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出会い編
17 誕生日の階段
しおりを挟む「じゃあ、おやすみ。クロウ、リジー!」
「ああ。またな、サム」
「サム、今日はありがとう。楽しい誕生日を過ごせたよ。おやすみなさい」
<スカラムーシュ>の前で別れ、サムは手をあげると楽しげに背中を揺らしながら帰って行った。
サムの後姿を見送ると、リジーはジョンを見上げた。
「ジョン、ありがとう、誕生日のお祝いをしてくれて。すごく嬉しかった」
最高に素敵な誕生日だったと、リジーは幸せを感じていた。
「うん、おやすみ。リジー、良い夢を。僕は一度店に寄ってから帰るよ」
「わかった。おやすみなさい、ジョン」
リジーはアパートメントの階段を上がりきってから思い出した。
母からの誕生日プレゼントのクッションが<スカラムーシュ>に置きざりだ。
すると、階下から声がした。
「リジー! 大事なクッションを忘れてる!」
ジョンが笑いながら階段下でクッションを抱えている。
「あ! ありが……と」
リジーは階段を降りようと足を出したが、ジョンとクッションに気をとられ、踏み外した。
「リジー!!!」
ジョンが血相を変えて瞬時に自分に手を伸ばした姿が、リジーの目に映った。
「うっ!」
次の瞬間、後頭部と右ひじに激痛が走った。
階段の途中で駆け上がってきたジョンに支えられた。
「リジー!! 大丈夫か!?」
薄目を開けると、ジョンが血の気のない怖い顔をしている。
最高に楽しい誕生日だったのに……。涙がじわりと目にうかぶ。
「ジョン……ごめんね」
ジョンに身体を支えられ階段に座っているのがわかる。
「どこが痛い? 頭を打ったな?」
「頭の後ろと、右肘がすごく痛い……背中も」
(痛い痛い痛い、情けない、なんでこんな)
「そうか……心配しなくても、大丈夫。このくらいでどうにかなったりはしない」
ジョンは用心深く、リジーの右腕を動かす。
「腕は折れてはいない。僕がわかるな。吐き気は? 眩暈は?」」
「吐き気も眩暈もしないよ。痛いだけ」
「立てる? よし……それなら移動しよう」
ジョンに手を支えられ立ちあがり、ゆっくり下まで階段を降りた。
(身体中が痛い……)
「歩けるから背骨も大丈夫だ」
ジョンの声に励まされながら、店の中に入り、ソファに座った。
「待ってて」
ジョンは店から出て行ったが、すぐにボウルとタオルを持って戻ってきた。
ボウルには氷が浮いた水が入っていた。タオルを冷やすとリジーの後頭部に静かにあてた。
「瘤ができてるね。病院に電話してくる。うつぶせになったら? このクッションが役に立ちそうだ」
いつの間にか母からのクッションがソファに置いてある。
(これを抱いて安らかに寝るはずが……頭がズキズキして痛い。当たり前だけど)
「診察は明日の朝になった。今日はこのまま冷やして寝よう」
痛みで何も考えられない頭のどこかで、ジョンのセリフを聞いた。
そのあと、リジーはジョンに付き添われて自分の部屋へ行き、一晩中ずっとベッドにうつ伏せになっていた。
時々痛みで目が覚めたが眠れたらしく、いつの間にか朝になっていた。
窓からの明るい日差しが眩しい。
ふくらはぎあたりに重みを感じて振り返ってみると、ジョンがそこに伏している。
リジーは茫然となった。
(まさか、一晩中ここに? 嘘でしょう? どうしよう、ジョンに看病させてしまった!?)
