魔法学校のポンコツ先生は死に戻りの人生を謳歌したい

おのまとぺ

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第五章 祈りと迷い

92 悪夢2



 コレットには何も見えなかった。

 ハインツが唱えた短い言葉の後も、状況は依然として変わらず、その場にはただ四人の人間と一人の死体が佇むだけ。彼が吐いたのが自分たちを苦しめる呪いなのか、それとも全く別の意味を持つ何かなのか、分からないままに永遠とも思える時間が流れた。

 解説を求めてレオンを見上げた時、異変に気付いた。涼しい顔を崩さなかった王子の額には大粒の汗が滲み、目は大きく見開かれている。剣を握る手には血管が浮き出て、それは持ち主の並々ならぬ緊張を表していた。


「レオン………?」

 返答はない。
 レオンの瞳にはコレットなど映っていないようで。

 もう一度名前を呼ぶべきか、強く身体を揺するなどしてみるべきかと思案している後ろで、クスクスと控えめな笑い声が響いた。振り返ればハインツが腕を組んで腰を折り曲げている。

「何がおかしいの?」

 自分だけが状況を理解出来ていない焦りから、ついつい口調はキツくなる。そうでなくとも、長い月日を共に過ごした友人とこのような再会をしたことで受けたショックは計り知れない。

「僕が彼に掛けた魔術は少し特殊なんだ」

「特殊………?」

「僕は対象が最も恐れているものを具現化することが出来る。悪夢の再現、なんて言ったら意地悪に聞こえるけど結構便利な魔術でね」

 ハインツは楽しそうに笑みを浮かべたままで、もう一度自分の手の隙間を覗き込んだ。

「だけど、驚いたなぁ…… レオン・カールトンはてっきり自分が救えなかった友人のことを一番恐怖していると思っていたけど、」

「…………?」

「どうやら違ったみたいだ」

 クツクツと喉を鳴らしてハインツが笑い続ける前で、大きな音を響かせてレオンの手から剣が滑り落ちる。その双眼から先ほどまでの闘志が消えているのを見て、コレットは背筋が冷たくなった。

 あれほどまで真っ直ぐに前を見据えていた灰色の瞳は、今やぼんやりと半開きで焦点が定まっていない。何度か名前を呼んだコレットの声は、完全に彼の心に届いていないようだった。


「レオン………!!」

 ハインツの言葉がぐるぐる回る。

 最も恐れているものの具現化。レオンにとってそれは彼の友人のイリアスではないと言う。おそらく術者であるハインツにはそれがすでに見えているのだろう。

「レオン・カールトン、君は臆病な人間だ」

 じゃりっと砂の音がしてハインツは足を踏み出した。コレットは胸に抱いたカゴを抱き寄せる。どうしたら良いのか、最適な行動は焦る気持ちで隠れて見えない。

「君は他の人間を寄せ付けない。それは生まれ持った強さ故だけじゃない。君は恐れているんだ…… 他者が君を化け物と呼んで離れて行くのを」

「違う、」

 短い否定が割って入った。
 落ちた剣を拾うためにレオンが身を屈める。覗き見えた表情はかなり苦しそうで、とてもではないけれど傲慢な王子には見えない。

「君が恐れているものを教えてあげようか?」

「やめろ…… お前は間違っている」

「生まれながらにして恵まれた魔力、すべてを好き勝手に出来る権利を持った君が何よりも恐れていたもの。それは、君自身の孤独だ」

「…………」

 下を向いたレオンの表情は目に入らない。

 しかし、膝を地面に突いたままで小さく震える背中は、彼の動揺を如実に表していた。掛けるべき言葉が分からない。王子の置かれた環境、彼が失ったものを考えると、安易にその場凌ぎの慰めを放つのは気が引けた。

 隣を向けば、幼い少女はコレットのそばで静かに成り行きを見守っている。この年頃の子供なら、悲鳴を上げて逃げ出しても良い状況だ。

 レオンが戦えない今、自分がすべきことは一つ。
 大人として、冷静な対応を。


「ハインツ………!」

 王子を注視していた黒い双眼がこちらを向いた。

「どうしたの、コレット?」

「魔術を解除して!貴方がどうして極地会の味方をするのか分からないけれど、戦闘ではなく話し合いをしたいの。それに、王族への攻撃は極刑よ。貴方のためにも、今すぐ───」

「君は本当に優しいねぇ」

 にこりと見慣れた薄い唇が弧を描く。
 恐ろしいほど穏やかな笑顔。

「何も知らない可哀想なコレット。君はこの男の気紛れで生かされたわけじゃない。もちろん、君の死に際に彼が時戻りを実行しようとしたのは本当だよ。でもね、女神がそれを許したのには理由がある」

「理由……?」

「いつかきっと知ることになるよ。レオン・カールトンがそれを知って君を助けたのなら、彼はとんだ策士だ」

「ハインツ、そんなことより魔術の解除を!」

「うん。ごめんね」

 コレットの前でハインツが姿勢を正して指を鳴らした瞬間、左の頬に何か温かいものが飛んだ。震える手で肌に触れると、ぬるっと指先が滑る。

 顔を向けなくても分かった。
 視界の隅で倒れ込んだのは、見慣れた金髪。

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