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少年と鬼

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 30分後、我々3人は18番目の犠牲者の
「犯行現場」に来ていた。

 現場は郊外にある自然公園だった。
 事件の影響か人影はまばらで空模様が怪しいことを除けば
緑に溢れ、静かな心安らぐ場所と言えなくもなかった。

 感覚を研ぎ澄ませ、魔力の解析を始める。
 わずかだが魔力の残滓が感じられた。

 おめでとう坊や。
 魔法も鬼も実在することが証明できた。

 その後、今後の計画を議論した結果、私はコウイチ少年を小さなワトソンとして従えるハメになった。

「ヒノサキ、どうしてあんたは同行しないんだい?」

 私は当然の疑問を投げかけた。
 ヒノサキは言った。

「私はあなたの義手を作らなきゃいけないから。
左手の無い生活をもう少しエンジョイしてみたいならどうぞ。
あ、片手生活の感想は聞かせてね、すごく面白そう。」

 結果、私はコウイチ少年を通訳兼探査機として従え、毎日学校の放課後二人だけのパトロールに出ることになった。

 その日、ヒノサキから私に心温まるギフトが2つあった。

 1つは暫定的な義手で本人いわく「出来はイマイチ」
とのことだったが強い拒絶反応もなく魔力の通りも悪くないなかなかの逸品だった。

 謙虚なのは結構なことだがこの変態は謙虚になるべき個所が心霊医術だけに限定されているのは
困ったところだ。

 もう1つの贈り物は情報で今まで起きた18件の事件の発生場所についてだった。

 新聞やテレビやネットからも入手可能な情報ではあったがニュースソースとして扱いが小さいこれらの事件の断片を
つなげ合わせるのはかなりの骨であったろう。

 その点は素直に感謝することにした。

 またヒノサキは事件の起きた場所を線で結ぶと円形になるというごく簡単だが
非常に興味深い事実を導きだしていた。

 実にわかりやすい。
 相手は術師としてはどうか知らないが犯罪者としては素人もいいところのようだった。
 
 この円の範囲内を探索すればその内、感動の初対面を果たせる可能性が高いわけだ。

 私はコウイチに翌日学校の放課後に迎えに行くことを約束し、宿泊しているシティホテルに戻った。

 ホテルの建物はかなり年季が入っていたがよく手入れが行き届いており
なかなか快適だった。

 私がエントランスに入るとまるでアラブの王族を相手にするように
ホテルマンたちに迎えられた。

 この国の清潔さと接客態度は素晴らしい。
 素晴らしいが行きすぎだ。
 きっと10ドルのチップを払えば部屋のクリーニングの上に
靴の裏を舐めて綺麗にするオプションまで付けてくれるに違いない。

 私はそのような思索に耽りながら近くのフードショップで購入した
ライスのような味のする青臭い風味の缶ビールを2本開け、煙草を5本灰に変えるとベッドに入った。

 翌日、14時50分きっかりに私はコウイチの通う小学校の正門前で待っていた。
 小学校は閑静な――そしてやはり無個性な建物が立ち並ぶ――住宅街の1角にあった。

 チャイムが鳴り児童たちが校舎を出てくる。

 私の前を通り過ぎていく児童たちは一様に私のことを好奇心を持った目で見た。
 彼らにとって赤毛の外国人は物珍しいものなのだろう。

 オーケー、いくらでも見ていってくれ。
 私はさながら動物園が目玉にするレッサーパンダの子供のように観賞されることを受け入れた。

 それから10分ほど待ってコウイチが出てきた。
 彼は2人の少年――おそらく友達なのだろう――と連れだって出てきた。
 そして私の姿に気がつくと2人の友達から離れ小走りで私のもとにやってきた。

「ハイ。坊や。良い子にしてた?」
少年は「ハイ」とは返さずにこう抗議した。

「アンナ、校門の前で待ってなくてもいいだろ。
お陰で目立って恥ずかしかったじゃないか」

 私はこう返した。

「コウイチ、あんたは一緒にいるのが恥ずかしいような相手を相棒に選んだの?」

 コウイチの顔は不服そうだったが、彼の口から特に反論は返ってこなかった。

×××××××××××××××××××××××××××××××××××××××

 その後我々はヒノサキの情報をもとに円の範囲内の探索を始めた。

 しかしながら何の成果も得られないまま3時間が過ぎた。

 日差しも弱まり陽が傾き始めたころ、私とコウイチは住宅街にある小さな公園のベンチに座り
ベンディングマシーンで購入した冷たいソーダでのどを潤していた。

 もう時間も時間だからか園内は閑散としており我々以外の利用者はゴミ箱を漁っているホームレスと
ベンチでランチボックスをプラスチックカップの安酒で流し込む中年の男だけだった。

