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身バレしないはずだった

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 サービス業のシフト労働は、土日休めないなんて、と同情されがちだが、非サービス業の人や家庭を持つ人と遊べなくても良いのであれば、そんなに悪くない生活を送ることができる。少なくとも亜希はそう思っている。
 平日に休むと、買い物に行っても遊びに行っても、間違いなく行き先が空いている。ゴールデンウィークやお盆、そして年末に休まない分、長めの休暇をそれ以外の閑散期に取ることになるが、旅行代金などは繁忙期よりも絶対に安い。海外旅行は運が良ければ半額近くで楽しめるし、国内の温泉旅館やリゾートホテルを使うと、料金はそのままで、部屋のグレードアップをしてもらえることも少なくない。
 逆に亜希は、高い料金でしか旅行に行けないのはもったいないし、月曜から金曜まで、よく5日間も連続で出勤できるなと思う。スーパーマーケットに勤務するフルタイム労働者は、平日に休むため、4日以上連続して出勤することがあまり無いからだ。
 そんな訳で月曜日は、休みだった。週末の疲れを7時間の睡眠で癒し、さて何をしようかと亜希は考える。
 大西が、ももちゃんの「怪我」を写真に撮ってほしいと言っていた。天気も良さそうだから、SNS用の写真と一緒に撮ろうと、亜希は洗面台に向かう。少し遅くなったので、公園は人が増えて撮影しにくいかもしれない。
 昨夜亜希は、SNSで繋がっているぬいぐるみ愛好家たちに、ぬいぐるみの修理を専門におこなうところに自分の子を預けたことがないか、思い切って呼びかけてみた。普段発言しない「もものかいぬし」が質問したからか、自分も預けてみたいと考えていると多くの人が答えてくれ、預け先にぬくもりぬいぐるみ病院を候補に挙げた人もいた。その話題がひとしきり盛り上がる中、1人の相互フォロワーが、自らの体験談を載せているブログのURLを教えてくれた。
 その人は「マリリンの母」というアカウント名を持ち、金色の毛の愛らしいテディベア・マリリンちゃんを撮影している。糖度高めな写真を得意とする人だ。亜希が投稿を始めてすぐに、マリリンが復活しました! というタイトルで写真を上げていたなと思い出す。だから亜希は、マリリンちゃんの「ビフォア」の姿を知らなかった。
 そのブログの記事は、亜希の胸を掴んで揺さぶった。修理前のマリリンちゃんは、持ち主の愛情を一身に受け、元の毛の色がわからないくらいどす黒くなっていた。右腕のつけ根がちぎれてしまいそうで、口許も型崩れして、少し悲しそうだった。それが1ヶ月後、つやつや輝くゴールドの毛の、高級そうなテディベアに変身したのである。
 これが出会った頃の姿です、と「マリリンの母」は喜んでいた……出会った頃のももちゃんの姿なんて、もう思い出せないけれど、そんなものを見ることができるなら。
 ももちゃんを入れたトートバッグを手に公園に入ると、人が多いという不満が亜希の胸に湧いた。今日は撮影は難しいだろうか。
 遊具を置いているエリアでは、5人の小さい子どもたちが滑り台の周囲を走り回り、傍らで3人の女性が、彼らを見ながら談笑していた。こんな光景を視覚的にいいなと思うけれど、自分がその場に参加したくて羨んだことは無い。
 自分には人として、生物学的な女としての何かが欠けているのかもしれない。こういう時に、亜希は思う。小さい子どもは可愛いけれど、産み育てることにほぼ興味が無い。
 でももし、今トートバッグに入っているももちゃんが、何かのはずみで自分の手から奪われるようなことがあったら……発狂するのではないか? そこまででなくても、しばらく泣き暮らすだろう。
 自分の中のくすぶる不安を、亜希はようやく言語化できた。ぬいぐるみ病院に預けて、きれいになったとしても、それがももちゃんと全く別のものになってしまったらどうする?
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