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【番外編4】10年後の2人(4.愛情表現の理由)
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電車に乗って多波さんと6駅先に向かった。5年前に改装されたその駅は、都心へのアクセスがよく、家族連れが住まいを構えるのに人気の場所だ。
改札を出てすぐに、5階建ての綺麗な駅ビルがあって、土曜日のせいか、ひっきりなしに子供連れや若いカップルが出入りしていた。
駅から少し歩く。古い商店街に入っていく。八百屋、肉屋、喫茶店など、何十年も続く年季の入った店が軒を連ねている。商店街のマスコットキャラクターらしきウサギの着ぐるみが、通りで風船を配っていて、子供達は大はしゃぎだ。ノスタルジックな風景を、キャアキャアという無邪気な声が彩っている。
穏やかな休日ムードの中、スーツ姿で歩いている多波さんは異世界人に見えた。浮いている。
フフッ・・・面白い。
ちょっと笑った後、心にモヤが立ち込めた。
別れ話かな・・・
やっぱり、そこに行き着く。
グサッ
背中に、何か刺さった。物理的に刺さった訳じゃない。視線。視線が刺さった。
グサグサグサ!
あっちこっちから、切り付けるような視線が降り注ぐ。
顔を前に向けたまま、恐る恐る眼球を動かして周囲を確認すると、道ゆく女たちが熱っぽい視線を多波さんに向けていた。彼は全く気がつかず、熊みたいにのしのしと歩いている。
またか・・・
多波さんからは、変なフェロモンが出ている。絶対。だからこんなに女が寄ってくるんだ。まあ、私も吸い寄せられたクチだけど・・・。
こうやって人目に晒されていると、自分の外見が心底恥ずかしくなる。私は美人じゃない。十人並・・・ならいいけど、それ以下。もさっとしている。私と彼は、どう考えても不釣り合いだ。
「ねぇ~!そこのオジ様!」
オジ様・・・、きっと多波さんの事だ。
二人の女がヒラヒラと手振りながら、こちらにやってくる。芝居じみた笑顔、酒臭い息、30代・・・かな?二人揃ってヒップラインがクッキリ見えるタイトスカートを穿いている。私には目もくれず多波さんに駆け寄り、猫撫で声を上げた始めた。
「すっごい体格いいですねぇ~!カッコい~!」
「私達と飲みに行きません?そっちのお友達もどう?」
一応、私のことも見えているらしい。多波さんとお友達・・・手を繋いでいるのに。でも・・・まぁ、そうだよね、分かる、分かる。釣り合ってないもんね。
女たちの誘いを、多波さんは「無理だ」「急いでる」とかわしたけれど、それでも彼女たちはまとわりついてくる。
私は俯いて、ここにいるのが精一杯だった。
消えたい・・・消えて無くなりたい・・・
唇を噛む。
すると、腕が勢いよく前に引っ張られた。多波さんだ。私の手を握りしめ、女二人を振り払うように、ズンズンと前進していく。
彼はすごい形相だった。憎しみと怒りが入り混じったような表情。なんというか、目が据わっている。
二人の女はスピードアップして、私達についてくる。多波さんを追いながら、あの手この手で誘い続けてくる。多波さんが延々と無視し続けるので、女の一人がムッとしたように彼の腕を掴み、酒臭い息を吐いた。
「も~、連れないなぁ!ねぇ、行こうよ!私、社長なんだよねぇ~。そのナリなら、雇ってあげるよ?どう?お給料弾んじゃうよ~」
ぶち
何かが切れる音がした。多波さんの頭から。
あ・・・
と思った瞬間、私の身体は宙を舞っていた。突然の浮遊感に驚いて身を縮めると、フワリと温かいモノに全身を包まれた。気がつくと、私の体は多波さんの腕の中にすっぽり収まっていた。
要は、お姫様抱っこ。人で溢れる商店街のど真ん中で。
「えええぇ~!!」
私は声にならない悲鳴をあげた。
食べ歩き中の高校生、ガチャポンをいじる子供、買い物帰りの主婦、立ち話をしている老人、老若男女の好奇の視線が降り注ぐ。視線の豪雨に打たれて、皮膚がジリジリ焦げていく。顔を両手で覆い、悶えている私に、多波さんは囁いた。
「愛してる」
その厳かな美声に、脳がフリーズ。彼は目を細め、鋭い眼光で、まとわりつく女二人を睨みつけた。
「うせろ」
カタギとは思えない迫力に、彼女たちはすくみあがり逃げ出した。30秒も経たないうちに、雑踏に溶けて見えなくなってしまった。
温厚な多波さんが、あんな顔をするなんて・・・
「行こうか」
その声に顔をあげた。いつもの穏やかな多波さんが、そこにいた。彼はお姫様抱っこのまま、人にぶつからないように、ゆっくり、ゆっくり、商店街を進んでいく。
「た、多波さん、もう行っちゃったから、降ろして」
ムキムキとした腕の中で、脚をバタつかせ懇願する。すると、凛々しい表情でいい声が返ってきた。
「愛してる」
あれ?・・・聞こえなかったのかな?
