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商いバイブルシリーズ1
宵闇の街
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私の居た地方は、九州の田舎町でありました。私の母はさきえ、父は友三郎といいました。母は私のことを只、しょうこと呼んでいました。
ある日、父の友三郎は私に
「お前はこの家を出なくてはいけない。いいか。ひとりで暮らしてみるんだ。自分で生きていく方法を見つけてごらん。」
といいました。
私は独り家を出ることにしました。近くの町まで来ると、同じくらいの娘さんに出会いました。娘さんは私に問いかけました。
「お名前は?」
すると、私は思っても見ない声で
「櫻井しょうこと申します。」
といいました。
すると、後ろの方で声がしました。
「あなたもですか?私も櫻井の名字ですよ。」
私は恥ずかしくなりました。何故ならしょうこには名字はなかったからです。しょうこの田舎では名字を持つ慣習がなく、ほとんどが、名前のみを使っているためでした。
しょうこは、その青年に恋をしました。
青年には、名前がなかったためでした。
『私なら、この方の手助けが、できるかもしれない』
しょうこは思いました。
そうして、しょうこと青年の暮らしは始まりました。しょうこはこう考えました。
『私はこの方をこうしょうさまとお呼びしようでも、決して言葉には出さないようにして、何故なら私がつけた名前なんてことが知れたらこの方にも、世間さまにも失礼だもの』
そして、ふたりは、空家をみつけ住むことにしました。ある日、ふたりが暮らしている家の障子の隙間からじっと覗いている少年がいました。
少年は「名前は、翔と云うんだ」というので私は思わず
「一緒に住む?」
と問いかけました。
少年は軽く頷きました。
そうして、しょうことこうしょうさま《公章さま》と翔の生活がはじまりました。
三人での生活が二ヶ月半を過ぎた頃です。
家の玄関先に、少し厚みがかった封筒があります。私は、気味が、悪くなり公章さまに言いました。
「これはなんでしょうか?」
すると公章さまは答えました。
「僕は知らないよ。お金というものじゃないかな。」
しょうこは思いました。私も、公章さまにも何も働き口がない、なのにこの大金は怪しい。
しょうこは、再び家を出ることにしました。でも、子供の足には、届かないような、遠くに、行かなければならない。なぜなら、後からでも子供は、呼べるし、取り敢えず公章さまと二人だけになって、考え直した方がいい。
そこで、二人は、夜行に乗り、九州から中部地方の岐阜という街に着きました。二人は、街を走る市電《当時ちんちん電車と呼ばれていた》に乗りました。そうしていると、ある考えが浮かびました。《そうだ公章さまに病院にいてもらおう。だって、公章さまは、自身の名前を知らないきっと記憶喪失なんだわ。そうして、私が働けばいい。》
しょうこと公章さまは、市民病院に入院を頼みに行きました。公章は即、入院と云うことになりました。しょうこはもう暗くなり始めた駅うらを、歩いていると、美容室かみかざりの看板が目に止まりました。《こんなところに、美容室なんて、入ってみても、いいかしら。取り敢えず今日泊まる処がない。泊めてもらえないか、聞いてみよう》
そこで、美容室に入ると奥から、少し年かさのある、奥さんが出てきて、私に、こういいました。
「もう、店は閉めるところなの、何か?」
私はこういいました。
「今日だけ泊めてもらえませんか?」
店の奥さんは、言いました。
「今日だけなら。」
そうして、その晩は過ごすことにしました。
次の朝、私は、店の奥さんに挨拶すると、店を出ました。そうして、市役所近くまで、歩いてくると、
ある店に張り紙が貼ってあります。
張り紙には、こう書いてありました。
『賄いの仕事あります』
そこで店を覗いてみると、大きな鍋やら、釜戸、ショーケースそして、小鍋、おたま、フライ返しなどが置いてあります。私は店の戸を開け中に入りました。ここで、働いてみようと思いました。
