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氷の姫君と砂漠の王子
氷の姫君
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私の降らせた大雪は、真夏の暑さに負けることなく、ゆっくりと一日かけて溶けていった。
魔法で降らせた雪だからか、驚くことに被害は一切なかったらしい。むしろ、転んだおばあちゃんの腰が良くなったとか、雪に埋もれた子どもの病気が治ったとか、そんな信じられない話まで聞こえてくる。
城下町では「奇跡の雪」と噂になり、人々は笑顔で感謝の言葉を口にしていた。
そして、雪解け水のおかげで、王都の水不足に奔走していたリッカルド王や魔術師たちがしばらく休めることになったらしい。
“ピピアーノの時と一緒だぁ~。 マリ、すごいね! 大活躍っ!”
透き通るような声が、昼下がりの庭園に響く。
ふわりと風に乗るように、白い光をまとった小さな存在が私の周りを飛び回った。
フォンテだ。相変わらずのんびりした様子で、庭園を舞う精霊たちに気まぐれに挨拶をしている。
南の庭園は、昨日とはまるで別世界のように美しかった。鮮やかな花々が生き生きと咲き誇り、噴水からは清らかな水が流れ出している。
昨日まで見かけることのなかった精霊たちが、今日はあちこちに姿を現し、私に出会うたびにお礼を言ってくる。
フォンテが言うには、これも私の降らせた雪の効果らしい。
“みんな嬉しそうなのに、なんでマリはしょんぼりしているの?”
くるくると宙を舞いながら、フォンテが不思議そうに私の顔を覗き込む。
その声に、私はふっと視線を落とした。
確かに、みんな喜んでいる。私のしたことが、たくさんの人の役に立った。
――でも、それなのに、どうしてだろう。胸の奥が、ひどく重たい。
噴水の水音が、やけに遠く聞こえた。
“ほらほら。暗い顔してるから、心配してこっち見てる人がいるよー”
「え?」
フォンテの言葉に反応して振り向くと、そこには波打つ金髪とアイスブルーの瞳を持つ美しい少女が立っていた。
彼女と目が合うと、ゆっくりとした動きで軽く会釈をし、私に向かって歩いてくる。その歩みは、まるで優雅な舞のように見えた。
「お初にお目にかかりますわ。ルナ・リグノーアと申します」
その名前を聞いて、すぐに思い浮かんだのは、アルベルト様の妹のルナ姫様だ。
フォンテが彼女の周りを飛び回るのでヒヤヒヤしたが、どうやら精霊に気づいてはいないようだ。
「はじめまして、マリです。お兄様にはいつもお世話になっています」
「こちらこそ、マリ様のご活躍についてはよく耳にしております」
ルナ様は淡々とした口調でそう言い、表情から一切感情が読み取れない。感情を表に出さないタイプなのか、それとも私をあまり好まれていないのか、少し不安に思った。
「少しでもお力になれたなら嬉しいです。成人の儀には、恐縮ながら私も参列させていただきます」
「はい、楽しみにしておりますわ」
その会話は表面的には穏やかだが、ルナ様の態度には冷たさを感じさせるものがあった。どう接して良いのか、少し迷ってしまう。
「ところで、マリ様のダンスのお相手なのですが……」
ルナ様の言葉がふと途切れ、視線がどこか宙を彷徨う。
その様子から、何か言いにくいことがあるのかもしれないと感じた。
「私のダンスの相手ですか?」
「え、えぇ……」
その問いに、私は小さく首をかしげる。
ダンスと聞いて思い当たるのは、成人の義のあとに行われるパーティーでのものだ。
そのダンスのパートナーといえば、エスコートしてくれるアルベルト様以外、思い浮かばない。
「アルベルト様だと思います」
「……そうですか。他の殿方から、お誘いは受けていらっしゃいませんの?」
「え、いえ……。お誘いは、ありません」
一瞬、エミル様の顔が脳裏をかすめたが、慌ててそのイメージをかき消す。
ルナ様はしばらく沈黙し、その後は何も言わなかった。気まずい空気が流れて行く。
「おや、ルナ嬢とマリじゃないか!」
その沈黙を破るように、突然エミル様が現れ私に寄りかかってくる。空気が一瞬で冷えた気がした。
「やぁ、マリ。ルナ嬢と何を話しているんだ?」
「エミル様、ごきげんよう」
私は軽くお辞儀をし、すぐにエミル様から距離を取った。
昨日の彼の無責任な行動を思い出すだけで、胸の奥がざわつく。私はあれから一睡もできなかったというのに、当の本人は何事もなかったかのように余裕の笑みを浮かべている。
