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9月 6

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 ビジネス誌の記者は少し驚いたようだったが、暁斗を真っ直ぐに見てきた。あの記事を知らないと思われる人たちは、自分のパソコンで検索を始めたようだった。女子大生にあんな記事を読ませるのが、暁斗は恥ずかしく心苦しい。

「ご対応に感謝いたします、桂山さんはあの記事についてどのような見解をお持ちなのでしょう? 虚偽なのか、いわゆるアウティングなのか伺ってよろしいですか?」

 暁斗はひとつ深呼吸した。視界の端に、はらはらした様子の岸と山中が映る。

「私について書かれた部分の内容に虚偽はありません、私は同性愛者ですしそういう方専門の風俗店を利用しました、しかし」

 言いたいことは沢山あった。ばたばたとまくし立てそうになるのをゆっくり話そうとすると、喉がからからになった。

「それをあのように面白おかしく書かれ暴露されるいわれは無いと考えます、それに……」

 暁斗は一呼吸置き、少し迷ったが続けた。奏人とその大切な人の名誉を守ることは出来るだろうか。

「西澤遥一氏は日本が誇るべき研究者です、記事に出ていた28歳のSEは先生の最後の……かなり優秀な弟子なのですが、そこには触れず同性の愛人である部分ばかり強調していました、あれはそのSEのみならず先生への侮辱もはなはだしいと感じています」

 なるほど、よくわかりましたと記者は頷く。確認するように言う。

「ここはオフレコにして欲しいとおっしゃいましたが、具体的にどこまでなら公開して良いとお考えですか?」
「例えば相談室に当事者が2名いると書いてくださるのは結構です……相談室のメンバーも半数は昨日まで私が同性愛者だと知らなかったのです、あんな記事が無ければしばらくは隠しておくつもりでしたから、名前を不特定多数の人に知らせる心の準備が出来ておりません」
「御社は雑誌の出元に桂山さんのために会社として抗議するとはまだ決めていないようですね、それについては如何ですか」
「私の個人的な問題ですから無理に頼もうとは考えていなかったのですが……このメンバーが私のために動いてくれますから、今のところはそれで十分です」

 質疑応答が一段落ついた感じがあり、暁斗はそっと息をついた。清水が唇の端を上げて暁斗を見ている。面白がるなと言いたくなった。

「すみません桂山さん、今記事を見ました、確かに下劣な内容だと私も感じますし同じ報道に携わる者としていきどおりを覚えます」

 ビジネス誌の記者の横に座る、経済紙の若い記者が手を上げながら言った。暁斗はまだか、と緩みかけた気を引き締め直す。

「桂山さんは先程このSEが西澤遥一氏の優秀な弟子だとおっしゃいましたが……風俗店でお知り合いなんですよね、個人的にお親しいのですか?」
「……えっと……それは、その、ご想像にお任せします」

 不意打ちを受けた暁斗は、やや焦って答えた。山中がわずかに笑いを含ませた声で、プライベートな質問ですよ、と記者をたしなめる。記者は申し訳ありません、と慌てて返した。そのやり取りが少し可笑しかったので、笑いが起きて場が和む。西山はそこにすかさずくさびを打ち込むように言った。

「桂山は山中と違い当事者としてカムアウトするつもりはありませんでした、この話は慎重に扱っていただきますようお願いいたします」

 会見の終了予定時間を少し過ぎていた。西山の声にもやや安堵の色が混じる。

「私どもの相談室の最初の仕事は、彼の毀損きそんされたプライバシーに対して出版社に何らかの謝罪や賠償を求めることになるでしょう、これは書いていただいて結構です」

 会見のお開きがアナウンスされて、記者たちは壇上の人たちに挨拶しながら会議室を出て行く。暁斗はもう一度タイピンに触れて、肩で息をついた。汗がどっと噴き出す。

「おい、お嬢様方に面通しするぞ」

 山中が暁斗と清水を呼んだ。女子大の面々が、並んでこちらを見ていた。今でなくてはいけないのかと思いながら、清水に続いて立ち上がる。
 山中は清水を工場側の事務担当、暁斗をこれから商品を売り込む営業担当として、大学の面々に紹介した。暁斗は汗びっしょりになった手をハンカチで拭いて、名刺ケースを出す。

「……あ」

 清水に続いて名刺を渡そうとした時、副学長が小さく声を発した。名刺を持つ暁斗の指が震えていたからだった。

「申し訳ありません、打ち合わせに無い展開になったものですから……ここ10年くらいで一番緊張してしまいました」

 暁斗は恥ずかしさのあまり無駄口を叩いてしまったが、暁斗より頭ひとつ小さな副学長は、カムアウトを半ば強いられた営業課長をねぎらうような笑顔になった。

「お察しいたします、人生でそうそう遭遇しない場面だと思いますよ」

 女性の人権史とジェンダー論が専攻だという彼女は、続けた。

「このような言い方を許して頂けるのでしたら……立派な会見だったと思います、私のゼミ生を連れてくれば良かったです」
「そんな、みっともないお話で」
「大学にお越しになる際はお声がけください、ゼミの3回生に性的少数者をテーマに学んでいる子たちがいます、彼女らに会っていただきたいわ……あ、でもまだ全般的にカミングアウトなさらないのでしたか、何か良い方法を考えてみます」

 暁斗は恐縮してしまった。山中が話に割り込んで来た。

「先生、私なら顔出しOKですよ」
「山中さんには別にお願いしたいことがあります、楽しみになさっててくださいな」

 副学長は朗らかに笑った。女性の研究者のイメージと少し違う女性である。
 暁斗は学生たちにも名刺を渡した。彼女らの好奇心に満ちた視線にややどぎまぎしながら、エレベーターホールまで一同を見送る。