まず、何か野菜が、置いてないか探しますと店の奥に里芋が見つかりました。また、さやえんどうもあります。そうして、私は、里芋を塩ゆでし、さやえんどうも、下ゆでしたものをつけ、後は大皿に盛り付け、置いて置きました。私は公章さまにも、あげたいと思い、病院に持って行くことにしました。市電を乗り継ぎ市民病院につくと、早速、公章さまの病室へ急ぎました。
公章さまをに里芋のさやえんどう添えを渡すと公章さまをにこう言いました。
「同じ部屋にいる方々にもどうぞ。」
私と公章さまが暫くいると、看護婦の方がみえ、こう私にいいました。
「病院では、食べ物は厳禁ですよ。」
私は恥ずかしくなり、その部屋を後にしました。
私は少し、お腹が空いたので自分で作ってきた。里芋の煮転がしを食べました
そして、もう一度、小料理屋に行くことにしました。すると、小料理屋の前に私と同じくらいの年かさの娘さんが三人みえます。
私は
「何か?」
と問うと
「私たちも一緒に賄いをしたいのだけどいいかしら?」
と私に問うので、
「えぇ勿論。」
と答えました。
私たちは、その小料理屋で思いつくまま、料理をつくりました。そうして、夕方になるのを待ち店の暖簾を出しました。
その晩、私は考え事があり店に泊まりました。つぎの朝になると、私は野菜といっても里芋しかない、野菜を仕入れなくてはと思いました。そこで、私は市役所にある電話交換所に出向き野菜市場に、電話を繋げてくれるよう頼みました。交換手の話では毎週月曜日に必要な野菜を届けますとの話でした。
私は小料理屋にもどると、小柄なおじいさんが私に
「野菜を料理してくれるのは君かね。」
というので、私は
「はい。」
といいました。
そうして、オレンジ色に深緑色の幌がかかっている軽トラの中から大根やら、かぶやら、さつまいもやらを出してきて
「このくらいでどうか?」
というので、私は
「どうもすみません。ありがとうございます。」
と答えました。
そうして、毎夜、小料理屋で働く生活が始まりました。私は、午前中は市民病院で公章さまの世話をし、午後から小料理屋の仕込みをし、夕方から店を開け、小料理を提供することにしました。
同僚の娘さんたちは、ちえさん、しずえさん、みやこさん、といいました。娘さんたちは、毎夜、定時に来ては私が仕込んで置いた料理を来てくれた客の注文どおりに運び、喜ばれていました。
ある日のことです。
ちえさんが私にいいました。
「しょうこさんお給金はいただけないのかしら?」
しょうこは、思いました。
《お給金って?あぁ、そうだ、この娘さんたちにあのお金の中からお給金を出せばいい》
そこで、しょうこは、毎日、一人一錢で三人で三錢ずつ持って来ては、帰りがけにちえさんたちにポチ袋に入ったお金を渡すことにしました。そうしていると、あるお客さんの奥さんが、月の終わりに先がかったある日、店にいらっしゃいました。奥さんは、私にこういいました。
「いつも主人に夕食をありがとうございます。おかげさまで、主人の仕事も上向きになりました。これはお礼です。」
と、しょうこにお金の入った祝儀袋を渡しました。祝儀袋には、拾五円程入っていました。しょうこは、そのうち、三円を野菜農家のおじいさんに材料代ということで、支払いました。しょうこは思いました。
《このお金は、私が働いて得たお金だからきっと大丈夫、公章さまにも、渡して置かなくては。》
そこで、しょうこは、公章さまに七円だけ持ってもらい、自分は五円を持つことにしました。次にしょうこは、家について考えました。九州に、いた頃には実家も、街の仮屋も、使わせてもらっていたけど此処ではどうなのかしら?家に住むには、どうしたらいいのかしら?
そこで、しょうこは市の住民課を尋ねました。住民課では、しょうこの働いている店はまだ、名前の登録がないから、名前の登録をして、店を改装し、自宅兼用にしてはどうかといわれました。
私は店に《胡麻屋》と名付けました。そして、店を改装し、一部屋の寝間を設けました。さて、公章さまはどうしたでしょうか?
