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12月 4

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 浴室に追い立てられるように入った暁斗は、腰にタオルだけを巻いて、心許なく椅子に座っていた。お湯が浴槽に溜まっていくのを見つめながら、何が始まるのだろうと、未だに覚悟が出来ないでいる。思わず深呼吸をして、こんな気の小さい人間だっただろうかと、自分で自分がわからなくなっていた。

「お待たせしました、背中流しますね」

 かなとは楽しそうに言って、やはり腰にタオルだけを巻いた姿で、浴室に入ってきた。肌の白さが眩しかった。

「高貴なお方にでもなったつもりでいてください、嫌なことは嫌だとおっしゃってもらって……やりたいことは何でもしていただいて構いません」

 暁斗は返事に困った。かなとはやはり楽しそうに続けた。

れる以外は」

 デリバリーヘルスは一般的にそこはNGだということも、暁斗はよく知らなかった。男性相手に挿れるというのがどういうことなのか、ちゃんと予習はしてきたが、それは無い、と思う。ましてやこのかなと相手にそのような行為は、虐待以外の何物でもないように思われた。コートやセーターを脱いだかなとは、テニスをずっと続けていた暁斗の目には、ひどく華奢に映った。それでも貧相という言葉は合わない気がするのは、細い首やはっきり浮いた鎖骨から漂う、独特の色気のせいかも知れなかった。

「桂山さんは鍛えてらっしゃいます?」

 スポンジを泡だてながらかなとは訊いた。

「今はほとんど何も……高校大学とテニスをしてました」
「硬式? サークルじゃなくて体育会というか、正規の部活?」

 はい、と暁斗が答えると、かなとは感心したようにふうん、と言った。背中に温かいものが触れる。

「大学でサークルでなくガチでテニスしてた人って初めて遭遇しました」

 かなとは手を動かしながら耳に近いところで話す。何となく背中がむずむずする。

「そう? 私のいた頃は部員多かったですよ」
「運動部が盛んな学校ですか?」
「うーん、特定のクラブは昔も今も活躍してるけど……」
「桂山さんがいた頃のテニス部は?」

 かなとは暁斗の左腕をこすり始めた。背中だけでなく、全身洗ってくれるつもりだろうか。

「めちゃくちゃ弱くてOBに叱られてましたよ、誰か一回戦くらい勝てよって」

 暁斗の言葉にかなとは朗らかに笑った。右腕が済むと、前に回ってくる。かなとの髪からほのかに甘い香りがした。ここに来る前に、ちゃんと身体を洗っているのだ。スポンジの感触が胸から脇腹に下がってくると、むずむずが耐えがたいほど強くなってきた。

「ちょ……っと待って、そこから下は自分で……」

 暁斗は身体をよじった。かなとの手が止まり、小さく笑い声がした。反応を試されていることに、複雑な気持ちになる。

「部活の合宿なんかで背中の流し合いとかしませんでしたか?」

 かなとは口許に笑いを残しながら訊いた。

「背中だけしかしませんよ、普通」

 スポンジを受け取りながら、暁斗は答える。かなとは脚を洗う暁斗を楽しげに観察したあと、浴槽の湯加減を見に行った。彼の目を盗むように、股間をこっそり洗う。

「人とお風呂に入るのは久しぶりですよね?」

 かなとにシャワーの湯をかけられながら、暁斗は数年前に、社内旅行で温泉に入ったと答えた。

「あ、いいですね……社内旅行あるんですか」
「最近は日帰りばかりですけど」

 かなととの他愛ない話に、緊張がほぐれてくる。一緒に浴槽に身体を沈めると、隣にいる華奢な青年がさっき出会ったばかりだということを忘れそうになった。
 暁斗が小さく息をつくと、湯がふわりと動いた。かなとが距離を詰めてきたのだった。実質ナンバーワンのスタッフは、さりげなくナーバスな新規客の懐に滑り込んでくる。かなとが右肩に軽く頭をもたせ掛けてくるのを、当然のように受け止めようとする自分に、暁斗は戸惑った。右腕にくっついてくる、柔らかくていい匂いのする髪を持った、この妙に可愛らしい生き物は、何なのだ。
 暁斗は自分の戸惑いに何とか折り合いをつけようとして、更に混乱してしまう。ちらりと右手に視線をやると、かなとと目が合う。彼はじっと暁斗を見つめてから、にっこり笑った。何て可愛らしいんだろうと思い、それにまた戸惑う。これまで交際してきた女性たちに対して同じことを感じた時より、その色合いが濃くて重いような気がするのは、何故だろう。そのうちに、暁斗はすっかり忘れていた感覚が、自分の身体に久しぶりに芽生えたことに気づいた。太腿の内側が疼き始めたのである。

「ちょっと……かなとさん、その……」

 暁斗は焦って、自分の右腕に絡みついている不思議な生き物から離れようとした。しかし、それが相手を邪険に扱うことになりそうな気がしたのと、下半身の疼きがこのままで居たいと訴えてくるので、どうしたらいいのかわからなくなる。かなとはそんな暁斗の混乱を知ってか知らずか、どうかしましたか、などと言って、湯の中で暁斗の太腿にそっと手を置いた。暁斗は驚いて声を上げる。