――油断してはいけない。
自分にそう言い聞かせながら、改めて警戒の意を強めた。
「マリ、顔怖いぞ?」
エミル様は私の表情に気づいたのか、きょとんとした顔で覗き込んできた。その一瞬で私は後ろに下がる。
「はは、だいぶ警戒されてしまったな」
エミル様は楽しげに笑った。その様子に怒りさえ覚えてしまいそうだ。
「ちらっと聞こえたんだが、ダンスの話か?」
エミル様がルナ様に向かって言うと、彼女の頬がわずかに赤く染まった。私は思わずその表情に目を奪われる。
「えぇ、まぁ」
ルナ様が少し照れた様子で答える。
話に聞いていたよりも年相応な反応に私は驚いてしまった。
「楽しみだな。ルナ嬢はリッカルドがエスコートするが、俺とも踊ってくれるか?」
エミル様は余裕たっぷりに微笑みながら、ルナ様を見つめた。
無遠慮だと非難したくなるが、まるで一枚の絵画のように2人の並んだ姿が美しく、つい見惚れてしまう自分がいる。
「はい、ぜひお願いいたしますわ」
その返答にまた私は驚き、しばらく固まってしまう。
エミル様は満足げに笑い、ますます調子に乗っている様子だった。
その時、私の名前を呼ぶ声がした。ラルフだ。
「おっと、面倒臭い男がやってきたな。見つかる前に俺は逃げるぞ!」
「では、私も失礼いたしますわ」
二人は息を合わせるように、そっとその場を離れ、風のように去って行った。
心なしか、ルナ様の表情が明るかったように感じたのは気のせいだろうか。
すぐにラルフの姿が見え、小走りでこちらに向かってくる。
「ラルフ、どうしたの?」
「やっと見つけました! 今日の予定、覚えていらっしゃいますか?」
「予定……?」
ハッとする。そうだ、ルナ様とのお茶会があった。
「昼食後にルナ様とのお茶会…でしたよね?」
ラルフが少し驚いた顔をして私を見つめる。
「そうです。貴女とルナ様を探すのに、使用人総出で探しておりました」
その言葉に、私はすぐに謝るべきだと思った。
「ルナ様も来なかったの?」
「彼女はいつものことです。でも、貴女は……」
「すみませんでした。でもさっきルナ様とは挨拶できましたし、それで目的は達成ということで良いかな?」
「なんと、ルナ様がわざわざ足を止めて挨拶したんですね」
ラルフは驚き、私が話した内容をじっと考え込んでいるようだった。
「何か問題でも?」
「いえ、ただ、とても珍しいんです。あの方は、近しい人間以外とはほとんど関わらないので…」
「ルナ様って、どんな方なんですか?」
「どちらかと言うと、性格はレオナルド様に似ています。非常に優秀ですが、魔力が強すぎて時折制御できず、周囲のものを凍らせてしまうこともあるんです」
「氷の姫君の由来はそこから?」
「はい。でも最近は、あまりその魔力を使う姿は見ませんね。やはり、水不足の影響でしょうか」
ラルフはどこか複雑そうな表情を浮かべながら、ふと空を見上げた。
彼は時々こうして、何かを考え込むように空を仰ぐことがある。
今にも泣き出しそうに見えるその横顔を、私はただ黙って見つめることしかできなかった。
「雨、降るといいね」
何気なく口にした言葉に、ラルフはハッとしたようにこちらを振り返る。
だが、その瞳にはすでにいつもの冷たい光が戻っていた。
「そのためには、マリ様が早く魔法を使えるようにならないと」
「んん? そんなつもりで言ったわけじゃ……」
「ちょうど時間もありますし、今から魔法訓練をいたしましょう」
「えっ……えぇ!? 」
気づけば、私はラルフに引っ張られ、みっちりと魔法訓練を受ける羽目になった。
容赦ない指導のもと、くたくたになったのは言うまでもない。
―――――
ラルフ視点
アルベルト様の様子がおかしい。
幼い頃から彼を見てきたが、常に冷静かつスマート。女性からの誘いは華麗にスルーしていたそんなアルベルト様が、あのおかしな女を気にしている。
マリという女は礼儀も作法も何もかもなっておらず、この国の常識など皆無だ。
召喚の儀によって異世界から呼ばれてしまったことには同情するが、その教育係として任命された私にもどうか同情して欲しい。
「ラルフって私と喋る時、いつも眉間にシワが寄ってるよね」
マリに国の歴史を教えている最中、異様に見られていたかと思えばまたそんな事を言い出した。
無意識だろうが、彼女の不意に出た言葉に自分のリズムを狂わされる。
「何故だと思いますか?」
