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07 春の花
しおりを挟む一日の執務を終えて湯浴みを済ませ、夜着に着替えるとベッドに腰掛けた。いつもなら、このまま読み掛けの本に手を伸ばして書の海に沈む。
しかし、どうしてか今日は気掛かりがあった。
しばし悩んだ末にパチリと目を開けると、セオドアは立ち上がって棚に並んだ引き出しの一つを開ける。中から数枚の書類をクリップで挟んだものを取り出して、再びベッドまで戻った。
一枚ずつ捲っていくと、見慣れた彼女の顔を見つける。デイジー・シャトワーズと綺麗に記された名前を指でなぞってみた。彼女の字だろうか?それとも、母親か父親、もしくは使用人のメイドなどが代筆したのかもしれない。
だけどもなんとなく、それはデイジーのものである気がした。小さいながらに丁寧に記された文字たちは、彼女らしいと思えたから。婚約者のことを大して知りもしないし、知ろうともしなかった自分が言うのも変な話だが。
「デイジー・シャトワーズ………」
名前を口にするとブルッと身体が震えた。
右端に印刷されたモノクロの写真の中では、耳の下で髪を切り揃えた女が控えめな笑顔を見せている。艶やかな黒髪を伸ばさずにバッサリ切っているのは勿体なく感じた。というのも、セオドアは髪の長い女の方が好きなのだ。
今までに関係を持った女たちは皆揃って金髪のロングヘアだった。べつに選別したわけではないが、おそらく何処かで令嬢の一人の髪を褒めたことが噂として回って、告白して来る女たちはまるでルールのようにそうしたヘアスタイルを取るようになった。
デイジーとはまるで異なる。
記憶の中の婚約者の姿を引っ張り出す途中で、つい先日見た彼女の幼馴染みの男が浮かんだ。
(………本当にただの友人なのか?)
疑ってしまうのも無理はない。
デイジーが友人と庭を散歩している様子を、セオドアは王宮の中から眺めていた。意図的に注視していたわけではなく、忘れ物を取りに帰るために一旦自分の部屋へ戻った際に、開け放たれた窓から見えたのだ。
小柄なデイジーが小鳥のように友人である男の周りを嬉しそうに飛び跳ねていた。ここまでは良い。問題はこれからで、観察を続けると、ふとした瞬間に二人の姿は重なった。それはもうピッタリと、数秒間。
驚いたと同時に、見てはいけないものを目にした気がして慌てて窓から身を引いた。
お飾りの妻だのと宣言した手前厳しいことは言えないが、こうも堂々と他の男と仲を深めていては困る。
しかしながら、勘違いである可能性も捨てがたい。
その場に居た彼女の侍女たちに確かめるのが一番の近道だが、侍女たちはいつもデイジーと行動を共にしているのでこっそりと聞き出すことなど出来ない。
悩みに悩んだ結果、翌日デイジーを朝食に誘ってみた。いつもであれば日課のトレーニングに勤しむ時間を彼女のために使って、それとなく探りを入れた。
「はい、その通りです。ルートヴィヒ小公爵は私が幼い頃からよく遊んだ旧知の仲なのです」
これはデイジーの答え。
あの友人の名前はルートヴィヒというらしい。デ・ロンド公爵家に年頃の若者が居るとは知らなかったし、その男が婚約者と親しい仲にあるのも初耳だった。
とりあえず今度から訪ねて来る際は教えてくれ、と伝えた後に自分をよく知る執事長の方を見ると、目を丸くして驚いていた。何か言いたいことでもあるのか、と視線で訴え掛けたが、彼はただ首を振るだけで意見の共有は求めていないようだった。
(幽霊でも見たような顔だ……)
年配の執事長が見せる変わった顔に首を傾げる。
口直しで食べたデザートのムースは春の花の香りがした。
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