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番外編
犬猫論争あるいは教務助手の同族嫌悪
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※バジル視点です。
―――――――――
あー、退屈。
バジルは顔に出ないように、こみ上げたあくびを噛み殺した。
「なぁなぁジェイベズ先生見た? そう、あの髪」
「見た! すごい色じゃんね、あれ」
学生の話は雑多でまとまらなくて、笑えるくらい平和ぼけしている。
学院前のケーキ屋に新作が出たとか、どっかの教師の髪が一夜にして真っ赤になったとか、温室にアホみたいにでかい花があるとか、そういう話。だいたいはくだらないが、たまに有用な情報があるから侮れない。
ちなみに教師の髪が赤くなったのは、週末にカードゲームで大負けした罰ゲーム。重要度は低い。温室の花は副学長が留学時代のコネで引っ張ってきた希少種だ。重要度は結構高い。気候もあって栽培は難しいが薬効が高く、魔術薬の教師が小踊りして足を捻っていた。もし株を増やして育成ノウハウが得られるなら益も大きいだろう。ケーキ屋の新作は栗が甘くておいしかった。
雑多に流れる話題に相槌を打ちながら、バジルはにこにこ人好きする笑みを浮かべる。
バジル・ティリッジとして暮らすのも、もうすぐニ年だ。学院にも慣れて後輩もでき、少なくない友人と毎日楽しみつつ来年の卒業――正確には卒業課題に怯える、そんな生活をしている。
「バジルくんは犬と猫、どっち派?」
気づけばまた話題が変わっていた。犬派か猫派か。塵ほどどうでもいい話題だが、世の人にとっては人生における重要事であるらしい。
「そうだなー……」
バジルは考える素振りを見せた。なんだかちょっと面倒くさくなってきた。遊ぶか。
「猫は無理」
「あ!?」
思いきって強い言葉を使うと、テーブルの奥の男子がいきり立った。実家で三匹の猫を飼っている正真正銘の猫派だ。なお三匹の猫はいずれも母君に懐いていて、彼はとことん冷たくあしらわれているらしい。それでも好きなのだから筋金入りだ。
「猫は! いいだろ!」
拳を握る彼に、バジルはわざと困ったような顔を作ってみせた。左の目尻を叩く。
「いや、小さい頃に引っかかれて……ちょっとズレてたら失明してたかもでさ。それ以来、怖いんだよね」
もちろん嘘である。
猫は単純に好きじゃない。気まぐれに振り回されるなんてまっぴらごめんだし、あざとい仕草もわざとらしくて好きになれない。あの愛されて当然、己を中心に世界が回っていますがなにかとでも言わんばかりの態度、あまりにも傲慢で腹が立ってくる。ただでさえ日ごろから《塔》の魔術師たちに振り回されているのに、どうして仕事外でも自分勝手に付き合わないといけないのか。
が、そこまで言うと「バジル」の皮が剥がれてしまう。
かわいいとは思うんだけど、どうしても怖くて、ね。と付け足して苦笑してみせると、同情の声が上がった。ちょろい聴衆に、バジルはこみ上げる笑いを堪える。憤慨していた彼も勢いをなくし、「そうか、それは運が悪かったな……」と肩を落としてしまった。それはそうとして、悪かったのは運なのか。どう考えてもこの場合は猫だろ。
「じゃあ犬のほうが好きって感じ?」
「うん、そうだね」
隣のクラスメイトの言葉に、バジルは頷いた。……まぁ、別にそっちも別に好きじゃないけど。
なんなら、犬のほう厄介だ。言わば――そう、同族嫌悪。
自分が「そう」だからわかる。人間がわざわざ人間を好きと言わないように、犬だって犬を好きだとは言わない。
犬は信用できるが、信頼は一欠片もおけないものだ。なにせご主人のことしか頭にない連中である。だからその能力は信じられても、それ以外では常に腹の探り合いになる。彼らの頭にあるのはどうすれば主の利益が最大になるか、そのためになにをすればいいか。そこに他の犬への思いやりはない。
そして犬はいずれも、ご主人からの寵愛に飢えている。
あー……顔見たくなってきちゃった。
かつ、かつと右手の爪先で机を引っかく。その脳裏に浮かぶのは我が主人たる赤髪の男だ。無表情だが情はあり、そのくせ己を犬として使うことに躊躇いがない男。
思えば前回の報告からだいぶ経っている。それだって対面じゃなかったから、もうかなり顔を見ていない。
いきなり訪問したら、うーん、怒られるだろうか。バジルは考えた。なにかあったかと身構えるか、だらけるなと顔をしかめるか。いやいや、日頃の仕事ぶりを労って撫でてくれる可能性だって。
そこまで想像して、バジルは堪らず笑った。決めた、今夜は《塔》へ帰ろう。主は今日も膝の上で『犬』を撫でているに違いない。ここにだって犬はいますよ、と定期的に主張しておかなければ忘れられてしまう。こっちはご主人様のためにわざわざ離れて孤独に頑張っているのだから、たまには飴が必要だ。
そのためにも仕事は完璧に。
