森の底で拾った力は、僕を王にするらしい

嘘妻鷹雄

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第一章 森林の底で。

ラットしか狩れない僕の居場所

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冒険者ギルドの扉を押し開けた瞬間、空気が変わった。

 外の澄んだ朝の空気とは違う。汗と酒、金属と土の匂いが混じり合った、生きるための場所の匂いだ。高い天井から吊るされた魔導灯が昼間だというのに淡く灯り、鎧や武器がぶつかる音が絶え間なく響いている。

 ここに来るたび、胸の奥が少しだけ重くなる。

 ――それでも、来なければならない。

 僕、レインは壁際に沿って歩き、受付の前に立った。視線を上げると、木製のカウンターの向こうで女性職員がこちらに気づき、柔らかく微笑む。

「おはよう、レイン君。今日も潜るの?」

「……はい。森林型ダンジョンです」

 ギルドカードを差し出す。
 金属製のそれには、はっきりと刻まれたランク表示。

 E。

 見習いを脱した証。
 けれど、胸を張れるほどのものではない。

「依頼は……いつものラット討伐ね」

「はい。浅い階層だけで」

 彼女は一瞬だけ、心配そうな表情を浮かべた。

「無理はしないで。最近、帰ってこない冒険者もいるから」

「分かっています」

 本当は、分かっていない。
 危険の線引きなんて、僕にはまだ難しい。

 受付を離れた瞬間、背中に突き刺さるような気配を感じた。

「またあいつか」
「ソロでラット狩りとか、笑えるよな」

 わざと聞こえる声。
 笑い声。

 振り返らない。
 反論もしない。

 ここで言い返したところで、状況は何も変わらない。
 むしろ悪くなるだけだ。

 ――弱いから。

 それだけの理由で、僕は見下される。

 ギルドを出ると、朝の光が一気に視界へ流れ込んできた。
 石畳の大通りにはすでに人が溢れ、露店の呼び声が重なり合っている。

「魔除けの首飾りはいらんか! ダンジョン産の素材を使った正真正銘の品だぞ!」

 道の端では、アクセサリーを並べた露店が店を広げていた。
 銀色の指輪や革紐のペンダントが陽光を反射して輝いている。

 ……魔除け。

 一瞬、足が止まりかけた。
 孤児院にいた頃、そんなものを身につける余裕はなかった。今も、変わらない。

 視線を逸らし、通り過ぎる。

 次に目に入ったのは、武器露店だった。
 短剣、剣、槍。どれも使い込まれた中古品だが、手入れは行き届いている。

「兄ちゃん、Eランクならこの短剣がいい。軽くて扱いやすいぞ」

 声をかけられたが、首を横に振った。

 ――今の剣で十分だ。

 十分、というより、これ以上は出せない。

 通りの中央では、炭火の匂いが漂っていた。

「焼き串! 今朝仕入れたばかりだ!」

 肉と香辛料の匂いが、空腹を強く刺激する。
 無意識に腹が鳴りそうになり、慌てて歩調を速めた。

 一串分の銅貨があれば、今日の宿代が少し楽になる。
 食べたい、という欲求より、生き延びる計算が先に立つ。

 こうして街は、僕に「足りないもの」を次々と突きつけてくる。

 街門を抜けると、喧騒は徐々に遠のき、土と草の匂いが濃くなった。
 踏み固められた道の先、巨大な岩壁と古木に覆われた影が見えてくる。

 森林型ダンジョン。

 何度も通ったはずなのに、入口を前にすると自然と足が止まった。

 ――今日も、生きて帰れるだろうか。

 そんな考えが浮かんだ瞬間、頭の奥に別の記憶がよぎる。

     ◆

 ――あの日も、こんな朝だった。

 孤児院の中庭。
 洗濯物が風に揺れ、朝の光が差し込んでいた。

『ここは、十五までの子供の場所だよ』

 院長の声は穏やかだった。
 責める調子ではなかったからこそ、その言葉は重かった。

 十五歳。
 それは、守られる側でいられる期限。

 他の子たちのように、どこかの工房に弟子入りする話もなかった。
 商人に引き取られる話もなかった。

 ――僕には、何もなかった。

 門を出る前、教会の方を見た。
 金色の髪の少女が、祈りの時間に遅れまいと走っていく後ろ姿が、脳裏に焼き付いている。

 声をかけることは、できなかった。

 「またね」も、「さよなら」も言えないまま、僕は孤児院を出た。

     ◆

 ダンジョンの中は、外よりもひんやりとしていた。

 木の根が地面を覆い、湿った土の匂いが鼻を突く。
 遠くで水滴が落ちる音が反響し、小さな影が視界の端を走る。

 ラットだ。

 剣を抜き、慎重に距離を詰める。
 魔物の中でも最弱とされる存在。

 それでも、油断すれば噛みつかれる。

 一体、二体と倒し、素材を回収する。
 単調で、地味な作業。

 ――これが、僕の仕事。

 しばらく進んだところで、前方に複数の人影が見えた。
 同じ階層で活動している冒険者たちだ。

「お、いたいた」

 声をかけてきたのは、同じEランクの冒険者だった。三人組。
 装備も僕より良く、余裕のある態度をしている。

 嫌な予感がした。

「レインだっけ。ソロだよな」

「……はい」

「ちょうどいい」

 その一人が、足元に何かを放り投げた。
 どさり、という鈍い音。

 ラットではない。
 一回り大きい、別系統の魔物の死体だった。

「これ、処理しとけ」

 一瞬、意味が分からなかった。

「……それは、僕の依頼じゃ」

「俺たちは先行くからさ。時間もったいないだろ?」

 にやにやとした笑み。
 逃げ道を塞ぐように立つ体格のいい男。

 周囲を見渡す。
