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第四章 二つの卵と夢
80 ハインツ
サガンでの観劇から三日が経っていた。
新しい一週間が始まったけれど、デ・ロサ伯爵家の双子は登校して来ない。ピクシー・ベルーガの話では、彼らの父であるガイツは一命を取り留めたらしいが、二人が今後一緒に住むことを選択するのかどうかはまだ未定らしい。
大女優オリアナ・デ・ロサの訃報はすぐに国中に広まって、いくつかの劇場や施設はその死を弔うために数週間の休業を発表した。それほどまでに、彼女の死は芸術の世界にとって痛ましいものだった。
「コレット~~、野菜のクズが溜まったんだけどアンタのとこのネズミにやるかい?」
そう言って部屋に入って来たのはマダム・ミロワ。
目が覚めるようなスカイブルーの布地に大きな白の水玉模様のワンピースを着こなせるのは、きっと彼女かベルーガぐらいだろう。
「ありがとう、マダム。だけどごめんなさい、オーリーは今のところ人間と同じものしか食べないの。前の飼い主さんがそうやって餌付けしたみたいで……」
「んまぁ~贅沢なネズミだね!こんなブクブクに太っちまって、あぁ~ブサかわいい!!」
このこのっ、とマダムに突かれて、コレットの肩の上のハムスターはよろける。慌てて片手を差し出して手のひらの上に乗せながら、内心レオンへの恨み節を唱えていた。
(なーにが私の言うことは聞く、よ……!)
レオンが変身した姿、つまりノエル・ブライスとしてプリンシパルに顔を出したのは月曜日のことで、アニアなんかは心底喜んだ。
欠席を続けていたノエルの久しぶりの登校は、週末の事件のことで沈んでいた一年一組に少しだけ明るい雰囲気を運んだのは本当で、コレットも安堵したのだ。
したのだけれど。
「しっかし災難だったねぇ~~急に教え子のペットを預かることになるって。アタシだったら突き返しちまうよ」
うっかり尻に敷いても怖いし、とマダムは心底恐怖した顔で自分の身体を摩る。
「ね、本当にそうですよ。良い迷惑ですし、早めに引き取ってくれることを願ってます」
そう言って手の中のハムスターを見遣ると、ずんぐりとした小さなオーランド・デボワは怯えたようにチュウッと鳴いた。
何を隠そう、この愛くるしい生き物はかのデボワ伯爵なのだ。
久しぶりに来たと思ったらレオンは「家庭の事情で飼えなくなった」とコレットの前にネズミの入ったケージを押し付けて来た。檻の中で懸命に滑車を回すのはどうやら魔法で姿を変えられたオーランド・デボワらしく、彼の魔力と言葉はレオンによって封じられているそうで。
それじゃあ自分で飼えば良いのに、と何度訴えても王子は「アレルギーが出る」の一点張り。確かにレオンは話している間、終始目が赤く、痒そうにしていた。不思議とコレットに症状は無い。それならば他の生き物に変えてみては、と進言したけれど、どういうわけか昆虫や蛇にしてみたところでアレルギー反応が出てしまうとのことだった。
隔離場所が決まる間までの暫定的な滞在らしいけど、自分の部屋に見知らぬ男が(ネズミの姿とはいえ)居座るのはあまり良い気がしない。
「そういえば、今からパンケーキを焼こうと思うんだよ。ハインツを呼んで来てもらえるかい?」
「本当?嬉しいわ!すぐ行く!」
「あいよ、キッチンで待ってるよ~」
愛想の良い笑顔でその場を去るミロワを見送って、コレットは持ち歩き用のカゴの中にオーランドを移す。レオン曰く「居場所は常に管理している」らしいけれど、万が一脱走されたら大変だ。
同じアパートメントの住人であるハインツ・ニードリヒの部屋はコレットの隣にある。思えばまだペットを飼うことになった報告をしていなかったので、カゴを片手に行ってみることにした。
「ハインツー!」
トントンッとノックしても返答はない。
鍵が掛かっていなかったのか、強めにノックした拍子にドアは奥へと開いた。コレットは前へとつんのめって玄関に無様に転がる。
「んだっ……!」
なんとかオーランドの入ったカゴだけは死守したけれど、両膝を強く床に打ち付けて痛い。大人になると転ぶことなんて滅多にないから、尚更痛い。
勝手ながら侵入してしまった部屋の中で、恐る恐るコレットは周囲を見渡してみる。自分やマダムの部屋と違って物の少ないハインツの部屋は新鮮だ。
「─────、」
話し声が聞こえたので、思わず首を伸ばして部屋の奥を覗いた。
見れば、白い机の向こうで耳に何かの装置を付けたハインツがモニターを前にして話している。薄いモニターはレイチェルの保健室にあるものに似ていた。
「ハインツ?」
「………!」
名前を呼んだ瞬間、それまで表情のなかったハインツの顔に驚き、そして焦りの感情が浮かぶのが見えた。慌てて立ち上がった勢いで、耳から伸びていた小さな器械が外れて落下する。
「ごめんなさい、作業中だと思わなくって!ノックしたんだけど聞こえた?勝手に入っちゃって気を悪くしたなら謝るわ。マダムがパンケーキを、」
その時、床に転がっていた小さな器械がジジッと音を発した。
『おい……聞いてるのか、司会?』
コレットが何かを言う前にハインツはそれらを拾い上げて握り込む。何やらタイミング悪く部屋に入ったことを申し訳なく思いながら、とりあえず両手を合わせて玄関へと向かった。
「本当にごめんね、また時間が出来たら降りて来て。マダムがパンケーキ作ってくれるって!」
「わぁ、最高だね。おやつにちょうどいい。もう少しで片付くから、終わったら合流するよ」
ひらひらと笑顔で手を振るハインツに見送られてコレットは階段を駆け降りる。目先の美味しいご馳走に高揚する気持ちで、さっきまでカゴの中で騒いでいたオーランドが奇妙なほど静かなことに気付かなかった。
◇おしらせ
ご愛読ありがとうございます。
明日から第五章に入ります。
9月、31日まであると思っていたらもう終わったんですね。ストックが薄くなってきたので、もしかすると更新のない日があるかもしれません。流行りのマイコプラズマ肺炎に罹った関係で、なかなかお話を書く余裕がなく……
なるべく更新したいのと早くまとめていきたいので、気長にお付き合いいただければと思います。
どうぞよろしくお願いいたします。
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