3 / 109
女王は秘密を持っている
3
しおりを挟む
今日開設している8台のレジから万札を集め、やはり木曜にしては多めの両替依頼を処理すると、外線電話が鳴る。ワンコールで素早く受話器を上げるのが原則である。
「はい、ハッピーストア鷺ノ宮店の住野です」
無愛想ではなく、媚びずに話す。外線は8割が客からの電話である。そのうちの半分は、何らかのクレームだ。気は抜けない。
「すみません、ぬくもりぬいぐるみ病院と申しますが」
亜希は電話の向こうの男の声に、首を傾げつつもはい、と明るく応じた。ぬいぐるみ病院?
「今日の夕方にお弁当を予約しているのですが、ちょっと取りに行くのが難しくて」
男は丁寧に話したが、亜希は内心、うわっ、と思う。何食分予約しているのか知らないが、キャンセルだとしたら洒落にならない。亜希は相手に断り保留ボタンを押して、惣菜部門のバックヤードに内線を入れた。頼りないサブチーフではなく、ベテランのパートタイマーが出てくれたので、ほっとする。
「事務の住野です……外線1番ね、ぬくもりぬいぐるみ病院っておっしゃってるんだけど」
「ああ、6時に幕の内弁当10本頼んでるとこだわ」
パートさんは、客を把握していた。話が早い。
「取りに来れないっぽいみたいに言ってる」
「ええっ! マジ? 無いわ! ちょい代わるわ、1番ね」
「うん、よろしく」
引き継ぎが完了し、亜希は受話器を置いた。何? と真庭が訊いてくる。報告は必要だった。
「18時に幕の内弁当を10本頼んでるお客さんです、取りに行けないって言ってました」
「うわぁ、キャンセルされたら痛いな」
真庭は珍しくぱっと立ち上がり、事務所から小走りで出て行った。河原崎があらぁ、と小窓の外を覗く。
「惣菜に行ったんですかね? 店長」
「キャンセルさせるなって言いに行ったのかな」
幕の内弁当は、単価がやや高い。もしキャンセルされたら、10折を平日の夕方から捌くには、値引き無しでは難しいだろう。
すぐに真庭は事務所に戻ってきた。鍵を持って出なかったようなので(事務所は常に施錠されている)、河原崎が扉を開けてやる。
真庭が溜め息混じりに言う。
「俺が持ってくことにしたわ、お茶も頼んでるみたいだし」
「えーっ、夕方のそんな時間に店長が留守にするの、ヤバいんじゃないですか?」
河原崎の反応はもっともだった。彼女の言う通りである上に、ネットスーパーの宅配申し込みでもないのに、こちらが商品を運んでやるというのが、亜希には引っかかる。
亜希の目線が鋭くなったことに気づいたのか、真庭は言い訳がましく言った。
「今回だけだって念押ししたからな、あっちもめちゃくちゃ謝ってたし、大目に見てやろう」
亜希は真庭にもうひとつ確認する。
「釣り銭の無いように代金を用意するよう言いましたよね?」
「言った言った、領収書欲しいって言ってたぞ」
真庭は頷きながら答える。領収書はレジに頼まなくてはいけないが、入金が無いのに先に発行するのを、レジチーフが嫌がりそうである。
「それで? 18時に何処なんですか」
「野方」
デスクに座り、地図をネットで開く真庭だが、少し心配だ。彼は車に乗るのが好きで、配達や外への用事を厭わないのはいいのだが、あまり知らない場所に行くと、たまに道に迷う。夕方の忙しい時間帯に店を空けられ、挙げ句迷子になられては困る。
木曜日なので店次長は休みで、事務所同様に他部署も社員が1人しか出勤しておらず、頼める人間がいない。事務所を閉めるのが、一番ダメージが小さいだろう。亜希は意を決して提案した。
「店長、私のほうがその辺詳しいと思いますから私が行きます」
真庭のパソコンの画面を覗きこむと、ぬくもりぬいぐるみ病院とやらは、亜希の自宅から割に近く、全く知らない場所ではない。それに、ぬいぐるみ病院というのが何げに気になった。
「えっ、住野さん運転できるのか」
「オートマ限定ですから、小さいほうの車を借ります」
店舗の車は2台ある。ミニバンはオートマチック、ワンボックスバンはミッションである。弁当と茶を10人分くらいなら、ミニバンで十分だ。
車に乗る話など、職場でしたことがないので、河原崎まで目を丸くしていた。最終のレジの両替を17時に繰り上げて、河原崎に残業してもらい金庫閉めを任せ、亜希が配達に出るという話が纏まる。
「病院の担当はおおにしさんだ、電話してきた人」
亜希は了解し、通常業務に戻る。配達して直帰できないのは残念だが、まあ惣菜部門に恩を売っておくのは、悪くなかった。
「はい、ハッピーストア鷺ノ宮店の住野です」
無愛想ではなく、媚びずに話す。外線は8割が客からの電話である。そのうちの半分は、何らかのクレームだ。気は抜けない。
「すみません、ぬくもりぬいぐるみ病院と申しますが」
亜希は電話の向こうの男の声に、首を傾げつつもはい、と明るく応じた。ぬいぐるみ病院?
