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03.覚悟を決めた俺を誰か許してくれ
しおりを挟む(……俺、王様の兄貴なの!?)
最強の戦士の身体の中で、ごく平凡な青年の魂が、この日一番の絶叫をあげた。
「兄様……」という王の言葉が耳に届いた瞬間、周りの世界の音がすっと遠のき、目の前の少年の姿だけが、まるで切り取られた絵のように映る。
「……兄様……?」
その声に、はっと我に返った。
(待て待て待て。冷静になれ! 驚いたらダメだ。アッシュを演じないと……! 様子がおかしいことに気付かれないようにしないと!!)
彼方は、必死に無表情を装ったまま、じっと少年を見つめ返した。
その沈黙を、王——レオは、やはり兄の怒りだと誤解したようだった。
「ごめんなさい……! 私が、私がもっと兄様のように強ければ、兄様にこんな無理をさせずに済んだのに……!」
そこまで一気に言うと、レオはハッとしたように口をつぐんだ。
「……いや。今の言葉は王として相応しくなかった。忘れてくれ」
王としての立場を思い出し、必死に言葉を取り繕う幼い弟。それでも、その瞳は雄弁に、アッシュへの贖罪と親愛を映し出していた。
(耐えているんだな……。立場と、家族の狭間で)
その痛々しいほどの健気さに、彼方はかけるべき言葉を見つけられずにいた。
いや、言葉を返す以上にある思いが、彼方に込み上げて来たのだ。
(俺は……この子にずっと嘘をつき続けるのか……?)
それは、彼方の心に鋭く刺さった棘。
幼い王は、幼いだけで民から愛されていた訳ではないことが、今なら理解できた。
父親は国のために結界に身を捧げ。兄であるアッシュは国のために前線で戦い。そして、弟は幼いながらも、必死に自分を奮い立たせて内政を回していたのだ。
全ては、民のために。家族の信頼に、報いるために。
彼方は、アッシュを演じると決めた自分が、あまりにも楽観的だったことにようやく気がついた。
そして、このまま何も伝えないことは、アッシュの何もかもを踏み躙る行為だと、思い至ってしまったのである。
(この子に、全てを話すべきなのか……? いや……ただでさえ国のことで追い詰められてるのに、兄の中身が見知らぬ他人だなんて知ったら……でも、このまま嘘をつき続けるのは……)
再度、目の前の王に向き直る彼方。
兄への負担に、ひたすら心を痛め、歯噛みしながらも必死で責務を全うする少年がその目に映った時、彼方の心は悲鳴をあげた。
(黙っているなんて……無理だ……)
葛藤の末、彼方は全てを打ち明けるという、あまりにも危険な賭けに出ることを決意した。
たとえ、先ほどのやり取りをすべて無に返し、狂人だと思われて、この場で投獄されることになったとしても。
「……陛下」
彼方は片膝を立てるのをやめ、王の前で両方の膝をついて頭をたれた。
謁見の間の冷たい石の床が、膝を通して体温を奪っていくのがわかる。それでも構わないと覚悟を決め、彼方は震えそうになる声帯を必死で制御し、できるだけ穏やかな声で語りかける。
「これから俺が言うことは、信じられないと思う。頭がおかしくなったと思われても仕方ない。……それでも、貴方だけには、本当のことを話さなければいけないと思ったんです」
「……兄様?」
彼方は意を決して、最大の真実を告げた。
「俺は……俺の中身は、貴方の兄、アッシュじゃない。別人なんだ」
静寂が、謁見の間に重く落ちる。
王は、ただ呆然と、目の前の男を見上げていた。その小さな瞳が、理解を拒むように揺れている。
「何を……馬鹿なことを……。そうだ、疲れているのでしょう? ここまでの旅路も、長かったはずで……」
「違う」
彼方の静かな、しかし有無を言わさぬ否定に、王の顔からみるみるうちに血の気が引いていく。
「俺の名前は、佐藤彼方。……この世界とは違う、遠い場所から来た、ただの人間だ。数日前、森の中で、気づいたらこの身体に入っていた。なぜこうなったのか、俺にもわからない。……本当の貴方の兄がどうなったのかも」
それは、常軌を逸した告白だった。
王の身体が、わなわなと震えだす。信じられない、という気持ちと、信じたくない、という気持ち。
. だが一つ、確かな事実を王は知っていた。
兄は、絶対に、嘘をつかない。
「……貴様、まさか……兄様の身体を乗っ取った魔物か何かか……?」
レオの口から、最もあり得るはずの、そして最も絶望的な仮説がこぼれる。衛兵を呼ばなければ。そう本能が警鐘を鳴らした、その瞬間——。
(いや、違う)
王としての冷徹な理性が、少年の恐怖をねじ伏せた。
(……害するつもりなら、もうすでにこの身は息をしていないはずだ。中身がどうであれ兄様の身体だ。私や、側近全員を殺すことなど、赤子の手をひねるより容易い。なのに、こいつは……ただ、跪いて私に事情を告げているだけ……)
目の前の存在は、少なくとも、敵意は無い。
その結論に至ったレオは、必死に冷静さを取り戻して、目の前の男をもう一度見た。
「……では、貴方は……本当の兄様は……」
問いかけが終わる前に、王は最悪の結論を導き出した。
そうして、ついに堪えきれなくなったように、瞳から大粒の涙がこぼれ落ちた。
声にならない息が、口から吐き出される。
彼方は、言葉無く、その涙を受け止めていた。
(兄を害した魔物として、牢にでも放り込まれるかもな……。それでもいいか。……他人を踏み躙るよりも、ずっとずっとマシだ)
彼方は、全てを目の前の王に委ねることにした。どんな処遇でも甘んじて受け入れる覚悟を固め、それでもやはり恐怖心が湧き起こり、血が通わずに強張る手を握り込んだ。
しかし、彼はただの少年ではなかった。この国を背負う、若き王だった。
涙を流しながらも、彼の頭脳は、王として、冷徹な現実を分析していた。
(兄様が、いない……。この男を牢屋にいれるか……いや。そうしたら、この国はどうなる? シルヴァリアが敵国に呑み込まれずにいるのは、「戦士アッシュ」という抑止力の存在が大きい。もし、そのアッシュが戦えないと知られたら、それだけでこの国は……)
弟として、一個人としては、出自もわからない中身に兄の名を騙らせることなど、到底できるはずがない。
だが、王としては?
