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昔の男、今の男
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ハッピーストア鷺ノ宮店は3階建てで、1階は食品全般、2階では日用雑貨と大きくないインテリア用品、そして少々衣類を取り扱っている。3階は従業員の休憩室とロッカー、倉庫なので、客が来ることはない。
2階が爆発的に混雑するのは年末くらいしか無いため、2台設置されたレジの両方が開設されることはあまり無い。そして、20時になるとその1台のレジも閉められ、以降閉店までの3時間は、1階で清算するよう客にアナウンスする。
早番だった阪口が18時に退勤し、金庫を19時に閉めた亜希は、急ぎの仕事も無くて何げに手持ち無沙汰だった。シフト変更して上がろうかと思ったが、1階がざわめいているので決断しづらかった。しかもレジのアルバイトが1人、体調を崩して欠勤しており、食品レジの体制は十分ではない。
果たして、19時半にサービスカウンターから電話がかかってきた。今日は華村が休みで、サブチーフの中路が1人で頑張っている。
「住野チーフ、カウンターに外線回してレジお願いできませんか?」
別に問題は無かったので、亜希は承諾した。中路は早口で続けた。
「8時まで2階にいてもらえると助かります」
「ああ、だったら次長なり戸村さんなり捕まえて、レジ閉めて帰ろっか?」
「わーじゃあお願いします、雨止んだからお客さん増えてきたんですよぉ」
中路は心底ほっとした声で言う。モニターを見る限り、2階の売り場はいつも通りという感じである。
事務所を出たところで、食品の品出しを手伝う楠本と会ったので、事務所を閉めて2階に行く旨を告げる。
「8時になったら閉め手伝ってください」
「わかった、戸村にも言っとくけど、榊原バイヤーまだいるから俺が行くようにするわ」
楠本の言葉に、まだいるのか、と亜希は言いかけた。生活関連用品部門のバイヤーの榊原尚文は、18時に鷺ノ宮店にやってきた。彼は事務所に挨拶に来たが、亜希と阪口しかいなかったので、すぐに売り場に向かった。その時は、ちらりと目を合わせただけである。
榊原は2階にいるに違いないので、亜希は苦々しく思いつつ、階段を上がった。果たして売り場に出ると、スーツを着た彼の後ろ姿が、調理器具の並ぶ棚に見え隠れしていた。亜希は足早にそこを通り過ぎ、レジに向かう。ぽつんと立っていた若い女の子が亜希に気づき、どうしたんですか、と訊いてきた。
「下混みそうだから行ってあげて、ここは8時まで私が入ってそのまま閉めることになった」
レジにいたのは、長く勤務している大学生アルバイトである。指示をすぐ理解した彼女は、了解でぇす、と答え、首から下げていた鍵を亜希に手渡した。クレジットカードの伝票をまとめている旨を亜希に引き継ぎしてから、1階に降りて行く。
ティッシュペーパーや台所の消耗品を買う客がぱらぱらと訪れたが、食品レジに比べると気楽なものだった。
客が切れると、榊原が歯ブラシの棚から姿を見せて、明らかにこちらを窺っていることに気づいた。顔に出さないように気をつけたが、亜希の胸に湧いたのは明らかに不快感だった。
ああそうか、あの人家が近いから、直帰するつもりで最後にこの店に来たんだ。亜希は思い当たり、鼻から息を抜いた。バイヤーの主な仕事は、メーカーとの打ち合わせと店舗巡回で、榊原はここに来るまでに、数店舗に顔を出していたはずである。
吹き抜けになっている階段とエスカレーターから階下のざわめきが聞こえてきたが、2階には客がいない。話しかけられたら嫌だなという、亜希の想像は現実化し、榊原はレジに近づいてきた。
「久しぶりだね」
榊原ににこやかに言われて、そうですね、と亜希は慇懃無礼に応じた。
「元気そうでよかった」
「そちらこそ、ご活躍のようで何よりです」
