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結婚って深いね
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結婚が成功だったか、失敗だったかなんて、何を基準に判断すればいいのだ。20年も結婚生活をしてきたら、もう離婚するのは億劫だから一緒にいるようなものだろう。
しかし、たらればを言えば、あのターニングポイントに戻って、別の人との結婚生活をしてみることができたら、今の結婚が成功だったか、失敗だったかが分かるだろうか?
そんなことを考えて眠ったら、聡美は夢の中で、初めて付き合った彼氏がプロポーズしてきたあの日に帰っていた。
余りにも現実っぽい周りの風景に思わずキョロキョロしてしまった。聡美は、大学のキャンパスに立っていた。昨年同窓会で行った時は、煤けてしまっていたはずの白亜の校舎が美しく輝いている。
「聡美!」と、大きな声で呼びながら、大学時代の彼氏が走ってきた。青いポロシャツに白のチノパン姿の彼は、21歳の清々しいまでの爽やかさを肩に纏っていた。
若いって、それだけで、カッコいいんだなと思った。186㎝の体躯はキャンパスでは結構目立っている。だが、去年の同窓会で彼を見かけた時は、見なけりゃよかったと思うほどには、くたびれた親父になっていた。25年の歳月が、けっこうカッコよかった青年を、悲哀を肩に纏った中年男に変えてしまうのだなと思った。歳をとったら、別に背が高くなくてもいい。大きい分、家の中で邪魔だと、余計なことを考えた。今の旦那が170㎝しかないし、家の中で、さして邪魔に感じないからだ。
「聡美! 待った?」
「全然、今来たとこ」
「行こう!」
「どこに?」
「えっとさ、ついて来てよ」
「OK」
彼の名は、誠司。絵に描いたような誠実な青年だ。聡美は、彼がついてこいと言うので、後ろをついて歩きながら思った。どうして、この人のプロポーズを断ったんだろう? 今の旦那と比べても、どう考えてもスペックになんの差もない。差もないどころか、こっちのほうが見た目もいいし、当時は、背が高くてかっこいいと思っていたし、頭だって今の旦那と比べても別に悪くない。
その当時は嫌いだと思っていたくだらないお喋りをするところも、今の旦那とまったく変わらない。今は、寡黙な男が面倒くさくて嫌になったので、お喋りは歓迎するくらいだ。
そんなことを頭の中で考えながら歩いた。
「着いた!」
大学の中で、「告白スポット」で有名な池についた。あれ、25年前にここでプロポーズだったけ?なにか違う場所だったような気もしたんだけどなと思ったが、人間の記憶のいい加減さにちょっと笑いが出そうだった。
「ねえ、さっきからさ、なんか変だよ、聡美」
「そう? どう変なの?」
「妙に落ち着いているというか……。いつものきゃぴきゃぴの聡美らしくない」
「そう? きゃぴきゃぴねえ」
聡美は、一体どこに迷い込んだんだろうと訝った。どうも夢の中の体は25年前の自分で、意識が今の自分として夢を見ているようだ。
「聡美に言いたいことがあったんだ」
「何?」
「大学卒業したら結婚してほしい」
「……」
ここで、断らないと歴史が変わるんだろうか?と逡巡したが、これはどうせ夢だ、夢をみているんだから、いいんだ、OKしちゃえ、お試しができるかもしれないしと、聡美は思った。
「うん、よろしくお願いします」
「ほんと? 本当に結婚してくれる?」
「するよ、誠司と結婚したい」
誠司がハグをしてきた。大体において、手さえ繋いだことがなかったのに、いきなり無骨なキスが降ってきた。
下手なキスに窒息しそうになりながら、今の旦那と初めてキスしたのいつだっけな?と考え事をした。
その後、流石に夢なので、ご都合主義にガンガンと時間が進んでいって、あっという間に、結婚式の場面を見ている。
聡美がウェディングドレスを着て、白く長いベールに顔を覆い、父親の腕に掴まってバージンロードを歩いてくるのを、グレーの花婿衣装を着た186㎝の恵まれた体格の誠司が、涙を拭き拭き待っていた。
「聡美、ありがとう、俺と結婚してくれて」
「こちらこそ、ふつつか者だけど、よろしく」
「こちらこそ、よろしくお願いします」
そうやって、誠司との結婚生活は始まった。意外に誠司との相性は悪くなかった。穏やかで、幸福感に満ちた。