王としては、この「アッシュの身体を持つ男」を利用するしかなかった。例え、それがどんなに苦しく、辛い選択であったとしても。
(こいつは黙って兄様のフリをすることも出来たはず。……でも、それをしなかった。それなら、私はその愚かとも言える誠実さに賭ける!)
王は、小さな手で乱暴に涙を拭うと、ふぅっと一度、子供らしからぬ長い息を吐いた。そして、再び顔を上げた時、そこにいたのはもう、兄を失った少年ではなかった。
国を背負う、王の『表情』だった。
「……わかりました。あなたが、誰であろうと」
「え……?」
「今、戦士アッシュを国として失うわけにはいかないのです。貴方を巻き込む罪は、私が全て背負います。……力を貸してください。佐藤彼方さん」
そう言って、幼い王は、深々と頭を下げた。
「……私の名は、レオ。レオ・シルヴァリアです。……どうか、私の名を」
(……すげえな、この子)
彼方は、自分よりずっと幼い少年が見せた、そのあまりにも気高い精神に、ただ畏敬の念を抱いていた。
(どうしてこうなったかはわからない。でも、この子が、これだけの覚悟を決めたんだ。俺も、やれるだけのことはやろう!)
「……顔を上げてください、レオ陛下」
彼方は立ち上がり、一歩引いた後、改めて王の前に跪いた。
「俺は、アッシュでは無い。戦い方も、何もかもを知らない、ただの人間です。ですが、貴方と、この国のために、俺にできる全てのことをやると、誓います」
一方的な覚悟は真の思いやりではない。
互いへの理解があって、初めて成り立つものである。
こうして、見ず知らずの彼らの間には途方もなく奇妙で、そしてあまりにも切実な「共犯関係」が生まれたのだった。
その後、レオの案内で、彼方は先王の眠る部屋へと向かった。
部屋の中央。そこに立っていたのは、天蓋まで届くほどの巨大な白樹だった。そして、その太い幹の中心には、まるで琥珀の中の虫のように、一人の壮年の男性が封じられている。樹の根が、血管のように彼の身体に絡みつき、心臓の鼓動と呼応するように、淡い光を明滅させていた。
「父上は、その身を依代として、国を守る結界魔法の一部となりました。……生きてはいますが、意識が戻ることはありません」
(これが、レオの父親……。そして、アッシュの父親か……。自分を犠牲にしてまで、国を残したんだな……)
彼方は、改めて背負ってしまったものの大きさを痛感した。
「彼方さん。結界の綻びと、貴方の身に起きたこと……。二つの問題に力になってくれるかもしれない方が、一人だけいます」
レオは、一枚の古びた地図を彼方に手渡した。
「『微睡みの森』の賢者、エリアーデ様です。父上も、生前よく頼っていました。魔法の研究という観点では彼女以上の者はいません。どうか、彼女を訪ねてみてください」
翌朝。
彼方は、旅の準備を整え、王城の小さな裏門の前に立っていた。見送りに来たのは、人目を忍ぶようにして現れた、レオただ一人。
. 昨日までの、張り詰めた謁見の間でのやり取りが嘘のように、そこには静かな時間が流れていた。
「……彼方さん」
先に沈黙を破ったのは、レオだった。その声には、もう「陛下」としての響きはない。
「どうか……ご無事で」
絞り出すような、祈るような声。それは、国の未来を案じる王としてではなく、ただ一人、兄の身体を案じ、見知らぬ男に託し危険な旅へと送り出す、幼い弟としての偽らざる本心だった。
その真っ直ぐな瞳に、彼方は胸を突かれる。
(ああ、そうだ。俺たちはもう、王と戦士じゃない。兄と弟でもない。たった二人の、共犯者なんだ)
見知らぬ世界の、見知らぬ子供に、こんなにも真剣な瞳で見送られるなんて、数日前までの自分は想像すらしていなかった。
「……ええ。必ず、戻ります」
彼方は、力強く頷いた。それは、最強の戦士アッシュとしての虚勢ではなく、佐藤彼方としての、心からの約束だった。
レオの小さな頭に、思わず手を伸ばしかけて……やめた。そんなことをする資格は、まだ自分にはない。
「国が……いえ、私が、貴方の帰りを待っています」
その言葉を背に、彼方は「微睡みの森」へと、確かな一歩を踏み出したのだった。
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