男は「バジル」の仮面を念入りに被り直し、同級生の与太話に身を投じた。
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あー、退屈。
バジルは顔に出ないように、こみ上げたあくびを噛み殺した。
「なぁなぁジェイベズ先生見た? そう、あの髪」
「見た! すごい色じゃんね、あれ」
学生の話は雑多でまとまらなくて、笑えるくらい平和ぼけしている。
学院前のケーキ屋に新作が出たとか、どっかの教師の髪が一夜にして真っ赤になったとか、温室にアホみたいにでかい花があるとか、そういう話。だいたいはくだらないが、たまに有用な情報があるから侮れない。
ちなみに教師の髪が赤くなったのは、週末にカードゲームで大負けした罰ゲーム。重要度は低い。温室の花は副学長が留学時代のコネで引っ張ってきた希少種だ。重要度は結構高い。気候もあって栽培は難しいが薬効が高く、魔術薬の教師が小踊りして足を捻っていた。もし株を増やして育成ノウハウが得られるなら益も大きいだろう。ケーキ屋の新作は栗が甘くておいしかった。
雑多に流れる話題に相槌を打ちながら、バジルはにこにこ人好きする笑みを浮かべる。
バジル・ティリッジとして暮らすのも、もうすぐニ年だ。学院にも慣れて後輩もでき、少なくない友人と毎日楽しみつつ来年の卒業――正確には卒業課題に怯える、そんな生活をしている。
「バジルくんは犬と猫、どっち派?」
気づけばまた話題が変わっていた。犬派か猫派か。塵ほどどうでもいい話題だが、世の人にとっては人生における重要事であるらしい。
「そうだなー……」
バジルは考える素振りを見せた。なんだかちょっと面倒くさくなってきた。遊ぶか。
「猫は無理」
「あ!?」
思いきって強い言葉を使うと、テーブルの奥の男子がいきり立った。実家で三匹の猫を飼っている正真正銘の猫派だ。なお三匹の猫はいずれも母君に懐いていて、彼はとことん冷たくあしらわれているらしい。それでも好きなのだから筋金入りだ。
「猫は! いいだろ!」
拳を握る彼に、バジルはわざと困ったような顔を作ってみせた。左の目尻を叩く。
「いや、小さい頃に引っかかれて……ちょっとズレてたら失明してたかもでさ。それ以来、怖いんだよね」
もちろん嘘である。
猫は単純に好きじゃない。気まぐれに振り回されるなんてまっぴらごめんだし、あざとい仕草もわざとらしくて好きになれない。あの愛されて当然、己を中心に世界が回っていますがなにかとでも言わんばかりの態度、あまりにも傲慢で腹が立ってくる。ただでさえ日ごろから《塔》の魔術師たちに振り回されているのに、どうして仕事外でも自分勝手に付き合わないといけないのか。
が、そこまで言うと「バジル」の皮が剥がれてしまう。
かわいいとは思うんだけど、どうしても怖くて、ね。と付け足して苦笑してみせると、同情の声が上がった。ちょろい聴衆に、バジルはこみ上げる笑いを堪える。憤慨していた彼も勢いをなくし、「そうか、それは運が悪かったな……」と肩を落としてしまった。それはそうとして、悪かったのは運なのか。どう考えてもこの場合は猫だろ。
「じゃあ犬のほうが好きって感じ?」
「うん、そうだね」
隣のクラスメイトの言葉に、バジルは頷いた。……まぁ、別にそっちも別に好きじゃないけど。
なんなら、犬のほう厄介だ。言わば――そう、同族嫌悪。
自分が「そう」だからわかる。人間がわざわざ人間を好きと言わないように、犬だって犬を好きだとは言わない。
犬は信用できるが、信頼は一欠片もおけないものだ。なにせご主人のことしか頭にない連中である。だからその能力は信じられても、それ以外では常に腹の探り合いになる。彼らの頭にあるのはどうすれば主の利益が最大になるか、そのためになにをすればいいか。そこに他の犬への思いやりはない。
そして犬はいずれも、ご主人からの寵愛に飢えている。
あー……顔見たくなってきちゃった。
かつ、かつと右手の爪先で机を引っかく。その脳裏に浮かぶのは我が主人たる赤髪の男だ。無表情だが情はあり、そのくせ己を犬として使うことに躊躇いがない男。
思えば前回の報告からだいぶ経っている。それだって対面じゃなかったから、もうかなり顔を見ていない。
いきなり訪問したら、うーん、怒られるだろうか。バジルは考えた。なにかあったかと身構えるか、だらけるなと顔をしかめるか。いやいや、日頃の仕事ぶりを労って撫でてくれる可能性だって。
そこまで想像して、バジルは堪らず笑った。決めた、今夜は《塔》へ帰ろう。主は今日も膝の上で『犬』を撫でているに違いない。ここにだって犬はいますよ、と定期的に主張しておかなければ忘れられてしまう。こっちはご主人様のためにわざわざ離れて孤独に頑張っているのだから、たまには飴が必要だ。
そのためにも仕事は完璧に。
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