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第三章 辺境伯の箱庭
52 ペルケマリア
「それにしても平和な場所ねぇ。ここまで来たらもうセレスティアじゃないみたい。なんだか訛りのようなものも感じるし、不思議ね」
「そうね……」
淡いピンク色のショールを肩から掛けたレイチェルは、先を歩く足を止めて振り返った。
「元気が無いわね。ミドルセン校長から通達があったけれど、サマーキャンプが大変だったんですって?アーベル先生が負傷したとか」
「ええ。お見舞いに行ったけど、来週には退院出来るらしいわ。身体が頑丈なのは本当ね」
レイチェルは軽やかに笑い声を漏らす。
王都からバスで二時間ほど揺られて、大きな湖を船で渡ること一時間、そして更に乗り継いだバスで山を登って一時間。ペルケマリアと呼ばれる山岳地帯は高度が高いためか、少し息苦しい。時間が経てば慣れてくると聞くけれども。
マゼンタスの病院に入院中のルピナス・アーベルを訪れたのは三日ほど前のことで、恐る恐る訪れた病室でアーベルは元気そうだった。妻と子供に囲まれて「死ぬかと思いましたがね!」と笑い飛ばすその性格は、素直に尊敬に値する。アーベルは引率中に背後からリンレイに襲われたらしく、すぐに気絶したので詳しいことは覚えていないらしい。
そしてコレットは今、レイチェルと彼女の友人を訪ねて辺境に来ている。
サガンに接する東西南北四つの都市に挟まれて点在するいくつかの辺境伯領のうちの一つ、ペルケマリアを目指して王都を出発したのは早朝六時のこと。
多くの辺境伯領はすでに四都市に合併済みだが、今も尚自身の領土を守り抜くところもあって、どうやらレイチェルの友人は後者のようだった。
「良い場所だわ。四都市に吸収されたら風土も変わってしまうし、アルバートはきっと今のこのペルケマリアを愛してるんでしょうね」
そう言ってレイチェルはグンッと伸びをする。
コレットはまだ、レオンの件についてレイチェルに伝えられていない。ノエル・ブライスの正体については校長であるミドルセンからも保留の支持を受けており、詳しい話が分かるまでは口外を禁止されている。
(話を聞く機会なんてあるの……?)
懐疑的になる胸の内を無理矢理に落ち着けて、高台から見える美しい景色を眺めた。レイチェルの同期である男が、王都を離れてこの場所に移住したのも分かる気がする。もちろん、辺境伯を親に持つ故にその後を継ぐ必要があったのだろうけど、ペルケマリアでは王都よりも時間の流れが穏やかに感じるのだ。急ぐ必要はないと、肩の荷がスッと降りるようで。
「あ!ここだわ、シモンズって書いてある」
急に大きな声を発したレイチェルを慌てて追い掛けると、立派な門構えの屋敷が建っていた。躊躇することなく細い指が呼び鈴を押す。
やがて、玄関の扉が開いて、小柄な女がパタパタとこちらに駆けて来た。茶色い髪を三つ編みにしたまだ若い女は、顔を上げて上気した頬を見せる。
「あの、先生のお客様ですか?」
「ええ。来ることは伝えてあるの」
「すみません……えっと、えっと……先生は、今ちょっとお客様の対応に当たっていて」
申し訳なさそうに丸い目を左へ右へと行ったり来たりさせる女の後ろから、声が掛かった。
「ダコタ、構いません。二人とも入っていただきましょう。その方がきっと話が早いですから」
現れたのは少し長めの黒髪を耳に掛けた男。
一眼見てそれが写真に映っていた人だと分かった。
男は自分の名前をアルバートと名乗り、隣に立つ女のことを紹介した。小柄な女はダコタという名前で、彼の妻であるらしい。「先生」と呼んでいたからてっきり助手か何かだと思っていたコレットは、内心驚いた。
当主であるアルバートに案内されてレイチェルとコレットは屋敷の中を歩く。客室と思われる碧色の扉の前にはすでに、人数分のティーカップを並べた台を押すメイドが待機していた。
(………五つ?)
アルバートにダコタ、客人であるレイチェルとコレットを加えても四つだ。不思議に思いながら潜った扉の先で、その理由はすぐに分かった。
「アルバート、この論文は締めがイマイチだな。マーリンの魔導書に裏付けされてると書いてあるが、魔導書は別に絶対的な正ではない」
長い脚を組んで分厚い紙の束に指を這わせる男が視界に入る。開いた扉に気付いたのか、男はゆっくりと顔を上げた。
金色の髪に不機嫌そうな表情。
コレットは王子の姿を見て目を見開いた。
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