わたし、人魚かもしれない ~普通のOLが異世界に行ったら王子の婚約者になりました

水夏 すい

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ピピアーノ高原

ピピアーノ高原4

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 「雨降って地固まる」ならぬ、「雪降って地固まる」。
 さすがは北の地方。降り積もった雪に戸惑うこともなく、ただ静かに銀世界が広がっていく。
 そして、雪が止むとほぼ同時に、ピピアーノ村の住人たちは次々と目を覚ました。

「本当に助かりました!」
「あなたは、この村の救世主です」

 あの日、雪を降らせてから五日。村の人々は私を救世主のように持ち上げてくれる。
 最初に説明をしたのが村長だったため、話が村中に広がるのに半日とかからなかった。

 一緒に感謝されるはずのエアリーナ様だったが、「また会いましょう」と私の額にそっと口づけを残すと、そのまま颯爽と空へと消えていった。

 アルベルト様は驚くほどの回復を見せ、それどころか「以前より調子がいい」とまで言う。
 村人たちもみるみる元気を取り戻し、年配の方々からは「腰が軽くなった」「息苦しさがなくなった」と喜びの声が聞こえた。

 まさか、あの雪にそんな効果が……?まさかね。
 とにかく、村は活気を取り戻しつつあり、私とアルベルト様も人々の手助けをしながら日々を過ごしていた。

「……それは、マリの力じゃないのか?」

 昼下がりの広場。休憩がてらベンチに腰を下ろし、私は雪の効果についてアルベルト様に話しかけたところ、そんな返事が返ってきた。
 村人たちの回復の早さ。そういえば私自身も、体が軽くなったように感じる。
 午前中、村の子どもたちと追いかけっこをして久しぶりに全速力で走ったが、予想に反して足の疲れはまったく感じなかった。

「信じがたい話だが……。私も君の涙や雪に触れてから、明らかに体調が良くなった」

「夢みたいな話ですね。でも、それが精霊王エアリーナ様の力だと思うと納得できます。なぜか全て私の功績のように扱われていることが、村の人たちを騙しているみたいで少し申し訳ない気持ちになります」

 行き交う人々が私たちに気づいて手を振り、差し入れだと食べ物を持ってきてくれる。
 私はその優しさに感謝しながら袋に詰めていく。ふと顔を上げると、アルベルト様と視線が絡んだ。彼は穏やかな笑みを浮かべているが、その表情にはどこか少し困惑が浮かんでいるように感じた。

「マリは本当に真面目だな。エアリーナ様が君の魔法を引き出す手助けをしただけで、あれはすべて君の力だ」

「いや、そんな……」

「そして、頑固だ。風の精霊魔法には傷を癒すと言う話は聞いたことがない。だから、ほんとうに君のおかげだ。この傷も——」

 アルベルト様は、もうすっかり治った腹部を軽く指で触れながら言った。その仕草には、どこか安堵が滲んでいて、私は思わず彼の言葉を受け入れたくなった。

「マリの涙には、何か特別な力が宿っているのかもしれない」

「涙にですか?」

「あぁ。倉庫で倒れていたとき、私の髪がマリの涙で濡れた。その後も何度も君の涙に触れているが、何か不思議な力を感じる」

「……そういえば、精霊たちも私の涙が美味しいって言っていました」

「マリ、もしかして君は——」

 アルベルト様が何かに気づいた瞬間、遠くから聞き覚えのある声が響いた。

「アルベルト様ー!! アルベルト様ー!! やっとお会いできました!」

 駆けてくるのは、凄まじい形相のラルフだった。
 彼にしては珍しくローブや髪が乱れていて、風の精霊たちに飛ばされてしまったことを思い出す。
 ラルフの後に見える若草色の髪の毛はコルティアナさんだ。彼女も無事で良かったとほっと胸を撫で下ろす。

「お怪我はございませんか?」

「変わりない。ラルフも無事でよかった」

 アルベルト様の言葉にラルフは安堵のため息をつくと、ようやく私に気づいた。

「マリ様、アルベルト様にご迷惑をかけませんでしたか?」

 相変わらずの冷たい視線。私は肩をすくめて、適当に返事を返す。
 アルベルト様の大怪我のことを知られると面倒だと考え、彼からの提案で二人の間だけの秘密にしている。私は何事もなかったように振る舞