「あっ、だめです、待って」
「何もしてないですよ、桂山さん顔真っ赤……そろそろ上がりますか?」
「……あっ……」

 視界が揺らいだ。湯が鼻の高さまで押し寄せる。桂山さん、というかなとの鋭い声が遠くで聞こえた。暁斗は自分の目の前に押し寄せる闇に、抗えなくなってしまった。



「あー……」

 暁斗はバスローブを着せられ、キングサイズのベッドに大の字になっていた。下半身がすかすかするが、それも心地良い。かなとがバスタオルで風を送ってくれている。

「はい、お水」

 暁斗の意識がはっきりしてきたのを見て、かなとが水の入ったグラスを差し出してきた。彼もバスローブに身を包んでいる。慣れた対応に、安心感を覚えながら、暁斗は少し身体を起こし、水を口にした。冷たくて美味しかった。

「ごめんなさい、まさかのぼせるとは」
「すみません、お湯が熱かったんですね……緊張もしてらっしゃったのに」

 かなとはベッドにぺったりと座ったまま、暁斗を覗き込んできた。心配をたたえた顔を見て、可愛らしいなぁ、と今度はぼんやり思った。少し浮世離れした雰囲気を持つこの青年は、何処に暮らしていて、普段は何をしているのだろう。浴室での話しぶりから察するに、一日中この仕事をしている訳ではなさそうだ。尋ねたら教えてくれるだろうか。暁斗は薄いもやのかかった脳内で、質問をシミュレーションしてみる。

「……襲っちゃおうかな」

 かなとは呟いて、心配している表情をくるりと変え、口の端をきゅっと上げた。え、と思った次の瞬間、上半身に暴力的に重みがかかってきた。暁斗はそれを反射的に腕で受け止めたが、右耳の下に熱くて柔らかいものを押し付けられ、全身を硬直させた。

「待って、かなとさん、ちょ……」
「やめて欲しいなら待って、じゃなくてやめて、と言ってくださいね」

 かなとは言いながら、喉仏のあたりと左の耳の下に順番に唇をつけてくる。背中にピリッと何かが走る感覚がした。おかしい、と混乱する頭の中で暁斗は思い出す。蓉子に同じことをされた時、こんな感じはなかった。無反応な自分に、彼女は不満を訴えなかったか。

「かなとさん、あの……えっ!」

 ひんやりした手が胸元に滑り込んできて、指先がさわさわと動く。指の腹で乳首を撫でられた瞬間、勝手に呼吸が止まり、暁斗の身体がぴくんと震えた。

「いい反応してくれますね、楽しい……」

 さっきまで可愛らしい生き物だった華奢な青年は、獰猛な肉食獣に変貌したようだった。全身の体重をかけて自分より大きな暁斗を組み敷き、バスローブを剥ぎ取りながらそこらじゅうに唇を押し付ける。熱くて湿り気を帯びた柔らかいものが触れる度に襲ってくる、経験したことのない熱気を帯びた感覚に為すすべもなく、拒絶もできない。暁斗はこんな風にされて喜んでいる自分を認めざるを得ず、理性にひびが入り、そこからぱらぱらと崩壊を始めたのを自覚した。
 かなとはちらりと下方に目をやってから、暁斗の左の耳たぶに歯を当て、舌の先で撫でた。

「感じてくれてるんだ、嬉しいな」

 かなとが耳に口をつけたまま股間に手を伸ばしてきた。暁斗は彼の動きを全く想定していなかった、そのつもりでこの部屋に来たにもかかわらず。細くて長い指が絡みつく。思わず声が出て、腰が跳ねた。

「気持ちいいですよね? すぐにいっちゃいそう」

 ざらりとした感触が耳の裏に這って、暁斗はもう一回叫んだ。自分のものを握り込んだ指が動くたびに、下半身からは、痺れるような快感が突き上げてくる。何なんだ、どうなってるんだ、こいつは俺に何をしてるんだ。

「やめて……くれっ、気が、狂いそうだ」

 暁斗は危機感さえ覚えて、自分を搦め取っている魔物のような青年に、切れぎれの声で訴えた。

「狂っちゃっていいですよ、看取ってあげます」

 かなとは言ってくすくす笑った。手を止めようともせずに。気持ちいい、と叫びそうになる自分を死にもの狂いで抑えつけるが、呼吸が勝手にあがってしまう。

「桂山さん可愛いなぁ、こんな人初めてです……開発しがいがありそう」

 何を言っている。暁斗は必死で抵抗を試みた。かなとの腕を振り払おうとするのだが、突き上げてくる甘い痺れがそうさせてくれない。高い声が出そうになるのを必死でこらえる。