こういう妄想というのは、ないものねだりの女が、別の選択をしておけば良かったと思って、実際それが叶うと、思っていたとは違う酷い目にあってしまい、結論として、今の等身大の幸せがよかったのだと気づいて、現実に納得するというものなのではないのか? 聡美はますます訝った。
これでは夢から冷めた時に、あっちのほうがよかったと思って、寝ざめが悪くなるってものじゃないの? そう思って、これは破壊行為に出るべきではないかと考えた。喧嘩を吹っ掛けた。誠司が、理不尽に仕掛けられた喧嘩に腹を立てて、聡美を殴りでもすれば、今の旦那のほうが良かったと思えるはずだ。それに夢だから痛くないはずだ。
「退屈よ!あんたといると!」と怒鳴りつけた。指輪を顔にぶつけてやった。腹にケリも入れた。怒れ!誠司!と思いながら。
「どうしたんだい? 愛を試しているのかな?」
「は?」
学生時代、喧嘩するとオロオロするだけだったのに、蹴られても大人の男の余裕だみたいな顔している。どういうことだ?これは。
おいでと言われ、なぜか膝の上に乗せられて宥められた。聡美は、図体ばかりデカくて子供っぽかった誠司が、こんな包容力を持ったことにちょっと感動してしまった。今の旦那は気が強くて、罵倒などしたら大変だ、言った悪口の5倍くらいの悪口が返ってくる。
なんだろう? 居心地が良くなってしまった。夢が覚めなければいいのだがと思っていたら、目が覚めた。はあ、覚めちゃったかと、隣に寝ているはずの身長170㎝の豆タンクの旦那に、孝之、もう起きなと声をかけた。そして、聡美は驚愕した。隣に誠司が寝ていた……。
聡美はパニックになった。夢から覚めたはずなのに、まだ、夢の中なのだろうか?胸がドキドキしている。
「聡美、おはよう!」
「誠司、ねえ、私たち結婚したの?」
「何言ってんだよ、23年前に結婚したろ?」
「え?待って! 今、何年?」
「令和3年だろ」
「誠司、幾つ?」
「46だけど? 聡美と同い年だからね」
「待ってよ!」
鏡の前にすっ飛んでいきました。確かに、昨日寝る前の私の顔だと思った。目尻に皺が刻まれた46歳の女の顔だった。
「さあさ、朝の支度お願いしますよ。俺、今日会議だから、背広は黒にしてね。ワイシャツアイロンかけてくれたろ?」
「待って、待って、アイロンなんてかけるような、そんな、あのさ…」
「かけてくれてないの?」
今の旦那は、会社員じゃない。芸術家だから家で仕事しているので、スーツなんて滅多に着ないし、葬式でもない限り、ワイシャツにアイロンなんてかけないのだ。
呆然とした。誠司はプリプリして、自分でアイロンをかけはじめた。聡美よりも手際が良かった。
「明日からはちゃんとしてくれよ」と、言って誠司は会社に行った。
その生活は夢じゃなかった。全てが現実だったのだ。表札に誠司と聡美の名前が並んでいた。聡美が買いそうなものが並べられている。
どういうことなのか全く理解できなかった。聡美は、孝之はどうなったのだろうと心配になり電話した。そらで覚えている家の電話番号を押すと、呼び出し音が鳴る。電話番号は存在している。
「もしもし」
「孝之!」
「え? 聡美ちゃんか?」
「なんだか分からないことになっていて!」
「なにが? ご主人元気かい」
「何言ってんの!旦那はあんたじゃないよ」
「え? 馬鹿なこと言わないでよ、俺には、女房いるし」
「……」
「どうした?喧嘩でもした?それとも春の陽気にやられたか?」
「ごめん」
夢だよ、夢なんだ、きっと、そうだ。一日中、家の中を見て回ると、あちこちに聡美の痕跡があった。ここに23の時から暮らしてきたの?私。。。
誠司が帰宅して、にこやかに言った。
「聡美、夢見てたろ? やっと目が覚めてくれたと思ったのにな」
「どういうこと?」
「俺達、大学卒業して23ですぐ結婚したからさ、聡美は、社会に出て、仕事をバリバリすることが経験できなかった。子供たちが家を離れてからさ、空の巣症候群になってしまったんじゃないかな。仕事したかったとか、誠司じゃなくて、つきあってくれって言ってくれてた孝之とつき合ってたら、違ってたかもとか言い出したんだよ。覚えてないのか?」
「じゃあ……」
「多分、処方してもらった薬飲んでぐっすり眠っていた間に、23歳から今までの人生を仮想体験してきたんじゃないのか?」
「孝之とは結婚しなかったの?私」
「孝之さんは、卒業して5年くらいしてから、今の奥さんのみゆきさんと結婚したよ」
「え、みゆきさんは誠司の奥さんじゃ? そうなの…、そうか」
信じられなかった。夢だと思っていたほうが現実で、やり直したいなと思っていたほうが夢だった?