と思い、もう一度言った。ハッキリとした声で。
「降ろして」
「愛してる」
いや、今のは絶対聞こえてたよ。
「ねぇ、聞いてる?」
「愛してる」
「日本語通じないの!?」
「愛してる」
「ハ・・・ハロー??」
「愛してる」
ダメだこりゃ!!!
「愛してる、愛してる、愛してる・・・」
「や、やめてぇええ~」
愛の囁きも、歩みも止まらなかった。
****
古い商店街の先は、閑静な住宅街だった。午後の心地よい陽だまりの中、遠くから布団をパンパン叩く音が聞こえてくる。広い歩道に差し掛かって、多波さんは、ふと立ち止まった。そしてお姫様抱っこのまま、渾身の力で私を抱きすくめた。
「だ、な、み、ざん・・ぐるじい・・・」
「ごめんな」
突然の謝罪に、目が点になる私。
「・・・なんで謝るの?」
「俺は目立つから、いつも望を不安にさせてる。俺には、望しかいない」
「え・・・」
「あんなの気にするな。俺は望だけだ」
その言葉に、多波さんを仰ぎ見た。真っ直ぐな眼差し。全てを持っていかれそうなほどの切実な表情。彼は大きな手で、私の頭をそっと撫でながら、穏やかな口調で続けた。
「ジロジロ見られたら、不安だよな。どんなに言葉にしても、どんなに態度にしても、意味がないよな」
「もしかして・・・多波さんが、人前で恥ずかしい事するのって、私を不安にさせないためだったの?」
多波さんは目を細め、歯をこぼしてキラキラと笑った。
「ははっ、そうだな。でも・・・俺がしたいっていうのが、一番大きい」
そう・・・だったんだ。
10年も一緒にいるのに、初めて知った。
多波さんは昔から、人前で恥ずかしい事を平気でする。公衆の面前で「愛してる」って言ったり、お姫様抱っこしたり。恥ずかしくて仕方ないけれど、彼なりの思いやりだったんだ。
多波さんは、気づいていたんだ。他の女が彼に向ける視線に。その視線を不安に思う私に。
そう思うと、いつもは恥ずかしいだけの愛情表現が、急に愛おしくなった。胸の辺りでボッと何かが爆ぜた。熱が、ぐんぐん顔に上がってくる。両手で顔を覆って悶えている私に、多波さんは呟くようにポツリと言った。
「タッパがあるからだよな」
「・・・え?」
「俺が目立つ理由。背が縮めばいいんだが・・・」
ぶブゥ!!!どう考えてもそこじゃない!!