その時、ティッシュペーパーの在庫を売り場に出しに来た戸村が視界の端に入ったが、榊原が亜希と話しているのを見て気を回しているのか、黙って台車から商品を下ろしはじめた。……おいっ、バイヤーに何か言えよっ! 押しつけるな! 呆れた亜希は戸村に胸の内で毒づく。
2階が爆発的に混雑するのは年末くらいしか無いため、2台設置されたレジの両方が開設されることはあまり無い。そして、20時になるとその1台のレジも閉められ、以降閉店までの3時間は、1階で清算するよう客にアナウンスする。
早番だった阪口が18時に退勤し、金庫を19時に閉めた亜希は、急ぎの仕事も無くて何げに手持ち無沙汰だった。シフト変更して上がろうかと思ったが、1階がざわめいているので決断しづらかった。しかもレジのアルバイトが1人、体調を崩して欠勤しており、食品レジの体制は十分ではない。
果たして、19時半にサービスカウンターから電話がかかってきた。今日は華村が休みで、サブチーフの中路が1人で頑張っている。
「住野チーフ、カウンターに外線回してレジお願いできませんか?」
別に問題は無かったので、亜希は承諾した。中路は早口で続けた。
「8時まで2階にいてもらえると助かります」
「ああ、だったら次長なり戸村さんなり捕まえて、レジ閉めて帰ろっか?」
「わーじゃあお願いします、雨止んだからお客さん増えてきたんですよぉ」
中路は心底ほっとした声で言う。モニターを見る限り、2階の売り場はいつも通りという感じである。
事務所を出たところで、食品の品出しを手伝う楠本と会ったので、事務所を閉めて2階に行く旨を告げる。
「8時になったら閉め手伝ってください」
「わかった、戸村にも言っとくけど、榊原バイヤーまだいるから俺が行くようにするわ」
楠本の言葉に、まだいるのか、と亜希は言いかけた。生活関連用品部門のバイヤーの榊原尚文は、18時に鷺ノ宮店にやってきた。彼は事務所に挨拶に来たが、亜希と阪口しかいなかったので、すぐに売り場に向かった。その時は、ちらりと目を合わせただけである。
榊原は2階にいるに違いないので、亜希は苦々しく思いつつ、階段を上がった。果たして売り場に出ると、スーツを着た彼の後ろ姿が、調理器具の並ぶ棚に見え隠れしていた。亜希は足早にそこを通り過ぎ、レジに向かう。ぽつんと立っていた若い女の子が亜希に気づき、どうしたんですか、と訊いてきた。
「下混みそうだから行ってあげて、ここは8時まで私が入ってそのまま閉めることになった」
レジにいたのは、長く勤務している大学生アルバイトである。指示をすぐ理解した彼女は、了解でぇす、と答え、首から下げていた鍵を亜希に手渡した。クレジットカードの伝票をまとめている旨を亜希に引き継ぎしてから、1階に降りて行く。
ティッシュペーパーや台所の消耗品を買う客がぱらぱらと訪れたが、食品レジに比べると気楽なものだった。
客が切れると、榊原が歯ブラシの棚から姿を見せて、明らかにこちらを窺っていることに気づいた。顔に出さないように気をつけたが、亜希の胸に湧いたのは明らかに不快感だった。
ああそうか、あの人家が近いから、直帰するつもりで最後にこの店に来たんだ。亜希は思い当たり、鼻から息を抜いた。バイヤーの主な仕事は、メーカーとの打ち合わせと店舗巡回で、榊原はここに来るまでに、数店舗に顔を出していたはずである。
吹き抜けになっている階段とエスカレーターから階下のざわめきが聞こえてきたが、2階には客がいない。話しかけられたら嫌だなという、亜希の想像は現実化し、榊原はレジに近づいてきた。
「久しぶりだね」
榊原ににこやかに言われて、そうですね、と亜希は慇懃無礼に応じた。
「元気そうでよかった」
「そちらこそ、ご活躍のようで何よりです」
その時、ティッシュペーパーの在庫を売り場に出しに来た戸村が視界の端に入ったが、榊原が亜希と話しているのを見て気を回しているのか、黙って台車から商品を下ろしはじめた。……おいっ、バイヤーに何か言えよっ! 押しつけるな! 呆れた亜希は戸村に胸の内で毒づく。
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