鬼女とDD

阿良々木五男

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鬼女とDD(全年齢版)

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「毎晩毎晩、よーやるわ」

 木の枝に座っていた鬼の椿はそう呟いた。目下を横切る道路はしんと静まり返り、その路傍を一人の男が走っていく。男は黒いジャージにスニーカーという出で立ちで、首にはスポーツタオルを引っ掛けていた。髪はスポーツ少年らしく黒のままで、邪魔にならない程度の長さに切っているようだ。彼は毎晩同じ時間にここを走っていく。天気の悪い日も、小雨程度なら気にせずジョギングをしているようだった。運動部にでも所属しているのかと思ったが、様子を見ていると別に運動部に所属している訳でも無いらしく、ただ運動の為に毎日ジョギングを続けているようだ。

「人間のやることはよく分からんね」

 そう独り言をこぼす椿の方はと言えば、赤い髪を肩下まで伸ばした女だった。鬼らしく短い角が髪の生え際から覗いており、目は金色、犬歯は人間よりも発達している。昔は衣服も着物でそれは鬼らしかったのだが、今は鬼の方も時代に沿って、Tシャツやジーンズなんかを好んで着ることが多かった。椿も例に漏れず、長袖のTシャツに黒のスラックスという出で立ちだった。彼ら鬼は人間よりも体温が高いので、コート等は着ない。邪魔でしか無いからだ。

「さて、酒でも飲みに行こうかね……」

 椿が木から降りようとした時だった。ジョギングをしていた男の先方に不審な男が数名見えた。なんだろう、と思って目を凝らす。目深に帽子をかぶった若い男が五名程、ジョギングをしている男の方に向かって歩いていく。飲み会帰りの男達がただ歩いているだけ――とは思えなかった。

 一方、ジョギングをしていた亮介の方はそんなことは知りもせず、いつもと同じペースを保ちながら走り続けていた。息が白くなるし風が刺すように冷たいが、走るのはやっぱり気持ちがいい。ちょっとしたランナーズハイの状態なのかもしれない。コンクリートを蹴って、前に進む。前方には緩やかな曲がり角がある。その先はよく見えないが、この時間は人通りも少なく、車通りも滅多に無いのでさほど気にするようなことは無かった。

 だから曲がり角を曲がった時に目の前に数人の男が現れた時、亮介は腰が抜ける程驚いた。そして、その内の一人と肩がぶつかってしまい「しまった」と思ったがもう遅かった。

「いってええええ!おい、お前どこ見てんだよ!」

 わざとらしい痛がり方。そんなレトロな反応をする奴、今でも居るんだなぁなんて呑気に考えていた。

「すみません」

「すみません、じゃ無いだろ。骨にヒビでも入ってたらどーすんだよ」

「もし良ければ救急車呼びますけど」

「はぁ!? なんかお前、感じ悪くね?」

「え、どうしてそうなるんですか」

 そう言った頃には、男達が亮介の回りを取り囲んでいた。逃げ出そうと後ずさったが、後ろの男にどつかれて逃げられなかった。

「なんかさぁ、謝られてるって感じしないんだよねぇ。俺、マジで痛かったんだけど」

「だからさっきから謝ってるじゃないですか」

「……やっぱお前ムカつくわ」

「は……」

 言い返そうとしたとき、頬に強い衝撃が走った。殴られたと理解するのに時間が掛かった。運よく歯は抜けていないようだが、歯に触れた口内が切れたのか血が噴き出してきた。

「いってぇ」

 殴り返すか? そう思ったが、亮介は生まれてこのかた喧嘩などしたことが無い。人の殴り方など知らなかった。警察を呼ぶか? だとしてもスマホを取り出す前にボコボコにされそうだ。逃げなければ。でも、一体どうやって?