多波さんは、自分の魅力を自覚していなかった。それがおかしくって、私はたくましい腕の中で笑い転げた。そんな私を、彼は首を傾げてキョトンと眺めていた。
お姫様抱っこのまま、住宅街を進んだ。大きな通りを右に曲がって、小さなタバコ屋の角を左に曲がって、柴犬が柵から顔を出している家を左に曲がった。そこで、多波さんは立ち止まる。
「着いた」
目の前に、マンションが建っていた。8階建ての。
ここ・・・
「多波さん、降ろして」
彼は大きな体を屈めて、私の足をそっと地面につけた。私は、たくましい腕からゆっくりと腰を上げ、立ち上がる。そして、呆然と立ち尽くした。
目の前のマンションを、ただ、だだ、見つめた。
初めて来た場所なのに、私は知っている。
この場所を。
エントランスがレンガ調のお洒落なマンションを。
改札を出てすぐに、5階建ての綺麗な駅ビルがあって、土曜日のせいか、ひっきりなしに子供連れや若いカップルが出入りしていた。
駅から少し歩く。古い商店街に入っていく。八百屋、肉屋、喫茶店など、何十年も続く年季の入った店が軒を連ねている。商店街のマスコットキャラクターらしきウサギの着ぐるみが、通りで風船を配っていて、子供達は大はしゃぎだ。ノスタルジックな風景を、キャアキャアという無邪気な声が彩っている。
穏やかな休日ムードの中、スーツ姿で歩いている多波さんは異世界人に見えた。浮いている。
フフッ・・・面白い。
ちょっと笑った後、心にモヤが立ち込めた。
別れ話かな・・・
やっぱり、そこに行き着く。
グサッ
背中に、何か刺さった。物理的に刺さった訳じゃない。視線。視線が刺さった。
グサグサグサ!
あっちこっちから、切り付けるような視線が降り注ぐ。
顔を前に向けたまま、恐る恐る眼球を動かして周囲を確認すると、道ゆく女たちが熱っぽい視線を多波さんに向けていた。彼は全く気がつかず、熊みたいにのしのしと歩いている。
またか・・・
多波さんからは、変なフェロモンが出ている。絶対。だからこんなに女が寄ってくるんだ。まあ、私も吸い寄せられたクチだけど・・・。
こうやって人目に晒されていると、自分の外見が心底恥ずかしくなる。私は美人じゃない。十人並・・・ならいいけど、それ以下。もさっとしている。私と彼は、どう考えても不釣り合いだ。
「ねぇ~!そこのオジ様!」
オジ様・・・、きっと多波さんの事だ。
二人の女がヒラヒラと手振りながら、こちらにやってくる。芝居じみた笑顔、酒臭い息、30代・・・かな?二人揃ってヒップラインがクッキリ見えるタイトスカートを穿いている。私には目もくれず多波さんに駆け寄り、猫撫で声を上げた始めた。
「すっごい体格いいですねぇ~!カッコい~!」
「私達と飲みに行きません?そっちのお友達もどう?」
一応、私のことも見えているらしい。多波さんとお友達・・・手を繋いでいるのに。でも・・・まぁ、そうだよね、分かる、分かる。釣り合ってないもんね。
女たちの誘いを、多波さんは「無理だ」「急いでる」とかわしたけれど、それでも彼女たちはまとわりついてくる。
私は俯いて、ここにいるのが精一杯だった。
消えたい・・・消えて無くなりたい・・・
唇を噛む。
すると、腕が勢いよく前に引っ張られた。多波さんだ。私の手を握りしめ、女二人を振り払うように、ズンズンと前進していく。
彼はすごい形相だった。憎しみと怒りが入り混じったような表情。なんというか、目が据わっている。
二人の女はスピードアップして、私達についてくる。多波さんを追いながら、あの手この手で誘い続けてくる。多波さんが延々と無視し続けるので、女の一人がムッとしたように彼の腕を掴み、酒臭い息を吐いた。
「も~、連れないなぁ!ねぇ、行こうよ!私、社長なんだよねぇ~。そのナリなら、雇ってあげるよ?どう?お給料弾んじゃうよ~」
ぶち
何かが切れる音がした。多波さんの頭から。
あ・・・
と思った瞬間、私の身体は宙を舞っていた。突然の浮遊感に驚いて身を縮めると、フワリと温かいモノに全身を包まれた。気がつくと、私の体は多波さんの腕の中にすっぽり収まっていた。
要は、お姫様抱っこ。人で溢れる商店街のど真ん中で。
「えええぇ~!!」
私は声にならない悲鳴をあげた。
食べ歩き中の高校生、ガチャポンをいじる子供、買い物帰りの主婦、立ち話をしている老人、老若男女の好奇の視線が降り注ぐ。視線の豪雨に打たれて、皮膚がジリジリ焦げていく。顔を両手で覆い、悶えている私に、多波さんは囁いた。
「愛してる」
その厳かな美声に、脳がフリーズ。彼は目を細め、鋭い眼光で、まとわりつく女二人を睨みつけた。
「うせろ」
カタギとは思えない迫力に、彼女たちはすくみあがり逃げ出した。30秒も経たないうちに、雑踏に溶けて見えなくなってしまった。
温厚な多波さんが、あんな顔をするなんて・・・
「行こうか」
その声に顔をあげた。いつもの穏やかな多波さんが、そこにいた。彼はお姫様抱っこのまま、人にぶつからないように、ゆっくり、ゆっくり、商店街を進んでいく。
「た、多波さん、もう行っちゃったから、降ろして」
ムキムキとした腕の中で、脚をバタつかせ懇願する。すると、凛々しい表情でいい声が返ってきた。
「愛してる」
あれ?・・・聞こえなかったのかな?