しょうこは、どんなに、前日の晩の仕事が遅くなろうと、毎日、病院を見舞うことは忘れませんでした。そして、公章さまの病室の前に来ると、いつも心の中で、《公章様、おはよう》といってから、
「おはよう。」
といいながら、病室に入るのでした。すると、ある日公章さまがいいました。
「しょうこ私の名前だが、公章にすることにするよ。それと私達の子供の翔をそろそろ迎えに行かなくてはならない。」
そうして、公章は病院を退院し、しょうこと二人で翔を迎えに九州に向かうことにしました。しょうこと公章は、久しぶりに汽車に揺られながら、しょうこの店《胡麻屋》について、話し合いました。
この時、公章にはある考えが、浮かんでいました。なぜなら、しょうこが見つけた使命とも呼べる仕事についてのカラクリに気づいたからです。
岐阜に戻ると公章は翔と、ある仕事を始めました。それは、街の人達に名前やら、家族やら、自営で何をやっているかなど、尋ねはじめたのです。又、それを記述して残そうと考えました。なぜなら、公章は、病院に入院中、沢山の文学を読んでいたからでした。只、公章には、本を読む才能は有っても記述する学才はありませんでした。そこで、子供の翔に、どのくらいの文字書きができるのかと訊ねると話言葉ならほとんど、書けるとのことだったので、街の人に話し掛けるのは、自分がして、翔に記述してもらえばいいと考えました。
公章と翔の仕事は以外と順調に進みました。それにはやはり、しょうこの助言があったからでした。しょうこは二人にこういいました。
「岐阜の住人調査なら駅でやるのがいいと思うわ。岐阜駅だったらどんな新しいことでも受け付けてくれると思うから。でもその前に書き留めるための帳面がいるわね。」
そういうと、二人を岐阜店通りの柳ヶ瀬にある、《加木鉄》という帳簿用品店を案内しました。しょうこが、なぜこの店を知っていたのかというのと、初めてしょうこの店《胡麻屋》を見つけたとき、岐阜駅から、本通り〈神田町通り〉を歩いて来たときに通り沿いにあったその店を見つけたからでした。実は他にも《ぜにや》という乾物屋を見つけていました。しょうこは、ぜにやで煮物に使う出汁のため乾燥昆布を仕入れるようになっていました。勿論、調味料も仕入れました。酒や醤油でした。
出汁や酒、醤油を使った煮物はとても、美味しくできました。しょうこは、一品、一品に、値段をつけることにしました。それまで、お客さんからは、お通し代だけもらっていたのを追加注文次第で、お金を精算し、それで新しい家庭料理をあみだそうと考えたからでした。しょうこは、《胡麻屋》の看板に家庭料理の文字も入れました。
ある日のことです。
公章が、いつものように住民調査をしていると、年配の男の人が近付いてきて、公章に尋ねました。
「いつもここでなにをしているのだね。」
「実態調査です。」
「岐阜の家庭調査です。」
すると、年配の男性はこういいました。
「君達に頼みたいことがある、私の会社で働いてくれないかい。」
話を聞くとこうでした。
年配の男性は、馬渕家というクリーニング屋を家族で営んでいたのだが、クリーニングの技術が市内でも、有数だと有名になると税務署の方から株式会社にした方がいい従業員を家族の他に二人は入れた方がいいと言われたということでした。
公章と翔は、年配の男性〈馬渕さん〉に、誘われるまま、クリーニング会社の従業員になることにしました。
会社は、駅前の通りを挟んだ問屋街にありました。二人は、クリーニングの仕上がった服を、問屋街とは、別の梅林公園付近にある住宅街へ運びました。たまに、問屋街で仕入れた服を行商している、みさ子さんという女性に会いましたが話をすることはありませんでした。