誠司の顔を見た。昨日の夢の中の21歳の清々しい爽やかさはもうなかった。お腹も出っ張っている。ただ、聡美を見つめる瞳は、25年前のあの日と変わらず、優しかった。
夢……。混乱した記憶が整理されてきた。
「聡美、大丈夫か?」
「うん、多分ね、まだ、少し、寝ぼけているみたいだけど」
「おいで」
夢の中で、結婚したての頃に、誠司を蹴ったら、こうやって膝に乗せて宥めてくれたんだった。でも、実際の生活でそんなことしてくれたことなんてあっただろうか?
「ごめんな、聡美がさ、喧嘩しかけてくることなんてなかったのに、よほどのことだったんだろうな? 昨日のことは、何が嫌だったんだ?」
「え、私、昨日蹴った?」
「ああ、蹴られたの初めてだったから焦ったよ」
「誠司といると退屈だって言ったあれ?」
「そう」
「違うよ、喧嘩して誠司が殴ってきたら、孝之との結婚のほうが正しかったと思えると思ってわざと喧嘩をしかけたんだ」
「そうか、俺は殴ったりはしないつもりだけど」
「夢の中のことだと思っていた」
「夢と現実を完全に入れ違えて覚えてるみたいだな」
「そうなのね」
もう、どうでも良かった。誠司と私は幸せなんだ、23年間の結婚生活は幸せで幸せで、だから、こんな馬鹿な夢をみて、幸せかどうか他の男との結婚生活の夢で試したかったんだ。もう忘れようと思って、誠司の膝の上で微笑んだ。
急に眠くなってまた眠った。誠司が聡美を寝かしつけてくれた。
家の電話が鳴った。
「ああ、孝之さん、聡美はまた眠ってますよ、みゆきはどうしてますか?」
「ああ、こっちも寝たり起きたりだよ。そのうち、2人とも記憶が定着するだろう」
「そうですね、推移を見守りましょうか」
「そうだね。じゃあ、そちらの奥さんは俺に任せて。聡美をよろしく。古女房同士でも交換すれば、新しい。新鮮だよね」
「そうですね。お互い、昔の女を楽しみましょう」
「ああ、じゃあね」
誠司は、引き出しから契約書を出して、一読すると、引き出しにしまって、カギをかけた。
契約書のタイトルは、『配偶者交換契約書』だった。
しかし、たらればを言えば、あのターニングポイントに戻って、別の人との結婚生活をしてみることができたら、今の結婚が成功だったか、失敗だったかが分かるだろうか?
そんなことを考えて眠ったら、聡美は夢の中で、初めて付き合った彼氏がプロポーズしてきたあの日に帰っていた。
余りにも現実っぽい周りの風景に思わずキョロキョロしてしまった。聡美は、大学のキャンパスに立っていた。昨年同窓会で行った時は、煤けてしまっていたはずの白亜の校舎が美しく輝いている。
「聡美!」と、大きな声で呼びながら、大学時代の彼氏が走ってきた。青いポロシャツに白のチノパン姿の彼は、21歳の清々しいまでの爽やかさを肩に纏っていた。
若いって、それだけで、カッコいいんだなと思った。186㎝の体躯はキャンパスでは結構目立っている。だが、去年の同窓会で彼を見かけた時は、見なけりゃよかったと思うほどには、くたびれた親父になっていた。25年の歳月が、けっこうカッコよかった青年を、悲哀を肩に纏った中年男に変えてしまうのだなと思った。歳をとったら、別に背が高くなくてもいい。大きい分、家の中で邪魔だと、余計なことを考えた。今の旦那が170㎝しかないし、家の中で、さして邪魔に感じないからだ。
「聡美! 待った?」
「全然、今来たとこ」
「行こう!」
「どこに?」
「えっとさ、ついて来てよ」
「OK」
彼の名は、誠司。絵に描いたような誠実な青年だ。聡美は、彼がついてこいと言うので、後ろをついて歩きながら思った。どうして、この人のプロポーズを断ったんだろう? 今の旦那と比べても、どう考えてもスペックになんの差もない。差もないどころか、こっちのほうが見た目もいいし、当時は、背が高くてかっこいいと思っていたし、頭だって今の旦那と比べても別に悪くない。
その当時は嫌いだと思っていたくだらないお喋りをするところも、今の旦那とまったく変わらない。今は、寡黙な男が面倒くさくて嫌になったので、お喋りは歓迎するくらいだ。
そんなことを頭の中で考えながら歩いた。
「着いた!」
大学の中で、「告白スポット」で有名な池についた。あれ、25年前にここでプロポーズだったけ?なにか違う場所だったような気もしたんだけどなと思ったが、人間の記憶のいい加減さにちょっと笑いが出そうだった。