 逃げる隙をうかがっていたが、無常にも彼の背中を誰かが蹴った。思わず前のめりになり、手を地面についた。一瞬、殺されるかもと思った。

「ちょっとォ、趣味悪いんじゃない? せめて一対一でやれば良いのにねぇ」

 その場に似合わない女の声。両腕で頭をガードしていた亮介は、声の方をチラリと見た。そこには真っ赤な髪をした女が立っていた。頭にはキャップを被っている。

「あっ!? お前そのキャップ、俺のじゃん!」

 亮介にぶつかってきた男が言った。

「良いね、コレ。もらっとくわ」と椿。

「いやいや、お姉ちゃんさ、勘弁してよ。っていうか空気読も? 今そういうアレじゃないから」

「アレって?」

「だからさ、女が出てくる場面じゃないんだわ」

「なるほど? 大勢で一人をボコボコにしている場面に女は似つかわしくないと」

「――馬鹿にしてる?」

「してないと思った?」

 男は頭に血が上ったのか、椿の胸倉を掴み上げた。が、次の瞬間には男はふっとんでいた。ふっとばされ、地面に転がった男は白目を向いて動かなくなった。彼の頬がみるみる赤く腫れていく。

「わぁ、軽ぅい」

 そう言って椿は笑った。

「は? お前、なに……。ふざけんなよ!」

 仲間の男が数人がかりで飛び掛かってきたものの、椿はあっという間にその男達を蹴り飛ばし、全員のしてしまった。静寂を取り戻した道路には、伸びて気を失った五人の男と、亮介と、椿が立っていた。

「お兄さん、ダイジョブ?」

「あ、だ、大丈夫です。ありがとうございます」

 亮介はよろよろと立ち上がる。

「家まで送ろうか?」

「いや、そこまでしてもらう訳には! 本当、助かりました。あの、名前、聞いてもいいですか?」

「私? 私は椿」

「椿さん……。俺は亮介です」

「亮介。よろしく。じゃ、私はここで」

「あ、ちょっと!」

 亮介が静止するが早いか、椿は道路に面した山の中へさっと消えてしまった。

「なんだったんだろう……。椿さん、お礼したかったな」

 そう呟いて、彼も家に帰っていった。
 翌日、いつも通りに朝起きた亮介はシャワーを浴びてから顔を洗い、歯を磨いた。その時切れた口内がビリリと痛み、その痛みと共に椿の事を思い出した。

「椿さん……綺麗な人だったなぁ」

 赤い髪、金色の瞳。カラーコンタクトでもしていたのだろうか。髪の毛が派手だったし、喧嘩がすごく強かったから、プロレス選手とかかもしれない。スマホで検索したら出てくるだろうか? なんて考えている内に十分が経過し、鏡の中に映る自分の呆けた顔を見て我に返った。

「やべ、学校行かなきゃ」

 血の混じった泡をべっと吐き出すと、水で口をゆすいでからリビングに戻る。それから適当な服に着替えると、リュックを背負って慌てて家を出ていった。

 一方、篝山の山頂近くにある大岩の麓に椿はいた。この大岩は篝山を象徴したものとされ、仰々しいしめ縄が巻かれ、神としてあがめられている。その大岩の足元にはいつも酒や饅頭が備えられているので、椿はよくそれを食っていた。本当は鬼が食っているというのに、地元の人間達は「神様が召し上がった」と喜んでいるのか可笑しかった。

「やっぱり団子は旨いなぁ」

 なんて言いながら地べたに座って団子を食っていると、椿の前に一人の男が現れた。彼女と同じく額に二本の角を生やした背の高い男で、シャツに黒のジーンズを合わせていた。灰色の髪を後ろに撫でつけており、角さえ無ければモデルでもやれそうな見た目だ。彼の金色の瞳がぎらりと光る。

「随分と機嫌が良いな、椿」

「ああ、葵。今日の団子は旨いからなぁ」

「そんなもんで足りるのか?」

「ああ、私はこういうので十分。お前たちと違って人間を食べようとは思わない」

「ふうん。食ってみると存外旨いんだがな」

「そう? 人間の作るものの方がよっぽど旨い。私なら食わずに飼いならして、料理を作らせるなぁ」

「……お前らしいな。ほら、選別だ」

「わ、日本酒だ。こんなのどこで?」

「昨日食った男が持っていた」

「あ、っそう……。ま、いいや。酒に罪は無いしね」

「そういうことだ。それじゃあな」

 葵はぽんと椿の頭に手を置いてかるく撫でると、その場を後にした。

 それから数時間後、大学での授業を終えた亮介は居酒屋のアルバイトに向かった。そこでいつものように調理を担当し、軽い火傷を負いながらも永遠に続くかのように思えるオーダーをこなした。酒、サラダ、鍋、揚げ物。多少は慣れたものの、短時間で調理をこなすのは中々骨が折れる。やっと職場から解放されたのは夜の十二時頃で、遅番のスタッフと交代で退勤した。
 
