ!?」

 背後から聞こえた奥寺さんの変わらない穏やかな声に、振り向く。

「お、奥寺さん、その首、どうしたんですか? それって、コルセットですよね」

 奥寺さんの首のまわりにはガッチリとしたコルセットが巻かれていた。
 まさか、何か事故とか?

 心臓に強い痛みが走る。

「す、鈴ちゃん、そんな泣きそうな顔しないで。いや~その、信号で後の車に追突されてね、軽い頚椎捻挫、むちうちってやつだよ。かっこ悪いったらないよね。心配させないように、これが外れるまで鈴ちゃんに会わない方がいいかなって思ってたんだけど、さすがに桜が散ってしまうからね、高里に悪いし……」

 眉を寄せ、情けないような表情を見せる奥寺さんに対して、様々な想いが膨れ上がる。
 これが、会えなかった理由?
 私が感じた違和感?

「そん……な、心配します! 頚椎捻挫って、そんなに酷かったなんて?」
「大丈夫だから。後遺症は残らないだろうって、先生が……」
「私に隠しごとはしないでください。隠されるより、心配かけてくれた方がずっとマシです! あんなこと言われた後だったんで、会えないって言われて、もう奥寺さんに愛想つかされたのかと思って、会えない間、辛かったです」
「え……? 鈴ちゃん、ごめんね。そんなに、辛い思いをさせてたなんて。あの時はごめん、高里と比べること自体おかしいって、わかってるつもりだったのに、どうかしてた。高里の分まで大事にしようと思ってたのに、鈴ちゃんの心を追いつめた。待つって言ったの俺なのに。ごめんね」
「悪いのは私の方です。奥寺さんの優しさに甘えて、曖昧な態度をとっていたのは私の方なのに。好きです、奥寺さんのことが。ずっとわかってたのに、なんだか私たちだけ幸せになっていいのかなって、高里さんに申し訳ないっていう気持ちがどうしても拭えなくて。本当にごめんなさい」
「鈴ちゃん、俺のこと好きって言ってくれて、ありがとう。すごく嬉しいよ。高里はさ、そんな器の小さいやつじゃない。絶対俺たちのこと、祝福してくれてる」

 奥寺さんの力強い言葉に、私は頷く。
 きっと、そう。

「そうですよね」
「鈴ちゃん。このコルセットがマジもどかしい。首が治ったら……」
「治ったら?」
「うちに来ない?」

 奥寺さんが、顔を赤くしている。
 部屋に誘われたのは、初めてだった。

「はい、行きます」
「そうしたら俺、鈴ちゃんとちょっとだけイチャイチャしたい 」
「はい……」

 ちょっとだけって、奥寺さんらしい控えめな言い方が、可愛いって思ってしまった。

 胸に響いた小さな鼓動は、大きくて確かなものになる。

「ところで、イチャイチャって、何すればいいと思う?」

 本当に困ったように眉を下げて笑う奥寺さんに、私もつられて笑っていて……。

「そうですね、私もよくわからないので、じゃあ、その時になったら、まずは抱きしめてみてください」

 え!?

 部屋で、と思っていたのに、すぐに優しく抱きしめられた。

「鈴ちゃんが好きすぎて、もう待てなかった」

 辺りに誰もいないみたいだったので、私も奥寺さんに身を任せた。
 この温もりを大切にしたい。離したくないと、心から強く思う。

 風に桜の花びらが舞う。
 ほのかな桜の香りが風に乗って辺りを漂っていて、私たちを優しく包んでくれているようだった。
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