みさ子さんの店、三升家は市内でも、外れの西郵便局の局内、黒野地区に店をかまえていたため、お客さんに苦労していました。それでも、御主人が健在な間は店を大事にし、みさ子さんは、奥を任されていたのでした。御主人が病気で急に亡くなると、みさ子さんは店に居るだけでは駄目だと思い、行商を始めたのでした。
ある日のことです。
みさ子さんは、問屋街で白の割烹着を見つけました。《何て素敵な割烹着でしょう。これなら、似合いのお客さんに出会えるかもしれないわ。》みさ子さんは、そう思い、割烹着を他の着物の一番上に置くといつものように風呂敷に包み縛り上げました。みさ子さんは、市電に乗り込みました。そして、《加鉄木鉄》の前まで来ると市電を降りました。なぜなら、しょうこと同じように、帳簿がいると考えたからでした。今のように、値札が全てついている時代ではありません。人々は、言い値でやり取りをしていました。みさ子さんは、ずっと店の奥を任されていたため、その全てを知っていたのでした。
《加木鉄》で帳簿を買ったみさ子さんは、そのまま神田町通りを北へ歩き、《ぜにや》から少し東に折れ、神田町通りより、一つ東の通りを北へ行くと看板に《家庭料理胡麻屋》の文字を見ると足を止めました。格子窓から、しょうこの姿を視てとったからでした。みさ子さんは、しょうこと目が合うと軽く会釈しました。しょうこは、急いで戸を開けるとみさ子さんに、
「何か?」
と声を掛けました。
みさ子さんは、自分が行商をやっているものだといい、大きな風呂敷包をみせました。しょうこは、興味が合ったので、みさ子さんを中に入れ、風呂敷包の中を見せてもらうことにしました。
そうして、みさ子さんは、仕入れたばかりの割烹着をきょうこに見せたのでした。しょうこは、割烹着が気に入ったので、早速着てみました。
みさ子さんが
「よくお似合いですよ。」
と言としょうこは、こう答えました。
「この割烹着をいただくことにしますよ。でもお代は月末でいいかしら、わたしも客商売なもので売上がハッキリするのは、月末なんです。」
と言いました。
みさ子さんは、
「勿論ですよ。」
と言い、帳簿に《割烹着、胡麻屋の女将ツケ買い》と印ました。
そうして、二人は別れました。
しょうこは、それからいつも胡麻屋の仕込みの時は割烹着を着ていました。その姿を見たちえさんたちが言いました。
「私たちもお揃いの前掛けが要るわ。」
「じゃあ月末にみさ子さんに頼みましょう。」
月末になり、みさ子さんが胡麻屋に顔を出すとしょうこは、早速みさ子さんに言いました。
「みさ子さんちえさんたちがお揃いの前掛けが欲しいと言うからお揃いの前掛けを三枚頼みたいのだけど。」
すると、みさ子さんはこういいました。
「洗い替えにと、二枚組になっているものならありますが、同じ柄を三枚は、中々無いかもしれませんよ。」
すると、ちえさんが、
「しょうこさんの割烹着の袖の無い形ってないかしら?」
「あっ肩のフリルが大きいものですね。でもそれだと西柳ヶ瀬の出合い喫茶みたいですよ。」
そこまで、隣で聞いていたしずえさんが言いました。
「ちえさん前掛けはやめにしましょうよ。それよりお揃いの着物にしませんか?それならみなと館の中居さんもしているから。」
「そうですよ。それなら丁度いい紺地の無地がありますよ。」
三人は、みさ子さんから、お揃いの着物を買いました。
着物は、一枚十銭でした。しょうこは半分を払ってあげることにしました。
公章と翔は、馬渕家でクリーニングが仕上がった服を運ぶ仕事の他に御用聞きの仕事も初めました。なぜならめ、駅での家庭調査で子供の数やご主人の仕事を知っていたので、周辺の世帯がどんなだかは殆ど把握していたからでした。又公章はしょうこに聞きました。
「ウチではクリーニングに出すような服はあるかい?」
しょうこは少し考えて、
「ちえさんたちの揃いの着物があるわ。でも着替えがないからみさ子さんから臙脂色の着物を頼むことにするわ」
