君に心を

河嶋 亜津希

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「ほら、目開けて?」

耳元で囁かれた声と共に志津希は目を開ける。志津希は思わず声を出した。

「わぁ、なにこれ…」

昨日までなにもなかったただの小さな中庭に無数の黄色い花が咲いていた。驚いて凪都を振り返ると嬉しそうな笑顔が返ってくる。

「行こう。」

繋がれた手を引いて凪都は志津希を中庭に案内する。まるでエスコートだ。花が絡まるアーチをくぐる。何重にも折り重なる花びらがとても綺麗だった。

「はい、座って。」

真新しいベンチに凪都は志津希を座らせた。

「綺麗だね…昨日までただの中庭だったのに…」

驚きすぎて志津希は花に見惚れる。ここはよくあるただの中庭だったのだ。寮と校舎の間にあるただの中庭。でも今はまるで別世界だった。

「明日セレモニーがあるの聞かなかった?うちの温室から持ってきたんだ。気に入ってくれたみたいだね。」

「うちの、温、室?」

凪都と話していると聞きなれない言葉がぽんぽんと出てくる。志津希は思わず身構えた。

「そう、綺麗でしょう?木香薔薇って言うんだけど…」

「いや、そうじゃなくてっ家に温室があるってこと?」

しかもこんなにたくさんの花が収まるぐらいの?もうなにがなんだかわからない。

「そうだよ。志津希に一番に見せたかったんだ。」

満足気に笑った凪都はさっき買った缶コーヒーを開けて一口飲んだ。志津希は謎の動悸に襲われる。じゃあ、これは僕のためにわざわざ家の温室から取り寄せて作ったってこと!?は、なんで!?疑問やらなんやらが頭をぐるぐる巡る。お金持ちの考えることは志津希には本当によくわからない。

「そ、そっか…」

頭がパンクした志津希は考えるのを放棄した。凪都と同じように缶コーヒーを開けて一口飲み干す。もう細かいことは気にしない方がいいような気がする。しばらく黙って隣に座りながら木香薔薇を見つめる。

「…綺麗」

「よかった。…形式上は伊勢山から学園への寄贈品なんだけどさ。志津希のためのものなのに気に入ってくれなかったらどうしようかと思った。」

やっぱりそうなんだと言いかけて志津希は慌てて口をつぐむ。人生で一度もこんなことをしてもらった記憶なんかない。逆にあっても困る。

「な、なんでっ」

そう聞くのが志津希の精一杯だった。志津希の問いに凪都はうーんと少し考える。

「志津希はもっと与えられなきゃいけないって思うんだ。」

「与えられる?」

「うん。そう。」

「なに、それ。どう言う、」

凪都の言うことが志津希にはよくわからない。だって志津希は他人になにかをしてもらえるほどいい人間ではないのだ。

「そのコーヒーだって俺に買ってもらうの嫌がったでしょ?友達って存在も本当は嫌ってこともわかる。」

心臓がどきっとした。凪都に全てを見透かされているような気分だ。志津希はただ黙って視線が合わない凪都を見つめている。凪都は志津希のなにを知っているんだろうか。

「でもそれって志津希が今まで我慢しなきゃいけなかったからなのかなぁって勝手に想像してそうしたらなんか志津希にいろんなものとかあげたくなっちゃって。志津希は人がたくさんいる場所とか苦手でしょ?ここじゃ薔薇が全部隠してくれるから…ここが志津希の居場所になったらいいなぁって思って。」

歯の浮くような、甘い言葉だった。でも凪都の言うことが志津希には理解できない。ただの友達だ。ただのルームメイトだ。なんでそこまで。凪都が志津希に少なくとも好意を寄せているのはわかるけど普通ここまでするだろうか。そう思ったけど志津希の普通を凪都に置き換えちゃいけないんじゃないかという結論に至る。

「志津希は困るかな?俺にこんなことされたら。」

そう言った凪都の目が少し寂しそうに揺れて志津希は慌てて首を振った。嬉しいのは事実だ。志津希のために他人からなにかされた経験が志津希にはないからどう反応していいかわからないだけだった。

「驚いたけど、ありがとう…嬉しい…」

志津希は自分の口角が緩むのを感じた。学園内では絶対に気をぬくことなんかできなかったのに凪都は確実に志津希を溶かしていっている。大丈夫、かな…。志津希は不安になってしまう。優しく笑った凪都が志津希の頭を撫でた。

「で、でもっ!」

志津希は咄嗟に口を開く。ここで凪都と自分の壁を完全に取っ払ってしまえばだめになってしまう気がした。気を許しちゃだめなんだ。いいことがあればその分悪いことが後からやってきて志津希を苦しめる。そんなこともう経験したくない。

「もう僕に気を使わなくてもいい、から。もう十分だよ…」

本当に志津希はもう十分だ。

「そんなこと…言わないで。」

凪都が志津希の手を握る。ふたりは必然的に向かい合った。凪都の目が志津希を惑わせているような感覚に陥る。心臓の脈がはちきれそうになって志津希はぎゅっと目を閉じた。
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