 他の冒険者たちは、こちらを見ないように通り過ぎていく。

 ――ああ、まただ。

 胸の奥が、じくりと痛む。

 断れば、どうなるか分かっている。
 次は、もっと酷い仕事を押し付けられるだけだ。

「……分かりました」

 そう答えた自分の声は、驚くほど静かだった。

 膝をつき、ナイフを取り出す。
 血の匂いが、森の湿った空気に混じって広がる。

 どうして、僕ばかりなんだろう。

 そう思いながらも、手は止まらなかった。

 ――誰かがやらなければならないなら。

 それを引き受けてしまうのが、僕だった。

 ナイフを拭い、解体を終えたときには、腕が重くなっていた。

 血の匂いが指先に残っている。
 魔物の素材を布袋に詰め、肩にかけると、ずしりとした重みが伝わってきた。

 ――本来、僕の仕事じゃなかった。

 そう思う気持ちと、
 ――でも、誰かがやらなければならなかった。
 という諦めが、胸の中で混ざり合う。

 押し付けてきた冒険者たちの姿は、もう見えない。
 彼らは先へ進み、僕だけが後始末をしている。

 いつものことだ。

 それでも、慣れることはなかった。

 荷物を抱え、足取り重く歩いていると、やがて視界が開けた。
 木々の密度が下がり、魔物の気配が薄れていく。

 ――安全地帯だ。

 ダンジョンの中にある、数少ない“息ができる場所”。
 簡素な建物が点在し、冒険者たちが思い思いに休息を取っている。

 武器を手入れする者、食事を取る者、仲間と談笑する者。

 その光景を見た瞬間、胸の奥が少しだけ緩んだ。

 僕は荷物を下ろし、水を飲むために歩き出す。
 その途中で、視界の端に白い布が揺れた。

 教会だ。

 安全地帯の一角に建てられた、小さな建物。
 木造で、質素だが、扉の前に立つと不思議と心が静まる。

 ……どうしてだろう。

 気づけば、僕はその扉の前に立っていた。

 軋む音を立てて扉を開けると、外のざわめきが一気に遠のく。
 香の匂い。
 柔らかな光。

「……え?」

 奥で床を拭いていた修道女が、顔を上げた。

 金色の髪。
 碧い瞳。

 一瞬、時間が止まったような気がした。

「……レイン?」

 名前を呼ばれた、その一言だけで、胸の奥が強く揺れる。

「……リア……?」

 同じ孤児院で育った、同い年の少女。
 教会に残り、孤児院を支える道を選んだ人。

 最後に顔を合わせたのは、僕が孤児院を出たあの日。
 それ以来、一度も話していない。

「本当に……レインなんだ」

 リアはそう言って、ほっとしたように息を吐いた。
 その表情を見た瞬間、胸の奥に溜まっていたものが、少しだけほどける。

「冒険者になったって、噂では聞いてたけど……」

「うん。なんとか、生きてる」

 本当は、ぎりぎりだ。
 弱くて、情けなくて、毎日必死で。

 でも、彼女の前では、それを言えなかった。

 リアは、孤児院に残った。
 僕が出ていったあとも、あの場所を守り続けている。

 その事実だけで、彼女は僕よりも強い気がした。

「無理、してない?」

「……してるかもしれない。でも、やめられない」

 少しの沈黙。

 リアは小さく微笑んだ。

「よかった。生きててくれて」

 その言葉が、胸に深く染み込む。

 短い祈りを捧げ、教会を出ると、空気が少し違って感じられた。
 重かった足取りが、わずかに軽くなる。

 ――帰る場所が、完全になくなったわけじゃない。

 そう思えただけで、救われた気がした。

     ◆

 掲示板の前では、数人の冒険者が依頼書を見比べていた。
 その足元で、紙を拾い集めている少女がいる。

 黒髪。
 眼鏡。
 地味な服装だが、立派な杖を抱えている。

 何かに追われているような、落ち着かない雰囲気。

「……それ、落としましたよ」

 拾った依頼書を差し出すと、少女は一瞬だけ肩を強張らせた。

「……ありがとう」

 短い礼。
 視線は鋭く、どこか警戒している。

「……名前」

「…あっ……レイン」

「そう……」

 それ以上、会話は続かなかった。
 彼女は紙を受け取り、人混みに紛れるように去っていく。

 ――変わった人だ。

 けれど、不思議と印象に残った。

     ◆

 飲食店の前で水を飲んでいると、視界が影に覆われた。

 見上げる。

 そこにいたのは、圧倒的な体格の女性だった。

 赤髪。短髪。
 背中には、自分の体と同じくらいの巨大な盾。

 近くに立つだけで、空気が変わる。

 強い。
 理屈じゃなく、そう感じた。

 彼女は一瞬だけこちらを見下ろし、何も言わずに通り過ぎていく。
 鎧――いや、ほとんど鎧とは呼べない装備から、歴戦の雰囲気が滲んでいた。

 ――前に立つ人だ。

 誰かを守るために、盾になる人。

 その背中を見送りながら、胸の奥に小さな感情が芽生える。

 羨望。
 そして、ほんのわずかな憧れ。

     ◆

 安全地帯を後にし、再び森の奥へ進む。

 今日は、もう無理はしない。
 そう決めていた。

 それでも、心は不思議と静かだった。

 孤児院を出てから、ずっと一人で歩いてきた。
 誰にも期待されず、誰にも守られず。

 ――それでも。

 今日、三つの線が、確かに交わった。

 祈りの場所で再会した、過去。
 違和感を残す、謎の少女。
 圧倒的な強さを持つ、盾の背中。

 まだ何も始まっていない。
 けれど、確実に何かが動き出している。

 剣の柄を握り直し、僕は一歩、前へ進んだ。

 この先に待つものを、まだ知らないまま。
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