そう言い次回みさ子さんが来店するのを待つことにしました。
ちえさんには想いびとがいた。その人には奥さんと子供がいるという当時としては珍しい不実な恋であった。
ある日、父の友三郎は私に
「お前はこの家を出なくてはいけない。いいか。ひとりで暮らしてみるんだ。自分で生きていく方法を見つけてごらん。」
といいました。
私は独り家を出ることにしました。近くの町まで来ると、同じくらいの娘さんに出会いました。娘さんは私に問いかけました。
「お名前は?」
すると、私は思っても見ない声で
「櫻井しょうこと申します。」
といいました。
すると、後ろの方で声がしました。
「あなたもですか?私も櫻井の名字ですよ。」
私は恥ずかしくなりました。何故ならしょうこには名字はなかったからです。しょうこの田舎では名字を持つ慣習がなく、ほとんどが、名前のみを使っているためでした。
しょうこは、その青年に恋をしました。
青年には、名前がなかったためでした。
『私なら、この方の手助けが、できるかもしれない』
しょうこは思いました。
そうして、しょうこと青年の暮らしは始まりました。しょうこはこう考えました。
『私はこの方をこうしょうさまとお呼びしようでも、決して言葉には出さないようにして、何故なら私がつけた名前なんてことが知れたらこの方にも、世間さまにも失礼だもの』
そして、ふたりは、空家をみつけ住むことにしました。ある日、ふたりが暮らしている家の障子の隙間からじっと覗いている少年がいました。
少年は「名前は、翔と云うんだ」というので私は思わず
「一緒に住む?」
と問いかけました。
少年は軽く頷きました。
そうして、しょうことこうしょうさま《公章さま》と翔の生活がはじまりました。
三人での生活が二ヶ月半を過ぎた頃です。
家の玄関先に、少し厚みがかった封筒があります。私は、気味が、悪くなり公章さまに言いました。
「これはなんでしょうか?」
すると公章さまは答えました。
「僕は知らないよ。お金というものじゃないかな。」
しょうこは思いました。私も、公章さまにも何も働き口がない、なのにこの大金は怪しい。
しょうこは、再び家を出ることにしました。でも、子供の足には、届かないような、遠くに、行かなければならない。なぜなら、後からでも子供は、呼べるし、取り敢えず公章さまと二人だけになって、考え直した方がいい。
そこで、二人は、夜行に乗り、九州から中部地方の岐阜という街に着きました。二人は、街を走る市電《当時ちんちん電車と呼ばれていた》に乗りました。そうしていると、ある考えが浮かびました。《そうだ公章さまに病院にいてもらおう。だって、公章さまは、自身の名前を知らないきっと記憶喪失なんだわ。そうして、私が働けばいい。》
しょうこと公章さまは、市民病院に入院を頼みに行きました。公章は即、入院と云うことになりました。しょうこはもう暗くなり始めた駅うらを、歩いていると、美容室かみかざりの看板が目に止まりました。《こんなところに、美容室なんて、入ってみても、いいかしら。取り敢えず今日泊まる処がない。泊めてもらえないか、聞いてみよう》
そこで、美容室に入ると奥から、少し年かさのある、奥さんが出てきて、私に、こういいました。
「もう、店は閉めるところなの、何か?」
私はこういいました。
「今日だけ泊めてもらえませんか?」
店の奥さんは、言いました。
「今日だけなら。」
そうして、その晩は過ごすことにしました。
次の朝、私は、店の奥さんに挨拶すると、店を出ました。そうして、市役所近くまで、歩いてくると、
ある店に張り紙が貼ってあります。
張り紙には、こう書いてありました。
『賄いの仕事あります』
