Over Rewrite Living Dead

きさらぎ冬青

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【1989/05 komm tanz mit mir】

《第二週 土曜日 午前》⑧

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アキくんは戸棚から、昨日結局手を付けなかったクッキーの箱を持ってきて、中に入っているクッキーを何枚か自分の手元とおれの前に出した。
開けてみると淡い色のミルクチョコレートに包まれた薄焼きのクッキーが入っていて、軽く噛むと肌理の細かい生地が口の中でホロリと崩れた。アキくんはうまく食べられなくて崩れた生地をポロポロこぼしている。
「なんでだろね」
こぼれ落ちた欠片を拾いながら言うと、アキくんも食べながら「ね~」と言って、言ったことによってまたこぼした。あとで掃除機借りなきゃ。あ、あとシャワーの時あちこち歩き回って床濡れたとこが型ついちゃってる、拭かないと。
「ハルくん、ハルくんは大人になってもアキくんと友達でいてくれる?」
「いいよ、勿論」
握手してほしそうに手を差し出す。そのアキくんの手は食べているクッキーのチョコレートが融けて汚れている。あまりに何をするにもこぼしたり汚したりするので、キリがなくて寧ろつい笑ってしまう。
「あのね、もし将来、他にハルくんにおともだちができる日が来ても、アキくんにとってはハルくんはずっといちばんの友達だよ」
「うん、わかった」
おれはアキくんの手を握って、顔を近づけて唇にそっとキスした。甘い匂いがした。アキくんが舌を入れようとしたけどそれは制した。首を傾げて不思議そうな顔をしているアキくんに「それはおやすみのときにね」と言うと頬を染めて頷いた。
そのあと、二人で手を洗ってから床を拭いたり、掃除機をかけたりした。アキくんは化学雑巾で床を拭き拭き這いずっていたけど、掃除機の音が大嫌いらしく、おれが掃除機をかけるときは一目散に自分の部屋に退避して隠れていた。
やっぱりアキくん、何かの動物なのでは?
そうこうしているうちに時間はあっという間に経って気づいたらもう正午を過ぎて、午後1時を回っていた。
下のクリニックから午前の診療を終えてアキくんのお父さんとお母さんが戻ってくると、アキくんは早速お父さんに飛びついて「お風呂場でハルくんと遊んでて午前中は何も勉強しなかった」と話していた。特にそれで叱られたりはしていない。
お風呂場で遊んでた、ねえ。まあ、嘘は言ってないけど、あれは「遊んでた」で済ませていいことなのか。
「あら~、シャワー浴びたいって言ってたのに、アキくんに邪魔されちゃったでしょ、ごめんねハルくん」
早速キッチンに入ってエプロンを付けながらアキくんのお母さんは笑って言った。
「あ、いえ。おれ何か手伝いましょうか」
お父さんにじゃれついて遊んでいるアキくんを横目にキッチンに近づくと、お母さんは大いに喜んで「じゃあ、ホットケーキミックスでも混ぜてもらおうかな。牛乳と卵は冷蔵庫、ミックスはシンク下に買い置きがあるの」と言って予備のエプロンを出して着せてくれた。
「学校来る前のアキくんって、お昼どうしてたんですか」
「今と同じよ、お弁当作ってあげてたの。ベランダで食べたり公園に行って食べたり、結構好き放題してたみたいよ」
なんて自由なんだ。
「いいなぁ、おれも学校行かないで済むならそうしたい」
「ふふふ、ハルくん、うちの子になっちゃえばいいのに」
冗談なのか本気なのかわからないけど、そうなったらどれだけいいことか。
そう思いながら材料を出してきてボウルにあけていると、続けてアキくんのお母さんは言った。
「ねえハルくん、午後になったら一旦おうちに今溜まってる郵便物持っていらっしゃい。午前中に学校の先生から電話いただいてお話聞いたの。わたしが絶対助ける」
その横顔は凛として、おれが知っている範囲の女の人からはあまり感じたことのない種類の強かさに満ちていた。
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