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【2020/05 教育】
《第二週 水曜日 午前》
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昨夜食べたものと、今朝食べたものは、吐かずに済んだ。今は一時期よりは食べられるのかもしれない。
部屋に戻り、いつも通り儀式のように、カーテンを閉じ施錠してから、常用の薬やサプリメント、或いはプロテインなどを数えたり測ったりして淡々と摂った。
全て片付けてカーテンを開けて、鍵も解いてデスクで文献を読む。
正直、昨年度末のクソ忙しいときに見学依頼の話が出てから暫く、ずっと苛立って仕方がなかった。理由はハルくんに話した通りで、さっさと高輪署の刑事課長に問い質せばいいだけのことなのに、あの時のこと絡みだと思うと動く気力が出ず、剖検も研究も停滞気味になった。
小曽川に頼める業務連絡はなんとかなったが、自分で対応しなければならない征谷との関係に応じることが出来なかった。両親を見舞う余裕もなくなって足が遠のいていた。抑鬱が再発してたんだと思う。
実際に来てもらったら、単純に、素直で明るい真っ直ぐ育った感じの子が来て、余計当てられた。
その苛立ちを全てハルくんにぶつけた。
改めて、おれはああいう行為がないと苛立ちや抑鬱をリセットできない。
昨日のプレイ後、妙に気持ちが落ち着いている自分がいる。
蹴倒された瞬間なんか、何がなんだかわからなくなるほどよくて、それだけでいけそうだった。
今も鈍く痛む脇腹や腰の奥のだるさ、関節の軋む感じが与えてくる余韻で溜息が出る。
ハルくんには申し訳ないが、ハルくんでは足りない。優しすぎて全うできないから。
直人さんも昔に比べたら体力も精力も性格も落ちついてしまったので、徳永が適任だ。
小曽川さんが来ないことを知ったのはモーニングを食べ終えて戻ってからだった。
と、いうことは、今日は実習以外ずっと先生と二人きりってことじゃないか。困った。
「疲れが出たんじゃないかな、ああ見えて根を詰めるタイプだし、本業があるから」
本業?先生の秘書とか助手とか教員のミックスみたいな割と煩雑な仕事なのに、本業じゃないことが意外だ。
「本業って、何してる人なんですか小曽川さん」
「南の本業はアーティストだよ、抽象画家」
先生は本棚から厚さ2cmほどの大判の正方形の本と月刊の美術誌を取り出した。それぞれ付箋を貼ってある頁を開いてテーブルに置く。
「ほんとは美大受けたかったけど親が医学部以外許さなかったとかで全部自己流だって言ってた」
抽象画だけに解説がないと何を描いたものかよくわからないが緻密な平面構成で、繊細で色の使い方や色調に特徴があった。判型としてはかなり大きなものが多い。
「実習、どっかの班に南と一緒に入ってもらって南から長谷くんに教えてもらう予定だったんだけどしゃーないな」
先生がデスクに戻って仕事する後ろで広げられた本をパラパラめくっていると、テーブルトップのガラスの下の物入れに気づいた。煙草と紙マッチが入っている。
そういえばこないだ、授業の合間話しかけたとき、先生からした匂いに煙草の匂いも薄っすら混ざっていたがそんなに意外性は感じなかったので特に訊かなかった。
「先生、煙草吸われるんですね」
呼びかけに一瞬振り向いて「あぁ、もらって吸うこともあるけど、それ、おれのじゃないよ」と言った。
「知り合いが忘れて行ったやつ」
デスクに向き直って改めてキーボードを打ちながら「最後に来たのいつだっけな、結構時間経ってるし本当は捨ててもいいんだろうけど、味変わっちゃってるだろうし」と呟く。
「おれ、ずっと運動部でレギュラーだったんで吸ったことないです、家にも吸う人いなかったですし」
何気なく言ったあと、先生が思わぬ方向から攻めてきた。
