百連怖談

レインマン

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正面姿

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私の住む街には、背面婆と呼ばれている老婆が居る。
一見して、少し背の曲がった普通の老婆なのだが、よく、大通りを買い物袋を提げて歩いているにも関わらず、誰も彼女の正面姿を見たことがないそうだ。
故に彼女はそう呼ばれることになった。
さらに、そこから尾ひれがついて、彼女の正面姿を見たものは、不幸が降りかかるとか、命を落としてしまうなどと馬鹿げた噂も囁かれるようになった。

「全くふざけた話だ。その老婆の後ろ姿しか見たことがないものが、そう騒ぎ立てているだけだろう。」
私は真剣に、背面婆のことを話す友人の牧を馬鹿にするように言った。
「どうして、そんな話を信じるんだ。そもそも後ろ姿だけでどうやって背面婆を特定するんだ。」
私の嘲笑に腹を立てたのだろう。牧は顔をしかめて反論した。
「背面婆はいつも同じ姿をしてるんだよ。どんなに暑かろうが寒かろうが、いつも灰色のセーターにピンク色のスカートを履いてるんだ。僕も何回か見たことがあるけど、一瞬で背面婆だってわかるよ。」
一気にそうまくし立てたあと、深く息を吸った。
「お前の反対側には人はいなかったのか?」
私がそう言うと、彼はあっと声を出した。どうやら盲点だったようだ。どうして今まで気が付かなかったのだろうか。
「で、でもほんとに背面しか見たことないんだ。気になるんだったら見てみればいい。いつも夕方4時頃になると同じ大通りを歩いてるから。」
彼がそう勧めた所で、授業の開始を知らせるチャイムが鳴った。
彼はさらに何事か言おうとしたが、口惜しそうに自分の席に戻って行った。

腕時計を確認すると午後3時50分を示していた。
少しでも背面婆に興味を抱いてしまった自分を、愚かしく思ったが、部活を休んでまでここまで来たのだから、引き返すのはもっと愚かしいと思った。
辺りを見回すと、それらしい姿をすぐに発見することが出来た。
少し先のところで、買い物袋を提げて、とぼとぼと歩いている。
どう見ても普通の老婆だが、彼の言う通り、今は背中しか見えない。
私は彼女の方向に向かって歩き出した。すれ違いざまに、彼女の正面姿を確かめるためだ。
その後に遠くから写真を撮って牧に送ってやろう。
そんなことを考えている内に、彼女との距離はもう10メートル程になっていた。
彼女の正面姿を見ると、不幸が降りかかる。突然そんな根も葉もない噂話が脳裏を掠める。
そんなくだらない噂話を少しでも怖がっている自分が、憎らしいが、心臓の鼓動は彼女との距離が短くなる度に速くなっていく。
何か第六感のようなものが、私に警告を与えているのだろうか。
邪念を振り払うように、私はブンブンとかぶりを振った。

とうとう彼女とすれ違う時がやってきた。
後ろを見ることなく、逃げ帰ってしまいたかったが、まさか怖くて確認出来なかったなどと牧に言うことは出来ない。
私は意を決して、すれ違いざまに、彼女を振り返った。
同時に、心臓の鼓動が安定していくのを感じる。
私はすぐに、安堵のため息をついた。
そこにあったのが、何の変哲もない老婆の後ろ姿だったからだ。
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