 電車に乗って最寄りの駅まで帰る。まだ人でいっぱいの電車を降りて徒歩十分。人気のない夜道をトボトボと歩いていると、昨日男に絡まれた場所に来た。一応周囲を警戒したが、今回は本当に誰一人いなかった。ふうと息をついて再び歩き出す。街灯がパチパチと点滅して、静まり返る夜道を照らす。大通りの片側はガードレールが立てられていて、その向こうに寝静まった街並みが見えた。

「ん~、良い匂いがするぅ」

 突然、そんな声がした。驚いて振り返ると、いつの間にか後ろに椿が立っていた。彼女は昨日と同じ格好で、キャップを被り、赤い髪を右側に流している。金の輝く目元はほんのりと赤く染まり、トロンとした顔つきをしている。酔っているのだ。

「あ、椿さん……!」

「何か良い匂いがすると思ったら、君かぁ」

「良い匂い?」

 椿は突然、ずいと亮介に近寄った。髪が触れるほどの距離。亮介の心臓がばくりと跳ねる。椿はクンクンと鼻を動かして、亮介の匂いを嗅いだ。

「な、なんですかっ!?」

「あ、それだ!! 唐揚げの匂い!!」

 そう言って、彼女は亮介の持っていたビニール袋を指さした。

「あ、こ、これ……? バイト先から貰ってきたんです。もし良かったらいります?」

「いる!!!」

「良かった。ちょうどお礼がしたいと思ってたから」

 亮介が唐揚げの入ったビニール袋を差し出すと、椿は遠慮なくそれを引ったくった。

「唐揚げ久しぶりだぁ~ッ」

「—―ははっ。これくらいなら、いくらでもあげますよ」
 そう言って亮介は笑った。

「本当!? 唐揚げっていくらでも食べはへふんだよへ~」

 その頃には椿はありったけの唐揚げを口の中に頬張っており、何を言っているんだかよく分からなかった。もぐもぐと何度か咀嚼するとごくりとそれを飲み込んで、彼女はニカッと笑った。

「余ったヤツとかまた持って帰ってきますね。あ、えと、椿さん、もし良かったら連絡先とか教えて貰えませんか?」

「あーっと、私スマホ持ってないんだ」

「え!? 珍しいですね、じゃあ、どうしよう」

「大体ここら辺にいるからさ、また声かけるよ。それにどうせ、ここら辺走ってるでしょ?」

「よく知ってますね。もしかして、毎日見られてました?」

「まぁ、ここらへんに住んでるからね」

「へぇ……」

 亮介の目がキラキラと輝いたことに、椿は気が付かなかった。

「じゃ、私はぼちぼち帰るわ。唐揚げ、ありがと」

「いえ! あの、また会えますか?」

「多分ね!」

 そう言って椿は山の中に颯爽と消えていった。

「え、山に……。この山の中に家なんてあったっけ? まあ良いか。俺も帰ろ」

 少しだけ寂しくなった右手。でも、心は跳ねるようだった。鼻歌を歌いながら帰路につく亮介を、別の人影がじっと見ていた。

 それから一週間程、亮介が椿と会う事は無かった。椿に会う為にわざとジョギングを長引かせてみたり、夜だけでなく朝も走ってみたりしたのに、椿は一向に現れないのだ。「大体ここらへんにいる」なんて、一体どの口が言ったのか。酒に酔っていたようだから、もしかしたら忘れられたのかもしれない。そう思うと亮介は心がずしりと重くなるのを感じた。その感情が何なのかよく分かっていなかったが、あまり良い気持ちでは無かった。はぁ、と小さくため息をついたのを教壇の教授に気づかれてしまい、亮介はそっと頭を下げて前の生徒の後ろに隠れた。そうしてまた、一日が過ぎた。

