君に恋を

河嶋 亜津希

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泣いていることがあまり気にならなかった。それだけ自然と流れた涙だった。

「おい、奈津!待て!」

「知らないっ待たない!」

奈津希の抵抗は春にとって所詮口だけだった。あっさりと手首を掴まれて奈津希は体の動きを止める。だけど春の顔は見れない。奈津希は溢れる涙を無視しながら自分の靴の先を見つめていた。

「なんで泣いてんだよ、奈津。」

優しい声なのに安心しない。春が嘘をついているようにしか感じなかった。

「だって!あの日は春くんバイトだって言ってた…なんで嘘つくの?なんで俺に近づくのにはっきりしてくれないの?」

勢いで余計なことまで口走ってしまう。そう、春は奈津希に対してはっきりと気持ちを伝えてくれないのだ。奈津希はずっともやもやしていた。抱きしめて頭を撫でてキスをして。なのに一番欲しい言葉はくれない。奈津希にはそれが一番苦しかった。

「奈津、なんでお前あの日がわかるんだ。」

はっと心臓が掴まれる。奈津希があの日がわかる理由は國彦しかいない。春には後ろめたいことだ。奈津希の体はぴたりと止まった。手首を掴む春の力が痛い。

「春、やめろよ。」

「えっ、」

奈津希の腕に新しい温もりを感じた。思わず顔を上げる。國彦が奈津希と春の間を割るように立っていた。

「國彦。お前には関係ないだろ?」

珍しく春は怖い顔をして怖い声を出している。こんな春を見るのは久しぶりだ。奈津希は怖くて仕方なかった。

「あの日もともと梓は俺と飯行く予定だったんだよ。でもあいつはお前に誘われて俺はたまたまなづなづと会ったらから」

「…くにひこ、さん」

奈津希は怖くなって國彦を呼ぶ。背中を向けていた國彦が奈津希のほうを向いて優しく微笑んだ。その表情は大丈夫だと奈津希に語っていた。

「奈津と会ったからなんだよ。國彦。」

イライラして春は國彦の答えを急かす。國彦はゆっくりと春に顔を向けた。

「なづなづと会ったから一緒に飯食っただけだよ。でも、春俺に文句言えないよな?春は梓と飯行ってたんだろ?しかもなづなづに嘘までついて。」

嘘。はっきりとした事実に奈津希の胸は締め付けられる。春も奈津希もお互いに嘘をついた。関係を終わらせないために。春はわからないけど奈津希は少なくともそうだ。春のそばにいたいから奈津希は嘘をついた。もうわけがわからない。

「奈津、帰るぞ。」

低くて怖い声が響く。奈津希はびくっと体を震わせた。もう駄目だ。

「春。なづなづは俺が送るから。」

「奈津!」

とにかく奈津希は恐怖を感じていた。まともに春を見れなかった。だけどこの苦しい思いを奈津希には自分で消化することができない。

「…奈津」

しばらく経ったのか一瞬だったのかわからないけど気づいたら春の強い力はいつのまにか離れていた。

「なづなづ、いい?」

優しく問いかけた國彦に奈津希は黙って頷いた。そっと國彦に引っ張られて体が動いていく。すれ違ったときに見えた春の表情は奈津希の胸をより一層ぎゅっと締め付けた。
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