あごの下にある母のクッションに顔を埋めた。
「う、首が……」
ジョンの呟き声が聞こえ、足が軽くなった。リジーは顔をクッションに埋めたままで動けなかった。後頭部が優しく撫でられている。冷たいタオルがまた載せられた。
瘤の状態を確認したらしいが、それすらドキドキする。
「少し腫れは引いたか……」
ジョンの足音で部屋から出て行ったのがわかった。外から鍵のかかる音がした。
昨日部屋に戻ったとき、ジョンに鍵を渡して開けてもらったのを思い出した。
「お母さんのクッション、大助かりだよ」
右腕は普通に動かせる。あんなに痛かったのにジョンの言った通り骨折はしていなかったようだ。
身体も思ったより痛くない。後頭部の痛みは、鈍い嫌な痛みに変わって我慢できないほどでもない。
冷やしてもらったおかげで、この程度で済んだのだろうか。
でもとても今日は仕事には行けない。電話しなくちゃ……。そう思ったが、また眠気が来て意識を失った。
ドアがノックされる音に、起こされた。
「リジー、起きてる?」ジョンの声がした。
その声にすぐに頭が冴える。
「はい!」
鍵を回す音がしてドアが開いて、ジョンが入ってくる。
「ごめん、リジー。きみの部屋でうっかり寝てしまった。夜中には自分の部屋に戻るつもりが気が付いたら朝だった」
「そんなこと。私の方が迷惑かけたんだもん。その、疲れたでしょう? ずっとそばにいてくれて、頭を冷やしてくれて。……ありがとう」
「いや」
ジョンの髪が少し濡れているように見える。
シャワーを浴びてドライヤーもそこそこに急いできてくれたのかもしれない。
ぼーっとジョンの半乾きの髪を見ていたが、
「リジー、病院へ行くよ」
ジョンからきっぱりと告げられた。
「え?」
病院と聞いて緊張する。
「少しは動ける?」
「うん。大丈夫」
「じゃあ30分したら迎えに来るから、何か食べて出かける準備しておいて。いいね」
「……」
(いつも優しいけど、今は少し強引な感じ)
リジーはきっかり30分後に現れたジョンに、引きずられるように近くの病院へ連れて行かれた。
診察室に入ると、眼鏡の医者に頭を無造作に撫でられた。
リジーはびくりとする。
「見事な瘤だねえ、嬢ちゃん。クロウが検査してくれというから、頭の写真を撮るから」
瘦身のギョロリとした目に特徴のある初老の医者だった。
睨まれると怖い、カイルに匹敵する、とリジーは思った。
嫌と言えない。もちろん逆らえるわけもない。
(でも、嬢ちゃんって……)
「検査しますのでこちらへ」
作ったような笑顔の看護師に導かれた。
その後、ジョンに付き添われてようやく部屋まで戻って来た。
「きみがなんともなくて良かったよ。コリンズ先生はあんな感じだけど、すごく良い先生なんだ」
「へえ……」としか言いようがない。
思い返すと、看護師にまで『クロウさんのところのお嬢さん』と言われる始末で、まるでジョンの子供扱いだった。
「ジョンは先生にも看護師さんにも<クロウ>って呼ばれているんだね」
「ああ、先生の患者に<ジョン>が多いらしい。だから僕は<クロウ>になってる」
「そうなんだ」
リジーは思わずクスリと笑ってしまった。
不意にジョンが頬に優しく手を触れてきた。その手の温かさに、一瞬痛みを忘れた。
「これからも怪我には十分気を付けて。僕の心臓を何度も止めないでくれ」
「!……」
(それなら、ジョンだって私の息を止める……そんな優しい目をして私の心を射抜かないで)
「また様子を見に来るから、大人しくしていて。僕は店にいるから何かあったら、電話で呼んでくれてかまわない。ああ、これ、ごめん。ずっと預かってて。ターコイズくらいではきみを守れないな」
ジョンからターコイズのキーホルダーのついた部屋の鍵を戻された。
「ん……色々ありがとう、ジョン。おかげで何も不安がなかったよ。迷惑かけてごめんね」
「いや……じゃあ、店に戻るよ」
ジョンの眼差しは始終優しかったが、何か憂いを持ったような表情だった。
(ジョンに迷惑かけてばかり……)
ジョンが部屋を出て行くと、すぐに電話のベルがリジーの部屋に響き渡った。
何か大事なことを忘れていたような警告のように聞こえる。
「ハロー」
――リジー!! いたの? 良かった。でも、ちょっとどうしたの? 無断で店を休むなんて!!
マリサの焦ったような大きな声がリジーの頭に直撃する。
「あ~!! すみません!! ご連絡するのを忘れて、ご心配をおかけしてすみません!実は昨夜アパートメントの階段から落ちて、頭を打って、今朝急いで病院に行ったりしてて電話しようと思ってて、うっかりして……」
――なんですって!? 階段から落ちたって、大丈夫なの?