「今日の夕方にお弁当を予約しているのですが、ちょっと取りに行くのが難しくて」
男は丁寧に話したが、亜希は内心、うわっ、と思う。何食分予約しているのか知らないが、キャンセルだとしたら洒落にならない。亜希は相手に断り保留ボタンを押して、惣菜部門のバックヤードに内線を入れた。頼りないサブチーフではなく、ベテランのパートタイマーが出てくれたので、ほっとする。
「事務の住野です……外線1番ね、ぬくもりぬいぐるみ病院っておっしゃってるんだけど」
「ああ、6時に幕の内弁当10本頼んでるとこだわ」
パートさんは、客を把握していた。話が早い。
「取りに来れないっぽいみたいに言ってる」
「ええっ! マジ? 無いわ! ちょい代わるわ、1番ね」
「うん、よろしく」
引き継ぎが完了し、亜希は受話器を置いた。何? と真庭が訊いてくる。報告は必要だった。
「18時に幕の内弁当を10本頼んでるお客さんです、取りに行けないって言ってました」
「うわぁ、キャンセルされたら痛いな」
真庭は珍しくぱっと立ち上がり、事務所から小走りで出て行った。河原崎があらぁ、と小窓の外を覗く。
「惣菜に行ったんですかね? 店長」
「キャンセルさせるなって言いに行ったのかな」
幕の内弁当は、単価がやや高い。もしキャンセルされたら、10折を平日の夕方から捌くには、値引き無しでは難しいだろう。
すぐに真庭は事務所に戻ってきた。鍵を持って出なかったようなので(事務所は常に施錠されている)、河原崎が扉を開けてやる。
真庭が溜め息混じりに言う。
「俺が持ってくことにしたわ、お茶も頼んでるみたいだし」
「えーっ、夕方のそんな時間に店長が留守にするの、ヤバいんじゃないですか?」
河原崎の反応はもっともだった。彼女の言う通りである上に、ネットスーパーの宅配申し込みでもないのに、こちらが商品を運んでやるというのが、亜希には引っかかる。
亜希の目線が鋭くなったことに気づいたのか、真庭は言い訳がましく言った。
「今回だけだって念押ししたからな、あっちもめちゃくちゃ謝ってたし、大目に見てやろう」
亜希は真庭にもうひとつ確認する。
「釣り銭の無いように代金を用意するよう言いましたよね?」
「言った言った、領収書欲しいって言ってたぞ」
真庭は頷きながら答える。領収書はレジに頼まなくてはいけないが、入金が無いのに先に発行するのを、レジチーフが嫌がりそうである。
「それで? 18時に何処なんですか」
「野方」
デスクに座り、地図をネットで開く真庭だが、少し心配だ。彼は車に乗るのが好きで、配達や外への用事を厭わないのはいいのだが、あまり知らない場所に行くと、たまに道に迷う。夕方の忙しい時間帯に店を空けられ、挙げ句迷子になられては困る。
木曜日なので店次長は休みで、事務所同様に他部署も社員が1人しか出勤しておらず、頼める人間がいない。事務所を閉めるのが、一番ダメージが小さいだろう。亜希は意を決して提案した。
「店長、私のほうがその辺詳しいと思いますから私が行きます」
真庭のパソコンの画面を覗きこむと、ぬくもりぬいぐるみ病院とやらは、亜希の自宅から割に近く、全く知らない場所ではない。それに、ぬいぐるみ病院というのが何げに気になった。
「えっ、住野さん運転できるのか」
「オートマ限定ですから、小さいほうの車を借ります」
店舗の車は2台ある。ミニバンはオートマチック、ワンボックスバンはミッションである。弁当と茶を10人分くらいなら、ミニバンで十分だ。
車に乗る話など、職場でしたことがないので、河原崎まで目を丸くしていた。最終のレジの両替を17時に繰り上げて、河原崎に残業してもらい金庫閉めを任せ、亜希が配達に出るという話が纏まる。
「病院の担当はおおにしさんだ、電話してきた人」
亜希は了解し、通常業務に戻る。配達して直帰できないのは残念だが、まあ惣菜部門に恩を売っておくのは、悪くなかった。
応援ありがとうございます!
0
お気に入りに追加
21
1 / 3
この作品を読んでいる人はこんな作品も読んでいます!
ユーザ登録のメリット
- 毎日¥0対象作品が毎日1話無料!
- お気に入り登録で最新話を見逃さない!
- しおり機能で小説の続きが読みやすい!
1~3分で完了!
無料でユーザ登録する
すでにユーザの方はログイン
閉じる