そこで店を覗いてみると、大きな鍋やら、釜戸、ショーケースそして、小鍋、おたま、フライ返しなどが置いてあります。私は店の戸を開け中に入りました。ここで、働いてみようと思いました。
まず、何か野菜が、置いてないか探しますと店の奥に里芋が見つかりました。また、さやえんどうもあります。そうして、私は、里芋を塩ゆでし、さやえんどうも、下ゆでしたものをつけ、後は大皿に盛り付け、置いて置きました。私は公章さまにも、あげたいと思い、病院に持って行くことにしました。市電を乗り継ぎ市民病院につくと、早速、公章さまの病室へ急ぎました。
公章さまをに里芋のさやえんどう添えを渡すと公章さまをにこう言いました。
「同じ部屋にいる方々にもどうぞ。」
私と公章さまが暫くいると、看護婦の方がみえ、こう私にいいました。
「病院では、食べ物は厳禁ですよ。」
私は恥ずかしくなり、その部屋を後にしました。
私は少し、お腹が空いたので自分で作ってきた。里芋の煮転がしを食べました
そして、もう一度、小料理屋に行くことにしました。すると、小料理屋の前に私と同じくらいの年かさの娘さんが三人みえます。
私は
「何か?」
と問うと
「私たちも一緒に賄いをしたいのだけどいいかしら?」
と私に問うので、
「えぇ勿論。」
と答えました。
私たちは、その小料理屋で思いつくまま、料理をつくりました。そうして、夕方になるのを待ち店の暖簾を出しました。
その晩、私は考え事があり店に泊まりました。つぎの朝になると、私は野菜といっても里芋しかない、野菜を仕入れなくてはと思いました。そこで、私は市役所にある電話交換所に出向き野菜市場に、電話を繋げてくれるよう頼みました。交換手の話では毎週月曜日に必要な野菜を届けますとの話でした。
私は小料理屋にもどると、小柄なおじいさんが私に
「野菜を料理してくれるのは君かね。」
というので、私は
「はい。」
といいました。
そうして、オレンジ色に深緑色の幌がかかっている軽トラの中から大根やら、かぶやら、さつまいもやらを出してきて
「このくらいでどうか?」
というので、私は
「どうもすみません。ありがとうございます。」
と答えました。
そうして、毎夜、小料理屋で働く生活が始まりました。私は、午前中は市民病院で公章さまの世話をし、午後から小料理屋の仕込みをし、夕方から店を開け、小料理を提供することにしました。
同僚の娘さんたちは、ちえさん、しずえさん、みやこさん、といいました。娘さんたちは、毎夜、定時に来ては私が仕込んで置いた料理を来てくれた客の注文どおりに運び、喜ばれていました。
ある日のことです。
ちえさんが私にいいました。
「しょうこさんお給金はいただけないのかしら?」
しょうこは、思いました。
《お給金って?あぁ、そうだ、この娘さんたちにあのお金の中からお給金を出せばいい》
そこで、しょうこは、毎日、一人一錢で三人で三錢ずつ持って来ては、帰りがけにちえさんたちにポチ袋に入ったお金を渡すことにしました。そうしていると、あるお客さんの奥さんが、月の終わりに先がかったある日、店にいらっしゃいました。奥さんは、私にこういいました。
「いつも主人に夕食をありがとうございます。おかげさまで、主人の仕事も上向きになりました。これはお礼です。」
と、しょうこにお金の入った祝儀袋を渡しました。祝儀袋には、拾五円程入っていました。しょうこは、そのうち、三円を野菜農家のおじいさんに材料代ということで、支払いました。しょうこは思いました。
《このお金は、私が働いて得たお金だからきっと大丈夫、公章さまにも、渡して置かなくては。》
そこで、しょうこは、公章さまに七円だけ持ってもらい、自分は五円を持つことにしました。次にしょうこは、家について考えました。九州に、いた頃には実家も、街の仮屋も、使わせてもらっていたけど此処ではどうなのかしら?家に住むには、どうしたらいいのかしら?