「その方がいいよ、嗜好品なんてだいたい体に悪いから。南から水球やってたって聞いたけど、強かったんだな。動画見たよ」
驚いて目を剥いて固まっていると、先生が振り返った。
「ん?どうした?」
「いえ、なんでも」
嘘は得意じゃない。言葉が詰まる。
「まあ、卒業後辞めてるなら関係ないか」
動揺を察してくれたのか、先生はそれ以上何も言わなかった。
「今日の午前中、書庫で復習しててもいいですか」
「いいよ、二限の枠、別棟の看護学校の授業頼まれてるんだけど、南も居ないし、ここで好きにしてていいよ」
なんと。経歴に書いてなかったけど、看護学校の講師もしているのか。
「何の授業ですか?」
「一年生の心理学の講義だよ」
てっきり、基礎医学系講座なのかと思っていた。
「受けたいです!」
「難しい話はやらないよ?おれからしたら基本をおさらいする程度だよ」
目新しさや面白みのある内容ではない、学術書ではなく一般向けな実用書や新書などの書籍に載っている程度、今ならインターネットでも十分学べる程度の知識だという。
「構いません、受けたいです、おれ、そういう知識なんもないし」
それでも食い下がると「しょうがないなあ」とやんわり許可してくれた。
「でもなんで先生、看護学校の授業までやってるんですか」
「一年は人文系の授業が多いから外部から非常勤の先生が来てるものも多いんだけど、此処はおれがいるからね。まあ経費削減だよね」
一限が終わるのを待って、先生と一緒に看護学校に向かう。教務で印刷物を受取り、ペットボトルの飲料を買って教室に向かう。大学の授業とは違い、特に凝った機材はなく、口頭で出席を取りプリントを配って、淡々と授業は行われた。
女性が多いのかと思ったが、今は男性もそれなりにいた。
居眠りしている生徒も居たが、先生は特に追い出すようなことはなかった。但、直接寝ている生徒のもとに行き「この授業は一枠●円で買っているものであることを忘れていませんか」「単位が出なくていいなら寝ててもいいですよ」とマイルドに恐ろしいことを言って起こしていた。容赦がなさすぎる。
部屋に戻り、いつも通り儀式のように、カーテンを閉じ施錠してから、常用の薬やサプリメント、或いはプロテインなどを数えたり測ったりして淡々と摂った。
全て片付けてカーテンを開けて、鍵も解いてデスクで文献を読む。
正直、昨年度末のクソ忙しいときに見学依頼の話が出てから暫く、ずっと苛立って仕方がなかった。理由はハルくんに話した通りで、さっさと高輪署の刑事課長に問い質せばいいだけのことなのに、あの時のこと絡みだと思うと動く気力が出ず、剖検も研究も停滞気味になった。
小曽川に頼める業務連絡はなんとかなったが、自分で対応しなければならない征谷との関係に応じることが出来なかった。両親を見舞う余裕もなくなって足が遠のいていた。抑鬱が再発してたんだと思う。
実際に来てもらったら、単純に、素直で明るい真っ直ぐ育った感じの子が来て、余計当てられた。
その苛立ちを全てハルくんにぶつけた。
改めて、おれはああいう行為がないと苛立ちや抑鬱をリセットできない。
昨日のプレイ後、妙に気持ちが落ち着いている自分がいる。
蹴倒された瞬間なんか、何がなんだかわからなくなるほどよくて、それだけでいけそうだった。
今も鈍く痛む脇腹や腰の奥のだるさ、関節の軋む感じが与えてくる余韻で溜息が出る。
ハルくんには申し訳ないが、ハルくんでは足りない。優しすぎて全うできないから。
直人さんも昔に比べたら体力も精力も性格も落ちついてしまったので、徳永が適任だ。
小曽川さんが来ないことを知ったのはモーニングを食べ終えて戻ってからだった。
と、いうことは、今日は実習以外ずっと先生と二人きりってことじゃないか。困った。
「疲れが出たんじゃないかな、ああ見えて根を詰めるタイプだし、本業があるから」