「え?」
逆にマリに問うと、目をぱちくりとさせながら私を見つめる。どうしたのかと少し首を傾けると彼女は意外そうな顔をした。
「いやーまた関係ない話をしてと、怒られるものだと」
はははと笑うマリにため息が出てしまう。
こんな笑い方をする女性には今まで出会ったことがない。
身分の高い人間としか関わり合いのない私からすると、彼女の取る行動はどれも異質に感じる。
「あなたが変なことを言い出さなければ怒らずに済むのですがね」
「ふふ、そんなに私って変かな」
ふと彼女の表情に影が差す。
時折そんな顔をするのを、その寂しげな瞳の色を私は知っている。
明るく振る舞ってはいるが、何も知らない世界に1人で来て寂しく思わないはずがない。
私もそうだったから。
「おーい、ラルフ。だいぶ遠い目をしていたけど何考えてたの?」
「つまらない私の昔話ですよ」
「ラルフのちっちゃな時の?うわぁ、絶対可愛かったんだろうなぁ。」
マリがキラキラと目を輝かせながら、私の幼少期に思いを馳せている。
「そんな楽しいものではありません、私の話なんてどこにでもある平凡な内容ですよ」
そう、本当につまらない話だ。
会話を逸らそうとするが、話していて段々と自分が惨めに思えてくる。
「そんなことない、私はラルフのこと正直苦手だけど」
「正直すぎますね」
「まぁ、聞いてよ。アルベルト様も言っていたけれど、ラルフの魔術が優れているのは努力の証拠だと思う。あと、私以外の人には親切だし……。廊下ですれ違うと必ずと言って皆ラルフに声をかけているよね、慕われているんだなって感じる」
不意に彼女が真面目な顔でそんなことを言うものだから、私は素で照れてしまう。
顔の赤みをさりげなく手で隠したが気付かれただろうか。
「アルベルト様の側近って、魔法が上手かったりただ頭が良いだけじゃなれないはずだよね」
「側近はまぁ、私の実力以外の効果もありますがね」
「効果?」
「私の父が宰相ですから、多少の根回しがあったのでしょう」
「まさか、そんなことで私がお前を選ぶと思ったのか」
予想外の声に私とマリはその主へと視線を送る。
「なんだ2人して化け物でも見る顔だな」
「さすがアルベルト様、気配を消すのがお上手で。いつからいらっしゃったのですか?」
「ちょうど今、お前がコネで私の側近になったという話からだよ。ラルフにその父上からお呼びがかかっていてな、様子見がてら私が伝言役を買って出たわけだ」
アルベルト様は私に近づき持っていた資料を預かると、行ってこいと視線を送ってくる。
「では、続きはアルベルト様にお願いしても?」
「もちろん」
「い、いや大丈夫ですっ!1人で勉強できますから」
マリが急に焦りはじめると、案の定、アルベルト様の“いつものからかい”が始まった。
新しい玩具を見つけた子どものように、好奇心を隠すことなく、マリに近づいていく。
あの一件以来、陰りのある表情しか見せなかった彼に、こうした変化が見られるのは、側近としては嬉しいような、少し複雑な気持ちでもある。
――それが、相手がマリであるからなのだろうか。
「はぁ……。今日はここまでですね」
私が深いため息をついてみせると、マリは緊張した面持ちになる。
一方で、アルベルト様は表情こそ崩さないものの、長年仕えてきた私の目には――まるでいたずらっ子のように映った。
「仕方ないですね、勉強はまた明日にしましょう」
「ではマリ、行こうか?」
アルベルト様がスマートにマリの手を取ると、彼女が慌てふためくのも気に留めず、そのまま出口へと向かっていく。
「ちょっ、まっ……ラルフー‼︎」
涙声で、珍しく私に助けを求めてくるマリ――そんな姿が、妙におかしくて笑ってしまいそうになる。
ピピアーノ高原で、どうやら2人の距離はずいぶんと縮まったらしい。
さて、私はどう立ち回るべきか。
父上に会わねばならない重さを感じつつ、私は静かにその場をあとにした。
魔法で降らせた雪だからか、驚くことに被害は一切なかったらしい。むしろ、転んだおばあちゃんの腰が良くなったとか、雪に埋もれた子どもの病気が治ったとか、そんな信じられない話まで聞こえてくる。
城下町では「奇跡の雪」と噂になり、人々は笑顔で感謝の言葉を口にしていた。
そして、雪解け水のおかげで、王都の水不足に奔走していたリッカルド王や魔術師たちがしばらく休めることになったらしい。
“ピピアーノの時と一緒だぁ~。 マリ、すごいね! 大活躍っ!”
