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平穏ならざる日常
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節分は、食品スーパーにとってはかなりの大イベントである。惣菜部門の者は全員出勤し、3階の休憩室の半分が巻き寿司調理場と化す。
何曜日であろうとも、昼前と夕刻に巻き寿司を求める客が激増するため、1階の食品フロアのレジは9台全てを開設する。当然釣り銭が増えるので、事務所は金庫の中身を気遣わねばならない。阪口はミスなく釣り銭を発注してくれたので、亜希もひと安心だった。
事務所は特に忙しい時でもないのに、その日はフルメンバーで臨んだ。というのは、パートの河原崎と岡道が、巻き寿司づくりのヘルプに駆り出されたからだ。朝から4時間契約の岡道は、今日は事務所に降りてこない予定である。また、亜希と阪口はレジ要員だった。いつでも混雑したレジを手伝えるように、スタンバイしている。
それまで順調に流れていた店舗内に異変が起きたのは、4回目のレジ両替と万券回収が済んだ17時前である。サービスカウンターを訪れた客が想定外に怒っていたため、惣菜チーフの和田が対応しなくてはならなくなった。昨日購入した弁当の売価がPOPと違っていたという申し出は、完全に店舗側のミスだったため、仕方がなかった。
和田には、18時に近所に配達に行く予定があった。惣菜のサブチーフは免許を持っておらず、和田が客に捕まっているので、店次長の楠本に頼まなくてはならなかった。
ところがその時、私服で巡回していた警備員が、万引きをした中年女性を事務所に連れて来た。この案件は、管理職しか対応できないため、楠本が手を取られてしまった。
阪口がレジ支援に出て、楠本が警備員と万引き客にいろいろ尋ねている傍で、亜希は黙って伝票の整理をしていた。店長の真庭がこそっと背後にやって来たので、振り返る。
「住野さん、また配達ピンチ」
「は?」
亜希の声が裏返った。
「和田チーフ、まだ捕まってるんですか? 店長が代わってあげたらいいじゃないですか」
大体、クレーム対応が長引いたら、管理職が出て行くのが基本だろうが。亜希はつい真庭に厳しい目を向けてしまう。
「代わりたいけど、これからアルバイトの面接来るんだよ」
真庭が困ったように言うので、亜希は思わず壁の時計を見上げた。
「えっ、6時半じゃなかったですか?」
「1時間早くしてくれないかって昨日頼まれてさぁ」
亜希は鼻から息を抜いた。そもそもこんな忙しい日の夕方に、面接を設定するのが間違っている。
真庭は亜希の眉間に寄った皺に気づいたのだろう、下手に出る声になった。
「こないだ行ってくれたぬいぐるみ病院に結構近いとこなんだ、住野さんに配達頼めないかなあ……」
何にせよ、時間も無いんだから、早く言えよ! 亜希は口を引き結んで、立ち上がった。惣菜のバックヤードに行くためである。真庭がすごすごとついて来た。
一般食品チーフの木場が、真庭に声をかけてきた。彼は節分豆の箱を両腕に抱えながら、台車に向かって顎をしゃくった。
「ワダリンの代わりに店長が行ってくれるんですか? これお茶とお菓子」
台車には500ミリリットルのペットボトルが1ダース、つまり24本入った箱と、クッキーやチョコレートがバラで入った箱が置かれていた。
「住野さんが行ってくれるから、車まで運んでやってくれ」
真庭に言われた木場は、亜希の顔を見て目を丸くする。
「住野女王様にそんなことをしていただくなんて、恐れ多い」
木場の無駄口に、亜希はぴしゃりと返した。
「じゃあ木場さんが行けばいいじゃん、3便放置して」
「お許しください、それは致しかねます」
明日特売の飲料と菓子が、18時過ぎに流通センターから来る第3便でごっそり入荷する。木場がここを離れる訳にもいかないのだった。彼は豆を出すべく、売り場に走って出て行く。
惣菜サブチーフの槙原が、オードブルのパックの詰められた袋を両手に抱えて、バックヤードから出てきた。
「毎回すみません住野さん、俺来週から教習所行きます」
「まあ免許はあったほうが何かと便利だぞ」
真庭が亜希の代わりに応じた。免許が無いと出世できない訳ではないが、店舗の管理職や本社のバイヤー連中は、車を持っている者のほうが多いだろう。
「中華オードブル20人前と巻き寿司10本です、箸は要らないって言われてます」
真庭が茶と菓子を載せた台車を回して来たので、槙原が2つの袋を置いた。
「了解、あっちの担当さんは?」
亜希が訊くと、槙原は珍しく気の利いたことを言う。
「やまかわさんです、女性1人で持って行くって電話入れときます……フロイデハウスってグループホームなんですけど、車は隣の駐車場に入れてください」
「わかった」
真庭からキーを受け取り、バックヤードに戻ってきた木場に商品を運ばせながら、亜希はコートを羽織りそのポケットに眼鏡ケースを押し込んだ。
「気をつけて、行ってらっしゃい」
木場はてきぱきと茶と菓子の箱を後部座席に乗せてくれた。袋の口をきっちり結び、惣菜は箱の間に置く。
「ありがと」