「全く、何ですかその態度は!?」

「ラルフ」

 アルベルト様の声が鋭くなる。

「今回は身分を隠して旅をしていたはずだが?」

 そういえばそうだった。
 私もすっかり忘れていて、周囲を見渡すと村人たちが凍りついているのが見える。

「アルベルト様って……まさか、あのアルベルト王子!?」
「やばいやばい! 俺、雪かきさせちまった!」
「俺なんて、プエの乳搾り頼んじまった!!」
「ってことは……マリちゃんって婚約者のマリ様!? 普通に口説いちまった……!」

 村中に響き渡る絶叫。
 ラルフの不用意な一言で、私たちの正体は一瞬にして広まってしまった。




―――――


 

 ラルフがアルベルト様の名前を大声で叫んでしまったせいで、村は瞬く間に大騒ぎ。

 その後、私たちは村長の家へと案内され、これでもかというほどの歓待を受けることに。村の人々は温かくもてなしながら、何度も何度も感謝の言葉を口にした。焼きたてのパンや濃厚なスープ、村自慢の果実酒まで振る舞われ、歓迎の熱気が部屋いっぱいに満ちていた。

 そんな中、村長が真剣な顔で「マリ様とアルベルト王子の銅像を建てさせていただきたい!」と言い出した瞬間、一瞬場の空気が凍りつく。

 慌てて丁重にお断りしたものの、村長をはじめとする村の人々の熱意を見れば、止められる気がしない。 おそらく近いうちに、村の広場には私たちの姿を模した銅像が建ってしまうのだろう――そんな未来が、はっきりと見えた気がした。


 数日後、ようやく私たちは解放され、城へ戻る予定が立った。荷造りをしていると、ふと風の気配が感じる。

“やっほーマリちゃん!”

 声が風に乗って軽やかに響いた。見上げると、エアリーナ様がひょっこり顔を出して、嬉しそうに手を振っている。

「エアリーナ様、どうしたんですか?」

“おやおや、驚かないのね”

「エアリーナ様の気配がそう遠くない場所にあったので、また会えるかなって思っていました」

“………さすがね”

 エアリーナ様はにっこりと微笑むと、突然私の手をぎゅっと握った。

“うふふ、何でもないわ。ねぇ、今日からまた高原への放牧が始まったのよ。見に行きましょうよ。あと、私に様なんて付けなくていいのよ”

「行きたいです!……えーっと、エアリーナさん?」

“可愛い子ね、さぁ行きましょう”

 ここで行われる放牧方法は、他では見られない特別なものだと聞いていた。
 帰る前に一度見てみたいと思っていたので、私は嬉しさのあまりエアリーナさんの手を取った。すると柔らかな風が私たちを囲み、一気に上空へと昇る。
 風に乗るなんて、これまで考えたこともなかった。心地よさに包まれていくと、まるでフワフワと空に浮かんでいるかのような感覚で心地良い。思わず横になってお昼寝したい気分になった。
 山の中腹に差し掛かると、遠くにプエたちの群れが見えてきた。その先から、かすかに歌声が聞こえる。

“ピピアーノの人々は、歌でプエたちを誘導しているの”

「歌で?」

 私が問いかけると、エアリーナさんが嬉しそうに頷く。

“そう。そしてここの精霊たちは歌が大好きでね。いつの頃からか、歌を風に乗せる手伝いをしているのよ”

 目の前の群れでは、何人かの人々が歌いながら歩いていた。歌声に誘われるように、風の精霊たちがその周りを舞っている。その姿はまるで夢のように美しく、精霊たちは気持ちよさそうに空を漂っていた。
 精霊が見えるのはごくわずかな人間に限られる世界で、もちろん彼らに風の精霊たちは見えていない。
 だが、感じることはできる。
 きっとピピアーノの民は見ることも、聞くともできずとも精霊たちの存在を近くに感じているのだろう。

 エアリーナさんは、静かに風に耳を澄ませながら語り出した。

“あの子たちは、歌を聞くことで心が癒されるの。だから、歌を風に乗せて、村を守る手伝いをしているのよ。精霊たちが魔法を使い、歌声を遠くまで届けることで、この場所は穏やかなままでいられる”

