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第二章 ニケルトン侯爵家
05.悪役令嬢は部屋を探す
しおりを挟む日の出までは、建物の影に潜んで息を殺していた。夜中に行動しても良いことはないし、土地勘がない場所で動き回るなんて危険過ぎる。幸い、物語の舞台となっているアビゲイル王国は美しく豊かな強国と書かれるだけあって、治安が良いようで、夜間は鼠も眠ったように静かだった。
(朝日が昇ったのね……)
薄らと明るくなる辺りを見渡して目を細める。
先ず何からすれば良いのだろう。とりあえず、衣食住を整える必要がある。着る物は少しは持って来たから良いとして、一番大きい問題は家。
魔法なんてものがある時点で、この世界が史実などに則っていないことは理解しているけれど、はたして私のような職なしの人間に部屋など借りられるのか。というか、そもそも賃貸の概念ってある?
ボタン一つで内見予約を入れられるわけでもないので、難航しそうな部屋探しを思って溜め息を吐いた。
◇◇◇
「え?部屋を借りたい?」
「……はい」
物売りの老婆は訝しむように私の顔をジロジロ眺める。眼鏡のフレームを手で押し上げながら、私は緊張のあまり冷や汗が流れ落ちるのを感じた。
陽が登って街には人通りが増え、市場も賑わいを見せていた。あまり長居は出来なさそうだ。宝石商で小さな指輪を売って得たお金を持って、私は人の良さそうな店主を狙って市場の出店者に声を掛けている最中だった。
「あんた、名前は?」
「ア…アリアです」
「住む場所がないなんて、まさか訳ありじゃないだろうね?」
「そんな、とんでもないです!田舎の出なものでこのような都会に知り合いもなく……なんでもお手伝いするので、お部屋を貸してくれるお家はないかなーと…」
なんでも、というところで老婆の目がギラリと光ったので私は慌てて言葉を付け足す。
「あ!出来れば女性がいらっしゃるお家が良いな~なんて!実は田舎に婚約者を残してきてまして、彼がとんでもなく嫉妬深いんですよね!あははっ」
物語におけるアリシアの年齢は確か二十歳そこそこだったはず。部屋を借りる身で注文を付けるのは申し訳ないけれど、一人暮らしの変態男爵の家なんかを紹介されても困る。こちとら、エロ同人のヒロインに堕ちるために転生してきたわけではない。
若い女が家を探す上で気を付けること。それは周辺の治安の良さと貸し主の人柄。他にも諸々あるけれど、知見のない場所で家を借りるのであれば、最低限の身の安全のためにこの二つは押さえたいポイントだ。
「ふぅん……まあ、あるにはあるけど…」
「え!本当ですか?」
「ニケルトンの屋敷が確か、住み込みで一週間ほど働ける乳母を募集していたんだ」
「……うば?」
「子供は好きかい?」
「……こども?」
老婆は店の看板を地面に伏せると、呆然とする私の手を取って歩き出す。ズンズンと進む彼女の足の速さは年齢のわりにとても速く、私は転びそうになりながらその後を追った。
何分歩いたのか分からないが、いつ着くのかと老婆に聞こうとしたところで、目の前に大きな屋敷が姿を現した。街から少し外れた場所に、高い木々に囲まれて建つこの家が雇用主となる人の住処なのだろう。
慣れた様子で呼び鈴を押すと、すぐに三つ編みを肩に垂らした疲れ果てた女が出て来た。
「はぁい…どうしたの、ロージナ?」
「ニケルトン家の新しい乳母を連れて来たよ」
「え、本当?この子が!?」
途端にパッと顔を輝かせて、三つ編みの女は私の手を両手で握り締めた。
「ありがとう~!もう双子って大変で大変で!一人昼寝から起きたらもう一人もつられて起きるの知ってる…!?」
すごい勢いで捲し立てる女に「知りません」と答えると、ガクンと項垂れながら女は私に諸々の条件を提示してきた。住み込み期間は一週間。なんでも、正式に雇用している乳母が熱を出して休暇を取っているらしい。
ニケルトン夫人は夫の仕事も手伝っているため、日中だけ子供たちの世話を見てほしいという話だった。夕方からは自由に出来るということで、一週間もあれば次の家を探すことも可能かもしれない。
「やります!私、働きます!」
「よし、決まりね……えっと…」
「アリアです」
「アリアちゃん!はい、採用!私はマグリタよ。よろしくね」
グッと親指を突き出す夫人に礼を言って、ロージナと呼ばれた老婆にも感謝の言葉を伝えた。老婆はヒラヒラと手を振りながら、また来た道を戻って行く。
秋の風に背中を押されるように、私はニケルトンの屋敷に足を踏み入れた。
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