透き通るような声が、昼下がりの庭園に響く。
ふわりと風に乗るように、白い光をまとった小さな存在が私の周りを飛び回った。
フォンテだ。相変わらずのんびりした様子で、庭園を舞う精霊たちに気まぐれに挨拶をしている。
南の庭園は、昨日とはまるで別世界のように美しかった。鮮やかな花々が生き生きと咲き誇り、噴水からは清らかな水が流れ出している。
昨日まで見かけることのなかった精霊たちが、今日はあちこちに姿を現し、私に出会うたびにお礼を言ってくる。
フォンテが言うには、これも私の降らせた雪の効果らしい。
“みんな嬉しそうなのに、なんでマリはしょんぼりしているの?”
くるくると宙を舞いながら、フォンテが不思議そうに私の顔を覗き込む。
その声に、私はふっと視線を落とした。
確かに、みんな喜んでいる。私のしたことが、たくさんの人の役に立った。
――でも、それなのに、どうしてだろう。胸の奥が、ひどく重たい。
噴水の水音が、やけに遠く聞こえた。
“ほらほら。暗い顔してるから、心配してこっち見てる人がいるよー”
「え?」
フォンテの言葉に反応して振り向くと、そこには波打つ金髪とアイスブルーの瞳を持つ美しい少女が立っていた。
彼女と目が合うと、ゆっくりとした動きで軽く会釈をし、私に向かって歩いてくる。その歩みは、まるで優雅な舞のように見えた。
「お初にお目にかかりますわ。ルナ・リグノーアと申します」
その名前を聞いて、すぐに思い浮かんだのは、アルベルト様の妹のルナ姫様だ。
フォンテが彼女の周りを飛び回るのでヒヤヒヤしたが、どうやら精霊に気づいてはいないようだ。
「はじめまして、マリです。お兄様にはいつもお世話になっています」
「こちらこそ、マリ様のご活躍についてはよく耳にしております」
ルナ様は淡々とした口調でそう言い、表情から一切感情が読み取れない。感情を表に出さないタイプなのか、それとも私をあまり好まれていないのか、少し不安に思った。
「少しでもお力になれたなら嬉しいです。成人の儀には、恐縮ながら私も参列させていただきます」
「はい、楽しみにしておりますわ」
その会話は表面的には穏やかだが、ルナ様の態度には冷たさを感じさせるものがあった。どう接して良いのか、少し迷ってしまう。
「ところで、マリ様のダンスのお相手なのですが……」
ルナ様の言葉がふと途切れ、視線がどこか宙を彷徨う。
その様子から、何か言いにくいことがあるのかもしれないと感じた。
「私のダンスの相手ですか?」
「え、えぇ……」
その問いに、私は小さく首をかしげる。
ダンスと聞いて思い当たるのは、成人の義のあとに行われるパーティーでのものだ。
そのダンスのパートナーといえば、エスコートしてくれるアルベルト様以外、思い浮かばない。
「アルベルト様だと思います」
「……そうですか。他の殿方から、お誘いは受けていらっしゃいませんの?」
「え、いえ……。お誘いは、ありません」
一瞬、エミル様の顔が脳裏をかすめたが、慌ててそのイメージをかき消す。
ルナ様はしばらく沈黙し、その後は何も言わなかった。気まずい空気が流れて行く。
「おや、ルナ嬢とマリじゃないか!」
その沈黙を破るように、突然エミル様が現れ私に寄りかかってくる。空気が一瞬で冷えた気がした。
「やぁ、マリ。ルナ嬢と何を話しているんだ?」
「エミル様、ごきげんよう」
私は軽くお辞儀をし、すぐにエミル様から距離を取った。
昨日の彼の無責任な行動を思い出すだけで、胸の奥がざわつく。私はあれから一睡もできなかったというのに、当の本人は何事もなかったかのように余裕の笑みを浮かべている。
――油断してはいけない。
自分にそう言い聞かせながら、改めて警戒の意を強めた。
「マリ、顔怖いぞ?」
エミル様は私の表情に気づいたのか、きょとんとした顔で覗き込んできた。その一瞬で私は後ろに下がる。
「はは、だいぶ警戒されてしまったな」
エミル様は楽しげに笑った。その様子に怒りさえ覚えてしまいそうだ。