「ねえ、さっきからさ、なんか変だよ、聡美」
「そう? どう変なの?」
「妙に落ち着いているというか……。いつものきゃぴきゃぴの聡美らしくない」
「そう? きゃぴきゃぴねえ」
聡美は、一体どこに迷い込んだんだろうと訝った。どうも夢の中の体は25年前の自分で、意識が今の自分として夢を見ているようだ。
「聡美に言いたいことがあったんだ」
「何?」
「大学卒業したら結婚してほしい」
「……」
ここで、断らないと歴史が変わるんだろうか?と逡巡したが、これはどうせ夢だ、夢をみているんだから、いいんだ、OKしちゃえ、お試しができるかもしれないしと、聡美は思った。
「うん、よろしくお願いします」
「ほんと? 本当に結婚してくれる?」
「するよ、誠司と結婚したい」
誠司がハグをしてきた。大体において、手さえ繋いだことがなかったのに、いきなり無骨なキスが降ってきた。
下手なキスに窒息しそうになりながら、今の旦那と初めてキスしたのいつだっけな?と考え事をした。
その後、流石に夢なので、ご都合主義にガンガンと時間が進んでいって、あっという間に、結婚式の場面を見ている。
聡美がウェディングドレスを着て、白く長いベールに顔を覆い、父親の腕に掴まってバージンロードを歩いてくるのを、グレーの花婿衣装を着た186㎝の恵まれた体格の誠司が、涙を拭き拭き待っていた。
「聡美、ありがとう、俺と結婚してくれて」
「こちらこそ、ふつつか者だけど、よろしく」
「こちらこそ、よろしくお願いします」
そうやって、誠司との結婚生活は始まった。意外に誠司との相性は悪くなかった。穏やかで、幸福感に満ちた。
こういう妄想というのは、ないものねだりの女が、別の選択をしておけば良かったと思って、実際それが叶うと、思っていたとは違う酷い目にあってしまい、結論として、今の等身大の幸せがよかったのだと気づいて、現実に納得するというものなのではないのか? 聡美はますます訝った。
これでは夢から冷めた時に、あっちのほうがよかったと思って、寝ざめが悪くなるってものじゃないの? そう思って、これは破壊行為に出るべきではないかと考えた。喧嘩を吹っ掛けた。誠司が、理不尽に仕掛けられた喧嘩に腹を立てて、聡美を殴りでもすれば、今の旦那のほうが良かったと思えるはずだ。それに夢だから痛くないはずだ。
「退屈よ!あんたといると!」と怒鳴りつけた。指輪を顔にぶつけてやった。腹にケリも入れた。怒れ!誠司!と思いながら。
「どうしたんだい? 愛を試しているのかな?」
「は?」
学生時代、喧嘩するとオロオロするだけだったのに、蹴られても大人の男の余裕だみたいな顔している。どういうことだ?これは。
おいでと言われ、なぜか膝の上に乗せられて宥められた。聡美は、図体ばかりデカくて子供っぽかった誠司が、こんな包容力を持ったことにちょっと感動してしまった。今の旦那は気が強くて、罵倒などしたら大変だ、言った悪口の5倍くらいの悪口が返ってくる。
なんだろう? 居心地が良くなってしまった。夢が覚めなければいいのだがと思っていたら、目が覚めた。はあ、覚めちゃったかと、隣に寝ているはずの身長170㎝の豆タンクの旦那に、孝之、もう起きなと声をかけた。そして、聡美は驚愕した。隣に誠司が寝ていた……。
聡美はパニックになった。夢から覚めたはずなのに、まだ、夢の中なのだろうか?胸がドキドキしている。
「聡美、おはよう!」
「誠司、ねえ、私たち結婚したの?」
「何言ってんだよ、23年前に結婚したろ?」
「え?待って! 今、何年?」
「令和3年だろ」
「誠司、幾つ?」
「46だけど? 聡美と同い年だからね」
「待ってよ!」
鏡の前にすっ飛んでいきました。確かに、昨日寝る前の私の顔だと思った。目尻に皺が刻まれた46歳の女の顔だった。
「さあさ、朝の支度お願いしますよ。俺、今日会議だから、背広は黒にしてね。ワイシャツアイロンかけてくれたろ?」
「待って、待って、アイロンなんてかけるような、そんな、あのさ…」
「かけてくれてないの?」
今の旦那は、会社員じゃない。芸術家だから家で仕事しているので、スーツなんて滅多に着ないし、葬式でもない限り、ワイシャツにアイロンなんてかけないのだ。