 私は不思議な味のする乳白色の甘いドリンクを飲み干し空き缶を20フィートほど離れたダストボックスに投げ込むと
コウイチに今日はこれまでにしようと提案した。

コウイチは私の提案に賛成し飲み干したドリンクの空き缶を――私と同じように――
 ダストボックスに投げ込もうとして的を外した。
私は立ち上がり彼が的から外したスチール缶のダーツを拾って、ダストボックスにシュートした。

 その時だった。
 異変を感じたのは。
 私はこの違和感の正体を知っている。
 何者かが結界を張ったに違いない。

 気が付くとホームレスも哀愁漂う中年男も姿を消していた。
 コウイチも何かを感じ取ったのか体を震わせこういった。

「来る…サチを食ったやつが…」

 公園の入り口を見るとそこには身長7フィートを超える赤銅色の巨人と
モノトーンの時代がかった衣装に顔を覆う大きなストローハットのようなものをかぶった男が立っていた。

 そのストローハットのせいで男の顔は伺えなかったが、男が驚きを感じているのが分かった。
 無理もあるまい。
 人避けの結界を張ったのに目的の少年以外の異物が結界内にいるのだから。

 そして男は何かに気づいたように言った。
 日本語はわからないが何を言ったのかは想像がつく。

 きっとこうだ。

「そうか…お前もこちら側の人間か」

 私は奴らをけん制しつつコウイチに聞いた。

「コウイチ、まだ妹の存在をあの化け物の中から感じる?」

 私は少年の表情を確認した。
 コウイチは震えながらも大きく頷いた。

 ところがこのよそ見が余計だった。

 その時、モノトーンの男が小さく日本語で何か詠唱した。

 するとコウイチの体が硬直しボウッと光ると淡く白い光を放つ何かが飛び出していった。

 ――しまった!
 あれは霊体を吸いだす詠唱か!

 少年の霊体は飛び出すと速度を速めて術者のもとに飛行する。

 私は対象に向かって全力でチャージし、ヒノサキ特制の左手を差出して――少年の霊体をそっと優しく掴んだ。
 キャッチは見事成功、流石はヒノサキの製造品だ。

 私は霊体が飛び出し、抜け殻になった少年の体に視線を移す。

 あとは少年の体にこの左手でペイトン・マニング張りにタッチダウンを決めるだけだ。
 距離にしてわずか15ヤード。

 しかし、私の行く手には赤銅色の巨人が立ちはだかっている。
 わずか15ヤードが限りなく遠い。

 ゴールラインを超えるまでに1度でもタックルを貰えば――私の体はジェリーの罠にはまったトムのごとく
叩き潰されてテッシュペーパーみたいにペラペラになるに違いない。

 精神を研ぎ澄まし、戦闘態勢に入った。

 自由になる右手でルーン文字を描き、炎を放つ。
 巨大なスレッジハンマーのような形状の炎が対象を包み込む。
 ただ炎はほんの少しの煤を敵につけただけだった。

 炎が駄目なら氷だ。
 氷のルーン文字を描き、氷の塊を叩きつける。

 ――効果なし。
 奴は何も無いかのように平然と私に突っ込んできた。

 ホルスターから愛用のSIG P229を抜き後退しながらトリプルタップで銃弾を放つ。
 銀で鋳造し、私の魔力を込めた特別製の魔弾だ。

 だがその結果は貴金属の無駄遣いに終わった。

 異形の巨人は委細構わず突進してくる。

 やむを得ない。
 こうなったら物理的攻撃だ。

 私は9回2アウトまでノーヒットノーランを続けるクレイトン・カーショウ相手に打席に立った2Aから昇格したばかりルーキーのごとき絶望感を感じながら
愛用のファイティングナイフを抜くと鋭利さを魔術で強化しデカブツの体のど真中めがけて両手で思い切りナイフを突き立てた。