本業?先生の秘書とか助手とか教員のミックスみたいな割と煩雑な仕事なのに、本業じゃないことが意外だ。
「本業って、何してる人なんですか小曽川さん」
「南の本業はアーティストだよ、抽象画家」
先生は本棚から厚さ2cmほどの大判の正方形の本と月刊の美術誌を取り出した。それぞれ付箋を貼ってある頁を開いてテーブルに置く。
「ほんとは美大受けたかったけど親が医学部以外許さなかったとかで全部自己流だって言ってた」
抽象画だけに解説がないと何を描いたものかよくわからないが緻密な平面構成で、繊細で色の使い方や色調に特徴があった。判型としてはかなり大きなものが多い。
「実習、どっかの班に南と一緒に入ってもらって南から長谷くんに教えてもらう予定だったんだけどしゃーないな」
先生がデスクに戻って仕事する後ろで広げられた本をパラパラめくっていると、テーブルトップのガラスの下の物入れに気づいた。煙草と紙マッチが入っている。
そういえばこないだ、授業の合間話しかけたとき、先生からした匂いに煙草の匂いも薄っすら混ざっていたがそんなに意外性は感じなかったので特に訊かなかった。
「先生、煙草吸われるんですね」
呼びかけに一瞬振り向いて「あぁ、もらって吸うこともあるけど、それ、おれのじゃないよ」と言った。
「知り合いが忘れて行ったやつ」
デスクに向き直って改めてキーボードを打ちながら「最後に来たのいつだっけな、結構時間経ってるし本当は捨ててもいいんだろうけど、味変わっちゃってるだろうし」と呟く。
「おれ、ずっと運動部でレギュラーだったんで吸ったことないです、家にも吸う人いなかったですし」
何気なく言ったあと、先生が思わぬ方向から攻めてきた。
「その方がいいよ、嗜好品なんてだいたい体に悪いから。南から水球やってたって聞いたけど、強かったんだな。動画見たよ」
驚いて目を剥いて固まっていると、先生が振り返った。
「ん?どうした?」
「いえ、なんでも」
嘘は得意じゃない。言葉が詰まる。
「まあ、卒業後辞めてるなら関係ないか」
動揺を察してくれたのか、先生はそれ以上何も言わなかった。
「今日の午前中、書庫で復習しててもいいですか」
「いいよ、二限の枠、別棟の看護学校の授業頼まれてるんだけど、南も居ないし、ここで好きにしてていいよ」
なんと。経歴に書いてなかったけど、看護学校の講師もしているのか。
「何の授業ですか?」
「一年生の心理学の講義だよ」
てっきり、基礎医学系講座なのかと思っていた。
「受けたいです!」
「難しい話はやらないよ?おれからしたら基本をおさらいする程度だよ」
目新しさや面白みのある内容ではない、学術書ではなく一般向けな実用書や新書などの書籍に載っている程度、今ならインターネットでも十分学べる程度の知識だという。
「構いません、受けたいです、おれ、そういう知識なんもないし」
それでも食い下がると「しょうがないなあ」とやんわり許可してくれた。
「でもなんで先生、看護学校の授業までやってるんですか」
「一年は人文系の授業が多いから外部から非常勤の先生が来てるものも多いんだけど、此処はおれがいるからね。まあ経費削減だよね」
一限が終わるのを待って、先生と一緒に看護学校に向かう。教務で印刷物を受取り、ペットボトルの飲料を買って教室に向かう。大学の授業とは違い、特に凝った機材はなく、口頭で出席を取りプリントを配って、淡々と授業は行われた。
女性が多いのかと思ったが、今は男性もそれなりにいた。
居眠りしている生徒も居たが、先生は特に追い出すようなことはなかった。但、直接寝ている生徒のもとに行き「この授業は一枠●円で買っているものであることを忘れていませんか」「単位が出なくていいなら寝ててもいいですよ」とマイルドに恐ろしいことを言って起こしていた。容赦がなさすぎる。
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