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しおりを挟むしばらく廊下を進んでようやく少し賑やかさが落ち着いた場所で志津希は凪都の手を離した。
「あ、稲瀬に怒られるよ。」
「もうふざけないで、凪都。」
本気で嫌がる志津希を凪都は愛おしそうに見ながら笑っていた。簡単に高鳴る胸の鼓動に志津希は自分でも馬鹿だなと思ってしまう。無駄に広大な学園のおかげで人はまばらだ。志津希はほっと息をついた。一年生からうまく逃れて安心する。
「だいぶ、疲れてるな。志津希。」
凪都の指が志津希の目尻に触れる。志津希は凪都の手を取って廊下に並ぶロッカーの影へ導いた。日の光の暖かさが背中に伝わる。今は凪都から離れたくない。
「こうなるなんて、想像できなくて。…ちょっと疲れちゃった。」
凪都の胸元にこつんと頭を寄せる。ネクタイの結び目が志津希の額に当たった。誰かが通っても凪都の影に隠れられるだろう。志津希は安心しながら凪都に素直に甘える。
「ごめん、俺が付けててって言ったから…」
凪都のすらりとした指先が志津希の襟元の徽章にそっと触れた。志津希はゆっくりと首を振る。凪都のせいじゃない。
「違う…これは僕の意思で付けてるから。外したくないの。」
青い石が日の光を反射してきらりと光る。凪都の指先が今度は志津希の頬に触れた。いつものように志津希は凪都の手に擦り寄ってふんわり笑いながら凪都を見つめる。こんなにも穏やかな時間がこの学園で他人と築かれるなんて志津希は思ってもいなかった。
「そんなかわいい顔しないで。我慢してるんだよ、俺。」
「我慢しなくていいよ。」
「お前なぁ、」
凪都の唇が近づいてきて志津希は目を伏せる。手の繋ぎ方も頬の触れ方もキスの仕方も凪都に全て染められていた。
「凪都?」
穏やかな時間に雷のように飛び込んできた声。凪都は反射的に志津希から離れる。ゆるく心地よかった胸の鼓動が心臓を鷲掴みにされたような嫌なものに変わってしまった。ロッカーのせいで志津希から声の主は見えない。凪都は志津希を隠すように振り返った。
「やっと見つかった…こんなところでなにしてんの??最近お昼休みもすぐ移動しちゃうみたいだし、僕に会えるの放課後だけじゃんっ!」
「影山…今日は代表の仕事何もないだろ?」
「ふたりきりでしょ?暁美って呼んでよ。」
志津希は無意識に息を潜めた。暁美がそこにいて凪都を奪ってしまう。あの日の夜が思い出されて志津希の呼吸が苦しくなる。志津希は少し震える手でばれないように凪都の制服の裾を掴む。
「ここは学園内だ。」
「…まぁいいや。」
吐き捨てた暁美が大きなため息をつく。凪都はあからさまにイライラしていて少し怖い。凪都が志津希に暁美とのやり取りを見せたがらないのは単に志津希が傷つくからかまた別の理由があるのか志津希にはわからなかった。代表仕事がある日も凪都は先に志津希に告げて暁美とさっさと移動してしまう。もやもやと志津希の心に霧がかかる。
「残念だけど仕事だよ。代表仕事じゃなくて貴都さん関連。」
心なしか暁美の声は冷たい。貴都関連という言葉に凪都の体が固まったのがわかった。志津希と呼応するように凪都の手も震えている。
「まさかまた反抗するの?今日はか」
「わかった!すぐ行く。」
暁美の言葉を遮って凪都は声を上げる。志津希に聞かせたくない内容なんだと察してしまう。志津希の呼吸はさらに浅くなってしまった。息が苦しい。うまく酸素を取り込めない。振り向いた凪都の目が一瞬驚いたように見開かれる。志津希は声を出さずに少しだけ首を振った。お願い、行かないで。願いが叶うことはないと分かっていても思うことはやめられない。
「し、」
「早く行くよ。凪都。なにして、」
痺れを切らした暁美が駆け寄ってきて志津希と目が合う。暁美は隠れていた志津希に驚いきの表情を浮かべていた。
「なに?隠れてたの?…頭のいい人は趣味が悪いね。」
「おい、暁美!」
凪都が咎めても暁美は全く気にしない様子で志津希の襟元を睨んだ。馬鹿にしたようにはっと乾いた笑い声を上げる。暁美は凪都の腕をぐっと引き寄せていつものように凪都に密着させた。
「じゃあ僕と凪都は仕事だから。」
「あ、」
「まさか!、邪魔しないよね?…君には何もできないのに。」
暁美の言う通りで志津希の口からはなにも言葉が出ない。志津希の手から凪都の制服がこぼれ落ちてふたりの繋がりがなくなった。
「志津希、絶対に夜には帰るから。俺を信じて。」
凪都の言葉に嘘がないことはわかっている。わかっていても大丈夫、信じていると強く思うことが今の不安定な志津希にはできなかった。その場に残ったのはひとりぼっちの志津希と凪都の微かな残り香だけだった。志津希は自分の体を抱きしめながら壁伝いにすとんとその場に座り込んでしまった。
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