 柔らかな歌声が風に溶け、どこか懐かしい讃美歌のように胸の奥まで染み渡る。目の前に広がる光景は、まるで幻想の世界のようだった。

“この土地には大きな川が流れ、雪解け水も豊富にある。だから、風を操ることで水を運ぶこともできるの。雨が降らなくても、それほど問題にはならないはずだった……”

 そう言いながら、エアリーナさんの表情がわずかに曇る。
 快晴だったはずの空に、いつの間にか薄い雲が広がり始めていた。

“でもね、最近様子がおかしいの。精霊たちが、誰かにかどわかされているんじゃないかと思うのよ”

 その言葉に、背筋にざわりと風が走った気がした。

“精霊たちに、どうして村人を眠らせるようなことをしたのか聞いてみたわ。でも、誰ひとり答えられなかったの。――いいえ、答えられなかった”

「答えられなかった……?」

“ええ。彼ら自身も理由が分からないの。そして、確実に誰かの意志が働いている。何者かがこの地から私を遠ざけようとしているのは間違いないわ”

 エアリーナさんの口調が険しくなると同時に、周囲の風がざわめき始めた。

 次第に強まる風に煽られながら、私は思わず問いかける。

「……何のために?」

“それを、これから調べていくわ。本当に、マリちゃんが魔力を放出してくれたおかげで、私はここへ来ることができた。心から感謝しているわ”

 そう言って、エアリーナさんはふっと微笑んだ。しかし、その瞳にはまだ警戒の色が残っている。

”マリちゃん、これから気をつけて。私の大切な子どもたちを騙した者は、きっと近くにいる。……あくまで勘だけどね”

「そんなっ!私はどうしたら良いですか?」

“魔力を磨きなさい。そして、アルベルトの坊ちゃんを信じてあげて”

 エアリーナさんの言葉とともに、風が静かに流れていった。
 もしかしたら、彼女は放牧を見に来たのではなく、私にその話を伝えるために戻ってきたのかもしれない。微笑みながら私の額に軽く口付けをすると、ふわりとした感覚と共に力が宿るのを感じる。
 私の足が地に付いたのを確認すると、エアリーナさんは名残惜しそうに一瞬だけ私を見つめ、空に溶けるように姿を消した。
 周囲から彼女の気配が完全に消えたことを感じ、私は静かな空気の中にひとり残された。




ーーーーー




 ピピアーノを発ってすぐ、馬車の中には静かな疲労が漂っていた。

「ふぅ……」

 アルベルト様は馬車の窓枠に頬杖をつき、深いため息をつく。
 村では出発の直前まで熱烈なもてなしを受け、私もアルベルト様も、そしてラルフまでもすっかり消耗していた。そのため、ラルフは少しでも早く城へ戻れるよう、馬車を急がせてくれている。
 私も、帰れるという安心感からか、座席に腰を下ろした途端、全身の力が抜けるような感覚に襲われる。

「アルベルト様、お疲れ様でした。やっと帰れますね」

「あぁ、マリもご苦労……」

 アルベルト様の声がふっと途切れた。
 視線を向けると、彼は驚いたように目を見開いて、じっと私を見つめていた。

「マリ、体は変わりないか?」

「特には……」

 問いかけの意味が分からず、私は首をかしげる。アルベルト様の視線は真剣そのもので、何かを確認するように私の髪を見つめていた。

「何かついていますか?」

 不安になって自分の髪や顔を触るが、特におかしなところはない。

 すると、アルベルト様は静かに息を吐き、慎重な口調で言った。

「驚かないで聞いてほしい。……今、髪の色が変わった」

「髪ですか?」

 反射的に、私は馬車の窓に映る自分の姿をのぞき込む。
 次の瞬間、息を呑んだ。

 黒かったはずの髪が、いつの間にか淡いパステルブルーに染まっている。
 光を受けるたび、柔らかく波打つその色にどこか覚えがあった気がするが今はそれどころではない。
 

「ひゃー!!」

 自分の悲鳴が、雲ひとつない青空に吸い込まれていった。

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