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第三章 南の楽園マリソル
37.悪役令嬢は名前を告げる
しおりを挟むニコライを相手に、本当の名前を明かすと決めたはずなのに私は翌日になってもなかなか言い出せずにいた。朝食を食べて、昼時になり外に出ることになっても、まだ上手い切り出しが思い付かずに私はまごついている。
「アリア、今日はなんだか静かだね?」
「そうかしら。もうすぐマリソルを離れると思うと、なんだか少し寂しくなっちゃって…」
「え?君はもう此処を発つの?」
「あ…今日出ていくってわけじゃないんだけど……」
悲しそうな顔をするニコライを前にして私は言葉を濁す。
「まだ出会ったばかりだよ。君とはもっと仲良くなれると思っていたのに、」
「そう思ってもらえて嬉しいわ。私も貴方に親切にしてもらえてとても助かったの」
「べつに…皆に親切なわけじゃないよ」
「え?」
「アリアのこと気に入っているんだ、君がずっとマリソルに居てくれたら良いのにと思っている」
「ニコライ……」
なんと返せば良いか分からなかった。
口を開いて言葉を吐き出そうとした瞬間、腕の中のペコロスが急に妙な鳴き声を発した。あまり可愛くない絶妙な表情でニコライを見上げながらブヒュンブヒュンと鳴いている。
私たちは二人して驚きに目を見合わて、ペコロスをしげしげと観察した。昼ごはんを食べるまでは特に変わった様子はなかったけれど、何か喉に詰まったのだろうか。
「ペコロス?大丈夫…?」
「ブフッフー」
「お家に戻って横にしてあげた方が良いかもしれないわ。ごめんなさい、一度教会に戻っても?」
「もちろんだ。付き添うよ」
「ブフェッ!ブフー!」
「大丈夫よ、ペコロス。もう少しの辛抱だから」
奇妙な鳴き声を発し続けながら、チラチラとニコライに視線を送るペコロスは何か言いたげだった。以前にも感じたことがあるけれど、彼はときどき魔獣というよりも人間のような動作をすることがある。
魔獣のわりにイマイチ魔力があるようにも見えないし、一度クロノスか誰か魔法に詳しい人に見てもらった方が良いのかもしれない。
二人で並んで教会への道を歩いていると、反対側から来た子供の集団が「あ!」と声を上げてこちらへ駆けて来た。
「ニコライ先生!こんにちは!」
「こんにちは、皆もう授業は終わったの?」
「うん。教会で受けるやつは全部終わったよ」
「そうか。それはお疲れ様だったね」
「へへへ!先生はデート?」
「で……!?」
思わず私は素っ頓狂な声を上げる。
ニコライは穏やかな笑顔でこちらを振り返った。
「まだ友人だよ、残念ながらね」
「ひゅ~!ニコライ先生もやるね!」
「おれ、神様にチクっちゃおうかな!」
「こらこら。じゃあ僕も、君の先週のテスト結果をお母さんに報告しようか?」
「うげっ!それは無しでしょ!」
焦ったように両手をバタバタさせる子供の姿を見て、思わず吹き出す。どの世界でも子供は子供で、その反応は自然体で可愛らしい。
最近いろいろと考えることが多過ぎて忘れてしまっていた。きっと、もっとシンプルに行動すれば良いのだ。深読みしたり、無駄に恐れたりせずに、素直に心に従って。
笑い声を響かせて走り去る子供たちに手を振って、再び私たちは歩き出した。気持ちの良い秋の昼下がり、通路の傍には果物や焼きたてのパンを売る小さなテントが出ている。
静かな風に背中を押されるように、私は口を開いた。
「あのね、ニコライ。貴方に話したいことがあるの」
「話したいこと?なんだろう……?」
「実は貴方に伝えたのは本当の名前じゃない。私の本当の名前はアリシア・ネイブリー。聞いたことはあるかしら?」
「……アリシア…ネイブリー?」
この反応。知らないわけではなさそうだ。
さすが有名な悪役令嬢なだけはある。
「この国の王太子であるエリオット様の婚約者だったの。元、だけどね。理由があって…黙っていてごめんなさい」
「君がエリオット・アイデンの婚約者……?」
「昔の話よ。今は彼の隣には違う女の子が、」
言葉を続けようとしたら、ニコライはそれを遮るように片手を上げた。私はびっくりして言葉を止める。
ニコライの顔は青ざめて、広げられた手はわずかに震えていた。いつも明るい彼がこんなに取り乱した姿を見せるのを私は初めて見たように思う。何か気に触ることでも言ってしまったのだろうか。
「アリア……いや、アリシアだったね。悪いけど続きは今日の夜にしよう。夕食後に礼拝堂へ来てくれ」
「ニコライ?」
それっきり人が変わったように厳しい表情を貼り付けて、ニコライは喋らなくなった。私は何事か分からないまま、ただただ足早に石畳の床を蹴る彼の後を追い掛けた。
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