君に心を

河嶋 亜津希

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チャイムが鳴り響いて授業の終わりを告げる。運動部はいそいそと鞄を持ち上げて教室を出て行った。志津希は短く息を吐き出して鞄に教科書を詰めていく。

「あぁー、疲れた…」

肩を回しながら稲瀬は気だるそうにつぶやく。

「多畑くんはまた弾きにいくの?」

「うーん、どうしようかなぁ…」

いつもはすぐに帰り支度をして楽器ケースを抱えているのに今日は珍しく行き渋っている様子だった。体調でも悪いのだろうか。志津希が稲瀬の様子を伺おうと顔を覗き込んだと同時に廊下がざわざわと騒がしくなった。志津希は思わず廊下に視線を向ける。

「あ、」

「いたいたっ稲瀬さーん!志津希さーん!」

ブロンドが揺れる。背が高くて無駄に目立つアルバートは一際人の視線を引いていた。まず2年の廊下に1年生が来るだけで異様なのだ。

「げ、最悪。」

稲瀬はあからさまに嫌な顔を貼り付けていた。志津希は少しだけ違和感を覚えた。アルバートは遠慮なしにずかずかと教室に入ってきてふたりに駆け寄る。

「お疲れ様ですっ稲瀬さん迎えにきました!」

アルバートには本当に尻尾が見える。あの一件から志津希にもだいぶ懐いてくれている。

「珍しいね、アルくんが迎えに来るなんて。」

いつもなら稲瀬がアルバートを迎えに行って音楽準備室で楽器の手入れをするかあの化学室で2人で練習をしているみたいだった。稲瀬がアルバートを迎えに行くのはアルバートがよく練習から逃げ出すのと稲瀬しか準備室と化学室の鍵を持っていないからといつか稲瀬から聞いた。心底嫌そうな顔の稲瀬を無理やり立たせたアルバートは笑いながら稲瀬の鞄に教科書を詰める。

「聞いてくださいよぉ、志津希さんっ!稲瀬さん俺のこと迎えにきてくれなくなったんです!俺練習したいのに音楽室にも化学室にも入れなくて困ってて今日は無理やり実力行使にでましたっ」

「お前が練習したいとかありえないだろ…」

稲瀬は楽器ケースを抱えながらため息を吐き出した。確かにアルバートの思惑は練習じゃなくてただ稲瀬と一緒にいたいだけなんだろう。志津希は苦笑いを浮かべながら稲瀬の様子を伺う。

「でも、大丈夫?本当に…多畑くん体調でも悪いの?」

音楽一筋な感じの稲瀬は文句を言いながらでも絶対に練習は欠かさないしだからこそ逃げるアルバートを迎えに行ってまで自分に付き合わせていたのだ。稲瀬の顔を覗き込んだ志津希は稲瀬の目の下に珍しく薄く隈ができていることに気づいた。志津希の心配する視線に稲瀬は諦めたように首を振る。

「大丈夫。…大丈夫だよ、河嶋。ほら、行くぞアル。」

稲瀬は尻尾を振るアルバートの腕をどんっと叩いた。さも当たり前のように稲瀬の荷物を抱えたアルバートは目をキラキラと輝かせている。本当にアルバートは稲瀬が好きなんだろう。

「河嶋はもう部屋に帰るのか?」

「いや、僕はテスト前だから強化授業受けなきゃいけなくて。点呼まではこっちにいるかな。」

成績で寮生になった者の特別待遇。他の生徒で言う部活のようなものが志津希にとっての強化授業だ。テスト前になると参加は自由だが科目担当の強化授業が行われる。自由だが暗黙の了解でほぼ強制参加に等しい。実際この授業に出ていないと満点近い点数はほぼ不可能になる。なんとなく稲瀬はアルバートとふたりになるのを避けたいことは分かるが今日は協力してあげられない。少し申し訳ない。志津希が眉を下げたのがわかったのか稲瀬はくいっと志津希の制服の裾を引っ張って唇を耳に寄せる。

「またどこかで話聞かせて。凪都の弱み握るチャンスだから。」

いつもの悪戯っ子のような笑顔を向けて稲瀬は志津希に囁いた。凪都の弱みなんて稲瀬はいくらでも握っているだろうに。稲瀬が志津希に気を遣わせないようにしていることがわかる。志津希は黙って首を縦に振る。

「もーまた秘密の話っ!俺も混ぜてくださいーー」

「バカ。じゃあな河嶋。ほら、置いてくぞ。アル。」

「ちょ、待ってっ。じゃまた志津希さん!」

バタバタと騒がしくふたりは去っていく。志津希は背中を目線で追いかけながら苦笑いを浮かべていた。静けさを取り戻した教室で志津希はほっと短く息を吐き出す。雨の音がふいに耳に入り込む。これはしばらく止まないかもしれない。志津希は中庭の方に目をやった。あの小さな黄色い薔薇はきっと散ってしまう。ただでさえもう花を落とし始めて黄色い絨毯のようになってしまっていた。

「見に行かなきゃな…」

志津希はぽつんと呟いて急いで帰り支度を終えた。
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