 大学が終わると、亮介はそのまま友人と飲みにいった。――はずが、気が付いたら男子の数と同数の女子が合流して合コンになっていた。友人には「久しぶりに飲みに行こうぜ」と誘われただけだったのに、一体どうしてこうなったのか分からない。茶色い髪をセットして、きちんと化粧をして、マニキュアを塗った可愛らしい少女が前に座る。飲んでいるのはカクテル。彼女は亮介の方を見て、にこりと笑った。亮介の方は照れくさいやら気まずいやらで、気が気では無かった。それを紛らわすために、強くも無いのにビールを煽った。

 飲み会という合コンが終わった頃には、亮介はへべれけになっていた。真っすぐ歩くことすら難しい。終電には間に合う時間だが、帰る元気が無い。先程の少女がとことこ近くに寄ってくると「これから、どうします?」と聞いた。亮介は考えた。今帰れば少し休んでからジョギングができる。ジョギングをすれば、椿に会えるかもしれない。だが、そもそも椿は現れない。向こうが会うつもりが無いのなら、こっちだって考えがあるのだ。

「じゃあ、帰ります」

 結局、帰ることにした。
 ああ、なんて自分はヘタレなんだろう。と思いながら、失望した顔の少女を置いて駅に向かい、電車に乗った。吐きそうになるのをなんとか堪えて最寄りの駅に到着すると、改札を出ようとした。そこで電子カードのチャージが足らずに一度止められて、恥ずかしい思いをしながらチャージをして、やっと駅を出た。なんだか散々な一日だ。やっぱりあの少女と一緒に夜の街に消えればよかったのかもしれない。名前を既に覚えていないが。

 トボトボと坂を上り、椿と出会った場所までやってきた。このまま道沿いを真っすぐ歩けば、借りているアパートに着く。こんな夜更けに、椿に会える訳も無く。ほんの少しだけ抱いていた期待はポキリと折られ、意気消沈したまま帰路につこうとした。その時、山の方からガサリと物音がした。そういえば最後に会った時、椿は山の方へ帰っていった。つまり――。

「椿さん!?」

「違うが」

 振り向いた場所に立っていたのは二メートル近い大男だった。椿と同じ金色の瞳を持った男だ。灰色の髪は後ろに向かって撫でつけられており、長い手足も整った顔立ちも、人間離れした美しさを感じさせた。そして、その額に生えた二本の角が、逆に安っぽく見えた。どうせコスプレするなら、もっと違うものの方が良い。その方がこの男に似合う。亮介はそう思った。

「すみません、人違いでした」

「お前、椿と話していた人間か?」

「にん――? そうですが。椿さんはお元気ですか?」

「普段運動をしているだけあって筋肉質だな。まぁ若い肉だし、油っぽいよりは良いか」

「え?」


「ああ、気にするな。椿が世話になったな。お礼ついでに酒でも飲まないか」

「あ、えっと、すみません俺、今日のみ過ぎて――」

 そう言った亮介の肩を、男は大きな手で掴んだ。その力は想像よりもずっと強く、肩の骨が悲鳴を上げた。

「いっっ」

「どうせ人通りも無いからここで良いか」

 男は亮介を引き寄せると、その肩に思い切り噛みついた。同性が好みの男――という訳ではないらしく、その長い犬歯がざっくりと皮膚を突き破って肉に突き刺さったのが分かる。

「いてぇ!!」

 亮介は男を突き飛ばそうとしたが無駄だった。自分だって毎日トレーニングしていたが、男の力は比べ物にならなかった。殺される、と本能的に理解した。先日会ったヤンキー達が可愛らしく思えた。どうにか助けを求めなければ、と思って口を開いたが、男は空いた方の手で亮介の口を塞いだ。もうだめだ、と亮介は半ばあきらめた。

「ちょっと、葵!!」

 聞いた事のある声がして、亮介は遠のく意識をなんとか繋ぎとめた。視界の隅に赤い何かがちらついた。それはすごい速さでこちらに近づいてくると、亮介に噛みついていた男を突き飛ばした。肩に食いついていた男が離れると、亮介はがくりと膝から地面に座り込んだ。