呆然とした。誠司はプリプリして、自分でアイロンをかけはじめた。聡美よりも手際が良かった。
「明日からはちゃんとしてくれよ」と、言って誠司は会社に行った。
その生活は夢じゃなかった。全てが現実だったのだ。表札に誠司と聡美の名前が並んでいた。聡美が買いそうなものが並べられている。
どういうことなのか全く理解できなかった。聡美は、孝之はどうなったのだろうと心配になり電話した。そらで覚えている家の電話番号を押すと、呼び出し音が鳴る。電話番号は存在している。
「もしもし」
「孝之!」
「え? 聡美ちゃんか?」
「なんだか分からないことになっていて!」
「なにが? ご主人元気かい」
「何言ってんの!旦那はあんたじゃないよ」
「え? 馬鹿なこと言わないでよ、俺には、女房いるし」
「……」
「どうした?喧嘩でもした?それとも春の陽気にやられたか?」
「ごめん」
夢だよ、夢なんだ、きっと、そうだ。一日中、家の中を見て回ると、あちこちに聡美の痕跡があった。ここに23の時から暮らしてきたの?私。。。
誠司が帰宅して、にこやかに言った。
「聡美、夢見てたろ? やっと目が覚めてくれたと思ったのにな」
「どういうこと?」
「俺達、大学卒業して23ですぐ結婚したからさ、聡美は、社会に出て、仕事をバリバリすることが経験できなかった。子供たちが家を離れてからさ、空の巣症候群になってしまったんじゃないかな。仕事したかったとか、誠司じゃなくて、つきあってくれって言ってくれてた孝之とつき合ってたら、違ってたかもとか言い出したんだよ。覚えてないのか?」
「じゃあ……」
「多分、処方してもらった薬飲んでぐっすり眠っていた間に、23歳から今までの人生を仮想体験してきたんじゃないのか?」
「孝之とは結婚しなかったの?私」
「孝之さんは、卒業して5年くらいしてから、今の奥さんのみゆきさんと結婚したよ」
「え、みゆきさんは誠司の奥さんじゃ? そうなの…、そうか」
信じられなかった。夢だと思っていたほうが現実で、やり直したいなと思っていたほうが夢だった?
誠司の顔を見た。昨日の夢の中の21歳の清々しい爽やかさはもうなかった。お腹も出っ張っている。ただ、聡美を見つめる瞳は、25年前のあの日と変わらず、優しかった。
夢……。混乱した記憶が整理されてきた。
「聡美、大丈夫か?」
「うん、多分ね、まだ、少し、寝ぼけているみたいだけど」
「おいで」
夢の中で、結婚したての頃に、誠司を蹴ったら、こうやって膝に乗せて宥めてくれたんだった。でも、実際の生活でそんなことしてくれたことなんてあっただろうか?
「ごめんな、聡美がさ、喧嘩しかけてくることなんてなかったのに、よほどのことだったんだろうな? 昨日のことは、何が嫌だったんだ?」
「え、私、昨日蹴った?」
「ああ、蹴られたの初めてだったから焦ったよ」
「誠司といると退屈だって言ったあれ?」
「そう」
「違うよ、喧嘩して誠司が殴ってきたら、孝之との結婚のほうが正しかったと思えると思ってわざと喧嘩をしかけたんだ」
「そうか、俺は殴ったりはしないつもりだけど」
「夢の中のことだと思っていた」
「夢と現実を完全に入れ違えて覚えてるみたいだな」
「そうなのね」
もう、どうでも良かった。誠司と私は幸せなんだ、23年間の結婚生活は幸せで幸せで、だから、こんな馬鹿な夢をみて、幸せかどうか他の男との結婚生活の夢で試したかったんだ。もう忘れようと思って、誠司の膝の上で微笑んだ。
急に眠くなってまた眠った。誠司が聡美を寝かしつけてくれた。
家の電話が鳴った。
「ああ、孝之さん、聡美はまた眠ってますよ、みゆきはどうしてますか?」
「ああ、こっちも寝たり起きたりだよ。そのうち、2人とも記憶が定着するだろう」
「そうですね、推移を見守りましょうか」
「そうだね。じゃあ、そちらの奥さんは俺に任せて。聡美をよろしく。古女房同士でも交換すれば、新しい。新鮮だよね」
「そうですね。お互い、昔の女を楽しみましょう」
「ああ、じゃあね」
誠司は、引き出しから契約書を出して、一読すると、引き出しにしまって、カギをかけた。
契約書のタイトルは、『配偶者交換契約書』だった。
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