「ちらっと聞こえたんだが、ダンスの話か?」
エミル様がルナ様に向かって言うと、彼女の頬がわずかに赤く染まった。私は思わずその表情に目を奪われる。
「えぇ、まぁ」
ルナ様が少し照れた様子で答える。
話に聞いていたよりも年相応な反応に私は驚いてしまった。
「楽しみだな。ルナ嬢はリッカルドがエスコートするが、俺とも踊ってくれるか?」
エミル様は余裕たっぷりに微笑みながら、ルナ様を見つめた。
無遠慮だと非難したくなるが、まるで一枚の絵画のように2人の並んだ姿が美しく、つい見惚れてしまう自分がいる。
「はい、ぜひお願いいたしますわ」
その返答にまた私は驚き、しばらく固まってしまう。
エミル様は満足げに笑い、ますます調子に乗っている様子だった。
その時、私の名前を呼ぶ声がした。ラルフだ。
「おっと、面倒臭い男がやってきたな。見つかる前に俺は逃げるぞ!」
「では、私も失礼いたしますわ」
二人は息を合わせるように、そっとその場を離れ、風のように去って行った。
心なしか、ルナ様の表情が明るかったように感じたのは気のせいだろうか。
すぐにラルフの姿が見え、小走りでこちらに向かってくる。
「ラルフ、どうしたの?」
「やっと見つけました! 今日の予定、覚えていらっしゃいますか?」
「予定……?」
ハッとする。そうだ、ルナ様とのお茶会があった。
「昼食後にルナ様とのお茶会…でしたよね?」
ラルフが少し驚いた顔をして私を見つめる。
「そうです。貴女とルナ様を探すのに、使用人総出で探しておりました」
その言葉に、私はすぐに謝るべきだと思った。
「ルナ様も来なかったの?」
「彼女はいつものことです。でも、貴女は……」
「すみませんでした。でもさっきルナ様とは挨拶できましたし、それで目的は達成ということで良いかな?」
「なんと、ルナ様がわざわざ足を止めて挨拶したんですね」
ラルフは驚き、私が話した内容をじっと考え込んでいるようだった。
「何か問題でも?」
「いえ、ただ、とても珍しいんです。あの方は、近しい人間以外とはほとんど関わらないので…」
「ルナ様って、どんな方なんですか?」
「どちらかと言うと、性格はレオナルド様に似ています。非常に優秀ですが、魔力が強すぎて時折制御できず、周囲のものを凍らせてしまうこともあるんです」
「氷の姫君の由来はそこから?」
「はい。でも最近は、あまりその魔力を使う姿は見ませんね。やはり、水不足の影響でしょうか」
ラルフはどこか複雑そうな表情を浮かべながら、ふと空を見上げた。
彼は時々こうして、何かを考え込むように空を仰ぐことがある。
今にも泣き出しそうに見えるその横顔を、私はただ黙って見つめることしかできなかった。
「雨、降るといいね」
何気なく口にした言葉に、ラルフはハッとしたようにこちらを振り返る。
だが、その瞳にはすでにいつもの冷たい光が戻っていた。
「そのためには、マリ様が早く魔法を使えるようにならないと」
「んん? そんなつもりで言ったわけじゃ……」
「ちょうど時間もありますし、今から魔法訓練をいたしましょう」
「えっ……えぇ!? 」
気づけば、私はラルフに引っ張られ、みっちりと魔法訓練を受ける羽目になった。
容赦ない指導のもと、くたくたになったのは言うまでもない。
―――――
ラルフ視点
アルベルト様の様子がおかしい。
幼い頃から彼を見てきたが、常に冷静かつスマート。女性からの誘いは華麗にスルーしていたそんなアルベルト様が、あのおかしな女を気にしている。
マリという女は礼儀も作法も何もかもなっておらず、この国の常識など皆無だ。
召喚の儀によって異世界から呼ばれてしまったことには同情するが、その教育係として任命された私にもどうか同情して欲しい。
「ラルフって私と喋る時、いつも眉間にシワが寄ってるよね」
マリに国の歴史を教えている最中、異様に見られていたかと思えばまたそんな事を言い出した。