そこで、しょうこは市の住民課を尋ねました。住民課では、しょうこの働いている店はまだ、名前の登録がないから、名前の登録をして、店を改装し、自宅兼用にしてはどうかといわれました。
私は店に《胡麻屋》と名付けました。そして、店を改装し、一部屋の寝間を設けました。さて、公章さまはどうしたでしょうか?
しょうこは、どんなに、前日の晩の仕事が遅くなろうと、毎日、病院を見舞うことは忘れませんでした。そして、公章さまの病室の前に来ると、いつも心の中で、《公章様、おはよう》といってから、
「おはよう。」
といいながら、病室に入るのでした。すると、ある日公章さまがいいました。
「しょうこ私の名前だが、公章にすることにするよ。それと私達の子供の翔をそろそろ迎えに行かなくてはならない。」
そうして、公章は病院を退院し、しょうこと二人で翔を迎えに九州に向かうことにしました。しょうこと公章は、久しぶりに汽車に揺られながら、しょうこの店《胡麻屋》について、話し合いました。
この時、公章にはある考えが、浮かんでいました。なぜなら、しょうこが見つけた使命とも呼べる仕事についてのカラクリに気づいたからです。
岐阜に戻ると公章は翔と、ある仕事を始めました。それは、街の人達に名前やら、家族やら、自営で何をやっているかなど、尋ねはじめたのです。又、それを記述して残そうと考えました。なぜなら、公章は、病院に入院中、沢山の文学を読んでいたからでした。只、公章には、本を読む才能は有っても記述する学才はありませんでした。そこで、子供の翔に、どのくらいの文字書きができるのかと訊ねると話言葉ならほとんど、書けるとのことだったので、街の人に話し掛けるのは、自分がして、翔に記述してもらえばいいと考えました。
公章と翔の仕事は以外と順調に進みました。それにはやはり、しょうこの助言があったからでした。しょうこは二人にこういいました。
「岐阜の住人調査なら駅でやるのがいいと思うわ。岐阜駅だったらどんな新しいことでも受け付けてくれると思うから。でもその前に書き留めるための帳面がいるわね。」
そういうと、二人を岐阜店通りの柳ヶ瀬にある、《加木鉄》という帳簿用品店を案内しました。しょうこが、なぜこの店を知っていたのかというのと、初めてしょうこの店《胡麻屋》を見つけたとき、岐阜駅から、本通り〈神田町通り〉を歩いて来たときに通り沿いにあったその店を見つけたからでした。実は他にも《ぜにや》という乾物屋を見つけていました。しょうこは、ぜにやで煮物に使う出汁のため乾燥昆布を仕入れるようになっていました。勿論、調味料も仕入れました。酒や醤油でした。
出汁や酒、醤油を使った煮物はとても、美味しくできました。しょうこは、一品、一品に、値段をつけることにしました。それまで、お客さんからは、お通し代だけもらっていたのを追加注文次第で、お金を精算し、それで新しい家庭料理をあみだそうと考えたからでした。しょうこは、《胡麻屋》の看板に家庭料理の文字も入れました。
ある日のことです。
公章が、いつものように住民調査をしていると、年配の男の人が近付いてきて、公章に尋ねました。
「いつもここでなにをしているのだね。」
「実態調査です。」
「岐阜の家庭調査です。」
すると、年配の男性はこういいました。
「君達に頼みたいことがある、私の会社で働いてくれないかい。」
話を聞くとこうでした。
年配の男性は、馬渕家というクリーニング屋を家族で営んでいたのだが、クリーニングの技術が市内でも、有数だと有名になると税務署の方から株式会社にした方がいい従業員を家族の他に二人は入れた方がいいと言われたということでした。
公章と翔は、年配の男性〈馬渕さん〉に、誘われるまま、クリーニング会社の従業員になることにしました。
会社は、駅前の通りを挟んだ問屋街にありました。二人は、クリーニングの仕上がった服を、問屋街とは、別の梅林公園付近にある住宅街へ運びました。たまに、問屋街で仕入れた服を行商している、みさ子さんという女性に会いましたが話をすることはありませんでした。