「何やってんの!?」

 亮介を守る様にして、椿が叫ぶ。

「別に。食事」

「だとしても、わざわざ亮介を選ぶ必要ないでしょ!」

「腹が減った時に偶然目の前に現れたから襲っただけだ」

「嘘つけ……」

「別に、嘘じゃない。というかお前こそなんでそんなに人間に固執してる? どうせ正体も明かしていないだろう。正体がばれればどうせ嫌われ疎まれるのに、よくやるな」

「それは、そうだけど」

「ほら、手元が留守になってるぞ」

 そう言って、葵は長い脚で椿を蹴りつけた。それは椿が被っていたキャップのツバに当たり、当然キャップは遠くに飛ばされた。椿は葵を睨みつけた。だが、すぐそばで彼女を見ていた亮介の視線に気が付いて、慌てて手で角を隠した。亮介はその角をじっと見つめて、椿も葵と同じ、人間以外の何かなのだと理解した。

「椿さん、それ――」

「こ、これは……」

「もしかして椿さんも、俺を食べようと?」

「ちがっ」

「いやだ、俺、死にたくない――」

「亮介!」

 亮介は慌てて立ち上がると、脚をもつれさせながら坂の向こうへと逃げて行ってしまった。椿は呆然とそれを見つめていた。

「だから言っただろ」葵が言った。

 椿は黙って葵に近寄ると、その頬を引っぱたいた。そして、山の中へと戻っていった。

 それから数日が経った。亮介の肩の傷は幸い軽いものだったので、自分で消毒をしてガーゼで塞いだ。傷が癒えるまではジョギングも控え、バイトや学校に行くときは遠回りをするようになった。まるで夢のような出来事だったにも関わらず、肩の傷がすべて現実だと告げていた。今でもあの夜を思い出すと震えが止まらなくなる。

 それでも、亮介にはほんの少しの心残りがあった。あの夜はあまりの恐怖で逃げ出してしまったが、椿は自分の事を助けてくれていた。ヤンキーに囲まれた時のように、自分を守ってくれたのだ。それなのに礼も言わなかったどころか、彼女に酷いことを言ってしまった。椿の本心は分からない。もしかしたら本当に自分を食べるつもりだったのかもしれない。だとしても、礼の一つでもいえば良かった。

「今日はもう上がっていいぞー」

 バイトリーダーにそう言われて、亮介は考えるのを止めた。余った唐揚げを貰って店を出ると、満月が夜空に輝いていた。まるで椿の瞳のような金色だ。ああ、また会いたい。

 自然と歩みが速くなる。もうあの麓を通らないと決めていたのに、電車に乗って最寄り駅に着く頃にはそんなことどうでも良くなっていた。急ぎ足に歩き、山の近くまでやってくる。山の中に入った方がいいのだろうか? 迷いながら坂を上がっていくと、ガードレールに腰かける人影が見えた。危なくないか? と思って目を凝らす。赤く長い髪の毛が見えた。

「――椿さん!!」

 彼女の数メートル先で、叫んでいた。椿がゆっくりと振り向くより早く、彼女に駆け寄る。

「り、亮介。お前、大丈夫なのか?」

 椿は今日もキャップを被っていた。思えば初めて会った日もそうだった。ずっと角を隠していたのだ。

「はい。大したことありませんよ。それより、あの夜はすみませんでした。俺、助けて貰ったのに」

「別にいいよ。こっちこそ、葵が悪かったね。あいつはあんまり、人間のこと好きじゃ無いからさ」

「良いんです。……ところで、葵って人とはどういう関係ですか?」

「人っていうか鬼っていうか。ま、アイツはただの腐れ縁だよ。それ以上でも以下でもない」

「そうですか」

 亮介はほっと胸を撫でおろした。

「あの、今日、また唐揚げあるんです」

 そう言って、唐揚げの入った袋を差し出した。すると、椿は目をキラキラと輝かせた。

「唐揚げ!! 貰っていいのか?」

「はい。これくらいなら、いくらでも」

「やったー!! お前も食べるだろ?」

「じゃあ、貰おうかな」

 流石にガードレールに座る勇気は無かったが、ガードレールの近くに腰を下ろすと椿は嬉しそうに微笑んだ。彼女の頭上に輝く月が眩しく、まるで三つの月を見ているようだった。
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