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追憶の檻

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「僕の前に現れたのはユアン叔父さんだった」

 私達3人は「話を聞かせて欲しい」というパトリックの依頼で署のコンファレンスルームにいた。
 あの後、3人で干からびた夢幻樹の中から囚われた人々を引っ張り出し、息があることを確認した上で救急隊に後を任せた。
 救急隊が到着する前に干からびた夢幻樹は私がルーン魔術で起こした炎で焼き払った。
 アンドリューが「ニューヨークの新名所になるかもしれないぞ」と発言したが無視した。

 署のコンファレンスルームに到着し先に私が「自分の前に現れたのは母、モリ―・フィッツジェラルドだった」と話すとアンドリューも自分の見た幻影、ユアン・マクナイトの話を始めた。
 アンドリューはいつものニヤケた顔で飄々とこう語った。

「ドワーフみたいにむさくるしい毛むくじゃらな顔、品性の欠片も感じない語り口、聞いたら子供が泣き出しそうなしゃがれ声、下ネタと人種ネタを中心にした高尚な発言。
……それに僕を常に見守ってくれていたあのまなざし。
全てがユアン叔父さんそのものだった。満ち足りた気分だった。
正直このままでも良いかなと思ったよ。
だけどひとつだけ、どうしてもその"ユアン叔父さん"に質問したい事があった。
そこで望む答えを得ていたら僕も戻ってこられなかったかもしれない」

「なんて聞いたんだい?」
「『叔父さんはあの時、最後になんて言ったか覚えてる?』ってね」

 彼の亡き叔父、ユアン・マクナイトはある捕物で機上でターゲットを捕えたまではよかったものの、そのターゲットが体内に隠し持った使い魔で乗員乗客を全員巻き添えにし結果、機体も制御不能に陥った。
 手段を失ったユアンは地上への被害を抑えるために機体ごと上空で自爆したと聞いている。

「それでその『ユアン叔父さん』はなんて答えたんだい?」
「『アンドリュー、しっかり生きろ。簡単にくたばるな』とさ。大問題だ。
叔父さんはそんなまともな事は言わない」
「じゃあ実際はどうだったんだい?」
「叔父さんは最後にこう言ったのさ。
『坊主、ハギスは不味いからもう食うな。あれは人の胃袋に入れるものじゃねえ、クソと一緒に下水に流すものだ』ってね」

 そこで彼は目の前に置かれた、インクを溶かしたような薄いコーヒーを飲みほしてこう続けた。

「……アンナ、以前君には話したと思うが僕は叔父の最後の瞬間地上から無線でずっと連絡を取り続けていた。
だが、よりによって最後の言葉がそれとはね。
叔父さんのハギス嫌いは筋金入りだったようだ」

 私とアンドリューが話終わると室内はいつにないシリアスな空気に包まれた。
 当然だ、私も彼も今日2度目の悲しい別離を体験したばかりなのだ。

 沈黙を破ったのはアンドリューだった。

「さて諸君、事件が解決したところで早速夜の街に繰り出すぞ」

××××××××××××××××××××××××××××××

 時刻は深夜2時半。
 いつもの通り、泥酔してクラブをハシゴし深夜営業のコリアンレストランで食ったBBQをすぐさま仲良く路上にぶちまけると、「オイルを抜いてこよう」と発言して立ち小便を試みたアンディを刑事として必死に止めてホテルにまで送り届け――気が付くと俺はアンナの住むロウアー・イースト・サイドにある古びたテネメント(※1)の部屋の固いカウチの上で寝ていることに気が付いた。
 体を起こして周りを見渡す。
 俺の足元ではアンナが紫煙を燻らせていた。
 起きあがった俺に気が付くと彼女はこう言った。

「あんた酷い有様だったよ」

 いつもは俺とアンディの乱行に眉をひそめ途中で帰宅する彼女だが、今日は最後まで付き合ってくれたようだ。
 彼女は立ち上がり、冷蔵庫に行くとボトルウォーターを取り出し俺に差し出した。
 感謝の言葉とともに冷たい水を一気に飲み干す。
 無性にタバコが吸いたかった。
 部屋主に一言断りを入れるとポケットからラッキーストライクのソフトケースを取り出し燃費の最悪なオイルライターで火を点ける。
 彼女もまた遠い目をして紫煙を燻らせていた。

「なあ、アンナ」

 俺の問いかけに彼女が答える。

「なんだい?」
「あんたのお袋さん。モリ―さんは最後なんて言ったんだ?」

 少しデリカシーに欠ける発言だったか――黙ったまま彼女は下を向いて煙を吐き出した。
 俺は彼女の様子を見て取り繕うように言った。

「なに、話したくなきゃ構わねえ。
今のは、酔っ払いの戯言として聞き流してくれ」

 彼女は吸いさしほどに短くなったタバコを灰皿に押し付け消火すると続けてこう言った。

「あの日、私と母さんは2人で仕事に出た。
親父がボストンに出張中だったからね。
いつもの簡単な悪魔払いだと思ってかかったが――相手は思ったより強力な奴だった。
それに私はまだ未熟で、母さんは荒事向きじゃなかった。それだけだ」

 彼女の顔を覗き込む。
 彼女の表情はいつものタフでクールな鉄面皮ではなく少し柔らかい感じがした。

「母さんは私をかばって、そいつを体に取り込むと自分の霊体ごと押しつぶした」
「……それって、この間クロウリーがやった方法じゃないか?」
「肉体を崩壊させる寸前まで自分のエーテルを膨張させるのはミクロ単位の精密なコントロールが必要だ。
母さんは1流の魔術師だったけど、クロウリー程じゃない。
あんな芸当は私だってできない」

 そこで1つ息を大きく吐き出すと彼女はこう続けた。

「今思うと大した相手じゃなかったんだと思う。"あの時親父がいれば"とか"私がもっと強ければ"とか考えたことも1度や2度じゃない」

 アンナとコンビを組んでもう6年経つが、始めて聞いた話しだ。
 俺は彼女の話にようやく「そうか」と一言だけ相槌をうった。

「あ、そうそう母さんの最後の言葉だけどね」

 彼女は思い出したように、ごく軽く口にした。

「母さんはまずこう言ったんだ。
『アンナ、強く生きなさい、でも品の無い言葉はもう少し慎んで』って――」
「それで?」

 俺はそう言って彼女の言葉の先を促す。

「それで――母さんは続けてこう言った。『パパ、マシューに伝えて。愛してるって。それとダイエットコークを飲むだけじゃダイエットにはならないから気を付けて』ってね」

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※1…レンガ造りの古い集合住宅のこと。ロウアー・イースト・サイドに多くみられる。
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