「ああ、みんなお疲れ様」

 エレベーターの扉が閉まって5秒後に、岸は相談室の面々に声をかけた。全員が暁斗の顔を見る。

「すみません、勝手な真似をしました」

 暁斗は頭を下げた。いやいや、と声が上がる。岸がやや心配そうに言う。

「ただあの映像、社内にはノーカットで流れたぞ、今更言っても仕方がないが」
「覚悟の上です」
「今日明日にでも相談室開室の祝杯でもあげますか?」

 清水の言葉に皆賛同の意を示す。とりあえずは昼食をとらなくてはいけなかった。社内食堂のメニューが全部品切れになってしまわないうちに。



 どうも人目が気になり、暁斗は食事を済ませると、他の面々より一足先に自分のフロアに戻った。しかしここでもほっと出来る訳ではなく、1課の部下たちは課長の帰還を拍手と歓声で迎えた。

「課長、かっこよかったですよ、お疲れ様です」
「コーヒーをお持ちします!」

 前向きに受け止めてくれるのはいいが、どうしてこの課はこう脳天気なんだと思いながら、暁斗はデスクに戻り、溜め息をつきながら椅子に腰を落とした。疲労感が半端なかった。

「はいどうぞ、もう終業まで何もしないでいてください」
「え、もう帰っていい?」

 暁斗はマグカップを和束から受け取りながら、半分本気で言った。

「いやだめでしょう、誰が課長を訪ねてくるかわかりませんから」
「もう誰の質問にも答えたくないよ」

 コーヒーの香りにほっとしながら、暁斗は本音を吐いた。その時、部屋に谷口営業部長が入って来るのが目に入った。室内の空気が一瞬にして変わった。1課の面々はまだ昼休みの終了まで少し時間があるにもかかわらず、すいと静まりそれぞれの持ち場に戻る。部長がまっすぐ暁斗のほうへやって来たので、暁斗は立ち上がり彼を迎えた。

「会見ご苦労だった、それを飲み終えてからでいいから少し顔を貸してくれ」
「はい、1時になったら行きます」

 部長を皆が目で追い、何となく不穏な空気が流れる。

「何ですかね、やっぱりさっきの会見のことでしょうかね」

 側のデスクに座る花谷がこそっと訊いてきた。だろうな、と暁斗は小さく息をつく。
 谷口部長は暁斗と営業1課が、直接的には彼の部下であるのに、岸統括部長に傾き過ぎていると思っている節がある。暁斗は谷口をないがしろにしているつもりは毛頭無いのだが、2課の課長が谷口の直接の部下だったこともあり、営業部全体では少しやりにくさを感じる時があった。



「ああ、座って……しばらく誰も戻らないから」

 営業部長のデスクは営業3課の、暁斗たちのものより少し小さな部屋にある。3課は霞ヶ関に関係する業務だけを担う特別な営業課で、人数も1課や2課のほぼ半数、課長を置かず部長の直属となっている。

「きみがその……男性が好きな人だと聞いてかなり驚いたよ、しかも特殊な風俗店とは」
「面目ないです、お騒がせして本当に申し訳ありません」

 谷口の声音には、微妙に非難めいた色が感じられた。暁斗はその思いを、自分の思い込みの可能性もあると振り払おうとした。

「記事もすぐに確認させてもらった、あれじゃ誰のことなのかわかる人ならすぐにわかってしまうな、困ったものだ」
「1課では得意先に問われたら隠さなくてもいいと申し送りをしましたが、しばらく私は外回りは控えるつもりです」
「ああ、きみの方からそう言ってもらえると有り難い」

 谷口はあっさりと言った。この人は自分とは考え方が違う。暁斗は悟り、やや失望を覚えた。

「もちろん先方がきみに来て欲しいと言う場合は行ってくれていい」
「……先程女子大の皆さんと名刺を交換しましたが」

 うーん、と谷口は困った顔になる。

「まあ山中くんが担当している案件だから、そちらはきみが行っても何も言われないかな」

 きっと谷口自身気づいていないだろうが、口調に山中への揶揄が感じられ、微かな不快感が暁斗をとらえる。

「これからもし得意先から問い合わせなどがあればどう対応するか……上とも相談してみよう、まあ岸さんはこれまで通りで良いとおっしゃるだろうけれど」
「……部長は私のことで不快に思う取引先があるとお考えですか?」

 暁斗は言葉に棘が混じらないよう注意を払いながら、問うた。

「世の中まだまだ同性愛者に理解の無い人も多い、増してや特殊な風俗など……きみが取引先の担当者ならどう思う?」
「……私はきちんと応対してくれるならば、その人のプライベートがどうであれ気になりません」

 谷口は暁斗の顔をしばらく見つめてから、私ならそこまで鷹揚には受け取れないな、と呟いた。

「営業は会社の顔だ、今更そんなことを言うまでもないだろう?」

 返す言葉が無かった。暁斗は奥歯を噛みしめて部屋を辞した。なるほど、こういうことか。山中の言葉がやっと実感できた。しかし、もし谷口のような考えで接してくる取引先があったとしても、自分のプライベートとは切り離してくれとまでは強気になれないだろうと、暁斗は思った。
 ふと外を見ると、午前中より雨が強くなっていた。暁斗は高揚感が冷めてしまったのを感じながら、自分の課の部屋に戻る。気持ちの揺れは、なるべく部下たちに悟られてはならない、心配をかけるから。探るような視線を無視してデスクに戻り、暁斗は何でもないような顔をしていたが、これからしばらくこんな日々が続くのかと思うと、覚悟だけでは乗り切れなさそうなほど疲労感が増した。
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