「はい、検査もしましたが大丈夫でした。骨折とかもしてません。頭に瘤ができたくらいで。すみませんが、今日はお休みさせてください」
――わかったわ。……ま、何? カイル?
電話口の向こうで何か揉めている声がする。
――電話貸せ!
カイルの声がしたと思った途端、
――おい!! 大丈夫ならきちんと電話寄越せ! 社会人の常識だぞ! 絶対連絡を忘れるな!! みんなに心配させんな、馬鹿!!
「す、すみません」
(カイルさん、みんなに心配かけちゃった)
――ちょっと、カイル、病人に……。リジー、あなたが連絡寄越さなかったんだから、カイルの口が悪いのは許してね。
「そんな、叱られて当然ですから」
――でも、カイルも、あなたがいつもの時間に来てなかったから、朝からすごく心配してたのよ。
――余計な事言うな! 馬鹿!
カイルのいつもの感じの声がした。
――実はスーザンが……昨夜あなたがオフィス街を長身の男ふたりに連れられて歩いているのを見たと言ってたの。だから攫われたり犯罪に巻き込まれたりしたんじゃないかって、店じゃ朝から大騒ぎだったのよ! この電話が繋がらなかったら、部屋まで様子を見に行こうと思ってたんだから。
「え……」
(スーザンに見られてたの? やっぱり私はふたりの獲物みたいに見えたんだ)
「ご心配をおかけして、すみませんでした。一緒にいた男の人たちはお世話になってる人で、母も知ってます」
――お母さまも? なら、安心な人たちなのね。
「はい。今後休む時は二度と連絡を忘れないようにします。本当にすみませんでした」
――よろしくね。ところで、ひとりで大丈夫なの? 食べるものとかあるの?
「大丈夫です」
――それならいいけど。じゃあ、お大事にね。明日も無理そうなら休んでいいわよ。
「はい、お休みするときは必ずご連絡します」
電話は切られた。リジーは大きくため息を吐いた。
(ダメな私、みんなに心配をかけて、迷惑をかけて……)
リジーはふと目に入った、母からの赤い封筒をあけてみた。
予想通りバースデーカードだった。
<リジーへ。お誕生日おめでとう! 元気で働いていますか。あなたはうっかり者だから、怪我や事故にはくれぐれも気を付けて生活しなさいよ。たまには電話で声を聴かせてね。ジョンにもよろしく伝えて>
(怪我や事故か。その通りになってしまった……)
せっかくの誕生日だったのに。リジーはがくりと項垂れた。
リジーは夜になってから、母キャシーに電話をかけた。
――ハロー。
少し懐かしくて明るい鈴のような声が響く。
「あ、お母さん、リジーだよ。電話するのが遅くなってごめんね」
――まあ、リジー、昨日はお誕生日おめでとう!
「ありがとう、誕生日プレゼントも届いたよ。ありがとう。欲しかったクッションだったからすごく嬉しかった。もう、大活躍で……」
――大活躍?
「あ、お母さんは変わりない?」
――変わりないわよ~。
「私がいなくなって寂しくない?」
――あなたがいないのはもちろん寂しいけど、お店には毎日お客様も来るし、昼間は寂しいなんて思う暇はないわ。毎日が充実しているわよ。
「それなら良かった。昨日の誕生日ね、ジョンと彼のお友達のサムが素敵なレストランに連れて行ってくれて、お祝いしてくれたの」
――それは良かったわね。ジョンによくしてもらってるのね。
「うん。すごくお世話になってる。昨日のお店ね、本当に素敵だったから、お母さんがこっちへ遊びに来たら一緒に行きたいな」
――ええ、楽しみにしているわ。リジー、ジョンにあんまり甘えちゃだめよ。
「そのつもりなんだけど、色々やらかしちゃって、結果迷惑かけてる。どうしよう……」
――やっぱりね。でも、心がけが大事よ。よく考えてから行動すること!
「はい、気をつけます」
――じゃあ、またクリスマス休暇に会えるのを楽しみにしてるわ。何かあったら電話してね。
「うん、ありがとう。お母さん!」
母の明るい声を聞くと元気になる。あまりくよくよ悩んでいても仕方がないという気になる。
リジーにとって母キャシーは、パワーの源のような存在だった。
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