「もう住野さん配達要員じゃないすか、めちゃいい感じ」
笑い混じりの木場の言葉に苦笑を返して、亜希はミニバンの扉を閉めた。
何曜日であろうとも、昼前と夕刻に巻き寿司を求める客が激増するため、1階の食品フロアのレジは9台全てを開設する。当然釣り銭が増えるので、事務所は金庫の中身を気遣わねばならない。阪口はミスなく釣り銭を発注してくれたので、亜希もひと安心だった。
事務所は特に忙しい時でもないのに、その日はフルメンバーで臨んだ。というのは、パートの河原崎と岡道が、巻き寿司づくりのヘルプに駆り出されたからだ。朝から4時間契約の岡道は、今日は事務所に降りてこない予定である。また、亜希と阪口はレジ要員だった。いつでも混雑したレジを手伝えるように、スタンバイしている。
それまで順調に流れていた店舗内に異変が起きたのは、4回目のレジ両替と万券回収が済んだ17時前である。サービスカウンターを訪れた客が想定外に怒っていたため、惣菜チーフの和田が対応しなくてはならなくなった。昨日購入した弁当の売価がPOPと違っていたという申し出は、完全に店舗側のミスだったため、仕方がなかった。
和田には、18時に近所に配達に行く予定があった。惣菜のサブチーフは免許を持っておらず、和田が客に捕まっているので、店次長の楠本に頼まなくてはならなかった。
ところがその時、私服で巡回していた警備員が、万引きをした中年女性を事務所に連れて来た。この案件は、管理職しか対応できないため、楠本が手を取られてしまった。
阪口がレジ支援に出て、楠本が警備員と万引き客にいろいろ尋ねている傍で、亜希は黙って伝票の整理をしていた。店長の真庭がこそっと背後にやって来たので、振り返る。
「住野さん、また配達ピンチ」
「は?」
亜希の声が裏返った。
「和田チーフ、まだ捕まってるんですか? 店長が代わってあげたらいいじゃないですか」
大体、クレーム対応が長引いたら、管理職が出て行くのが基本だろうが。亜希はつい真庭に厳しい目を向けてしまう。
「代わりたいけど、これからアルバイトの面接来るんだよ」
真庭が困ったように言うので、亜希は思わず壁の時計を見上げた。
「えっ、6時半じゃなかったですか?」
「1時間早くしてくれないかって昨日頼まれてさぁ」
亜希は鼻から息を抜いた。そもそもこんな忙しい日の夕方に、面接を設定するのが間違っている。
真庭は亜希の眉間に寄った皺に気づいたのだろう、下手に出る声になった。
「こないだ行ってくれたぬいぐるみ病院に結構近いとこなんだ、住野さんに配達頼めないかなあ……」
何にせよ、時間も無いんだから、早く言えよ! 亜希は口を引き結んで、立ち上がった。惣菜のバックヤードに行くためである。真庭がすごすごとついて来た。
一般食品チーフの木場が、真庭に声をかけてきた。彼は節分豆の箱を両腕に抱えながら、台車に向かって顎をしゃくった。
「ワダリンの代わりに店長が行ってくれるんですか? これお茶とお菓子」
台車には500ミリリットルのペットボトルが1ダース、つまり24本入った箱と、クッキーやチョコレートがバラで入った箱が置かれていた。
「住野さんが行ってくれるから、車まで運んでやってくれ」
真庭に言われた木場は、亜希の顔を見て目を丸くする。
「住野女王様にそんなことをしていただくなんて、恐れ多い」
木場の無駄口に、亜希はぴしゃりと返した。
「じゃあ木場さんが行けばいいじゃん、3便放置して」
「お許しください、それは致しかねます」
明日特売の飲料と菓子が、18時過ぎに流通センターから来る第3便でごっそり入荷する。木場がここを離れる訳にもいかないのだった。彼は豆を出すべく、売り場に走って出て行く。
惣菜サブチーフの槙原が、オードブルのパックの詰められた袋を両手に抱えて、バックヤードから出てきた。
「毎回すみません住野さん、俺来週から教習所行きます」
「まあ免許はあったほうが何かと便利だぞ」
真庭が亜希の代わりに応じた。免許が無いと出世できない訳ではないが、店舗の管理職や本社のバイヤー連中は、車を持っている者のほうが多いだろう。
「中華オードブル20人前と巻き寿司10本です、箸は要らないって言われてます」
真庭が茶と菓子を載せた台車を回して来たので、槙原が2つの袋を置いた。
「了解、あっちの担当さんは?」
亜希が訊くと、槙原は珍しく気の利いたことを言う。
「やまかわさんです、女性1人で持って行くって電話入れときます……フロイデハウスってグループホームなんですけど、車は隣の駐車場に入れてください」
「わかった」
真庭からキーを受け取り、バックヤードに戻ってきた木場に商品を運ばせながら、亜希はコートを羽織りそのポケットに眼鏡ケースを押し込んだ。
「気をつけて、行ってらっしゃい」
木場はてきぱきと茶と菓子の箱を後部座席に乗せてくれた。袋の口をきっちり結び、惣菜は箱の間に置く。
「ありがと」
「もう住野さん配達要員じゃないすか、めちゃいい感じ」
笑い混じりの木場の言葉に苦笑を返して、亜希はミニバンの扉を閉めた。
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