無意識だろうが、彼女の不意に出た言葉に自分のリズムを狂わされる。
「何故だと思いますか?」
「え?」
逆にマリに問うと、目をぱちくりとさせながら私を見つめる。どうしたのかと少し首を傾けると彼女は意外そうな顔をした。
「いやーまた関係ない話をしてと、怒られるものだと」
はははと笑うマリにため息が出てしまう。
こんな笑い方をする女性には今まで出会ったことがない。
身分の高い人間としか関わり合いのない私からすると、彼女の取る行動はどれも異質に感じる。
「あなたが変なことを言い出さなければ怒らずに済むのですがね」
「ふふ、そんなに私って変かな」
ふと彼女の表情に影が差す。
時折そんな顔をするのを、その寂しげな瞳の色を私は知っている。
明るく振る舞ってはいるが、何も知らない世界に1人で来て寂しく思わないはずがない。
私もそうだったから。
「おーい、ラルフ。だいぶ遠い目をしていたけど何考えてたの?」
「つまらない私の昔話ですよ」
「ラルフのちっちゃな時の?うわぁ、絶対可愛かったんだろうなぁ。」
マリがキラキラと目を輝かせながら、私の幼少期に思いを馳せている。
「そんな楽しいものではありません、私の話なんてどこにでもある平凡な内容ですよ」
そう、本当につまらない話だ。
会話を逸らそうとするが、話していて段々と自分が惨めに思えてくる。
「そんなことない、私はラルフのこと正直苦手だけど」
「正直すぎますね」
「まぁ、聞いてよ。アルベルト様も言っていたけれど、ラルフの魔術が優れているのは努力の証拠だと思う。あと、私以外の人には親切だし……。廊下ですれ違うと必ずと言って皆ラルフに声をかけているよね、慕われているんだなって感じる」
不意に彼女が真面目な顔でそんなことを言うものだから、私は素で照れてしまう。
顔の赤みをさりげなく手で隠したが気付かれただろうか。
「アルベルト様の側近って、魔法が上手かったりただ頭が良いだけじゃなれないはずだよね」
「側近はまぁ、私の実力以外の効果もありますがね」
「効果?」
「私の父が宰相ですから、多少の根回しがあったのでしょう」
「まさか、そんなことで私がお前を選ぶと思ったのか」
予想外の声に私とマリはその主へと視線を送る。
「なんだ2人して化け物でも見る顔だな」
「さすがアルベルト様、気配を消すのがお上手で。いつからいらっしゃったのですか?」
「ちょうど今、お前がコネで私の側近になったという話からだよ。ラルフにその父上からお呼びがかかっていてな、様子見がてら私が伝言役を買って出たわけだ」
アルベルト様は私に近づき持っていた資料を預かると、行ってこいと視線を送ってくる。
「では、続きはアルベルト様にお願いしても?」
「もちろん」
「い、いや大丈夫ですっ!1人で勉強できますから」
マリが急に焦りはじめると、案の定、アルベルト様の“いつものからかい”が始まった。
新しい玩具を見つけた子どものように、好奇心を隠すことなく、マリに近づいていく。
あの一件以来、陰りのある表情しか見せなかった彼に、こうした変化が見られるのは、側近としては嬉しいような、少し複雑な気持ちでもある。
――それが、相手がマリであるからなのだろうか。
「はぁ……。今日はここまでですね」
私が深いため息をついてみせると、マリは緊張した面持ちになる。
一方で、アルベルト様は表情こそ崩さないものの、長年仕えてきた私の目には――まるでいたずらっ子のように映った。
「仕方ないですね、勉強はまた明日にしましょう」
「ではマリ、行こうか?」
アルベルト様がスマートにマリの手を取ると、彼女が慌てふためくのも気に留めず、そのまま出口へと向かっていく。
「ちょっ、まっ……ラルフー‼︎」
涙声で、珍しく私に助けを求めてくるマリ――そんな姿が、妙におかしくて笑ってしまいそうになる。
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