「……俺はおまえのおもちゃじゃないぞ!」

 暁斗の言葉にかなとは目を丸くした。その表情でさえ抗いがたい色気がある。

「あなたは僕の大切なお客様です、楽しんでいただくのが僕の使命ですよ」
「客をもてあそぶのが使命なのか!」

 強情だなぁ、とかなとは笑顔になった。言ってから気まぐれのように、乳首を舌先でつついて来る。暁斗が歯を食いしばるのを見て、かなとはいかにも楽し気に言う。

「気持ちいいって認めたらいいのに」

 これ以上は無理だ。暁斗は敗北が近いのを感じた。敗北? こんな甘美な敗北があるのか。

「じゃあいっちゃってくださいね、遠慮しないで……我慢しても無駄ですよ、たぶん」

 かなとは言うなり股間に顔を近づけた。暁斗は驚愕と羞恥にやめろ、と叫んだ。そんなことは、蓉子にだってさせたことがない。

「やっ……あっ!」

 咥えられて暁斗は息を止めた。手で愛撫されていた時とは異次元の快感に身体が跳ねて、息ができたと思ったら声帯が勝手に音を出した。あり得ない場所への舌の感触に、全身が一気にとろけそうだった。ず、といやらしい音をたてて、かなとが喉の奥に自分の先を押し込む。コンドームを着けて女性の膣に挿入するのとは、比べものにならない――口でされるとこんなに気持ちいいのか。かなとの粘膜に強く締め付けられた時、身体のどこもかもが制御不能になると悟った。ふわりと暁斗の意識が飛んだ。



 かたわらに人の気配を感じて、暁斗は目を開いた。見覚えのない部屋、冷たい空気、……そして細い肩をした青年。自分が何処にいるのかを認識するのに、少し時間がかかる。

「寒いですか? 暖房つけますね」

 柔らかい声が耳のそばで響いた。かなとはベッドの脇にあるテーブルに手を伸ばし、リモコンを取り上げた。暁斗は彼の横顔を、ぼんやり見つめる。

「桂山さん、もう少し時間が残っているんですけど……どうしましょう? もう一回できるかな」

 かなとは顔を近づけてきて囁いた。暁斗はその黒い瞳に自分の顔が映るのを不思議な思いで見た。そして小さく首を横に振った。あまりのことに、すっかり消耗していた。

「じゃあ時間まで眠ってください、起こします」

 まだ2時間経っていないなんて。理性的に考え、暁斗は驚いた。よほどあっという間にいってしまったのだろうと、胸の内で苦笑する。

「……かなとさん……」

 暁斗は掠れた声で青年を呼んだ。はい、と返事がくる。触れていたい、と思った。

「時間まであなたを抱いていたい」

 驚くほどするりと言葉が出た。かなとは微笑んで頷いてくれた。彼はバスローブを手早く脱いで、暁斗の脇に腕を差し入れ、ぴったりと身体をくっつけた。さっき出会ったばかりの、しかも男にこんな風にされているのに、嫌な感じどころか、じわりと胸の中に暖色系のものが広がる。
 かなとの肌はすべすべしていて、全身が柔らかい絹に包まれたような気がした。そのぬくもりが心地よくて、ひとつ息をつき、細い背中に腕を回す。腕の中に取り込むと、かなとがわずかに身じろぎした。……可愛らしい。

「……やっぱり私は男のほうが好きなのかな」

 暁斗は腕の中の青年に訊いてみた。

「だと思います」

 かなとはちょっと顔を上げて答えた。

「……奥様とセックスした時……あんなに感じなかったんでしょう?」
「うん……」

 あんなに時間をかけて関係を大切に築いていた蓉子ではなく、今日初めて会った、正体もよく知らない男の子の愛撫に溺れた。その事実が重く、切ない。
 しかもこの正体不明の男の子は、やたらに琴線に触れてくる。力のある瞳、的確な言葉遣い、不思議なたたずまい、巧みな愛撫。蓉子とのたくさんの思い出まで色褪せさせられそうで、暁斗は一瞬後悔のようなものを感じた。

「かなとさん……」

 暁斗は胸の中の微かな揺れを取り払いたくて、かなとにもうひとつ要求してみたくなった。

「はい」
「キスしていいですか?」

 かなとは顔を上げ、いいですよ、と笑った。暁斗はそのきれいな形の額に、ゆっくりと唇を押しつけた。自分でもよく分からないが、礼を言うような気持ちもあった。

「……え?」

 かなとが小さく声を立てたが、暁斗はそのまま睡魔の誘惑に身を任せてしまう。今日は2時間ずっとみっともないまんまだった、と思いながら。恥ずかしい、でも……この子はふわっとした笑顔で受け止めてくれる。こんな年下の子に、甘えてもいいのだろうか。……少しだけ。現実に戻らなくてはいけない時間になるまで。
 暁斗は一瞬意識を自分の身体に戻した。脚に何か硬くて熱を帯びたものが当たっているのに気づいたからだ。脚を見ようとすると、かなとが気にしないで、と囁いた。

「すぐに収まりますから……桂山さん僕の好みだからっちゃった」

 誰にでもそんな風に言っているのだろう。暁斗はそう思ったが、悪い気分ではなかった。とろりと眠気が覆いかぶさってきた。本当に久しぶりの、安らかな眠りへの誘いだった。

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