みさ子さんの店、三升家は市内でも、外れの西郵便局の局内、黒野地区に店をかまえていたため、お客さんに苦労していました。それでも、御主人が健在な間は店を大事にし、みさ子さんは、奥を任されていたのでした。御主人が病気で急に亡くなると、みさ子さんは店に居るだけでは駄目だと思い、行商を始めたのでした。
ある日のことです。
みさ子さんは、問屋街で白の割烹着を見つけました。《何て素敵な割烹着でしょう。これなら、似合いのお客さんに出会えるかもしれないわ。》みさ子さんは、そう思い、割烹着を他の着物の一番上に置くといつものように風呂敷に包み縛り上げました。みさ子さんは、市電に乗り込みました。そして、《加鉄木鉄》の前まで来ると市電を降りました。なぜなら、しょうこと同じように、帳簿がいると考えたからでした。今のように、値札が全てついている時代ではありません。人々は、言い値でやり取りをしていました。みさ子さんは、ずっと店の奥を任されていたため、その全てを知っていたのでした。
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「何か?」
と声を掛けました。
みさ子さんは、自分が行商をやっているものだといい、大きな風呂敷包をみせました。しょうこは、興味が合ったので、みさ子さんを中に入れ、風呂敷包の中を見せてもらうことにしました。
そうして、みさ子さんは、仕入れたばかりの割烹着をきょうこに見せたのでした。しょうこは、割烹着が気に入ったので、早速着てみました。
みさ子さんが
「よくお似合いですよ。」
と言としょうこは、こう答えました。
「この割烹着をいただくことにしますよ。でもお代は月末でいいかしら、わたしも客商売なもので売上がハッキリするのは、月末なんです。」
と言いました。
みさ子さんは、
「勿論ですよ。」
と言い、帳簿に《割烹着、胡麻屋の女将ツケ買い》と印ました。
そうして、二人は別れました。
しょうこは、それからいつも胡麻屋の仕込みの時は割烹着を着ていました。その姿を見たちえさんたちが言いました。
「私たちもお揃いの前掛けが要るわ。」
「じゃあ月末にみさ子さんに頼みましょう。」
月末になり、みさ子さんが胡麻屋に顔を出すとしょうこは、早速みさ子さんに言いました。
「みさ子さんちえさんたちがお揃いの前掛けが欲しいと言うからお揃いの前掛けを三枚頼みたいのだけど。」
すると、みさ子さんはこういいました。
「洗い替えにと、二枚組になっているものならありますが、同じ柄を三枚は、中々無いかもしれませんよ。」
すると、ちえさんが、
「しょうこさんの割烹着の袖の無い形ってないかしら?」
「あっ肩のフリルが大きいものですね。でもそれだと西柳ヶ瀬の出合い喫茶みたいですよ。」
そこまで、隣で聞いていたしずえさんが言いました。
「ちえさん前掛けはやめにしましょうよ。それよりお揃いの着物にしませんか?それならみなと館の中居さんもしているから。」
「そうですよ。それなら丁度いい紺地の無地がありますよ。」
三人は、みさ子さんから、お揃いの着物を買いました。
着物は、一枚十銭でした。しょうこは半分を払ってあげることにしました。
公章と翔は、馬渕家でクリーニングが仕上がった服を運ぶ仕事の他に御用聞きの仕事も初めました。なぜならめ、駅での家庭調査で子供の数やご主人の仕事を知っていたので、周辺の世帯がどんなだかは殆ど把握していたからでした。又公章はしょうこに聞きました。
「ウチではクリーニングに出すような服はあるかい?」
しょうこは少し考えて、
「ちえさんたちの揃いの着物があるわ。でも着替えがないからみさ子さんから臙脂色の着物を頼むことにするわ」
そう言い次回みさ子さんが来店するのを待つことにしました。
ちえさんには想いびとがいた。その人には奥さんと子供がいるという当時としては珍しい不実な恋であった。
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