と思い、もう一度言った。ハッキリとした声で。
「降ろして」
「愛してる」
いや、今のは絶対聞こえてたよ。
「ねぇ、聞いてる?」
「愛してる」
「日本語通じないの!?」
「愛してる」
「ハ・・・ハロー??」
「愛してる」
ダメだこりゃ!!!
「愛してる、愛してる、愛してる・・・」
「や、やめてぇええ~」
愛の囁きも、歩みも止まらなかった。
****
古い商店街の先は、閑静な住宅街だった。午後の心地よい陽だまりの中、遠くから布団をパンパン叩く音が聞こえてくる。広い歩道に差し掛かって、多波さんは、ふと立ち止まった。そしてお姫様抱っこのまま、渾身の力で私を抱きすくめた。
「だ、な、み、ざん・・ぐるじい・・・」
「ごめんな」
突然の謝罪に、目が点になる私。
「・・・なんで謝るの?」
「俺は目立つから、いつも望を不安にさせてる。俺には、望しかいない」
「え・・・」
「あんなの気にするな。俺は望だけだ」
その言葉に、多波さんを仰ぎ見た。真っ直ぐな眼差し。全てを持っていかれそうなほどの切実な表情。彼は大きな手で、私の頭をそっと撫でながら、穏やかな口調で続けた。
「ジロジロ見られたら、不安だよな。どんなに言葉にしても、どんなに態度にしても、意味がないよな」
「もしかして・・・多波さんが、人前で恥ずかしい事するのって、私を不安にさせないためだったの?」
多波さんは目を細め、歯をこぼしてキラキラと笑った。
「ははっ、そうだな。でも・・・俺がしたいっていうのが、一番大きい」
そう・・・だったんだ。
10年も一緒にいるのに、初めて知った。
多波さんは昔から、人前で恥ずかしい事を平気でする。公衆の面前で「愛してる」って言ったり、お姫様抱っこしたり。恥ずかしくて仕方ないけれど、彼なりの思いやりだったんだ。
多波さんは、気づいていたんだ。他の女が彼に向ける視線に。その視線を不安に思う私に。
そう思うと、いつもは恥ずかしいだけの愛情表現が、急に愛おしくなった。胸の辺りでボッと何かが爆ぜた。熱が、ぐんぐん顔に上がってくる。両手で顔を覆って悶えている私に、多波さんは呟くようにポツリと言った。
「タッパがあるからだよな」
「・・・え?」
「俺が目立つ理由。背が縮めばいいんだが・・・」
ぶブゥ!!!どう考えてもそこじゃない!!
多波さんは、自分の魅力を自覚していなかった。それがおかしくって、私はたくましい腕の中で笑い転げた。そんな私を、彼は首を傾げてキョトンと眺めていた。
お姫様抱っこのまま、住宅街を進んだ。大きな通りを右に曲がって、小さなタバコ屋の角を左に曲がって、柴犬が柵から顔を出している家を左に曲がった。そこで、多波さんは立ち止まる。
「着いた」
目の前に、マンションが建っていた。8階建ての。
ここ・・・
「多波さん、降ろして」
彼は大きな体を屈めて、私の足をそっと地面につけた。私は、たくましい腕からゆっくりと腰を上げ、立ち上がる。そして、呆然と立ち尽くした。
目の前のマンションを、ただ、だだ、見つめた。
初めて来た場所なのに、私は知っている。
この場所を。
エントランスがレンガ調のお洒落なマンションを。
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