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第五章 祈りと迷い
88 ヘール3
思い返すのは幼い頃の記憶。
セレスティアは北部ではあるものの他の地と同様に夏を迎えるので、子供の頃は川や海へ両親がよく連れて行ってくれた。しかしながら、コレットが積極的に泳ぐことは少なく、大抵は無邪気に泳ぎ回る同年代の子供たちを眺めながら砂浜でお城を作ったりしていた。
日焼けするのが嫌なわけではない。
とんでもなくカナヅチだったのだ。
「………っ……!?」
驚いて開いた口の中に勢い良く水が入り込む。ほんのり塩味さえ感じるそれは完全に海水で、老人はどういう仕掛けかアルデノス神殿をまるまる海の中に沈めてしまったようだった。
(そんな馬鹿な、あり得ないわ!)
あり得ない、そう分かっているのに身体は緊張して心拍数は上がる。水を飲んだためか胸が苦しくなって、酸素を求めて肺は悲鳴を上げる。暗い海水の中ではレオンも極地会の男も見つけることが出来ない。
何の準備もしていなかったため、体内の酸素は限界に近かった。腕を動かして踠いても、重たい水をただ掻くだけ。浮上する気配は一向にない。
なんとか上を見上げたとき、わずかにぼんやりと光る灯りが見えた。酸欠の頭を回して、どうやらそれは月明かりだと思い当たる。
(海の中なのに月が見える……?)
いよいよ苦しくなって思わず歪めた唇の隙間から、再び水が入り込んだ。もうこれ以上コレットの身体の中に海水は取り込めない。いっぱいいっぱいも良いところで、最後の足掻きで上に向かって思いっきり右腕を伸ばした。
「おい、呑み込まれるな!」
指先に何かが触れて強い叱責が飛んでくる。
この威圧感たっぷりの声は、もしかして。
「………ンンッ!」
王子の名前を呼んだはずなのにコレットの口からは大きな泡が飛び出しただけだった。限界などとうに超えた身体をまたもや水が侵す。
もがき苦しみながら、ふとあることに気付いた。
なぜレオンは言葉が話せるのか?
水に満たされたこの空間で、彼は顔色ひとつ変えずに澄ました様子でコレットを見ている。それならば今すぐ助けてほしいのだけど、そもそも水の影響を受けていないようで。
ボゴッと何度目かの泡を吐き出したコレットの肩を掴んで、レオンが前後に揺すった。
「よく聞け、これは魔術の一種だ。君が居るのはただの神殿であって今見えているのは幻想だ。俺たちの周りに海なんか広がっちゃ居ない」
「んむっ……んんーー!!!」
「呑まれるなと言っただろう!目に見えるものを信じてはいけない。心を強く持てば、」
「っんーーーーー!!!!!」
拝啓、レオン殿下。
うんちくは良いのでどうか助けてください。
酸欠状態のコレットにとってレオンの言葉はすべて永遠に続くお説教のようで、次第に意識が朦朧としてくる。もうこちらの手に負えない、という意思表示のためにコレットは王子のシャツを掴んだ。
「君は本当に……どうしようもないな」
薄れゆく意識の中、力が抜けたコレットの手首をレオンが掴む。そしてそのまま二人の唇は重なった。
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