 ――やはりと言うべきか
 砕けたのはナイフの方だった。
 工業用ダイヤモンド並みの硬度があったはずだが奴の体には掠り傷1つついていなかった。

 クソッ
 ダイナーで出てくる安物のステーキ肉みたいに固い皮膚だ。

 私の間合いまで肉薄した巨人は、巨体に似合わない俊敏な動きで長い手を伸ばし私の体をがっちりホールドした。

 とっさに体の周囲に障壁を張り、人体の押し花になることは逃れたが
 なんて馬鹿力だ。

 体を巨大な万力で締め付けられているようだ。
 酸欠を起こし、意識が遠のいていく。

 左手で握ったコウイチの霊体を意識する。
 ここで気絶するわけにはいかない。
 文字通りこの少年の命運は私の手の中にある。

 だが気持ちは頑張れても体は正直だ。
 徐々に遠のいていく意識の中――夢か現か、ピクニックにでも来たような
誰かたちの賑やかな声が聞こえた気がした。

 夢にしてもこいつは酷い悪夢だ。
 そんな感想が浮かび、そして私の意識はブラックアウトした。

×××××××××××××××××××××××××××××××××××××××

 目が覚めた時私の体はまだ押し花にはなっていなかった。
 あたりを見回し、自分がどこにいるのか確認する。

 どうやらここはヒノサキのオフィスで、私が寝ているのはヒノサキのオフィスの寝心地が最悪な
カウチのようだった。

 となりのこれまた寝心地が最悪に違いないカウチではコウイチが小さな寝息を立てて寝ていた。
 見た目は問題なさそうだ。
 私はコウイチの状態を確認するため体を起こした。

 ハードタックルをしこたま食らった試合後のランニングバックのように体が痛んだが
這うようにして少年の元までたどり着き解析を開始した。

 体のどこにも問題はないようだ。
 私は安堵の息をもらし、少年の柔らかい髪をすいた。

「お目覚めみたいだね」

 この部屋の主――ヒノサキはコーヒーカップを持って現れた。

 私はヒノサキからコーヒーカップを受け取り彼女が淹れてくれたインクを溶かしたような
薄い味のコーヒーを1口すすり尋ねた。

「あんたが助けてくれたのか?」
「あなたたち2人をここまで連れてくるのは結構大変だったよ」

 この距離を運んできたということはあの悪趣味なカラーリングのヒノサキの愛車に乗せられてきた
ということだろう。

 意識の無い自分があの悪趣味なカラーリングの車で運搬される姿を想像することはあまり気持ちの良い物ではなかったが
私は素直にヒノサキの感謝を述べた。

 しかし心の底から感謝するのはまだ早い。
 私はいくつかの疑問をヒノサキにぶつける。

「あの時、意識を失う前に何人かの声が聞こえた気がしたけど。
あれは誰だい?他に協力者でもいるのかい?」

「あれは私の作ったオートマ―タ自動人形、エーテルで作った疑似人格を入れて人間らしく振舞えるようにした人形だよ。
この国の術師はね、西洋の術師以上に神秘の秘匿に敏感なんだ。
賑やかな一般人の集団が近くにいるように装えば、自分から逃げて行ってくれるっていうわけ」

 なるほど暗示を与えた一般人でも使ったのかと思ったが
 感心だ。無関係の人間をあんな修羅場に巻き込むのは気が引けたか。
 ヒノサキにもそれぐらいの良心はあるらしい。
 それに魔術師の習性を良く理解している。
 素晴らしい、ここまでは文句のつけようがない。

 私はさらに続けた。

「そうか。それで、もう1つ確認だけど
どうして私の居場所が分かった?」

「簡単だよ。
施術の時に義手と腕の接合部分に発信器を埋め込んでおいたんだ
――アンナも気づかないなんて迂闊だな。
トモダチからの送りものでも、中身はちゃんとチェックしなきゃ」
「どこの世界に自分の腕を切り開いて中身を見てみようなんて思考の持ち主がいるんだ?」
「私なら見るよ」
「このヘンタイめ」

 なるほど、ずっと左手から感じていた違和感の正体はそれか。
 まだ義手がなじんていないのが原因かと思っていたが単純に異物が入っていたからか。
 それにしてもなんて悪趣味な奴だ。

 私は軽い怒りを感じながら、もう1つの疑問をヒノサキにぶつけた。

「まあ、とにかく助かった。
でも、わかっていたなら、もう少し早く助けに来て欲しかったところだね」

ヒノサキの回答はある意味では予想外であり、またある意味は予想通りのものだった。

「ごめんね。アンナが苦戦している姿が面白くって――
ついつい助けに入るのが遅れちゃった」

 ごめんと言いつつも、少しも悪びれることなく満面の笑顔でヒノサキはそう言った。

 私はほんの少しでもヒノサキに感謝の気持ちを持ったことを後悔した。
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